メッセージ - 201404のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:妙なる主の御業を思い起こせ(申命記29:1-9):右クリックで保存

出エジプトしたばかりの頃に、ホレブ山で交わされた契約からもう40年が経ち、イスラエルの民がすぐにでも約束の地に入ろうとしている時、そして、モーセの死が間近に迫った時に、主はモーセに命じて、モアブの野で再度契約を交わされた。
『これは主がモーセに命じて、モアブの地でイスラエルの人々と結ばせられた契約の言葉であって、ホレブで彼らと結ばれた契約のほかのものである。』(申命記29:1)
その内容は、それまで教えられて来た事に従順するように、という命令と、また、不従順を犯した場合、どのような罰が待っているかが強調されており、それまでの命令の確認的な内容となっている。

『モーセはイスラエルのすべての人を呼び集めて言った、「あなたがたは主がエジプトの地で、パロと、そのすべての家来と、その全地とにせられたすべての事をまのあたり見た。すなわちその大きな試みと、しるしと、大きな不思議とをまのあたり見たのである。しかし、今日まで主はあなたがたの心に悟らせず、目に見させず、耳に聞かせられなかった。』(申命記29:2-4)
イスラエルの民は、荒野で40年間、主からの多くの奇跡としるしを見て来たが、彼らは悟る所が無かった。

神は人に、神に聞き従う祝福の道を示しても、それを人が退け、敢えて自分の進みたい道から頑なに離れない人は、その、頑なな心のままに捨て置かれる。
神は人に、神に逆らう自由を与えられ、しかも、神の御子を殺す自由さえも与える程に、人の自由意志を尊重された。
そして、敢えて神に逆らう事を止めないような人には、永遠の滅び、すなわち、永遠に火で苦しめられる裁きが待っている。

私達も、イスラエルの民と同じように、主の妙なる業を見ている。それは人体や宇宙など、全ての被造物によって、である。
『神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。』(ローマ1:20-23)

無神論者は、神の永遠の力と神性の宿るこの被造物を見ておきながら、神がおられる事を無視し、あるいは意図的に認めようとはしない。
なぜなら、彼らにとって、全能なる神がいてもらっては、色々と不都合だからである。
つまり彼らは、自分の罪深さを、弱さを、義なる神の御前にはとうてい立てない事を、永遠の刑罰がある事を、無意識的に認めており、そのような事を否定したいからだ。

しかしそのように、敢えて神を認めず、ないがしろにして、自分の好き勝手をしていると、神は彼らを頑なな心ままに、滅びるにまかせ、汚れから汚れへと堕ちて行くに任せられる。
『ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。』(ローマ1:24) と記されている通りである。

モーセはイスラエルの民に、再び、神が荒野でなされた御業を思い起こさせている。
『わたしは四十年の間、あなたがたを導いて荒野を通らせたが、あなたがたの身につけた着物は古びず、足のくつは古びなかった。あなたがたはまたパンも食べず、ぶどう酒も濃い酒も飲まなかった。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知るに至った。』(申命記29:5-6)
イスラエルの民がこの40年、毎日、飲み食いして来たマナや水について思い起こさせ、それらは100%主から与えられたものである事を認めさせている。
また、今自分自身が着ている服やくつについても、それらが40年も古びずにいる事は、主の御業に他ならない事を認めさせている。

『あなたがたがこの所にきたとき、ヘシボンの王シホンと、バシャンの王オグがわれわれを迎えて戦ったが、われわれは彼らを撃ち敗って、その地を取り、これをルベンびとと、ガドびとと、マナセびとの半ばとに、嗣業として与えた。』(申命記29:7-8)
最近彼らが戦った戦争についても、主がいかに奇跡的に勝利させて下さったかをモーセは思い起こさせている。

そして、次のように結論づけている。
『それゆえ、あなたがたはこの契約の言葉を守って、それを行わなければならない。そうすればあなたがたのするすべての事は栄えるであろう。』(申命記29:9)
これはもう、何度も聞かされて来た内容だが、結局、主の御言葉を守り行う事こそ、私達にとって全てである。

アダム系図に隠されていた福音(創世記5章)
第一礼拝・礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

本日は教会暦では「しゅろの聖日(パームサンデー)」、すなわち、イエス様がろばに乗ってエルサレムに入城し、人々が自分の衣服や「しゅろの葉」を置いて「ホサナ」と叫びつつ歓迎した日である。
そして、次週主日のイースター(復活祭)までの1週間を、「受難週(Passion Week)」 としている。
イエス様はなぜ苦難を受けられ、十字架で死なれ、そして、復活されたのか。それは、愛の故である。

神は人(ヘブル語:アダム)を、神の似姿として、そして、愛し愛される事の”相手”として、創造された。
神の人に対する愛は、独り子を捧げる程であり、御子キリストの愛の深さは、自らの命を投げ出す程である。
神は、全被造物を、神と人とが共に住み、愛の関係を結びつつ暮らして行く”住み家”として創造された。
創造の当初、全て創られたものは、あらゆる良きもので満ち満ちており、呪われるべきものは何一つ無かったが、人は神のいましめをないがしろにし、善悪を知る木から取って食べ、愛なる神のその愛を捨て、神から独立し、自分で善悪判断しながら、好き勝手に生きるようになってしまった。
それで人は、罪と死という、致命的な運命を背負って生きるようになり、悲惨に満ちた人生となってしまった。
神はそんな人類を救おうとご計画されるのだが、実は、その全容が創世記5章の系図に隠されているのだ。

ヘブル語の人名には、それぞれ意味があるのだが、この創世記5章のアダム系図の名前を、順番に列挙して行くと、面白い事に、一つの意味が浮かび上がって来る。
アダムは「人、土」という意味であり、セツは「約束の、授けられた、定着した」という意味、エノシュは「脆い、致命的、悲惨」、ケナンは「悲しみ、哀歌」、マハラルエルは「祝福の神」という意味である。
エレデは「降りてくる」、エノクは「教える、始まる、ささげる」、メトシェラは「彼が死ぬ時、何かが起きる」、レメクは「嘆き、悲しみ」、ノアは「慰め、新しい希望」という意味である。
以上、これらの名前の意味をつなげると、次のようになる。
「人は、約束された(授けられた)。脆さ、致命的な悲惨が。祝福の神は、降りて来て、教え、捧げた。
彼が死ぬ時、何かが起きる。嘆き悲しみは、慰められ、新しい希望となる。」
この浮かび上がった意味は、まさしく、イエス・キリストによる人類の救いを表しているではないか。

祝福の神の御子、キリストは、人に定められてしまった罪と死の悲惨から救い出すため、神であられる身分に固執する事をせず、人の世に降りて来られ、赤ちゃんとなって、人の間に宿られた。小さなその手に、全ての人の罪と穢れを握り締め、彼らの身代わりとなるために、十字架に向かって歩み出された。
彼が30歳になった時、福音を教え始められ、そして時至った時、自ら十字架につけられるために、ろばに乗って、エルサレムに入られた。本日は、それを記念する日である。
人々はしゅろの枝を手に持ち、諸手を挙げて彼を歓迎したが、一体誰が想像しただろうか。週の終わりにその歓声は「十字架につけろ」という罵倒に逆転し、人々はこぞって彼を十字架につける側に回る事を。
彼は蔑まれ、ののしられ、十字架の上へと渡された。彼は血を流し、自らを捧げ、死なれた。
しかし彼が死んだ時、何かが起こった。それは全人類にとって、とてつもなく素晴らしい”何か”である。
すなわち私達は、私達の身代わりとなって懲らしめを受けられた彼にあって、罪は取り除かれ、癒され、呪いは祝福へと変えられ、悲惨だった人生は慰められ、死と呪いに満ちた私達の人生に、新しい希望の光が灯ったのだ。(イザヤ53:5)

キリストは、全世界の王の王、主の主であられるのに、人々はそれを拒否した。しかし、この御方を受け入れた人は、神の子となる特権が与えられる。(ヨハネ1:9-14) この素晴らしい救いは、アダムの時代、人が堕落した時点から、神はそのご計画を定めておられ、系図に記され、時が及んで、それを成就されたのだ。
「ほむべきかな、私達の主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊の諸々の祝福をもって、わたしたちを祝福し、御前にきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあって私達を選び、私達にイエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」(エペソ1:3-5)

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
祝福を受けるための呪いのリスト(申命記28:58-68):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:病と恐怖にまといつかれ、追いかけられる人(申命記28:58-68):右クリックで保存

主の御言葉を守り行わない者への呪いの明細は、さらに続く。

『もしあなたが、この書物にしるされているこの律法のすべての言葉を守り行わず、あなたの神、主というこの栄えある恐るべき名を恐れないならば、主はあなたとその子孫の上に激しい災を下されるであろう。その災はきびしく、かつ久しく、その病気は重く、かつ久しいであろう。主はまた、あなたが恐れた病気、すなわちエジプトのもろもろの病気を再び臨ませて、あなたの身につかせられるであろう。』(申命記28:58-60)
神であられる主の御名は、恐れ敬うべき栄光の御名である。
そのお方を軽んじ、その御言葉を守り行わない者にまとわりつくのろいは、厳しく、長く継続するものであり、病も、しつこくまとわりついて、中々癒やされない。
主を軽んじる者には、のろいと病にしつこくまとわりつかれ、追いかけられるが、主を羊飼いとする人には、恵みといつくしみにまとわりつかれ、追いかけられる。(詩篇23編)

『またこの律法の書にのせてないもろもろの病気と、もろもろの災とを、主はあなたが滅びるまで、あなたの上に下されるであろう。あなたがたは天の星のように多かったが、あなたの神、主の声に聞き従わなかったから、残る者が少なくなるであろう。』(申命記28:61-62)
主の御声に聞き従わない者は、聖書に載っていない病、当時は存在しなかった新しい病にも打たれる事が、ここで預言されている。
実際、現代は、100年前には存在しなかったような恐ろしい不治の病が次々と出現し、たとえ特効薬を開発しても、それが効かない別の病気やウイルスなどが次々と現れている。
主の御声に聞き従い、御言葉を守り行う事にまさる”医療”は無い。それは、どんな金銀をつぎ込んで最先端の医療を受けるよりも、優れている。

『さきに主があなたがたを良くあしらい、あなたがたを多くするのを喜ばれたように、主は今あなたがたを滅ぼし絶やすのを喜ばれるであろう。あなたがたは、はいって取る地から抜き去られるであろう。』(申命記28:63)
しかし、主は元々、罪人の死を望まない。
一人の罪人が悔い改めて立ち返るなら、立ち返る必要の無い99人にまさる大きな喜びが、天で沸き起こる。

『シオンの娘よ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び呼ばわれ。エルサレムの娘よ、心のかぎり喜び楽しめ。主はあなたを訴える者を取り去り、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はあなたのうちにいます。あなたはもはや災を恐れることはない。
その日、人々はエルサレムに向かって言う、「シオンよ、恐れるな。あなたの手を弱々しくたれるな。あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新にし、祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる」。』(ゼパニヤ3:14-17)
ゼパニヤ書のこの慰めに満ちた御言葉は、誰にでも与えられるものではない。
ゼパニヤ1-2章の懲らしめをしっかり受け、自分の不従順を悔い改めた者にのみ与えられるものである。
だから、私達も悔い改めなくては、主は私達にとって救いの勇士となっては下さらないし、私達が罪を洗い清めなければ、主が私達を喜ばれる事も無い。

主は、悔い改めて立ち返る人を慰め、災いの宣告を取りのけられるが、そうでない者は、いつも、絶え間なく、災いに怯える。
『その国々の民のうちであなたは安きを得ず、また足の裏を休める所も得られないであろう。主はその所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を打ちしおれさせられるであろう。あなたの命は細い糸にかかっているようになり、夜昼恐れおののいて、その命もおぼつかなく思うであろう。あなたが心にいだく恐れと、目に見るものによって、朝には『ああ夕であればよいのに』と言い、夕には『ああ朝であればよいのに』と言うであろう。』(申命記28:65-67)
このように、いつも自分の主張ばかりして、御言葉を全然聞こうとしない人は、いつも、いわれのない恐怖に怯え、身も心も病んでいく。
御声に聞き従わない者は、諸々の病を患う他、情緒不安定になり、視力も、見識も悪くなり、自分が嫌いな人が栄えてその者に支配されるようになり、いつも訳も分からない漠然とした恐怖に支配され、追われてもないのに逃げるようになる。(レビ記26:16-17)

また、全ての事に対して、とんちんかんとなるため、仕事の人材としては全然使いものにならなくなり、誰も雇ってくれず、仕事も無くなるので、自らを二束三文で身売りするのに、誰も雇ってくれなくなる。
『主はあなたを舟に乗せ、かつてわたしがあなたに告げて、『あなたは再びこれを見ることはない』と言った道によって、あなたをエジプトへ連れもどされるであろう。あなたがたはそこで男女の奴隷として敵に売られるが、だれも買う者はないであろう」。』(申命記28:68)

その人は、主にある聖徒の交わり(イスラエル)の中で、いつも世迷い事ばかり言うので聖徒からは相手にしてもらえず、世(エジプト)に降って行っても、誰も見向きもされない。
このような、御言葉の知識が多少あるのに従順しない中途半端なクリスチャンは、聖徒の交わりから厭われ、無視され、社会においても全然使い物にならず、誰からも相手にされないまま、独り消えていくのだ。

そこから抜け出し、祝福に戻るコツは、もう何度も言われている通りである。『もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。』(申命記28:1)
主の御声によく聞き従い、主の御言葉を守り行う事によって、すみやかに災いから離れ、祝福に入る皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
ロゴスとレーマ(マタイ8:14-17):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
善悪の目を凝らして見る事ののろい(伝道者の書2:12-17):右クリックで保存

【概要】

今日のメッセージは、伝道者の書2章12節から17節を通して、知恵と愚かさ、そして人生の虚しさについて考察します。ソロモンが感じた虚しさを通して、私たちがどのように永遠の視点を持つべきかを探ります。

【聖書箇所】

  • 伝道者の書2章12節から17節

  • 創世記3章4節から7節

  • 黙示録20章11節から15節

  • 第2コリント5章7節から10節

【慰めの言葉】

イエス・キリストを信じる者は、その行いも地上でのことも決して虚しくなることはありません。

【励ましの言葉】

私たちは見えるところによってではなく、信仰によって歩むべきです。

【戒めの言葉】

目で見ること、じっと見ること、それは諸悪の根源であることを覚えてください。

【勧めの言葉】

信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さないでください。

【悔い改めの促しの言葉】

この世の虚しさに陥ることなく、永遠の視点を持ち続けましょう。

【***詳細***】

今日の箇所である伝道者の書2章12節から17節では、ソロモンが知恵と愚かさを振り返り、人生の虚しさを感じています。「私は振り返って、知恵と狂気と愚かさとを見た。一体、王の後を継ぐ者も、既になされたことをするのに過ぎないではないか。」と彼は言います。知恵ある者も愚かな者も、結局は同じ結末に行き着くと彼は悟ります。

この虚しさの原因は、創世記3章にあるように、アダムとエバが善悪の知識の木の実を取って食べたことに始まります。「そこで蛇は女に言った。あなた方は決して死にません。あなた方がそれを食べるその時、あなた方の目が開け、あなた方が神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」このようにして人間の目が開かれ、愚かさが入り込んでしまいました。

ソロモンはこの世の知恵と愚かさを見つめ、虚しさを感じました。しかし、私たちは知っています。死の向こう側に永遠があることを。黙示録20章では、最終的な裁きが描かれています。「また、私は死んだ人々が大きいものも小さいものもミザの前に立っているのを見た。そして数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは命の書であった。」

私たちは見えるところによってではなく、信仰によって歩むべきです。第2コリント5章には、「確かに私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。」とあります。私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。

【結論】

ソロモンが感じた虚しさは、目で見ることに依存することから来ています。しかし、私たちは信仰によって歩むことが求められています。イエス・キリストを見つめ、永遠の視点を持ち続けることで、この地上での歩みが決して虚しくないことを実感できます。どうか、信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さず、祝福された歩みを続けていきましょう。アーメン。

礼拝説教メッセージ音声:親が子の肉を食う程の食糧難(申命記28:49-57):右クリックで保存

それでも主の御声に聞き従わず、頑なに自分のやりたい事、自分の行きたい道を貫こうとする者には、さらに激しいのろいが示されている。
『主は、遠く地の果てから、わしが飛びかかるように、一つの国民にあなたを襲わせる。その話すことばがあなたにはわからない国民である。その国民は横柄で、老人を顧みず、幼い者をあわれまず、あなたの家畜の産むものや、地の産物を食い尽くし、ついには、あなたを根絶やしにする。彼らは、穀物も、新しいぶどう酒も、油も、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も、あなたには少しも残さず、ついに、あなたを滅ぼしてしまう。』(申命記28:49-51)
この事は、イスラエルの歴史で実際に起こった。
ずっと後の時代、北イスラエル王国はアッシリアに、南ユダ王国はバビロン王国に攻め落とされ、散らされ、鉄の枷に繋がれて、連れて行かれた。

『その民は全国ですべての町を攻め囲み、ついにあなたが頼みとする、堅固な高い石がきをことごとく撃ちくずし、あなたの神、主が賜わった国のうちのすべての町々を攻め囲むであろう。あなたは敵に囲まれ、激しく攻めなやまされて、ついにあなたの神、主が賜わったあなたの身から生れた者、むすこ、娘の肉を食べるに至るであろう。』(申命記28:52-53)
これ程の深刻な食糧難は、預言者エリシャの時代のサマリヤに、バビロン捕囚前後のイスラエルに、そして、イエス様を十字架につけた直後のイスラエルにおいて実際に起こった。
その時の人々の霊的状況や、主に対する態度はどのようであったのか、2列王記6-7章から知ることが出来る。

『この後スリヤの王ベネハダデはその全軍を集め、上ってきてサマリヤを攻め囲んだので、サマリヤに激しいききんが起った。すなわち彼らがこれを攻め囲んだので、ついに、ろばの頭一つが銀八十シケルで売られ、はとのふん一カブの四分の一が銀五シケルで売られるようになった。』(2列王記6:24-25)
銀一シケルは、日当の3~4倍相当であるから、食料価格のとてつもない暴騰である。

そのような時、ある女が王に訴えをした。
『「この女はわたしにむかって『あなたの子をください。わたしたちは、きょうそれを食べ、あす、わたしの子を食べましょう』と言いました。それでわたしたちは、まずわたしの子を煮て食べましたが、次の日わたしが彼女にむかって『あなたの子をください。わたしたちはそれを食べましょう』と言いますと、彼女はその子を隠しました」。』(同28-29節)
まさに、次の御言葉の、文字通りの成就である。
『あなたがたのうちのやさしい、柔和な女、すなわち柔和で、やさしく、足の裏を土に付けようともしない者でも、自分のふところの夫や、むすこ、娘にもかくして、自分の足の間からでる後産や、自分の産む子をひそかに食べるであろう。敵があなたの町々を囲み、激しく攻めなやまして、すべての物が欠乏するからである。』(申命記28:56-57)

この女の王への訴えとしては、約束した通り行使しなかったのだから、当初の約束の通りに、相手の女の子供を食わせて欲しい、という事であろうが、内容が内容である。
このような常軌を逸した内容を、それも、恥も外聞も無しに、大勢の前で、城壁を歩いている王に向かって大声で訴えている。
もはや、人間性のかけらもない状態である。

『王はその女の言葉を聞いて、衣を裂き、――王は城壁の上をとおっていたが、民が見ると、その身に荒布を着けていた―― そして王は言った「きょう、シャパテの子エリシャの首がその肩の上にすわっているならば、神がどんなにでもわたしを罰してくださるように」。』(同30-31節)
彼は荒布を着けていて、外見上は、あたかも悔い改めて身を慎んでいるかのように見えるが、この王の言葉は、注目に値する。
その言っている事は外面の装いとは真逆で、神の遣わされた預言者エリシャは殺すべし、と言っているのだ。
御言葉に照らすなら、自分の衣を裂くより、むしろ、自分達が神の御言葉に背いた事を悔い、臣下にこのような不幸を招いてしまった事を、心を裂いて悔い改めるべきなのに、それをせず、むしろ、災いを預言した預言者が悪い、あんな預言をするから、この国にこんな悲惨が起きただ、だから殺してやる、という考えなのだ。

また、王の使者もエリシャに言っている。
「この災は主から出たのです。わたしはどうしてこの上、主を待たなければならないでしょうか。」(同33節)
自分達は主に幸いを期待していたのに、でも来たのは、こんなにも非道い災いだ、一体主に、何を期待できようか、という考えなのだ。

思い出して欲しい。祝福が与えられるためには条件があり、順序があった事を。
主から幸いが与えられるためには、順序として、まず人の側がしなければならない事がある。すなわち、主の御声によく聞き従い、主の全ての命令を守り行なう、という”条件”を、人の側が満たしたなら、主はその人に幸いを与えられる。(申命記28:1)
しかし、主の御声に聞き従わず、主の全ての命令とおきてを守り行う事をいつまでも保留し、行なわないのであれば、申命記28章15節以降に記されている全ての呪いが臨む、と、モーセは既に何百年も前から条件開示している。(同15節)

『エリシャは言った、「主の言葉を聞きなさい。主はこう仰せられる、『あすの今ごろサマリヤの門で、麦粉一セアを一シケルで売り、大麦二セアを一シケルで売るようになるであろう』」。時にひとりの副官すなわち王がその人の手によりかかっていた者が神の人に答えて言った、「たとい主が天に窓を開かれても、そんな事がありえましょうか」。エリシャは言った、「あなたは自分の目をもってそれを見るであろう。しかしそれを食べることはなかろう」。』(2列王記7:1-2)
王の副官もまた、「主はそんな事はなさらない」と”不信仰告白”をしている。
そのような主に期待しない心の持ち主は、主が顧みて下さり恵んで下さる”わざ”は目にしても、それを享受する事は出来ないのである。

この時代のサマリヤは、預言者に示された主の御声に聞き従わず、かえって預言者を殺そうとするような霊的状態だったからこそ、親が子の肉を食べるまでの食糧難に陥ってしまった。
バビロン捕囚直前のイスラエルも、預言者エレミヤに示された主の御声に聞き従わず、その手紙を破って火にくべ、預言者を迫害したからこそ、そこまでの食糧難に陥った。
そしてイエス様の時代、神が御子キリストを直接使わして、御国の福音を語ったにもかかわらず、人々は悔い改めるどころか、逆に御子を退け、外に追い出し、十字架につけて殺してしまった。
だからこそローマ帝国に攻められ、イスラエルは、城壁も神殿も石が一つも積み上がっていない程にまで崩され、マサダの要塞に立て籠もったユダヤ人達は、深刻な食糧難の末に、壮絶な最後を遂げた。

いずれの時も、御言葉への不従順を繰り返し、主から遣わされた預言者の言葉を拒否し、迫害したり、殺したりしたからこそ、このような悲惨な事態に陥ったのだ。
私達もそうならないためには、主への不従順は速やかに捨て、頑なさを捨て去るべきである!
御言葉によって悔い改めが促されたら、すぐにでも自分を下ろし、悔い改め、御言葉に従順し、速やかに幸いを得る皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:「働けど働けどわが暮らし楽にならざり」に陥る人(申命記28:36-48):右クリックで保存

御声に聞き従わず、御言葉を守り行わない者が受けるべき「のろい」の数々が示されているが、それらを受けても、なお自分の道を曲げず、主に立ち返らない人へののろいは、さらにひどくなって行く。

『主はあなたとあなたが立てた王とを携えて、あなたもあなたの先祖も知らない国に移されるであろう。あなたはそこで木や石で造ったほかの神々に仕えるであろう。あなたは主があなたを追いやられるもろもろの民のなかで驚きとなり、ことわざとなり、笑い草となるであろう。』(申命記28:36-37)
こののろいは、何百年も後に現実のものとなってしまった。有名なバビロン捕囚である。
詩篇137篇は、一人のユダヤ人が、バビロンで余興のネタにされ、笑い草にされている様が、示されている。
モーセは、もし主の民が、主の御声に聞き従わない事を続けているなら、このようになってしまう事を、何百年も前から警告していたのに、人々はきっと、それらの御言葉を、何か大げさなおどしだとか、誰かが気まぐれに書いたものだとか、思っていたのかもしれない。実際、聖書をそのように評価している人は、いる。
しかし、そのように御言葉を軽んじている人には、実際に、これらののろいが振りかかってしまうのだ。

『あなたが多くの種を畑に携えて出ても、その収穫は少ないであろう。いなごがそれを食いつくすからである。あなたがぶどう畑を作り、それにつちかっても、そのぶどう酒を飲むことができず、その実を集めることもないであろう。虫がそれを食べるからである。あなたの国にはあまねくオリブの木があるであろう。しかし、あなたはその油を身に塗ることができないであろう。その実がみな落ちてしまうからである。
むすこや、娘があなたに生れても、あなたのものにならないであろう。彼らは捕えられて行くからである。あなたのもろもろの木、および地の産物は、いなごが取って食べるであろう。』(申命記28:38-42)

御声を無視し御言葉に反する人は、ますます収入が少なくなる。なぜなら、彼らが稼いだ労役の実は、全て、虫や他人に持って行かれてしまったり、立ち消えしてしまうからだ。
まさに、「働けど働けど、わが暮らし楽にならざり」状態である。

ちなみに、「働けど働けど、わが暮らし楽にならざり」の歌を作った石川啄木は、曹洞宗住職の家の生まれである。
働いても一向に暮らしは楽にならず、お金を借りる事はあっても、貸す事は無く、病弱で、早死にし、子を産んでも三代続かずに家が絶えてしまった彼の家は、残念ながら、偶像礼拝をしている人はこのようになる、という聖書の法則が、まさしく実体化してしまった形だ。
多くの日本人は、彼のこの歌に共感を覚える。働いても働いても楽にならない事が多いからだが、残念ながら、偶像礼拝をしている限り、聖書が示す呪いの法則から逃れる術は、ない。
唯一救われる道が、悔い改めてイエス様を信じる事だ。
私達はこの偶像崇拝の多い日本という国に使わされている者としてうめき、祭司として執り成し祈るべきだ。

『あなたのうちに寄留する他国人は、ますます高くなり、あなたの上に出て、あなたはますます低くなるであろう。彼はあなたに貸し、あなたは彼に貸すことができない。彼はかしらとなり、あなたは尾となるであろう。』(申命記28:43-45)
これは12-13節の逆である。
主に聞き従わず、あくまで自分の好む道に固執するなら、人に借りるばかりで返す事が出来ず、いつも下っ端で、いつまでも上に上がる事はできないのだ。

なぜ、これらののろいが降りかかるか。
その理由は、既に何度も聞かされている通り、主の声に聞き従わず、主から命じられた戒めと定めとを守らなかったからである。(申命記28:15,45)

『あなたがすべての物に豊かになり、あなたの神、主に心から喜び楽しんで仕えないので、あなたは飢え、かわき、裸になり、すべての物に乏しくなって、主があなたにつかわされる敵に仕えるであろう。敵は鉄のくびきをあなたのくびにかけ、ついにあなたを滅ぼすであろう。』(申命記28:47-48)
物が豊かになる事を、祈り求める人は、多い。
しかし、たとえその祈りが聞かれて、物が豊かに与えられたとしても、その人に、主への感謝が無く、主を喜ぶ感性が無いなら、何もならない。
主は逆に、そのような人を、飢えさせ、渇かせ、裸にし、すべての物に乏しくし、敵に仕えるようになり、ついには滅ぼされる。
なぜなら、私達にとって重要な人生の目的は、持ち物が豊かになる事ではなく、全ての祝福の源であり、全てのいのちの源であられる主と、愛と喜びの関係を築く事だからである。

礼拝説教メッセージ音声:皮膚病、錯乱、負け続け、奪われ続ける呪い(申命記28:25-35):右クリックで保存

御胸に逆らって歩む者、すなわち、御声に聞き従わず、御言葉を守り行わない者の受けるべき「のろい」は、実に惨憺たるものばかりだった。
しかし、それらを受けても、なお自分の道を曲げず、主に立ち返らない人に対するのろいは、まだまだ続く。

『主はあなたを敵の前で敗れさせられるであろう。あなたは一つの道から彼らを攻めて行くが、彼らの前で七つの道から逃げ去るであろう。そしてあなたは地のもろもろの国に恐るべき見せしめとなるであろう。またあなたの死体は空のもろもろの鳥と、地の獣とのえじきとなり、しかもそれを追い払う者はないであろう。』(申命記28:25)

これは7節「彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前で七つの道から逃げ去る」の、真逆である。
主の御言葉に逆らう人は、敵に勝つ事は出来ない。
それも、「一つの道から彼らを攻めて行くが、彼らの前で七つの道から逃げ去る」と、実に”派手”な負けっぷりをし、その死体はさらされ、野の獣や猛禽類についばまれてしまう。
列王記や歴代誌を見ると、実際にイスラエルの歴史で、この事は何度もあった事が分かる。

『主はエジプトの腫物と潰瘍と壊血病とひぜんとをもってあなたを撃たれ、あなたはいやされることはないであろう。』(申命記28:27)
主が病で体を打つ時、皮膚に疾患を現す事が、多い。

その人の外見や皮膚にありありと現れる症状を、人が見る時、この人はやはり、その強情を捨てなかった報いを、主から受けたのだな、と、分かるのである。
実際、ミリヤムやウジヤ王は、主が立てた権威や指導者に逆らった時に、すぐにツァラアト(らい病)が現れ、それを見た人達にとって戒めとなった。

もちろん、これらの症状が出た人イコール御言葉に反した人とは限らないが、御言葉を軽んじ、主に逆らい続ける人には、100%、何かしらののろいの兆候が現れる事は間違いない。
そういう人は、外見的な疾患だけでなく、心の疾患にも侵される。

『また主はあなたを撃って気を狂わせ、目を見えなくし、心を混乱させられるであろう。あなたは盲人が暗やみに手探りするように、真昼にも手探りするであろう。』(申命記28:28-29)
彼らは、真理に対して目が見えなくなるため、本質を外した歩みに陥り、何をしても、とんちんかんであり、常に何かに怯えている。
サウル王は、頑なな道を改めなかったため、主からの悪い霊にいつも怯え、狂ったような行いをした。

御声に聞き従わず、御言葉を守り行わない者は、いかに物持ちであったとしても、ただただ人にかすめ奪われるのみである。
具体的には、自分の愛する異性や伴侶が奪われ、自分の住まいが奪われ、仕事場が奪われ、また、働いて蓄えた資産が奪われ、そして、自分の愛する息子や娘が、目の前でどんどん他人に奪われていくのに、それをただ見ているだけで、どうする事もできず、ついには、それらを慕い求めて狂うまでになる、と書かれてある。(申命記28:29-34)

『主はあなたのひざと、はぎとに悪い、いやし得ない腫物を生じさせて、足の裏から頭の頂にまで及ぼされるであろう。』(申命記28:35)
足の先から頭のてっぺんまで、癒しがたい腫物のために、特に、膝や脚が打たれるのだ。

もし、これらの疾患や災いが続き、栄える事なく、負け続け、ただ奪われているサイクルに陥っているなら、今一度、御言葉に照らし合わせ、御声に聞き従わない所が無かったか、御言葉を守り行わなかった所は無かったか、自分自身を省みるべきである。

主日の礼拝や、主への捧げ物、聖徒の交わりを、軽視していなかったか。
主を敬うと言いつつも、周囲に妥協し、偶像や占いの類を自分の所に持ち込んでいないか。
父や母を軽んじていないか。憎んでいないか。
性的な罪なや、盗む事、うそをつく事などが、日常的になっていないか。
兄弟姉妹を赦さず、執拗に憎しみを握りしめていなかったか。
あるいは、かつて主から「この道を行け」と示されていたのに、それを嫌がって、自分のしたい道に歩んだままではなかったか。

自分は祝福と呪いのどちらを受けているか、という問がある時、呪いのほうを受けている、と思い当たる人は、今一度、御言葉に照らすべきである。
主に対する姿勢が正しいか、御心にかなった道を正しく歩んでいるかをチェックし、思い当たる御言葉が示されたなら、すぐにでも、主の怒りを引き起こすものを捨て去り、道を改めるアクションを起こすべきである。

礼拝説教メッセージ音声:のろいの条件(申命記28:15-24):右クリックで保存

『しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。』(申命記28:15)

申命記28章の15節以降、68節までは、御胸に逆らって歩む者が受ける「のろい」の明細が、こと細かに記されている。
祝福されるための条件は、実にシンプルだったが、その逆の、呪われるための条件も、実にシンプルで、それは、御声に聞き従わない事、御言葉を守り行わない事である。

『あなたは町のうちでものろわれ、畑でものろわれ、あなたのかごも、こねばちものろわれ、あなたの身から生れるもの、地に産する物、牛の子、羊の子ものろわれるであろう。あなたは、はいるにものろわれ、出るにものろわれるであろう。』(申命記28:16-19)
御声に聞き従わず、御言葉を守り行わない人は、都会に住んでも、田舎に戻って住んでも、栄える事なく、自分や家族、家畜のいのちにおいて、何かしらの支障があり、また、台所事情においても、出入りにおいても、栄える事が無い。

『主はあなたが手をくだすすべての働きにのろいと、混乱と、懲らしめとを送られ、あなたはついに滅び、すみやかにうせ果てるであろう。これはあなたが悪をおこなってわたしを捨てたからである。』(申命記28:20)
呪われている人の、大きな特徴の一つは、混乱している事である。
そのような人は、何かととんちんかんな言動をして、的を射ず、その働きも、労多くして益少ない。それでいて、何で自分がいつもそうなのか、わかっていないのである。

『主は疫病をあなたの身につかせ、あなたが行って取る地から、ついにあなたを断ち滅ぼされるであろう。主はまた肺病と熱病と炎症と間けつ熱と、かんばつと、立ち枯れと、腐り穂とをもってあなたを撃たれるであろう。これらのものはあなたを追い、ついにあなたを滅ぼすであろう。』(申命記28:21-22)

呪われている人の特徴の、もう一つは、病や災いにつきまとわれる事である。
災いや病が、ストーカーのように追いかけて来るので、一難去っても、また一難が連続する人生である。
いつまでのろいが追いかけて来るか。それは、打たれて滅ぼされるまで、と22節に書いてある。
それらからの、唯一の脱出方法は、のろいの条件の逆を行う事、すなわち、主に立ち返って御声に聞き従い、御言葉を守り行うしか無い。

『あなたの頭の上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となるであろう。主はあなたの地の雨を、ちりと、ほこりに変らせ、それが天からあなたの上にくだって、ついにあなたを滅ぼすであろう。』(申命記28:23-24)

イスラエルが、民族的に主から離れ去っていた時は、大体、かんばつや飢饉に悩まされた。
現代でも、頑なになって主の御声に聞き従わない人に対しては、その人にとっての天も、地も、頑なになって、恵みを降らせず、いのちを生じさせないのだ。
それでも主に立ち返らない人に与えられる呪いの明細は、まだまだ続く。
ここまでさんざんな目に遭うとしたら、さっさと頑なさを捨て去って、主に立ち返るほうが得だ、と思うであろうが、頑なな人は、それでもまだ懲りず、自分のしたいように生きたいものである。

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