メッセージ - 201408のエントリ

アブラム、そしてアブラハムへ(創世記17章)
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前回、アブラムとサライは、世の手段や肉のやりくりによって主の約束の未成就分を果たそうとする過ちを犯し、そうしてイシュマエルが生まれてからの13年は、聖書は何の記録も無く、霊的空白の年月が流れた。
人が肉の力で何かしようとするなら、人の肉が力尽きるまで、神は沈黙されるのだ。
肉のやりくりによって、何かを為し続ける限り、主からの語りかけも霊的前進も無く、ただ、気力・体力の隆盛と衰退の繰り返しの、無味な時間が過ぎていく。その間、一見無駄とも思える事の繰り返しの時期に見えるが、永遠の観点から見れば、「肉に対して絶望する」という大きな意味のある時期である。
イスラエル民族にも荒野の四十年を通らせたように、神は度々、人の肉の力を一切削ぎ落とすため、膨大な時間を用いられるが、アブラムも、子を産むという事に対しては、全く絶望的になった九十九歳になったその時、神は、エルシャダイ、すなわち「全能の神」として現れた。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に「歩み(ハーラフ)」、全き者であれ。」(創世記17:1)
以前学んだように、ここの「歩みなさい(ハーラフ)」の要求は、ヘブル語の強意形ヒットパエル態(再帰態)が使われており、すなわち、自ら、主体的に、自覚的に、自発的に「歩みなさい」、と命じられている。
いよいよアブラムの肉は力尽き、生殖機能はもう死んだも同然の99歳の時、主が特に強調して命じられた事が、(自主的に)主の前に歩む事、全き者となる事であった。私達も、自ら主体的に、自覚的に、自発的に主と共に歩もうとする時、主の御前に「全き者」となり、全く新しい人生、新しい名が与えられる。
「あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。」(5節)
アブラム(אַבְרָם)の名に、ハーラフの「ハ(הָ)」が付与され、アブラハム(אַבְרָהָם )となり、サライ(שָׂרַי)も、語尾が「ハ(ה)」に変換され、サラ(שָׂרָה)となった。私達も、自分の名に、すなわち自分のアイデンティティに、「主と共に歩む事(ハーラフ)」を加えるなら、全く新しく、まったき者へと、造り変えられるのである。

そして主は、人の側が守るべき「契約のしるし」をも与えられた。それは、割礼である。(9-14節)
契約を取り交わす際、契約書にサインを記して、初めて契約は有効化されるが、このサインに相当するものが割礼であり、「割礼を受けない者は民から断たれる」と言われた程、神の民には必須のものである。
割礼は、男性器の包皮を切り取る行為である。男は支配し治める者であるが、その男性のシンボルたる部位の「肉を切り捨てる」事が、神の民のしるしとされるのは、実に象徴的だ。
キリストにあってアブラハムの子孫とされたからには、男も女も、どの国民も、「割礼」は避けて通れない。
もっとも、私達が受けるべき割礼は、御言葉の剣による心の割礼で(ローマ2:28)、十字架によって自分の肉を殺す事であり、神から独立して歩む”男の性質”はそぎ落とし、神と共にハーラフする者となる事だ。
その先には、主と共に歩む事の祝福が待っている。肉において私達を責め立てていた債務証書は全て無効化され、真にアブラハムの子孫としての祝福にあずかるようになる。もし、相変わらず世に属しているなら、相変わらず、不利な債務証書を世からつきつけられ、世の手順に従って歩まなければならない。

主はサライにもサラという新しい名を与え、彼女は国々の母、もろもろの民の王の母となると約束されたが、アブラハムにとって、この約束は、思わず笑ってしまう程、突拍子も無い内容だった。(17節)
彼は、イシュマエルが長らえるようにと言ったが、主は明確に言われ、イシュマエルの事かと思った。
「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。」
アブラハムは最初、笑った。神様、もうそこまでしなくていい、という、無気力の笑いである。しかし神は、有り得なさ過ぎて笑ってしまう程の事であろうとも、成してしまう程、エルシャダイ(全能なるお方)であり、たとい人がどんなに御胸を破壊する行動をしても、それを上回る真実で、人の不真実を上塗りして下さるのだ。
最初は聞いて信じきれず笑ってしまったアブラハムだが、彼は信じた。その証拠に、早速割礼を実行した。
それも自分自身だけでなく、息子のイシュマエルをはじめ、家の奴隷や僕など、少なくとも300人以上の男性に対し、その日の内に、割礼を受けさせたのだ。かなりの度胸のいる事を、その日の内に実行したのだ。
こうして、割礼によって肉をそぎ落としたアブラハムには、全能なる主の御力が働く土壌が整えられた。
同様に私達も、神から離れて何事かをなそうとする自分の「肉」を十字架につけ、神と共に歩む備えをするなら、無気力に笑うしか無かった私達の人生にも、全能なる主の力が働く土壌が整えられるのだ。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
恵みの深みへ飛び込め(ルツ記2章):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
わたしをきよめ道を示して下さい(金曜昼祈祷会):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
無に帰してしまった被造物の回復(ローマ8:18-25):右クリックで保存

野外礼拝(詩篇8)

カテゴリ : 
その他音声
執筆 : 
pastor 2014-8-23 15:24

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
野外礼拝(詩篇8):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
生きている間に喜んで楽しめという考え方(伝道者の書9:1-8):右クリックで保存

【概要】

伝道者の書9章1節から8節を通して、人生の結末とキリストにある希望について説教します。

【聖書箇所】

伝道者の書9章1-8節

【慰めの言葉】

「すべて生きているものに連なっているものには希望がある。生きている犬は死んだ獅子に勝るからである。」

【励ましの言葉】

「キリストにある私たちは、永遠に受ける分があるこの恵みと望みを感謝いたします。」

【戒めの言葉】

「どうせ明日は死ぬのだからと言っている。そこで万軍の主は私の耳を開かれた。この罪はお前たちが死ぬまで決して許されない。」

【勧めの言葉】

「いつもあなたは白い着物を着、頭には油を絶やしてはならない。」

【悔い改めの促しの言葉】

「この地上の歩みは、永遠を決定づけるための査定期間と言っていいでしょう。」

【***詳細***】

今日の御言葉は、伝道者の書9章1節から8節です。この箇所では、人生の結末がすべての人に同じように訪れることが述べられています。正しい人も悪者も、善人も清い人も、すべての人に同じ結末が訪れます。しかし、キリストにある私たちは、永遠に受ける分があることを感謝します。黙示録20章11節からの白い御座の裁きにおいて、私たちはキリストにあって成したことの報いを受けます。

生きている者は自分が死ぬことを知っていますが、死んだ者は何も知りません。彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられます。しかし、キリストにある者は、永遠に受ける部分があり、信仰の試練は火を通して精錬されてもなお朽ちてゆく金よりも貴いのです。

イエス・キリストを信じる者は、命の書に名が記されており、第二の死は何の害もありません。私たちはこの地上で、キリストにあって白い衣を着て、精霊の油を絶やさずに歩むべきです。黙示録の1章17節でイエス様は言われました。「私は生きているものである。私は死んだがみよ、いつまでも生きている。」

伝道者の書の言葉は、キリストなしに生きている人たちに非常によく当てはまりますが、キリストにあって生きる人は、永遠の希望を持っています。私たちは、キリストという生きるお方につながっていることで、希望があります。生きている犬は死んだ獅子に勝るという言葉は、キリストにつながる私たちに当てはまります。

【結論】

キリストにある私たちは、永遠の希望を持ち、地上での歩みを通してその希望を確かなものとすることができます。私たちは、キリストにあって白い衣を着て、精霊の油を絶やさずに歩み、永遠の報いを受けることを目指しましょう。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
奴隷女と自由の女(ガラテヤ4:21-31):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:誤解を与えてしまった時には(ヨシュア記22:21-34):右クリックで保存

ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、自分達が祭壇を築いた事が「主への反逆である」という誤解を、他の部族に与えてしまった事を知って、答えた。
『力ある者、神、主(エホバ)。力ある者、神、主(エホバ)。主は知ろしめす。イスラエルもまた知らなければならない。もしそれがそむくことであり、あるいは主(エホバ)に罪を犯すことであるならば、きょう、われわれをゆるさないでください。われわれが祭壇を築いたことが、もし主に従うことをやめるためであり、またその上に、燔祭、素祭をささげるためであり、あるいはまたその上に、酬恩祭の犠牲をささげるためであったならば、主みずから、その罪 を問いただしてください。』(ヨシュア記22:21-23)

彼らが真っ先にした事は、エホバなる主を、自分と相手との間に据えた事だった。
私達も、兄弟姉妹に誤解させてしまった時、ことに、誤解によって相手の感情を害させてしまったり、不愉快な思いをさせてしまったりした時には、先ず先に、主を彼我の間に据える事が、最優先させるべき事である。
そうする事で、相手が自分を誤解している事について、自分が動揺したり怒ったりする事を防げるし、また、相手が主を恐れる兄弟姉妹であるなら、ある程、全てをご存知であられる主にさばきを委ねる事は、正当な事だと、双方が確認できるからである。

主は、その人の真実も不信実もご存知であり、真実に対しては豊かに報い、不信実に対しても、正当にさばいて下さる。
ダビデも、自分が不当に責め立てられている時、全てのさばきを主に委ねた。
『わが神、主よ、もしわたしがこの事を行ったならば、もしわたしの手によこしまな事があるならば、もしわたしの友に悪をもって報いたことがあり、ゆえなく、敵のものを略奪したことがあるならば、敵にわたしを追い捕えさせ、わたしの命を地に踏みにじらせ、わたしの魂をちりにゆだねさせてください。』(詩篇7:3-5)

続いて彼らは、問題となっているこの祭壇をなぜ造ったのか、その理由を説明した。
すなわち、後の時代になった時、彼らの領土がヨルダン川の向こう側にある、という事で、ヨルダン川のこちら側に相続地を得ている人達に「主を礼拝する分はあなた方には無い」と言われてしまう事を心配したために、この祭壇を「しるし」として造り、自分達にも主を礼拝する分があるのだ、という事を、後の時代になっても思い起こさせるためだ、というわけである。

『のちの日に、われわれ、またわれわれの子孫が、もしそのようなことを言われるならば、その時、われわれは言おう、「われわれの先祖が造った主の祭壇の型をごらんなさい。これは燔祭のためではなく、また犠牲のためでもなく、あなたがたと、われわれとの間の証拠である」。主にそむき、ひるがえって今日、主に従うことをやめて、われわれの神、主の幕屋の前にある祭壇のほかに、燔祭、素祭、または犠牲をささげるための祭壇を築くようなことは、決していたしません。」』(ヨシュア記22:28-29)
この事を聞いた祭司ピネハスや、他の部族の長達は、彼らの言葉を良しとした。

『祭司エレアザルの子ピネハスは、ルベンの子孫、ガドの子孫、およびマナセの子孫に言った、「今日、われわれは、主がわれわれのうちにいますことを知った。あなたがたが、主にむかって、このとがを犯さなかったからである。あなたがたは今、イスラエルの人々を、主の手から救い出したのです」。』(ヨシュア記22:31)
この度、誤解を与えてしまった側も、誤解してしまった側も、全員、主が自分達と共におられるという事を知った。
主は、敵に勝利させて下さる神であるだけではなく、兄弟姉妹の間に平和を与えて下さる神でもあるのだ。

『イスラエルの人々はそれを良しとした。そしてイスラエルの人々は神をほめたたえ、ルベンの子孫、およびガドの子孫の住んでいる国を滅ぼすために攻め上ろうとは、もはや言わなかった。ルベンの子孫とガドの子孫は、その祭壇を「あかし」と名づけて言った、「これは、われわれの間にあって、主が神にいますというあかしをするものである」。』(ヨシュア記22:33-34)

私達も誤解してしまう時、あるいは、誤解を与えてしまう時、主をその間に立て、主に正しく裁いていただき、平和を保つ者でありたい。

礼拝説教メッセージ音声:主を怒らせる事柄については、戦いも辞さず(ヨシュア記22:10-20):右クリックで保存

『ルベンの子孫、ガドの子孫、およびマナセの部族の半ばが、カナンの地のヨルダンのほとりにきた時、その所で、ヨルダンの岸べに一つの祭壇を築いた。それは大きくて遠くから見える祭壇であった。イスラエルの人々は、「ルベンの子孫、ガドの子孫、およびマナセの部族の半ばが、カナンの地の国境、ヨルダンのほとりのイスラエルの人々に属する方で、一つの祭壇を築いた」といううわさを聞いた。イスラエルの人々が、それを聞くとひとしく、イスラエルの人々の全会衆はシロに集まって、彼らの所に攻め上ろうとした。』(ヨシュア記22:10-12)

今まで忠実に、一緒に戦ってきたルベン族、ガド族、マナセの半部族は、ヨシュアから祝福の内に送り出されたが、彼らは自分の領地に帰る途中、ヨルダン川沿いに、大きな祭壇を築いた。
それを聞いた全イスラエルは、彼らに対し戦いを仕掛けようとした。
これは一体、どういう事なのか。

申命記12章によると、主に捧げ物を捧げるべき祭壇が置かれるのは、ただ、主が選ばれた場所でのみ、許されており、それ以外の場所に祭壇を築いて、いけにえを捧げる事は、主以外のものにいけにえを捧げる主への反逆に等しい行為であったわけである。
実際、ヤロブアムの時代に、北イスラエル王国はエルサレム以外の場所に祭壇を築き、そこでいけにえを捧げるようになったため、主の怒りを買った。(1列王記12章)

モーセの命じる所によると、もし、イスラエルの中のある町で、主以外の神に仕えるような事を聞いたなら、よく調べ、真偽を問いただし、その事が本当だという事であるなら、その町を聖絶し、永遠に廃墟としなければならない。(申命記13章)
今回、このような事が部族レベルで行われた疑惑が沸き起こったため、他のイスラエル部族は、事の真偽を問いただすために、祭司ピネハスと部族長たちを遣わしたのである。

私達も、兄弟姉妹が何か主を怒らせるような事をしていると聞いた時、その人に対し、何のアクションもしないのは、良くない。
あるいは、単にうわさを聞いただけで真偽をよく確かめもせず、いきなり面と向かって怒りを燃やすのもいけない。
まずは、その事をよく問いただす所から始めるべきなのだ。
『もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。』(マタイ18:15-17)

日本人は、和をもって尊しとする文化であるので、そのように、面と向かって戒める事にやりづらさを覚える人は多いかもしれない。
しかし、主を怒らせている事に関しては、見てみぬふりをしたりせず、正面から対応して、交わりを清く保つべきなのだ。
ヨシュアの時代のイスラエルには、そのような真摯さが生きていた。

『「主の全会衆はこう言います、『あなたがたがイスラエルの神にむかって、とがを犯し、今日、ひるがえって主に従うことをやめ、自分のために一つの祭壇を築いて、今日、主にそむこうとするのは何事か。ペオルで犯した罪で、なお足りないとするのか。それがために主の会衆に災が下ったが、われわれは今日もなお、その罪から清められていない。
しかもあなたがたは、今日、ひるがえって主に従うことをやめようとするのか。あなたがたが、きょう、主にそむくならば、あす、主はイスラエルの全会衆にむかって怒られるであろう。』(ヨシュア記22:16-18)
このペオルでの事件、すなわち、イスラエルの男が異邦の女と不品行の罪を犯し、多くの人達が倒れた、あの事件からは、かなりの時が経っているはずであるが、イスラエルは未だにその影響を、何らかの形で引きずっていたようだ。

『ゼラの子アカンは、のろわれた物について、とがを犯し、それがためイスラエルの全会衆に、怒りが臨んだではないか。またその罪によって滅びた者は、彼ひとりではなかった』」。』(ヨシュア記22:20)
アカンが聖絶のものを残してイスラエル全体に災いを招いてしまった事件の時も、アカンの他の30数名が犠牲になってしまった。
ちょっとしたつまづきをイスラエルに持ち込み、それを野放しにする事は、イスラエル全体に災いを招く事になってしまうのだ。

新約において、パウロも同じ事を言っている。
『あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。』(1コリント5:6-8)

ルベン族、ガド族、マナセの半部族といえば、戦いの時には、他の部族に先立って一緒に戦ってくれた部族である。
そうではあっても、主の嫌われる事が行われている、という疑いが生じたならば、真偽を確かめに行き、もしそれが本当であるなら、戦闘をも辞さない、という気構え。
これは、ヨシュア達に与えられている祝福、すなわち、何をしても栄え、誰も立ちはだかるものは無く、主から決して見放される事も見捨てられることもないという祝福を受けるために、必要なものである。

礼拝説教メッセージ音声:約束を満了したルベン、ガド、マナセの半部族(ヨシュア記22:1-9):右クリックで保存

『時にヨシュアは、ルベンびと、ガドびと、およびマナセの部族の半ばを呼び集めて、言った、「あなたがたは主のしもべモーセが命じたことを、ことごとく守り、またわたしの命じたすべての事にも、わたしの言葉に聞きしたがいました。今日まで長い年月の間、あなたがたの兄弟たちを捨てず、あなたがたの神、主の命令を、よく守ってきました。
今はすでに、あなたがたの神、主が、あなたがたの兄弟たちに、先に約束されたとおり、安息を賜わるようになりました。それで、あなたがたは身を返して、主のしもべモーセが、あなたがたに与えたヨルダンの向こう側の所有の地に行き、自分たちの天幕に帰りなさい。』(ヨシュア記22:1-4)

ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、イスラエルがまだヨルダン川東側にいて、カナンに攻め入っていなかった時、他の部族に先んじて、ヨルダン川東側に相続地をいち早く得た部族であるが、彼らは他に先んじて相続地を得る代わりに、ある約束を神と人との前でしていた。

ヨルダン川の東側地域をイスラエルが制圧した時、彼らはこの地を自分達に与えて下さい、そしてヨルダン川は渡らせないで下さい、と、モーセに願い出たのだが、その願いは、モーセを怒らせた。
これから他の兄弟姉妹がまだまだ戦おうとしている、というのに、あなた達はこの地を先に得て、そこで安穏とし、他の兄弟姉妹のやる気をくじくつもりなのか、と。(民数記32章)

それで彼らは、約束したのだ。
自分達は、この地を先に得る代わりに、他の兄弟姉妹達が出る戦いに一緒に進み行き、イスラエルの皆が、それぞれの相続地を得るまでは、自分達の所には帰らない、と。(民数記32:16-19)
モーセは、その事を神と人との前で公に約束させ、そしてそれ以降、彼らはその約束に忠実に従い、兄弟姉妹達と共に戦ってきたのだ。

そして今や、イスラエル全部族は、安住の地を得て、彼らの責任は、満了した。
だからヨシュアは彼らに、よくぞ今まで忠実に仕え、約束を守って来た、と、褒めたのだ。

『ただ主のしもべモーセが、あなたがたに命じた戒めと、律法とを慎んで行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、その命令を守って、主につき従い、心をつくし、精神をつくして、主に仕えなさい」。そしてヨシュアが彼らを祝福して去らせたので、彼らはその天幕に帰った。』(ヨシュア記22:5)
ヨシュアは、彼らを送り出す前に、守るべき御言葉を与え、そして祝福した。
また、実体のあるものも彼らに与えた。

『「あなたがたは多くの貨財と、おびただしい数の家畜と、金、銀、青銅、鉄、および多くの衣服を持って天幕に帰り、敵から獲たぶんどり物を兄弟たちに分けなさい」。こうしてルベンの子孫、ガドの子孫、およびマナセの部族の半ばは、主がモーセによって命じられたように、すでに自分の所有地となっているギレアデの地に行こうと、カナンの地のシロで、イスラエルの人々と別れて帰って行った。』(ヨシュア記22:8-9)

労を負って、一緒によく働いて来た兄弟姉妹は、手ぶらで帰らせるものではない。
申命記にも記されている通りである。
『もしあなたの兄弟であるヘブルの男、またはヘブルの女が、あなたのところに売られてきて、六年仕えたならば、第七年には彼に自由を与えて去らせなければならない。彼に自由を与えて去らせる時は、から手で去らせてはならない。群れと、打ち場と、酒ぶねのうちから取って、惜しみなく彼に与えなければならない。すなわちあなたの神、主があなたを恵まれたように、彼に与えなければならない。』(申命記15:12-14)

もし兄弟姉妹が落ちぶれてしまい、奴隷として身売りするような事になったとしても、それは6年という期限付きであり、しかも、7年が満ちた時には、失業して路頭に迷うような事がなく、しっかりと自分の家庭を築いて、身を立てて行く事ができるように、何も持たせずに出て行かせてはならない、と、主は命じている。
現代日本では、非正規雇用の人達は、一ヶ月やっと暮らせる程の給料のまま、何十年も働かされ、30,40代になっても手に職を持てず、結婚も、マイホームも持てない状態で年老いていくような状況に陥りやすいが、それは、主の御心を大いに反している事であり、主の御怒りを引き起こすものである。

もし私達が、ルベン族やガド族のように、他の兄弟姉妹に先んじて幸いと安定が与えられたなら、それで他の兄弟姉妹を助けなくてはならない。
彼らをほったらかしにするのではなく、彼らが安定するまでは、しっかりと一緒に働き、共に戦うべきである。なぜなら、それは、自分の力で勝ち取ったのではなく、主から「与えられた」からだ。
そして、神と人との前に約束した事は、満了するまではしっかりと実行し続けるべきであり、また、忠実に働いた兄弟姉妹に対しては、祝福の御言葉と、実際的な助けを与えるべきである。
そのような正当な関係こそ、神の民であり、主にある兄弟姉妹である私達に相応しい形である。

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