メッセージ - 201502のエントリ

ヨシャパテ王 - 大きな敵の前の賛美というささやかな主の宴席(2歴代誌20:20-24)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
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今年に入って以来、王なる主キリストのために宴会を整えよ、という事が示され、エステル記から学んでいたが、今回はヨシャパテ王から学びたい。彼は南ユダ王国の4代目の王、名の意味は「主は裁く」である。
彼は当初、主の目に適う政治を行った(2歴代誌17章)が、対立していた北イスラエル王国と和解を図ろうとする余り、主の目に悪を行っていたアハブ王の娘と自分の子を結婚させ、そしてアハブに唆され、アラムとの戦争に出て行った結果、アハブは戦死し、ヨシャパテも散々な目に遭って帰ってきた。(同18章)
私達も、主を畏れ敬わない人との和解を急ぐあまり、相手が主を軽んじたままなのに、連合したり、縁を結んだりしてしまい、彼らの争い事に片足を突っ込んだ結果、災いを身に招いてしまう事がある。
その時、主から預言者が遣わされ、主を憎む者と連合した故に、災いの警告を受けた。(同19章) 
主から注意を受けた時は、へりくだって従うべきである。彼の父アサ王は、彼に警告した預言者に怒りを発して足かせをかけた結果、彼は両足の病にかかり、その足の病が重くなって死んでしまった。

ヨシャパテは、預言による警告を受けた後、主の御胸に適った施政を行っていたが、いよいよ預言されていた災いが来る。エドムから、自軍の何十倍もの数の、おびただしい大軍が攻めてきたのだ。(同20章) 
彼は主に顔を向けて助けを求め、全国に断食をふれさせたので人々は共に集まり、主に助けを求めた。
彼がその集会で祈る祈りは、注目に値する。彼はまず「主がどういうお方であるか」を信仰によって告白する(6節)。主は天に座し全世界を統べ治めるお方であり、対抗できる者は無い事を宣言した。
次に、御言葉を盾にして祈った(7-9節)。彼の先祖アブラハムに永遠にこの地を与えて下さったという主の約束を持ち出し、アブラハムの子孫である自分達がそこから追い出されるのはおかしいと、告白した。
私達も御言葉を盾にとって祈るべきである。病の場合は、イザヤ53章や長血の女の祈り(マルコ5:28)を、貧しさに対しては2コリント9:8-11やピリピ4:19を、悪に対しては詩篇37編などを盾に取って祈るのだ。
その次に彼はやっと、現状を主に訴え、そして最後にようやく彼の願いを申し立てた。(10-12節)
『われわれの神よ、あなたは彼らをさばかれないのですか。われわれはこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです。』
王と民が心を合わせ祈った時、主は具体的な指示と、恐れなくて良い事を、預言者を通して語られた。
現在、私達は神様の御声を具体的に「聞く」という事は、あまり無いかもしれない。しかし、信仰をもって心を尽くして祈る結果、「神様は答えてくださった」と分かる瞬間が来て、言葉では言い表せないが与えられるものであり、キリスト者である皆さんも、何度か経験がある事だろう。
主に全てを明渡し、御心のままになさって下さいと祈るなら、平安と勝利の確信が主から与えられるのだ。

戦いの日、地平線を埋め尽くすような敵の大軍団を前に、イスラエル軍はどのような陣を張ったか。
なんと、その大軍と自軍との間に、全く武装をしていない、聖なる飾り物をつけた聖歌隊を配備したのだ。
戦術的には全くナンセンスな布陣である。地を覆うような敵軍を前に、この聖歌隊は、どれ程ちっぽけに見えただろう。しかしそれは、主の前に何よりも尊かった。彼らは進み出て賛美した。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」。イスラエルは、敵の前の賛美という、ささやかな宴席を、主の前に設けたのである。
すると主は、伏兵を備え敵を襲わせた。伏兵とは、思わぬ所に兵を配備し、敵の意表を突くものだが、主の助けは、私達の思いもしなかった隠れた所から現れ、私達と敵との間に立ちはだかって、戦って下さる。
その結果、敵は敵同士で戦い合い、互いに滅ぼし合い、一人残らず死体になって横たわった。(24節)
最も困難な時、最も忙しい時、最も資力が無い時に、なけなしの時間や体力、資力を用いて、主に栄光を捧げる時、それは主の前にがくわしい香りとなって立ち上り、主の喜ばれる宴席を設ける事になる。
その時、主は思わぬ所から助けを与えられ、敵であるサタンの前で、宴を設けて下さるのだ。
彼らは戦わずして勝利し、分捕りの時、分捕るための武具や高価な物があまりにも多く、3日もかかった。
そして4日目、イスラエルの民はこぞって主を褒め称えて喜び祝い、周りの国々は、主がイスラエルの敵と戦われた事を聞いて、神の恐れが彼らの上に臨み、そのようなわけで、ヨシャパテの治世は平穏であった。
主により頼むという事が、どんなに幸いであるかを知り、主の素晴らしさを味わい尽くす皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

長血を患う女の信仰(マルコ5:25-34)

カテゴリ : 
その他音声
執筆 : 
pastor 2015-2-15 22:39

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
長血を患う女の信仰(マルコ5:25-34):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
必要な経費を納めなさい(マタイ17:24-27):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
封印のように固く成熟して行く夫婦の愛(雅歌8:1-7)(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
つくばエクレシア礼拝(エステル記9-10章):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
根絶すべきものを惜しんで留めるなら(ヨシュア記23:5-16):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:栄光はイスラエルを去った、か?(1サムエル記4:12-22):右クリックで保存

『その日ひとりのベニヤミンびとが、衣服を裂き、頭に土をかぶって、戦場から走ってシロにきた。彼が着いたとき、エリは道のかたわらにある自分の座にすわって待ちかまえていた。その心に神の箱の事を気づかっていたからである。その人が町にはいって、情報をつたえたので、町はこぞって叫んだ。』(1サムエル記4:12-13)

ベニヤミン人といえば、イスラエルの長老達が、シロでの主の祭りに出てきた娘たちをベニヤミン人に略奪させた一件を思い出す。(士師記21章)
そのベニヤミン人が、この時、シロに悪い知らせを告げ知らせ、彼が伝えた先々では、悲しみの叫び声が沸き起こった。

『エリはその叫び声を聞いて言った、「この騒ぎ声は何か」。その人は急いでエリの所へきてエリに告げた。その時エリは九十八歳で、その目は固まって見ることができなかった。』(1サムエル記4:14-15)
エリは、二人の息子ではなく、神の箱の事で気遣って(原意:震えて)いた。
しかし彼が最も聞きたくなかった、最悪の知らせが届く。

『その人はエリに言った、「わたしは戦場からきたものです。きょう戦場からのがれたのです」。エリは言った、「わが子よ、様子はどうであったか」。
しらせをもたらしたその人は答えて言った、「イスラエルびとは、ペリシテびとの前から逃げ、民のうちにはまた多くの戦死者があり、あなたのふたりの子、ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました」。彼が神の箱のことを言ったとき、エリはその座から、あおむけに門のかたわらに落ち、首を折って死んだ。老いて身が重かったからである。彼のイスラエルをさばいたのは四十年であった。』(1サムエル記4:16-18)

神の箱という、国宝中の国宝を戦いの場に持ち出し、敵に奪われてしまう。
そんな不祥事は、モーセの時代に神から与えられて以来、ヨシュアの時代も、そして邪悪を極めた士師の時代においてさえ、無かった。
自分の子達の悪をそのまま見逃し、私服を肥やしていたがために、なんという不祥事が、自分の代で起きてしまったのだろう。
彼は絶望で倒れ、その時、自身の肥え太った体の重みで首の骨を折り、死んでしまった。

主はいつも赦して下さった、主は赦しの神だ、だからこれから何をしても主はずっと赦して下さるだろう、と思い込んでいる人がいる。
主は、十字架にかかって赦してくれる側。私は、何をしても良い側、何をしても赦される側、と。
そのように信じ込んで疑わず、他人にもそう教える人は、覚えておかなくてはならない。
不従順をいつまでも改めずにいるなら、主はその事の報いもされる事を。

かつて神がホレブにおいて、イスラエルの民が神様と共に歩む事を約束した証明書とも言うべき契約の箱を、敵に勝利したいがために、縁起物として担ぎ出し、のこのこと戦いの場に持ち出して来る。
この事を例えるなら、「自分以外には夫があってはならない、浮気をしてはならない」と約束をして結婚した女性が、結婚後すぐに浮気をして、それを改めないまま、いざ敵が現れたら、結婚証明書を振りかざして夫に守りを求める程に、無神経で、夫の怒りをさらに引き起こすような行為である。
結局、主からの助けは来ないどころか、主ご自身がイスラエル敵対し、契約の箱は、奪われてしまった。
浮気している女性が襲われいても、夫は助けないどころか、その襲う者を助け、彼女が担ぎだしていた結婚証明書書は、敵の手に奪わせたようなものである。

契約の箱は元々、主の栄光の雲が立ったなら、レビ人に担がれて出立し、栄光の雲が留まった所に箱は降ろされ、神の民もそこに留まった。
だから主の栄光は、箱にあるのではなく、主の栄光の導きに箱がついて行き、民もついて行くものなのだ。
私達の歩みも、そして主のミニストリーも、同じである。
主の栄光、主の臨在のある所へと私達が出入りすべきであって、もし、主の栄光と臨在を無視して自分の好む事をするなら、失敗してしまうのだ。

この知らせを受けた時、死んだのは、エリだけではなかった。
『彼の嫁、ピネハスの妻はみごもって出産の時が近づいていたが、神の箱が奪われたこと、しゅうとと夫が死んだというしらせを聞いたとき、陣痛が起り身をかがめて子を産んだ。
彼女が死にかかっている時、世話をしていた女が彼女に言った、「恐れることはありません。男の子が生れました」。しかし彼女は答えもせず、また顧みもしなかった。ただ彼女は「栄光はイスラエルを去った」と言って、その子をイカボデと名づけた。これは神の箱の奪われたこと、また彼女のしゅうとと夫のことによるのである。彼女はまた、「栄光はイスラエルを去った。神の箱が奪われたからです」と言った。』(1サムエル記4:19-22)

もし、彼女の言うように「イスラエルから栄光が去った」としたら、それはいつからだろうか。
契約の箱が奪われた時だろうか?いや、もっと前からのはずである。
ヨシュアが死んで以降、イスラエルが主をないがしろにし出し、御言葉を守り行わなくなりはじめた時から、既にこの序章は始まっていた。
それが目に見える形であらわれたのが、今回のこの事件である。
それでようやくイスラエルは目が覚めたのだ。

彼女は「栄光はイスラエルを去った」と言ったが、果たして、契約の箱が取り上げられてしまったら、神の栄光は無くなってしまうのだろうか?
そんな事は無い。
主の栄光は全地に満ち満ちており(イザヤ6章)、彼らから契約の箱が取り上げられたとしても、主はの目はいつも、昼も夜もまどろむ事なく神の民に注がれている。
現にここ数千年、契約の箱は行方知れずのままだが、神はイスラエルをずっと顧みて来られた事を、歴史が証明している。

今回のこの事件は、士師の時代以来、イスラエルの心にずっと蔓延してきた「どうせ赦されるから」という霊的居眠り状態から覚まさせるために、主が起こされたのだ。
では、契約の箱は一体どうなるのだろうか?それは後にわかるが、全能の主がどうにかして下さる。
その辺の偶像の神輿のように、人に担がれてさえも何も出来ない神々とは、全くもって違うのだ。
現代、契約の箱はどこにあるかも分からない状態であるが、それも将来、必ず現れる時が来るのだ。(黙示録11:19)

礼拝説教メッセージ音声:奪われてしまった契約の箱(1サムエル記4:1-11):右クリックで保存

「イスラエルびとは出てペリシテびとと戦おうとして、エベネゼルのほとりに陣をしき、ペリシテびとはアペクに陣をしいた。ペリシテびとはイスラエルびとにむかって陣備えをしたが、戦うに及んで、イスラエルびとはペリシテびとの前に敗れ、ペリシテびとは戦場において、おおよそ四千人を殺した。」(1サムエル4:1-2)

神の民は、御言葉に従っているなら勝利し、御言葉に背いているなら必ず敗北する事を、主は、モーセを通してあらかじめ語っておられた。
それを知ってか知らずか、イスラエルの民はペリシテ人に戦いを挑んだ。
当時のイスラエルの状況では、御言葉によるなら、負けは確定している。

『イスラエルの長老たちは言った。「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか。主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。』(1サムエル4:3)
彼らは、敗北の原因は、自分たちの主に対する不誠実な態度にある、という考えには至らなかった。
それより、主の契約の箱を自分たちの中に運びこんで来れば、きっと主のミラクルが起きる、契約の箱がある陣は、まさか敵に攻め入られる事は無いだろう、と考えた。
主に来てもらって、自分たちが願う通りに、主に動いてもらおう、という考えである。
さて、どうなっただろうか。

『こうしてペリシテびとが戦ったので、イスラエルびとは敗れて、おのおのその家に逃げて帰った。「戦死者(マッカー:疫病、殺戮)」はひじょうに多く、イスラエルの歩兵で倒れたものは三万であった。また神の箱は奪われ、エリのふたりの子、ホフニとピネハスは殺された。』(1サムエル記4:10-11)
彼らにとって、あり得ない事が起きた。
イスラエルにとって最も重要なもの、主との契約の箱が、偽りの神々を拝む者達に奪われてしまったのだ。

主は、契約の箱の中や、人が造った神殿に住むお方ではない。
全宇宙は主の王座、全地は主の足台であり(使徒7:48-50)、大事なのは、そのお方との約束を守り行う事であって、契約の箱という「アイテム」を持って来る事ではないのだ。

契約の箱の中には、神と人との間で交わされた契約、十戒の石版が入っているが、そこには何と記されているだろう。
「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」(出エジプト記20:3)
「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。」(出エジプト記20:4)
「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。」(出エジプト記20:7)
この最初の3戒だけでも、彼らはアウトだろう。

改めるべきを改めないまま、戦いに望んだ結果、イスラエルは三万人が倒れる大打撃を受け、契約の箱は奪われ、エリの息子、ホフニとピネハスは死んだ。
最初の戦いでは、ペリシテ人がイスラエル四千人を殺したが、この時三万人もの人が死んだのは、主が送られた「非常に激しいマッカー(疫病、殺戮)」による。

私達が「マッカー(疫病、殺戮)」から逃れるコツは、詩篇91編に記されている。
すなわち、いと高き神のもとに身を寄せて隠れ、全能の神の陰に宿る事である。
主は、そのような人に対し、仕掛けられた罠や陥れる言葉から守り、昼飛び来る矢も、暗黒の中を歩きまわる疫病も襲うことは無い、という約束を与えられているが、主に信頼せず、主との約束をないがしろにするような人に対しては、主は逆に、その人を罠に落とし、いかに鎧で身を固めていようとも隙間に矢をヒットさせ(1列王記22:34)、急な疫病を望ませて滅ぼされるのだ(民数記11章)。

彼らが担いてきた契約の箱の中には、御言葉の記された石版の他に、芽を出したアロンの杖と、マナの入った壺も入っている。
私達自身の心の「石版」にこそ御言葉を記し、十字架の死と復活という「アロンの杖」をいつも手放さず、主ご自身からのいのちの養いである「マナ」によって、いつも養われている事が大事なのだ。

十字架のアクセサリーを身に着けるよりも、日々、自分の追うべき十字架を負うべきであり、御言葉を家の壁やトイレに張るよりも、私達の思いと、口と、心にいつも御言葉を置くべきである。
大事なのはアイテムではなく、御言葉なる主への従順なのだ。

礼拝説教メッセージ音声:サムエルのはじめての預言 - エリの家への災い(1サムエル記3:11-21):右クリックで保存

主が、サムエルに初めて現れ、告げられた言葉の内容は、育ての親とも言える祭司エリの家に対する災いの預言であった。

『その時、主はサムエルに言われた、「見よ、わたしはイスラエルのうちに一つの事をする。それを聞く者はみな、耳が二つとも鳴るであろう。その日には、わたしが、かつてエリの家について話したことを、はじめから終りまでことごとく、エリに行うであろう。
わたしはエリに、彼が知っている悪事のゆえに、その家を永久に罰することを告げる。その子らが神をけがしているのに、彼がそれをとめなかったからである。それゆえ、わたしはエリの家に誓う。エリの家の悪は、犠牲や供え物をもってしても、永久にあがなわれないであろう」。サムエルは朝まで寝て、主の宮の戸をあけたが、サムエルはその幻のことをエリに語るのを恐れた。』(1サムエル記3:11-15)

主のこの言葉は、サムエルに対して、ではなく、エリとその家に向けて主が発せられた、二度目の警告である。
一度目は、直接エリに対して語られたが、その”一度目”から、少年サムエルがある程度成長するくらいの、少なからぬ時が経っていた。
しかしエリはその間、子達が神を汚している事を「抑止(カーハー)」しなかった。(13節)
親は、子が罪を行った時、口先で「そんな事してはダメ」と言うだけでは、足りない。
その罪を「抑止(カーハー)」し、その罪の行動を止めさせなければ、意味が無いのだ。

『しかしエリはサムエルを呼んで言った、「わが子サムエルよ」。サムエルは言った、「はい、ここにおります」。エリは言った、「何事をお告げになったのか。隠さず話してください。もしお告げになったことを一つでも隠して、わたしに言わないならば、どうぞ神があなたを罰し、さらに重く罰せられるように」。そこでサムエルは、その事をことごとく話して、何も彼に隠さなかった。エリは言った、「それは主である。どうぞ主が、良いと思うことを行われるように」。』(1サムエル記3:16-18)
エリはサムエルに、主からどんな言葉が与えられたのか、それを教えないなら、神が重く罰せられるように、と、かなり厳しい口調で、教えるように命じた。
この事は、サムエルにとって益だった。なぜなら、預言者たるものは、どんなに語りづらい言葉であっても、主が与えて下さった言葉は、何であれ語るべきだからであり、最初にその訓練が出来たからだ。

サムエルが全てを隠し立てせず、全て話し終わった時、エリの「それは主である。どうぞ主が、良いと思うことを行われるように」と言った。
一見、信心深そうに見える言葉ではあるが、このような「主に食い下がらない姿勢」「主との交わりを断絶してしまうような姿勢」は、滅びる者に共通する性質である。
自分に対する、災いの言葉が与えられたなら、アブラハムやモーセ、ダビデのように、主に赦しを乞い願い、あくまで食い下がるために、主と対話を続けるべきである。(創世記18章、出エジプト記32章、詩篇51編)

エリに対する二度目の警告は、彼にとって意外な人物、彼に仕えている少年・サムエルを通して、為された。
しかし結局、彼らは「どうぞ主が、良いと思うことを行われるように」と言ったきり、全く改めなかった。
それでも、彼らに「成る」と言われた災いが実現するは、もっと後である。その間、主はずっと、彼らが立ち返る事を待っておられたのだろう。

もし災いの預言が与えられたとしても、それを聞いて、悔い改めるのなら、その災いは実現しないものだ。
イスラエル史上最悪の王・アハブでさえ、預言者エリヤから、主から災いを降されるという預言を聞いた時、断食をし、荒布を着て伏し、打ちしおれてへりくだった結果、主は彼が生きている間は、災いを降さないように、主はして下さった。(1列王記21:17-29)
また、邪悪な町ニネベも、ヨナの説教によって悔い改め、上から下まで断食をし、主の前にへりくだった所、警告されていた災いは降されなかった。
主は、悪者が滅びるのを望まれず、悔い改めて悪から離れるのを待たれるお方だ。(エゼキエル18:23-32)

サムエルが、主から初めて託された言葉は、育ての親に伝えるには、厳しい内容であった。
彼はまだ少年で、祭司エリとその子達が、主の前にどんな悪いことをしたのか、実感も、理解も、出来ていなかっただろう。
しかし、自分が理解できる事であれ、できない事であれ、あるいは幸いな内容であれ、災いの内容であれ、主から与えられた言葉は、そのまま、正確に人に伝える事は、預言者として必須のたしなみである。
彼はこの最初の”預言者”としての仕事を正しく全うした結果、主はさらに彼を用いられるようになった。

『サムエルは育っていった。主が彼と共におられて、その言葉を一つも地に落ちないようにされたので、ダンからベエルシバまで、イスラエルのすべての人は、サムエルが主の預言者と定められたことを知った。主はふたたびシロで現れられた。すなわち主はシロで、主の言葉によって、サムエルに自らを現された。こうしてサムエルの言葉は、あまねくイスラエルの人々に及んだ。』(1サムエル記3:19-21)
祭司エリの時代は、神の宮シロにおいて主のまぼろしが示されるのは、まれになっていた。
サウル王の時もそうであったが、指導者が不従順であるなら、主の示しは得られなくなってしまうのだ。
しかし、主に忠実なサムエルの登場によって、再び主のことばが再び、イスラエルに示されるようになった。

そうして与えられる主の御言葉は、決して虚しく地に落ちるものではない。
必ずいのちを生み出し、主の言い送った事を必ず実現させる。(イザヤ55:10-11)
夢やまぼろしなど「見えるもの」を追い求める人は、騙されやすいが、御言葉によって養われる人は、着実にいのちを伸ばして行く。
そして御言葉によって養う人は、決して誤った導きをする事は無い。

サムエルのように、御言葉によって良く養われ、御言葉によって人を養う皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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