メッセージ - 201504のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:血を分けた親子も及ばない繋がり(1サムエル記20:1-23):右クリックで保存

ダビデは、自分の家に逃げても、サムエルの所に逃げて、サウルがしつこく追ってきたため、今度は、サウルの子であり信仰の兄弟であるヨナタンに訴えた。


『ダビデはラマのナヨテから逃げてきて、ヨナタンに言った、「わたしが何をし、どのような悪いことがあり、あなたの父の前にどんな罪を犯したので、わたしを殺そうとされるのでしょうか」。ヨナタンは彼に言った、「決して殺されることはありません。父は事の大小を問わず、わたしに告げないですることはありません。どうして父がわたしにその事を隠しましょう。そのようなことはありません」。』(1サムエル記20:1-2)
ヨナタンがダビデの言葉を聞いた時の最初の反応は、「そんな事はない」だった。
ヨナタンはサウルの息子である、にもかかわらず、父が兵を動員して何度もダビデを殺そうとした事を知らなかったばかりか、そんな事はありえない、と言う。
ダビデとしては、心外だったかもしれない。
しかし彼は、平和に答える。

『「あなたの父は、わたしがあなたの好意をえていることをよく知っておられます。それで『ヨナタンが悲しむことのないように、これを知らせないでおこう』と思っておられるのです。しかし、主は生きておられ、あなたの魂は生きています。わたしと死との間は、ただ一歩です」。ヨナタンはダビデに言った、「あなたが言われることはなんでもします」。』(1サムエル記20:3-4)
ダビデは、サウルからいのちを狙われている、というのに、サウルを悪く言わず、弁護し、ヨナタンの事も気遣っている。
意思疎通の食い違いや、自分が受けた情報の食い違いで、いざこざに発展する事は、よくある。特に、いのちに関わる事において、せっぱつまっている時なら、なおさらだ。
しかし、ダビデはあくまで柔和に、平和に対応した。

柔和な人は、地を受け継ぐ幸いな人であり(マタイ5:5)、平和をつくる人は、神の子と呼ばれるのだ。(マタイ5:9)
ヨナタンも、その性質があった。

『ダビデはヨナタンに言った、「あすは、ついたちですから、わたしは王と一緒に食事をしなければなりません。しかしわたしを行かせて三日目の夕方まで、野原に隠れることを許してください。』(1サムエル記20:5)
民数記28:11-15によると、月のはじめの一日は、月ごとの例祭が定められており、ダビデは毎回、サウルの食卓に出席していたのだ。
それを利用して、サウルがダビデを殺す心づもりがあるかどうかを計ろうと、ダビデは提案している。
『もしあなたの父がわたしのことを尋ねられるならば、その時、言ってください、『ダビデはふるさとの町ベツレヘムへ急いで行くことを許してくださいと、しきりにわたしに求めました。そこで全家の年祭があるからです』。もし彼が「良し」と言われるなら、しもべは安全ですが、怒られるなら、わたしに害を加える決心でおられるのを知ってください。』(1サムエル記20:6-7)

『そしてヨナタンはダビデに言った、「イスラエルの神、主が、証人です。明日か明後日の今ごろ、わたしが父の心を探って、父がダビデに対して良いのを見ながら、人をつかわしてあなたに知らせないようなことをするでしょうか。しかし、もし父があなたに害を加えようと思っているのに、それをあなたに知らせず、あなたを逃がして、安全に去らせないならば、主よ、どうぞ幾重にも、このヨナタンを罰してください。どうぞ主が父と共におられたように、あなたと共におられますように。』(1サムエル記20:12-13)
ヨナタンは、血の繋がった父よりも、血の繋がっていないダビデのほうを守った。

確かに父サウルが言う通り、ダビデを生かしておいたなら、ヨナタン自身の王位が危かっただろう。
それにも関わらず、彼は自分の王位よりもダビデをかくまう事のほうを、主の前で誓った。
なぜなら、主にある兄弟姉妹というものは、世の栄華や地位、富よりも、神の国のことを優先させてしまうものだからである。
世の栄華は過ぎ去るが、神の国の栄光は、世の何者にも優れた、永遠のものだからである。

ヨナタンはさらに言う。
『 もしわたしがなお生きながらえているならば、主のいつくしみをわたしに施し、死を免れさせてください。またわたしの家をも、長くあなたのいつくしみにあずからせてください。主がダビデの敵をことごとく地のおもてから断ち滅ぼされる時、ヨナタンの名をダビデの家から絶やさないでください。どうぞ主がダビデの敵に、あだを返されるように」。』(1サムエル記20:14-16)

この時、状況的にダビデは、国家から追われるお尋ね者であり、王子ヨナタンに比べて圧倒的に弱い立場のはずである。
いのちの危険が迫っているのは、ダビデのほうで、ヨナタンのほうではなかったはずだ。
それなのに、あたかも、ヨナタンのほうが、ダビデに命乞いをしているかのようだ。

ヨナタンは、信仰によって知っていたのだ。
これからサウル家は没落し、ダビデが栄えると、たとえ今、いかに立場逆転していようとも。
なぜなら、ダビデこそ主の御旨を行っており、サウルこそ主の御旨を損ねているからだ。
これは、イエス様の十字架の場面と良く似ている。

十字架上で、ひとりの強盗はイエス様をなじり、もう一人の強盗は「御国の座につく時には、私を思い出して下さい」と、イエス様にお願いした。
状況的に見れば、もうあと数時間もすれば、イエス様も死ぬし自分も死ぬはずである。
それなのに、この強盗は、信仰によって知っていたのである。
イエス様は決して死を見る事なく、永遠の王座につく、という事を。それだから彼は、その日、イエス様とともにパラダイスに行く恵みにあずかったのだ。

信仰によって、自分の家を絶やさぬようダビデににお願いしたヨナタンも、実際、ダビデが王になってから、ヨナタンの家には慈しみが施された。
私達も、信仰によってイエス様にお願いするなら、実際、イエス様から永遠の慈しみが施されるのである。

『そしてヨナタンは重ねてダビデに誓わせた。彼を愛したからである。ヨナタンは自分の命のように彼を愛していた。』(1サムエル記20:17)
主イエスにある兄弟姉妹こそ、血を分けた親子のつながりよりも、はるかに勝るつながりである。
『すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。』(マルコ3:33-35)

このように、ヨナタンはダビデに真実を尽くした。
私達も、主にある同じ兄弟姉妹に真実を尽くすべきだ。

韓国 バンソク(盤石)教会でのパスターのメッセージ音声
イエスにあって一つの聖徒たち(ヨハネ17:13-23):右クリックで保存

韓国 トォピッ(ひとつの光)アンテオケ教会でのパスターのメッセージ音声

世のものでない聖徒たち(ヨハネ17:13-23):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:捕らえに来る人達が預言状態になる事で守られたダビデ(1サムエル記19:18-24):右クリックで保存

ミカルの助けによって何とか命拾いしたダビデは、サムエルの所へ逃れた。

彼はサウルにされた事を全てサムエルに告げ、そして彼の所にしばし住んだ。(1サムエル記19:18)
サムエルは、サウルが主の御言葉にそむいてアマレクを聖絶しなかった時以来、サウルに会わなかったが、あれ以来どんどん邪悪な性質に崩れていくサウルをどう見ていただろうか。

『ある人がサウルに「ダビデはラマのナヨテにいます」と告げたので、サウルは、ダビデを捕えるために、使者たちをつかわした。彼らは預言者の一群が預言していて、サムエルが、そのうちの、かしらとなって立っているのを見たが、その時、神の霊はサウルの使者たちにも臨んで、彼らもまた預言した。』(1サムエル記19:19-20)
サムエルは、ラマで、預言者たちを養成し、訓練していたのだろう。
面白い事に、ダビデを捕らえるためにサウルから遣わされた者達が、そこに行くと、彼らも預言し、そしてダビデを捕らえる事ができなかったようだ。
なぜだろう。

神の霊は、神の御前に何が正しく、何が正しくないのかを示す、知恵と啓示の霊である。
そもそも、ダビデは何も悪い事をしていないし、彼は主の御旨を果たす勇士として、主から大いに用いられている。
それに引き換えサウルは、主から油を注がれたにも関わらず、御旨に背き、主の言葉を軽んじる事を止めないばかりか、何も悪い事をしていないダビデを殺そうと、使者を遣わす。
サウルに従って、ダビデを追い回す事が、いかに愚かで、主の御胸を損ねているか。
それを示され、ダビデを追う事が、もはやできなくなったのではないだろうか。

『サウルは、このことを聞いて、他の使者たちをつかわしたが、彼らもまた預言した。サウルは三たび使者たちをつかわしたが、彼らもまた預言した。そこでサウルはみずからラマに行き、セクの大井戸に着いた時、問うて言った、「サムエルとダビデは、どこにおるか」。ひとりの人が答えた、「彼らはラマのナヨテにいます」。』(1サムエル記19:21-22)
遣わした使者が、2度ならず3度も預言するようになって、ダビデを追う事をやめている。
もう、明らかに、ダビデを追う事は御旨にかなっていない、と、主が示されているのに、サウルは今度は、自らダビデを捕らえに行く事にした。

主の御霊は、何をすべきか、そして、何をすべきでないかを、私達に告げる。
パウロの場合、第一次宣教旅行はアジアで成功したため、再びアジアに行こうとしたが、行く所行く所、御言葉を語る事を聖霊に禁じられ、リストラからトロアスまでのおよそ千キロ以上、霊的収穫も特に無いままさまよったが、トロアスに来て、ようやく御旨はマケドニアにある事が分かった。(使徒16:6-15)
宣教という良い事においても、また、殺人という悪い事においても、主の御霊は、その時その時人に示し、導きを与える。

サウルの場合、明らかにダビデを追うべきでないと示されたのに、彼は御旨に従う事より、自分のしたい事、すなわち、ダビデを殺したいという思いを、優先させてしまった。
主は、御霊によって導きや警告を与えられるが、それに従うかどうかは、最終的には人の自由意志に委ねられている。
御旨に従い続けるなら、「いのち」の良き実を刈り取るが、背き続けるなら、「死」という苦々しい実を刈り取ってしまう。
パウロは、御霊の導きに忠実に従ってマケドニア、すなわち、ヨーロッパ方面へ渡り、その方面の福音宣教の豊かな実りを得た。
その反対に、バラムは、主が阻止した道をさらに進み行って、その身は剣によって刺し貫かれてしまい、サウルもまた、御旨に背き続け、ついには自ら剣でその身を刺し貫くこととなってしまう。

『そこでサウルはそこからラマのナヨテに行ったが、神の霊はまた彼にも臨んで、彼はラマのナヨテに着くまで歩きながら預言した。そして彼もまた着物を脱いで、同じようにサムエルの前で預言し、一日一夜、裸で倒れ伏していた。人々が「サウルもまた預言者たちのうちにいるのか」というのはこのためである。』(1サムエル記19:23-22)
このようにダビデは、捕らえに来る人達が全て預言状態になる、という、実にユニークな方法で、主から守られた。
主は、主に寄り頼む聖徒を、悪しき者から守られる。

私達も、世にあっては患難がある。
主は、私達を世から取り除くように、とは祈られず、悪しき者から守られるように、と祈られた。
ダビデの患難の日々がしばし続いたように、私達もそのような日々が続くかもしれない。
しかし主は、その期間、私達を練り清め、将来主に大いに用いられるために素晴らしい訓練をしておられるのである。

キリストの働きと喜び(ヨハネ17:13-23)
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先週主日からの韓国での働きは、祝福の内に終える事ができた。主は、あらゆる面で便宜を図り、働きの場を備えて下さった。1週間の日程の内、訪問した教会や神学校や施設、また、牧師や聖徒との交わり会などの面会の場は、合わせるとおよそ16回、その内、3つの場で御言葉の奉仕をさせて頂いた。
訪問して分かった事は、真理はひとつであり、韓国も日本も全世界も、主はただ一人、イエス様のみであり、この、同じ主と主の御言葉に集まる集い(エクレシア)の目的も、伝えるべき内容も、またひとつである事だ。
主は十字架にかかられる直前、私達エクレシアのために、祈られた。
『今わたしはみもとに参ります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります。』(ヨハネ17:13) イエス様は、イエス様ご自身が味わっている喜びを、私達にも味わってもらいたいと、世において御言葉を語られ教えられた。私達が御言葉を通して得られる第一は、喜びであり、御言葉が私達に入るなら、世の何物にも勝る平安が得られ、その平安と喜びは、迫害も死もサタンも決して奪う事が出来ない。事実、信仰の先人達は、主を見上げつつ喜んで殉教して行った。

『わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。』(14節) 私達がイエス様を信じ、御言葉の真理によって聖別される時、私達は世のものではなくなり、天のものとなる。そして、世がイエス様を憎んだように、世は私達聖徒をも憎む。
だから、私達が御言葉によってでなく、世に属する者として歩むなら必ず敗北する。なぜなら世からも天からも敵対され、敵が2倍になるからであり、世の誰よ惨々たる有り様となるのだ。しかし、キリストにあって天に国籍を持つ者として歩むなら、必ず勝利する。なぜなら私達の内にいます主は、世に打ち勝ったからだ。
また、一国の大使には諸々の特別な待遇が図られるように、私達も、キリストにあって天国の大使として働くなら、権限においても、経済においても、あらゆる面において、諸々の優遇措置が取られる。
この優遇措置は、キリスト者達を単に気持よくさせるためではない。神の国をこの世にて拡大させ、悪魔、サタン、あらゆる死によって奴隷化されている魂を、いのちによって征服し返すためだ。(コロサイ2:15)
だから主は、「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。」(15節)と祈られた。キリストを信じたら、罪も汚れも一切無くなってすぐさま天国に行ける訳ではないのは、私達は世にあって、為すべきつとめがあるからだ。だからイエス様は祈られたのだ。
世にあっては艱難がある。しかし世に対して勝利するコツは、真理の御言葉であり(17節)、真理の御言葉が私達に入る時、私達も天国から遣わされる使者となり、キリストと共に勝利するのだ。

『わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。』(20節) 現在、遠く東の国に住んでいる私達にも福音が伝えられたのは、この、キリストに執り成された十二弟子から始まり、多くの信仰の先人たちが、福音を伝え広めたからだ。
キリストは、弟子達のためだけでなく、彼らを通して信じた私達のためにも、執り成された。私達もその務めを担わなくてはならない。『父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。』(21節)
もし人がキリストの御言葉に留まり、キリストの内にいる時、その人は、世のどんな国籍であっても皆、ひとつである。キリストは世を創られ、また万物はこのお方にあって成っており、そのキリストが、私達の内におられる。一体、何を恐る事があろうか。
今回の韓国訪問で、喜び幸いは確かに多くあったが、それは韓国や日本といった「世の国」に、「神の国」を拡大させるという、「主の喜び」であり、単に「楽しかったね」で終わるものでは、断じてない。
主の御心は、天の支配をこの地に拡大させる事であり、その働きはどんどん前進して行く。もし世の喜び楽しみを満たす事が目的で教会に集うような、御言葉も御国も心に留めない人はどんどん置いて行かれるが、御言葉と御国を求める聖徒は、どんどん恵みと喜びが増し加えられて行くだろう。
主人の喜びを一緒に与れる人は、主人から預けられたタラントが僅かであっても、忠実にそれを活用した人だった。御国の働きを増し加え、主イエスキリストの喜びに、ますますあずかる皆さんでありますように!

ご自身がほふられた事を示される主(ヨハネ20:24-29)
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イエス様が復活された日、すなわち週の初めの日(主日)の夕方、弟子達はユダヤ人を恐れ、戸に鍵をかけて閉じこもっていたが、そこにイエス様が来て「あなたがたに平和があるように(シャローム)」と言われ、次に、手とわき腹とをお見せになった。主は、主日に、聖徒達の集まっている所に、入って来て下さる。
この時、トマスだけが集いから離れていて、そこにいなかったが、彼が帰って来た時、弟子たちや婦人達は興奮ぎみに、トマスに恵みを分かち合っただろう。イエス様は確かに生きておられ、私達に現れて下さった、「シャローム」と言って息を吹きかけて下さった、その手とわきには、痛々しい傷跡があった、と。

『トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」』(25節)
トマスは、10人の弟子や婦人達が、よってたかってウソをついて、からかっていた、などと、本気で思っていたわけではなかっただろう。ただ、もし自分が集いに参加していなかった間に、他の兄弟姉妹に主がはっきり現れ、すばらしい事をなされたとしたなら、強烈な「置いてけぼり感」にとらわれるのではなかろうか。
その時にしか味わえない恵みは、確かにある。止むに止まれぬ用事により、あるいは、霊的怠けにより、それを逃すなら、その恵みは兄弟姉妹の分かち合いから頂くしか無いが、主は、もう二度と現れて下さらない訳ではない。たとえ「自分は絶対に信じない」と、すねて、頑なになってしまっても、それでも主日に主の集いに集うなら、主は現れ、シャロームと言って祝福して下さり、その手と脇腹を示して下さる。

『さて八日の後(当日も数えて八日後、つまり次の主日)、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」』(同26-27節)
もし、イエス様が、肉体を持った人として、目の前に現れ、その、刺し貫かれた手と脇腹、肉が赤く裂け、骨まで見えているような、その傷跡を示され、「あなたの指を、ここに差し入れてみなさい」と、やさしい御声で話しかけられたら、皆さんはどうするだろうか。トマスは、ただ、言う他なかった。「私の主、私の神。」と。

主はトマスが「信じない」と言ったその時、その場にいなかったはずなのに、主はなぜか、トマスの言った言葉を知っており、覚えていた。そう、主は私達の不信仰で頑なな時も、主に対して失礼な、主を再び突き刺してしまうような言葉を放つ時、主はそこにいて、聞いておられるのだ。
逆に見るなら、私たちが、主がいないかのように感じたり、取り残されたように感じる時も、実は、ちゃんと共におられ、聞いておられ、その時に感じた寂しさ、置いてけぼり感も、全て知り、覚えておられるのだ。
私たちの神、私たちの主は、頑なで信じないトマスのような私達のために、まさに十字架で傷を負われた。
私達はイエス様の生々しい傷跡を見たわけではなく、ただ聞いているだけなので、トマスのように「じゃ、その釘跡に指を差し入れてみよう」などと、主に失礼な事を口走ってしまうかもしれない。
主はそんな私達に、「いいよ、それで信じるなら、あなたの指をここに入れなさい」と、傷跡を示される。
私達は、主のその御苦しみの傷を、リアルに知り、理解する時、キリストの苦しみのその痛そうな様、その生々しい様を感じ取る時、本当に心の底から「私の主、私の神。」と言うことが出来るようになる。

主は、ご自身が「ほふられた」事を、ありありと全世界に示される。天の御座にいます方の手にある巻物の封印を解くのに相応しい方は、唯一、「ほふられたと見える小羊」であり、聖徒達もこの「ほふられたお方」を賛美する。なぜなら聖徒達は、主がほふられた事によって自分は贖われた事を知っているからだ。
「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」(黙示録5:9-10)
ヨハネがこの幻を示されたのは、主日である。(黙示録1:10) 私達も主日に兄弟姉妹達と共に御前に集い、主のみ体が裂かれた事、ほふられた事をありありと示していただき、心底から主を礼拝する者でありたい。

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
信仰者の必須課程:御言葉のパンを毎日食べる(出エジプト記16:1-10):右クリックで保存
祈り会音声:右クリックで保存

マタイによる福音書講解説教メッセージ音声(音声のみ)
イエス様の憐れみを引き出す信仰(マタイ20:29-34):右クリックで保存

イザヤ書講解説教メッセージ音声(音声のみ)
ぶどう畑についての愛の歌(イザヤ5:1-17)(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存

【概要】

イザヤ書5章を基に、神の愛とイスラエルの背信、そしてキリストの贖いについて語るメッセージ。

【聖書箇所】

イザヤ書5:1-17、ヨハネ15章、ガラテヤ5:22-23

【戒めの言葉】

主が期待されたのに、イスラエルは酸いぶどうを実らせてしまいました。私たちも同じ過ちを犯さないよう気をつけましょう。

【励ましの言葉】

たとえ私たちが酸っぱい実を結んでしまっても、十字架上のキリストを仰ぎ見るなら救われます。

【悔い改めの促しの言葉】

私たちの酸っぱくなってしまった人生を主に差し出し、新しい始まりを与えていただきましょう。

【***詳細***】

今日、私たちが恵みをいただく御言葉はイザヤ書5章1節から17節までです。ここで主は、ぶどう畑をモチーフにしてイスラエルの人々にあることを知らせようとされます。

まず1-2節を読みます。

私は歌おう。その葡萄畑についての我が愛の唄を。我が愛する者は、よく越えた山腹に葡萄畑を持っていた。彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良い葡萄を植え、その中に矢倉を建て、酒船までも掘って、甘い葡萄のなるのを待ち望んでいた。ところが、酸い葡萄ができてしまった。

主は愛の心をもって、また喜びをもって、期待をもって、甘いぶどうのなるのを期待して、よく手入れしてぶどうを植えられましたが、しかし酸っぱいぶどうがなってしまって、主は悲しまれました。

愛という言葉は非常に私たちにも麗しく響くものですが、同時に愛の心は甘く麗しいのですが、同時に酸っぱくもなりやすいものです。自然界のぶどうは、しっかりと手入れして正しく用いれば甘いぶどう酒はできるはずですが、ここでできてしまったものは、しっかりと管理されて、いろんな手入れもされたにもかかわらず、自分の意思を持っているかのように酸っぱいぶどうになってしまいました。

7節で主ははっきりと言われます。「大和の葡萄畑はイスラエルの家であり」と。主はよく人々、また私たちをブドウに例えることをよくなさいます。例えば詩編128編や、ヨハネ15章で、「私は真のぶどうの木、あなたがたはその枝である」と言われています。

主は私たちが豊かな実を結ぶことを期待しておられます。ガラテヤ5章22-23節には、「しかし、御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」とあります。これらの実を私たちが結ばせるならば、本当に私たちは主に甘い実を祈らせて、主に喜ばれるのです。

しかし、主がよく手入れしたブドウ園、イスラエルが結んだものは、酸っぱい実でした。主はせっかく成してくださった良い業に対して酸っぱさを返したイスラエルに対して、3節以降で裁きを宣言されます。

私が我がブドウ畑に対してすることを告げよう。その垣を取り除いて、食い荒らされるままにし、その石垣を崩して、踏みつけられるままにする。私はこれを荒れ果てるままにしておく

親の愛を一心に受けて育つのですが、子供は親の愛がわからず親に対してひどいことをしたりします。子供が親の愛、そして親がどんなに偉大なことをして、どんなに自分のために骨を折っていろいろな苦労をしてくれたか分かるのは、親の元を離れた時です。

社会に出て、人々から虐げられたり、恥をかいたりすると、初めて「ああ、私の父母が私をこんなに愛してくれたのか」と気づくのです。神の愛も同じです。私たちが困難に直面したとき、初めて神の愛の大きさに気づくのです。

8節以降には、人々が主の愛に対していかに悪いことを返したかが記されています。例えば、貧しい人々から搾取し、自分たちだけが富を独占するような行為です。こういった行為に対して、主は11節で「ああ、朝早くから強い酒を追い求め、夜更かしをして、葡萄酒を煽っている者たち」と警告されます。

このような人々に対する裁きが13-14節に書かれています。「それゆえ、我が民は無知のゆえに捕らえ移される。その貴族は飢え、群衆は渇きに悩む。それゆえ、よみは欲望を大きくし、限りなく口を開く。彼らの栄華も、そのにぎわいも、そのどよめきも、その中で喜び騒ぐ者も、みなそこに落ち込む

しかし、こうした裁きを通して、人々は正しい道に立ち返るのです。高ぶる者は低くされ、低くされた者が高くされるのです。

そして、このメッセージの最も重要な点は、イエス・キリストの十字架です。イエスは十字架上で、酸っぱくなってしまった人間性、人が身勝手にして罪に罪を重ねて酸っぱい実りを実らせた、その人のあらゆる苦さ、酸っぱさ、営みを全部十字架の上で飲み尽くしてくださいました。

イエスが十字架上で「渇く」と言われたとき、人々は酸っぱいぶどう酒を差し出しました。イエスはそれを受け入れ、「完了した」と言われました。これは、人間のあらゆる酸っぱさ、あらゆる罪の営み、それを全部イエスが身代わりになって完済してくださったことを意味します。

【結論】

私たちの酸っぱくなってしまった人生を、十字架上のキリストに差し出しましょう。キリストは私たちの罪を赦し、新しい始まりを与えてくださいます。これからは、真のぶどうの木であるキリストにつながり、御霊の実を豊かに結ぶ者となりましょう。そうすることで、神と人を喜ばせる永遠の祝福の歩みが始まるのです。

つくばエクレシア礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
主が祭司へと託した祝福の意味(民数記6:22-27):右クリックで保存

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