メッセージ - 201509のエントリ

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
人生に立ちはだかる巨人や城壁に勝利するには(申命記3:1-5)
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人の知恵と賢さをむなしくされる主(2サムエル記17:1-14)
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アヒトペルは、アブシャロムにダビデのめかけ達と公然と寝るよう助言し、ダビデを大いに侮ってアブシャロムに味方する者たちの士気を大いに上げたが、彼は間髪を入れずに、次の助言をする。
『「わたしに一万二千の人を選び出させてください。わたしは立って、今夜ダビデのあとを追い、彼が疲れて手が弱くなっているところを襲って、彼をあわてさせましょう。そして彼と共にいる民がみな逃げるとき、わたしは王ひとりを撃ち取り、すべての民を花嫁がその夫のもとに帰るようにあなたに帰らせましょう。あなたが求めておられるのはただひとりの命だけですから、民はみな穏やかになるでしょう」。この言葉はアブサロムとイスラエルのすべての長老の心にかなった。』(2サムエル記17:1-4)

つまり、ダビデは今、とても意気消沈し疲れているから、この機を逃さずに急襲しましょう、今ならやすやすと攻め落とせるでしょうから、と。
これは実際、「良い計りごと」だった。(14節)
ダビデ達は実際、心も体も疲れていたし民を連れていて無防備状態である。この機に攻め込まれたなら、ひとたまりもないだろう。
しかし、全ての人のいのちを司る主は、ダビデを守る事が御心であった。
なぜなら、ダビデは主を敬い主に依り頼んでいたのに対し、アヒトペルとアブシャロムは、主と御言葉とを、軽んじていたからだ。

主は、知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを、むなしいものにされる。(1コリント1:19)
アヒトペルがせっかく”良い計りごと”をしたのに、アブシャロムは、余計な提案をする。それも、どれ程余計だったかというと、彼の生死を分けてしまう程の。

『そこでアブサロムは言った、「アルキびとホシャイをも呼びよせなさい。われわれは彼の言うことを聞きましょう」。』(2サムエル記17:5)
アブシャロムは、ホシャイにも伺おうと言って彼を呼び出すのだが、ホシャイはダビデから遣わされたスパイである。
アブシャロムの提案は、ダビデ達にとって有利な、そして自分達にとって不利な事だった。

『ホシャイがアブサロムのもとにきた時、アブサロムは彼に言った、「アヒトペルはこのように言った。われわれは彼の言葉のように行うべきか。いけないのであれば、言いなさい」。』(2サムエル記17:6)
ホシャイはアヒトペルの計りごとを聞いて慄いただろう。
もし彼の計りごとが速やかに遂行されるなら、今、無防備なダビデ達は、ひとたまりもないだろう、と。
そこでホシャイは、ダビデ達にとって有利で、なおかつ、聞く人全てを納得させるような計りごとを立てる。

『ホシャイはアブサロムに言った、「このたびアヒトペルが授けた計りごとは良くありません」。ホシャイはまた言った、「ごぞんじのように、あなたの父とその従者たちとは勇士です。その上彼らは、野で子を奪われた熊のように、ひどく怒っています。また、あなたの父はいくさびとですから、民と共に宿らないでしょう。彼は今でも穴の中か、どこかほかの所にかくれています。』(2サムエル記17:7-9a)
ホシャイは、アヒトペルとは真逆の解釈を展開する。
すなわち、ダビデは疲れて意気消沈しているのではなく、アブシャロム達が自分達をはずかしめた事によって、子を奪われた熊のように怒り心頭である、そして、戦いに熟練したダビデなら、きっとアブシャロム達の虚を突いて、少なからぬ被害が出るだろう、と。

『もし民のうちの幾人かが手始めに倒れるならば、それを聞く者はだれでも、『アブサロムに従う民のうちに戦死者があった』と言うでしょう。そうすれば、ししの心のような心のある勇ましい人であっても、恐れて消え去ってしまうでしょう。それはイスラエルのすべての人が、あなたの父の勇士であること、また彼と共にいる者が、勇ましい人々であることを知っているからです。』(2サムエル記17:9-10)
続いてフシャイは、アブシャロムの内にあるわずかな心配を、巧妙に突く。
アブシャロムは、策略家であったかもしれないが、戦いには熟練していない。
いかに今はおとなしいダビデとは言え、子はどこかしら、父の怒りに対する恐れを持っているものである。

『ところでわたしの計りごとは、イスラエルをダンからベエルシバまで、海べの砂のように多くあなたのもとに集めて、あなたみずから戦いに臨むことです。こうしてわれわれは彼の見つかる場所で彼を襲い、つゆが地におりるように彼の上に下る。そして彼および彼と共にいるすべての人をひとりも残さないでしょう。もし彼がいずれかの町に退くならば、全イスラエルはその町になわをかけ、われわれはそれを谷に引き倒して、そこに一つの小石も見られないようにするでしょう」。』(2サムエル記17:11-13)
いかに戦いに長けたダビデとは言え、圧倒的多数での物量作戦に出るなら、ひとたまりもないだろう、と。
しかも、アブシャロム自らが陣頭指揮を取って、大軍を率い勝利する。それはアブシャロム自身のプライドをくすぐる作戦でもある。

『アブサロムとイスラエルの人々はみな、「アルキびとホシャイの計りごとは、アヒトペルの計りごとよりもよい」と言った。それは主がアブサロムに災を下そうとして、アヒトペルの良い計りごとを破ることを定められたからである。』(2サムエル記17:14)
そう、本当なら、ホシャイよりもアヒトペルの計りごとのほうが、良かったのだ。
しかし、アヒトペルの計りごとを虚しいものにしたのは、主である。

「主が」アブサロムに災を下そうとして、アヒトペルの良い計りごとを破ることを定められた・・・。
久しぶりに、主ご自身が働かれた記述を見た。
主のわざはそれまで、人間の罪やはかりごとによって、表に出られない状態だった。
人が自分の力、自分のはかりごとを巡らしてそれを通そうとしている内は、主の力は働かれない。
『主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。』(2コリント12:9-10)

主は、ダビデのたった一言の祈り、「主よ、どうぞアヒトペルの計略を愚かなものにしてください(15:31)」に応え、動き出された。
自分の力や計りごとを全て主の前に投げ出し、主に祈る事こそ、主の力を引き出す鍵である。

アブシャロムの華々しいリベンジ(2サムエル記16:15-23)
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『さてアブサロムとすべての民、イスラエルの人々はエルサレムにきた。アヒトペルもアブサロムと共にいた。』(2サムエル記16:15)
ダビデが去ったエルサレムの都に、アブシャロムが新しい王として入城した。
アブシャロムの所には、アヒトペルもいる。彼は天才的な助言をするため、ダビデにとっては脅威だ。
それでダビデは、アヒトペルの助言を無効化するため、彼の友であり相談役のホシャイを、アブシャロムに接近させる。

『ダビデの友であるアルキびとホシャイがアブサロムのもとにきた時、ホシャイはアブサロムに「王万歳、王万歳」と言った。アブサロムはホシャイに言った、「これはあなたがその友に示す真実なのか。あなたはどうしてあなたの友と一緒に行かなかったのか」。
ホシャイはアブサロムに言った、「いいえ、主とこの民とイスラエルのすべての人々が選んだ者にわたしは属し、かつその人と一緒におります。かつまたわたしはだれに仕えるべきですか。その子の前に仕えるべきではありませんか。あなたの父の前に仕えたように、わたしはあなたの前に仕えます」。』(2サムエル記16:16-19)

アブシャロムは最初、疑っていた。しかしホシャイは、知恵深く答え、彼はわずかな言葉でアブシャロムの信用を勝ち得た。
『そこでアブサロムはアヒトペルに言った、「あなたがたは、われわれがどうしたらよいのか、計りごとを述べなさい。』(2サムエル記16:20)
もしダビデだったなら、人にではなく、真っ先に主に伺うために神の宮に入って行っただろう。
しかしアブシャロムは、エルサレムにある神の箱も、主の祭司も、全く見向きせず、人のはかりごとに真っ先に聞いた。

前にも見た通り、アヒトペルはバテ・シェバの祖父、ウリヤの義理の祖父である。(23:34、11:3)
彼はダビデに対する憎しみもあったろう。なにしろ、孫娘を不倫の対象とされ、孫の一家を破壊されたのだから。
そこでアヒトペルは、性的な面でダビデを辱める行動を助言する。

『アヒトペルはアブサロムに言った、「あなたの父が家を守るために残された、めかけたちの所にはいりなさい。そうすればイスラエルは皆あなたが父上に憎まれることを聞くでしょう。そしてあなたと一緒にいる者の手は強くなるでしょう」。こうして彼らがアブサロムのために屋上に天幕を張ったので、アブサロムは全イスラエルの目の前で父のめかけたちの所にはいった。』(2サムエル記16:21-22)
こうしてダビデのめかけ達は、公然と陵辱されてしまった。
まさしく、ナタンが預言していた通りである。
『あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。』(12:10-12)

ダビデは今、まさに剣に追われており、そして、ダビデが罪を犯す発端となった、あの屋上で、今度は彼自身が性的な報復をおおっぴらな形で受ける事になってしまった。
主は、悔い改めたダビデの罪を見過ごしにし、死なないようにしては下さった。
しかし、犯した罪の報いは受けなくてはならないものであり、ダビデは今まさにそれを受けているわけである。

アブシャロムに組していた人々は、気勢を上げただろう。
特に、性的な冗談や嘲りは、世的な事柄に興味を持っている人々を、大いに盛り上がらせるものだ。

『そのころアヒトペルが授ける計りごとは人が神のみ告げを伺うようであった。アヒトペルの計りごとは皆ダビデにもアブサロムにも共にそのように思われた。』(2サムエル記16:23)
アヒトペルは、確かに天才的な計りごとをしたかもしれないが、あいにく彼は、神ではない。
彼の助言は、大いに人受けし、アブシャロムも、周りも盛り上がったかもしれない。
しかしあいにく、彼がした助言の内容は、律法に照らすなら、死に値する事だった。
『その父の妻と寝る者は、その父をはずかしめる者である。彼らはふたりとも必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう。』(レビ20:11)

アヒトペルは「父の寝床にのぼる」という、主の前に死にあたる罪を、躊躇なくアブシャロムに勧め、そしてアブシャロムも、躊躇なくそれを行った。
結果的に、アヒトペルは後に自殺し、アブシャロムは木に吊るされた状態で殺されてしまう事になる。
アブシャロムの致命的な欠点は、神にではなく、神のような計りごとをする「人」に頼った事だった。

アブシャロムは若く美しく、人々の心を掴むカリスマ性もあり、性的な嘲りをして、彼の周囲は大いに盛り上がったかも知れない。人目には実に格好良く映ったろう。
対してダビデは、もはや若くなく、相手が攻めてくると、みっともなく逃げ、泣きながら落ち延びて行っている。実に、格好悪い。

しかし忘れてはならない。
アブシャロムは、主を敬う心はこれっぽっちも無いのに対し、ダビデは主にへの従順があり、嘲りや罵りさえ、主の故に甘んじて受けている。
そのような場合、全能の主が味方するのは、明らかにダビデの方だ、という事を。

いざという時に露わにされる人間の本質(2サムエル記16:1-14)
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ダビデというイスラエルの王が、この度、王座を追われ、都落ちして行く事によって、ダビデを取り巻いていた人々の色々な人間模様が浮き彫りにされて行く。

『ダビデが山の頂を過ぎて、すこし行った時、メピボセテのしもべヂバは、くらを置いた二頭のろばを引き、その上にパン二百個、干ぶどう百ふさ、夏のくだもの一百、ぶどう酒一袋を載せてきてダビデを迎えた。王はヂバに言った、「あなたはどうしてこれらのものを持ってきたのですか」。ヂバは答えた、「ろばは王の家族が乗るため、パンと夏のくだものは若者たちが食べるため、ぶどう酒は荒野で弱った者が飲むためです」。』(2サムエル記16:1-2)
ダビデにこれらの差し入れを持ってきたヂバという男は、9章にも登場した。
彼は元々、サウル家のしもべであり、ダビデからは、足が不自由なヨナタンの子メピボセテに仕えるようにされた者である。

『王は言った、「あなたの主人の子はどこにおるのですか」。ヂバは王に言った、「エルサレムにとどまっています。彼は、『イスラエルの家はきょう、わたしの父の国をわたしに返すであろう』と思ったのです」。王はヂバに言った、「見よ、メピボセテのものはことごとくあなたのものです」。ヂバは言った、「わたしは敬意を表します。わが主、王よ、あなたの前にいつまでも恵みを得させてください」。』(2サムエル記16:3-4)
ダビデ王はこの時、ヂバから言われた事を鵜呑みにして「メピボセテのものはことごとくあなたのもの」と定めたが、実はこの時ヂバのほうが偽りを言っていて、メピボセテのほうがダビデに対し真実だった事が、後に分かる。
ヂバは、後にダビデが勢力回復する事を踏んで、この危急の事態を利用し、のし上がろうとしたのだろう。

もう一人、都落ちしているダビデに、事を起こした者が、サウル王家の中にいた。

『ダビデ王がバホリムにきた時、サウルの家の一族の者がひとりそこから出てきた。その名をシメイといい、ゲラの子である。彼は出てきながら絶えずのろった。そして彼はダビデとダビデ王のもろもろの家来に向かって石を投げた。その時、民と勇士たちはみな王の左右にいた。
シメイはのろう時にこう言った、「血を流す人よ、よこしまな人よ、立ち去れ、立ち去れ。あなたが代って王となったサウルの家の血をすべて主があなたに報いられたのだ。主は王国をあなたの子アブサロムの手に渡された。見よ、あなたは血を流す人だから、災に会うのだ」。』(2サムエル記16:5-8)
ダビデはサウル家のシメイによって、「血を流す人」呼ばわりされ、主の御名によって呪われたが、ダビデのほうは、サウル王家の人の血は一人も流さなかったし、それどころかサウル王家から受けて来た悪に対し、いつも善で報いて来た実績がある。
だから「サウル家の血の報い」を受けるいわれは、ダビデのほうには一切無いはずである。

『時にゼルヤの子アビシャイは王に言った、「この死んだ犬がどうしてわが主、王をのろってよかろうか。わたしに、行って彼の首を取らせてください」。しかし王は言った、「ゼルヤの子たちよ、あなたがたと、なんのかかわりがあるのか。彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ』と言われたからであるならば、だれが、『あなたはどうしてこういうことをするのか』と言ってよいであろうか」。
ダビデはまたアビシャイと自分のすべての家来とに言った、「わたしの身から出たわが子がわたしの命を求めている。今、このベニヤミンびととしてはなおさらだ。彼を許してのろわせておきなさい。主が彼に命じられたのだ。』(2サムエル記16:9-11)

ダビデは今、自分が都を追われ、みじめに呪われながら落ちのびているこの状況は、「主が」そのようになされた、と言った。
きっとダビデは、「あなたは血を流す人だから、災に会うのだ」という言葉に、心を突かれたのだろう。
ダビデはサウル家の血は流しはしなかったものの、忠実で罪なき部下・ウリヤの血を流した事の故に、今、剣に追われている真っ最中なのだから。

実際、この時、ダビデはそれまで誰からも言われなかった事を、言われている。
すなわち、「あなたは血を流す人だから、災に会うのだ」と。
ダビデは、呪いの言葉と石を投げつけられるによって、今まさにウリヤの血の報いを「主から」受けている、そしてシメイは、その代弁者としてたまたま用いられているに過ぎない、と取ったのだろう。

私達も時に、過去に犯した悪事の報いを、主からの公平なるさばきによって、全く別の方面から受ける事があるかもしれない。
もちろん、悪魔サタンからの、ただ聖徒を貶めるだけの攻撃には毅然と立ち向かうべきである。
しかし、「主が」敢えて低くし、「主の御前に心当たりのある」事ゆえに懲らしめを受けているとするなら、私達もダビデのように謙虚にへりくだって、主からの懲らしめを受けるべきである。
その低くされている時期は、悲しいかもしれないが、その忍耐には望みがある。
ダビデは言っている。
『主はわたしの悩みを顧みてくださるかもしれない。また主はきょう彼ののろいにかえて、わたしに善を報いてくださるかも知れない。』(2サムエル記16:12)

主は、主から来る懲らしめを甘んじて受ける聖徒を、いつまでもそのまま放っておくようなお方ではない。
主はやがて助け、その屈辱的な状況の中にあっても恥を見させる事は無い。やがては主ご自身が立ち上がり、弁護者となって正しいさばきをして下さるのだ。
『わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、わたしのひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、恥とつばきとを避けるために、顔をかくさなかった。しかし主なる神はわたしを助けられる。それゆえ、わたしは恥じることがなかった。それゆえ、わたしは顔を火打石のようにした。わたしは決してはずかしめられないことを知る。
わたしを義とする者が近くおられる。だれがわたしと争うだろうか、われわれは共に立とう。わたしのあだはだれか、わたしの所へ近くこさせよ。見よ、主なる神はわたしを助けられる。だれがわたしを罪に定めるだろうか。見よ、彼らは皆衣のようにふるび、しみのために食いつくされる。』(イザヤ50:6-9)

私達が一時期、低くされ、敵が高くされているその時、私達の本質と、周囲の人々の本質が、露わにされる。
ある人は状況を利用して自分だけがのし上がろうとしたり、あるいは普段はおとなしく何も発言しなかった人が突然立ち上がって呪いや石を投げかけて来たりする事もある。
あるいは、本当に大切にすべき友が明らかにされたりもする。
人は、主から高められる事も、低くされる事もあるが、逆風の時も順風の時も、そのどちらの状況であっても祝福される人とは、いつでも主に信頼する人だ。

火曜早天祈祷会

不正なものをリーダーに据える国(イザヤ3:1-26)
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悪しき者に占拠された都の中で働く御国のスパイ達(2サムエル記15:24-37)
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祭司たちも、契約の箱を担ぎつつ、ダビデに従って来ていた。
『アビヤタルも上ってきた。見よ、ザドクおよび彼と共にいるすべてのレビびともまた、神の契約の箱をかいてきた。彼らは神の箱をおろして、民がことごとく町を出てしまうのを待った。そこで王はザドクに言った、「神の箱を町にかきもどすがよい。もしわたしが主の前に恵みを得るならば、主はわたしを連れ帰って、わたしにその箱とそのすまいとを見させてくださるであろう。』(2サムエル記15:24-25)

かつてダビデは、主を慕い求める心が強かったゆえに、契約の箱を自分の町へと運び込んだものだが、ダビデはそれを、町へ戻すように指示した。
主の箱がダビデと一緒にある、という事は、それもまた「ダビデの側に主がおられる」事のアピールにはなったであろうに、ダビデはそんな事はしなかった。
主は、人の手で造られたものに住むのではなく、全地に主の霊が満ち、主の眼差しは全世界に注がれている事を、ダビデは知っていたのであり、また主の御心であるなら、主はダビデが慕い求める主の家へと再び戻し、再び主を礼拝できる恵みにあずからせてくださる、と、信じていたのだ。

『しかしもし主が、『わたしはおまえを喜ばない』とそう言われるのであれば、どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。わたしはここにおります」。・・・ ダビデはオリブ山の坂道を登ったが、登る時に泣き、その頭をおおい、はだしで行った。彼と共にいる民もみな頭をおおって登り、泣きながら登った。』(2サムエル記15:26-27)
ダビデは今、涙と悲しみの内にキデロン川を渡り、オリーブ山を登って、主を礼拝する場所へと向かっている。
そして、「主が良しと思われることをしてくださるように」と言って、幸いも災いも、何もかも主に委ねる従順を見せた。

イエス様も全く同じく経験された。オリーブ山の所で、主に祈った。
『イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。』(ルカ22:39-42)
まことにダビデは、来るべきメシヤ、ダビデの子孫キリストの雛形である。

『王はまた祭司ザドクに言った、「見よ、あなたもアビヤタルも、ふたりの子たち、すなわちあなたの子アヒマアズとアビヤタルの子ヨナタンを連れて、安らかに町に帰りなさい。わたしはあなたがたから言葉があって知らせをうけるまで、荒野の渡し場にとどまります」。そこでザドクとアビヤタルは神の箱をエルサレムにかきもどり、そこにとどまった。』(2サムエル記15:27-29)
ダビデは祭司たちにエルサレムの動向を知らせる役割を託し、こうして彼らは、神の箱と共にエルサレムへと戻った。

『時に、「アヒトペルがアブサロムと共謀した者のうちにいる」とダビデに告げる人があったのでダビデは言った、「主よ、どうぞアヒトペルの計略を愚かなものにしてください」。』(2サムエル記15:31)
天才的なアドバイザーであるアヒトフェルがアブシャロムと一緒にいる、という状況は、ダビデ達にとって脅威であっただろう。
ダビデは彼の「計略を愚かなものにしてください」と祈ったが、同じように私達も、神の民を陥れるような天才的なたくらみを、無効にして下さい、と、祈る事が出来る。

『すなわち、聖書に、/「わたしは知者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さをむなしいものにする」/と書いてある。知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。』(1コリント1:19-20)
『兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。』(1コリント1:26-29)

『ダビデが山の頂にある神を礼拝する場所にきた時、見よ、アルキびとホシャイはその上着を裂き、頭に土をかぶり、来てダビデを迎えた。』(2サムエル記15:32)
ホシャイはダビデの友であり、相談役である。
彼はダビデと行動を共にしたいと願い出たが、ダビデは彼に別の役割を与える。
『ダビデは彼に言った、「もしあなたがわたしと共に進むならば、わたしの重荷となるであろう。しかしもしあなたが町に帰ってアブサロムに向かい、『王よ、わたしはあなたのしもべとなります。わたしがこれまで、あなたの父のしもべであったように、わたしは今あなたのしもべとなります』と言うならば、あなたはわたしのためにアヒトペルの計略を破ることができるであろう。
・・・あなたがたは聞いたことをことごとく彼らの手によってわたしに通報しなさい」。そこでダビデの友ホシャイは町にはいった。その時アブサロムはすでにエルサレムにはいっていた。』(2サムエル記15:33-37)

こうしてダビデは、何名かをスパイとしてエルサレムに留め、またホシャイを”埋伏の毒”として、アブシャロムの所に送った。
エルサレムにはアブシャロムが入ったが、この都の中には何名か、ダビデから遣わされた働き人達、ダビデに報告する人、ダビデのために有利に働く”スパイ達”が入っている。
今私達も、この暗闇の世へとキリストに遣わされて、この世で起きている出来事をキリストへ報告し、キリストのために働く”スパイ達”である。

ダビデはこの時、預言者ナタンを通して主に言われていた通り、まさに剣に追いかけられている状況だ。
ダビデはそれに対し、主にへの100%の従順をもって甘んじて受けている。
聖書が一貫して示している事は、主は、主に忠実な神の民を、いつまでもはずかしめにあわせて置くような事はなさらない事である。

『主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。
主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。主はとこしえにこのような人を/捨てられないからである。』(哀歌3:22-31)

この国のために祈り、子を産み、御言葉で教育せよ(エレミヤ29:5-14)
第一礼拝: Youtube動画 / 音声
賛美集会音声
第二礼拝: Youtube動画 / 音声
週報/メッセージ(説教)概要

安全保障関連法が可決されてしまった。あんなに多くの日本国民が連日、ネットや色々なメディアを通じ、また実際に国会議事堂の面前で反対しているのを見ておきながら、また、憲法学者は104対2で「違憲」と答えたのに、その全てを見ておきながら、それらを踏みにじる形で、強引に可決させてしまった。
これで日本は、直接攻撃を受けていなくても武力行使が使える(集団的自衛権)ようになり、国際平和のために活動している他国軍隊の後方支援のため、承認されれば、いつでも自衛隊を派遣できるようになった。
確かに、安倍政権のあまりにも強引なやり方に、多くの日本国民は連日反対していたが、残念ながら、そのような政権を、選挙で選んでしまったのは、日本国民である。根底の「今の生活が続くならリーダーは別に誰でもいいや」という、政治への無関心が招いてしまった事だ。日本は侍う(さぶらふ:貴人のそばで待機し、その命令を待つ)民族性があるため、リーダーが決めた事に服従する点は徹底しているが、しかし致命的な欠点は、リーダーを誰に選ぶか、という点である。
今の日本の問題は、イザヤ書3章に如実に記されている。
『わたしはわらべ(ネエヤ:子供、(英)ベイビー)を立てて彼らの君とし、みどりご(タアウリ:気まぐれ、暴君、(英)ベイビー)に彼らを治めさせる。民は互に相しえたげ、人はおのおのその隣をしえたげ、若い者は老いたる者にむかって高ぶり、卑しい者は尊い者にむかって高ぶる。』(イザヤ3:4-5)
昔のイスラエルも、未熟な”ベイビー”がトップとなり、その配下の人々は大混乱状態に陥った。
そのようになってしまったのは、占いをする人や偶像崇拝する人など、余計な者も頼りにしてしまったからである(2-3節)。偶像礼拝をする人は、思考停止して判断が鈍くなり、また占いをする人は、悪しき霊に心を明け渡すため、常識ではあり得ないような、とんでもない判断をしてしまう。
このような混乱状態になると、「トップはあの”ベイビー”以外なら、誰でもいい」状態となってしまう。
『その時、人はその父の家で、兄弟をつかまえて言う、「あなたは外套を持っている、わたしたちのつかさびとになって、この荒れ跡をあなたの手で治めてください」と。』(6節)
このまま日本が偶像や占いに頼りにし続けるなら、また、主にそむく事(8節)や、ソドムのように性的な乱れをそのまま推し進める(9節)なら、「あなたは外套を持っているから」などと、どうでもいい理由でリーダーを立てようとするだろう。今まで日本はそうだったし、真理ではない事を続けるなら、これからもそうだろう。
さらに問題なのは、選挙に行っても、マニフェストを読んでも、投票するに足りる人を、候補者の中から見つけるのが難しい、という事だ。これら全ての状況下で、私達キリスト者はどうすべきか。

私達がなすべき事のまず第一は、この国のために執り成して祈る事である。主の義が為され、主の憐れみが注がれるように。破れ口に立って執り成し祈る人を主は探され(エゼ22:30)、その祈りに答えて下さる。いかに国の中に主の民が少なかろうとも、主は、その少数の祈りを聞かれる。
主はエリヤの祈りを聞かれ、主につく人がほとんどいなくなってしまったイスラエルに7千人を残し、信仰を回復させる器たちに油を注がせた。また、主はダニエルの祈りに答えられ、天使ミカエルを使わして時代を支配する霊的勢力を破壊して下さった。私たちの格闘は、肉弾戦ではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものであり(エペソ6:12)、その手段は祈りである。
次に私達がすべき事は、御言葉で教育する事だ。子供達を、また兄弟姉妹同士、互いに養育するのだ。
ユダヤ人はなぜ少数民族なのに、いつでも時代をリードする者となったか。それは、徹底した御言葉教育の賜物である。御言葉が入ると祝福され、その人の霊性だけでなく、頭脳も、肉体も活性化され、時代をリードして行く者となる。(ヨシュア1:8)
そしてさらに私達するべき事は、信仰の子孫を、産んで、増えて、地に満ちていく事である。
キリスト者同士で結婚し子供を産んで行く、あるいは、伝道して霊的な子々孫々を増やして行く事によって、暗闇の世を光の子供達で席巻して行くのである。『妻をめとって、むすこ娘を産み、また、そのむすこに嫁をめとり、娘をとつがせて、むすこ娘を産むようにせよ。その所であなたがたの数を増し、減ってはならない。わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るがよい。その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである。』(エレミヤ29:5-8)
この国のために祈り、御言葉で教育し、増えて行く事で、この国を造り変えていく皆さんでありますように!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
汚れた者はさらに汚れを行い、聖徒はさらに聖徒とされよ(黙示録22:10-17)
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早天祈祷会
世と世間の仕組みと法則を体得するために(箴言1:1-6)
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ダビデ王に従った異邦の戦士たち(2サムエル記15:17-23)
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ダビデ王に忠誠を貫いて、王と一緒に都落ちして行く人々もいたが、その中には、特に、異邦人たちが多かった事が記されている。
『彼のしもべたちは皆、彼のかたわらを進み、すべてのケレテびとと、すべてのペレテびと、および彼に従ってガテからきた六百人のガテびとは皆、王の前に進んだ。』(2サムエル記15:18)
ケレテ人はペリシテの地域に住んでいた人々で、彼らは共に、ダビデ王の親衛隊として側で仕えていた。(2サムエル記8:18、20:23、1歴代誌18:17)
また、ガテもペリシテの地である。ダビデはサウル王に追われていた時、そこに滞在していた。(1サムエル記27章)

『時に王はガテびとイッタイに言った、「どうしてあなたもまた、われわれと共に行くのですか。あなたは帰って王と共にいなさい。あなたは外国人で、また自分の国から追放された者だからです。あなたは、きのう来たばかりです。わたしは自分の行く所を知らずに行くのに、どうしてきょう、あなたを、われわれと共にさまよわせてよいでしょう。あなたは帰りなさい。あなたの兄弟たちも連れて帰りなさい。どうぞ主が恵みと真実をあなたに示してくださるように」。』(2サムエル記15:19-20)
イッタイを頭とするガテ人達は、ダビデを訪ねて来たばかりだ。それも、昨日。
彼らが来た時、イスラエル国はちょうど急変時で、ダビデは今日、都落ちして逃げている。
そんな状況だと言うのに、ダビデ王について来ようとした彼らに、ダビデは、自分の所に帰るように、と促すのだが、彼はそれを拒み、それでもダビデ王について行く、と言うのだ。
彼らは、ダビデの人柄に惹かれて来たのであろうし、武人として一度決心した忠誠を守る心もあっただろう。しかし彼らには、もっと高貴な動機があった。

『イッタイは王に答えた、「主(エホバ)は生きておられる。わが君、王は生きておられる。わが君、王のおられる所に、死ぬも生きるも、しもべもまたそこにおります」』(2サムエル記15:21)。
そう、彼らには「主(エホバ)」に対する信仰があったのだ。
彼ら、イスラエルの神・主に頼ろうという動機でイスラエルに来たのであり、そして彼らはアブシャロムではなく、ダビデを選んだ。

ダビデにこれからついて行く事は、いつ終わるとも知れない流浪と逃亡の生活に入る事を意味する。
常識的な観点で見るなら、ダビデ王はいつにでもアブシャロムに追い着かれ、殺されてしまうか分からない状況だ。
しかし、主に信頼する人々には、分かるのだ。主は、アブシャロムの側にではなく、ダビデの側におられる、と。
アブシャロムは、礼拝さえ、自分が王に成り上がるための道具とした。しかしダビデは、心底から主を敬い、主に信頼し、主に従順するがゆえに、主の懲らしめを甘じて受けている。(詩篇3篇)

ダビデについて行った当時の異邦の戦士たちに、私達もならうべきである。
今が旬の指導者が、いかに美しく、魅力的で、有能で、破竹の勢いがあり、周りの皆がなびいても、ただ一点、主を軽んじるような者であるとしたなら、その者について行かない方が良い。
かの異邦の戦士たちは、アブシャロムを選ばず、事実上敗北して都落ちしているようなダビデのほうを選んだ。
その理由は、ただ、ダビデが主に信頼し、主もまたダビデを愛しておられる、という点で。

ダビデのひいおばあさんであるモアブ人ルツも、同じ信仰だった。
彼女も「信仰」によって、ナオミに付いて行ってイスラエルに入った。
常識的に考えるなら、ナオミについて行く事には何のメリットも無く、結婚の望みも将来も見えないのに、この、夫と息子たちを失ってしまった一人の老女と共にイスラエルの神・主を頼りにして一緒にイスラエルに行こうとした信仰を、主は豊かに省みられた。
ルツは後に、栄光の家系へと嫁ぐ幸いを得、ダビデ王家の母となり、イエスキリストの系図に載る幸いを得た。
私達もルツのように、また、かの異邦の戦士たちのように、油注がれた王・キリストにより頼み、その御翼の陰に宿るなら、大いなる栄光と、豊かな報いがあるのだ。

『ダビデはイッタイに言った、「では進んで行きなさい」。そこでガテびとイッタイは進み、また彼のすべての従者および彼と共にいた子どもたちも皆、進んだ。』(2サムエル記15:22)
ダビデは、彼らとのわずかな言葉のやり取りで、この、昨日来たばかりの異邦の戦士たち六百人は、信頼に足る、と判断し、一緒に行動する事にした。
主に信頼する人同士は、霊と霊が共鳴し、理解する事に多くの時間や言葉はいらないものだ。

『国中みな大声で泣いた。民はみな進んだ。王もまたキデロンの谷を渡って進み、民は皆進んで荒野の方に向かった。』(2サムエル記15:23)
ダビデ王はまさに、後に来られるメシヤ・イエス様の雛形である。
イエス様もキデロンの谷を通って、オリーブ山で祈られ、十字架を背負って”都落ち”する時も、大勢のユダヤ人達はあざけり罵ったけれども、少数の異邦人達や、見捨てられてしまったような人々が、泣きながらイエス様について行った。
そしてイエス様は、後によみがえり、全能の父なる神の右に座し、世のどの王よりも高く上げられ、多くの異邦人達の救いの望みとなられた。
ダビデ王を偉大だと認知するユダヤ人達は、全て、イエス様こそ来るべきダビデの子・メシヤである事を、認知するべきだ。

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