メッセージ - 201602のエントリ

再建を邪魔する者への対処方法(ネヘミヤ4章)
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週報/メッセージ(説教)概要

 今年に入り、天声教会設立当初にビジョンとして与えられたハガイ書から礼拝の再建について学んでおり、礼拝が再建された後は、ガードするための城壁の再建するべき事を、ネヘミヤ記から学んでいる。
ネヘミヤ達は、わずか52日で城壁を完成させたが、きょう、今年が始まって52日目である。私達の再建はどれ程進んでいるだろう。一日二日で終わらせられないような事でも、やってみれば意外とすぐに終わるのに、山積みの問題を見ると、やる気を失わせられてしまう。エルサレムはそうして何十年も防護壁が崩れ放題、きつねが出入りし放題だったが、私達は主にあって建て直しを進めるなら、すぐ建て直される。
今回のネヘミヤ4章を見ると、再建のわざは、何の妨げも無くとんとん拍子に進むわけではない事が分かる。
人がより健やかに、より主に向き合うようになる事を、歯ぎしりして嫌がる敵、すなわちサタンがいるからだ。
サタンに同意する人もまた、人が健全になるのを邪魔する事には、エネルギーを惜しまないものだ。
礼拝の再建、人生の再建をしようと取りかかった時、それを邪魔する者が現れる事は、しっかり想定しておき、それが現れた時には、いかに対処すべきかを、このネヘミヤ4章から学びたい。

『サンバラテはわれわれが城壁を築くのを聞いて怒り、大いに憤ってユダヤ人をあざけった。・・・「この弱々しいユダヤ人は何をしているのか。自分で再興しようとするのか。犠牲をささげようとするのか。』(1-2)
彼らはちょうど、人が働く気を起こし行動し出した所の気持ちをくじく。
私達も、自分の崩れてしまった人生や性格を建て直そうとする時、礼拝を再建しようと働き出す時、敵は非常に憤慨してあざけり、1日ではとても片付けられないような、瓦礫のような有様にフォーカスさせて、やる気を失せさせたり(2節)、あるいは、せっかく頑張っても、たった一匹のきつねが来ただけで、何もかも台無しにされてしまうかのように思わせ(3節)、働かなくても良いという「なまけ心」を巧妙に引き起こさせる。
敵の気落ちさせる口撃が来た時、ネヘミヤは祈って主に直訴した(4-5節)。私達も敵の攻撃の第一陣、すなわち、言葉で失意させる矢が飛んできたなら、それは自分で受けずに、そのまま主に持って行って訴え祈るたしなみを身につけたなら、それで城壁は半分まで修復したも同然だ(6節)。

そうして再建が進んで行くと、敵はさらに怒りを燃やして、邪魔しに来る(8-9節)。そればかりでなく、身内からもマイナス感情に囚われて「できない」という言葉をかけてくる(10節)。私達も、健やかになる事や人生が建て直される事、礼拝が再建される事で「できない」という言葉が発される時、我に返るべきだ。
そのような時、ネヘミヤは家族ごとにそれぞれ武器を持たせて言う。「あなたがたは彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、あなたがたの兄弟、むすこ、娘、妻および家のために戦いなさい。」(14)
神の家の再建は、自分だけの戦いでなく、兄弟姉妹と共同の戦いである。御言葉の剣を握りしめ、恐れている心の人を助け合い、支えあって、将来のため、息子、娘たちのために戦うのだ。
私達の側が共に力をあわせて、徹底抗戦する様を敵が見る時、敵は、そのたくらみを止めるのだ。(15節)

敵が妨害を止めたからと言って、ガードを解いてはならない。ネヘミヤ達はその日以来、半分の人は工事につかせ、半分は武装させ、片手で工事し片手に武器を執った(16-17節)。
また、角笛を吹く人、すなわち、常に見張って、もしもの時には警告を吹き鳴らす人を置いた。(18節)
そのように、敵が退けられたと見える時でも、城壁が完成するまではガードを解いてはならない。
ネヘミヤ達が城壁の破れの大きい所に、武装した人を配置させたように、私達も、自分の中で、攻め込まれ易い弱い所がある事は、正直に認め、そこが建て直されるまでは、いつでも角笛を吹き鳴らして助けを求められる体制を、兄弟姉妹の間で整えるのだ。これを続けていくなら、立て直しはもっと進んでいく。
私達も御言葉の剣を常に帯びて仕事をする気概が大事である。武器を片手に、道具を片手に工事をするなら、仕事がはかどらないと思うかもしれないが、逆である。敵は、私達が剣を帯びている様を見るなら、攻撃を仕掛けられないもので、敵に邪魔される事なく、嘲られず、かえって仕事がはかどるのだ。
私達も、御言葉の剣をいつも口から手放さず、昼も夜もそれを口ずさむなら、水路の傍に植わった木のように、何をしても栄えるのだ。気落ちさせようとする敵に決して屈しず、御言葉によって互いに建て上げ合い、再建を進めて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会
御言葉を口ずさむ事によってもたらされる祝福(申命記6:1-9)
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5年間、部下に一人の戦死者も出さなかった大佐の秘密(詩篇91篇)
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エペソ人への手紙 講解説教メッセージ

人は皆同じではなく、いのちが全く異なる二種類がいる(エペソ2:1-10)
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イザヤ書 講解説教メッセージ

サタンに対する容赦なき裁きと主の民の慰め(イザヤ30:25-33)
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早天祈祷会

礼拝のガードは出入り口から(ネヘミヤ13:15-22)
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ヤロブアムの造った偶像の祭壇に対する預言(1列王記13:1-10)
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ヤロブアムは、イスラエル10部族全体を偶像礼拝へ導くという大きな罪を犯したが、主は彼をいきなり打ち滅ぼすという事はせず、警告し、悔い改めの機会を与えられる。

『見よ、神の人が主の命によってユダからベテルにきた。その時ヤラベアムは祭壇の上に立って香をたいていた。』(1列王記13:1)
この無名の神の人(預言者)は、主(エホバ)の命によって、すなわち、主から直接的な特命を帯びて、南ユダ王国から、来た。
もはや自国・北イスラエル王国には、ヤロブアムの主への違反を戒める者は、誰もいなかったという事だろうか。

彼が言葉を告げた先は、意外な事に、人間に対してではなく、ヤロブアムが造った偶像の祭壇に対して、であった。
主は預言者に、実に色々なものに対して「預言せよ」と言われる。
例えばエゼキエルは、主から「ひからびた骨」や「息」に対して預言せよ、と言われた。
主の言葉を伝える人・預言者に、主から要求される事は、主から託された言葉は忠実に伝える事である。

『神の人は祭壇にむかい主の命によって呼ばわって言った、「祭壇よ、祭壇よ、主はこう仰せられる、『見よ、ダビデの家にひとりの子が生れる。その名をヨシヤという。彼はおまえの上で香をたく高き所の祭司らを、おまえの上にささげる。また人の骨がおまえの上で焼かれる』」。』(1列王記13:2)
この祭壇に対する預言は、ダビデの家から生まれる人、具体的にヨシヤ(「主は支えてくださる」という意味)という名の人によって汚される、というものだった。

このベテルという場所は、南ユダ王国と北イスラエル王国の境付近に位置するが、既に北イスラエルの領土であって、ダビデの子孫のものではなかった。
そこが、南ユダ王国の人によって破壊される、と言う事は、やがてはこの”重要な祭壇”は南ユダ王国の手に渡って、破壊されてしまう、という事だ。
北王国の滅亡と、南王国の繁栄も暗示している。

実際、その事は、およそ300年後に起こった。
そのおよそ300年後、ヨシヤという王が実際に生まれ、その時は北イスラエル王国は既にアッシリヤによって滅ぼされた後で、ヨシヤは、荒んでしまったイスラエルの神・主に対する礼拝の回復を行った善王である。(2列王記22章)
300年も前から、既に、「誰々によって」事が起こされる、と言われたのは、実に驚くべき事だ。

主はさらに、目に見えるしるしをその場で与えられる。
将来、確かに主がその事を行う、という事を示すために。
『その日、彼はまた一つのしるしを示して言った、「主の言われたしるしはこれである、『見よ、祭壇は裂け、その上にある灰はこぼれ出るであろう』」。ヤラベアム王は、神の人がベテルにある祭壇にむかって呼ばわる言葉を聞いた時、祭壇から手を伸ばして、「彼を捕えよ」と言ったが、彼にむかって伸ばした手が枯れて、ひっ込めることができなかった。そして神の人が主の言葉をもって示したしるしのように祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た。』(1列王記13:3-5)

実際に、目に見えるしるしとして、事が起きた。
ヤロブアムは、この預言者を捕らえよと言って、手を伸ばしたが、その手がしなびてしまうという、預言していない事までも、起きた。
主は元々、祭壇に対して預言したのであって、ヤロブアムに対してではなかった。
それは、主が忌み嫌われるのは、偶像の祭壇であって、ヤロブアムではなかったからだったが、主が忌み嫌われる偶像の祭壇を擁護して、主の預言者を害しようとするなら、いかに主が任命された王ヤロブアムであろうと、その指図をする「手」は、しなえさせる、という事だ。
全能の神・主の軍配は、明らかに預言者の側に上がったのは、誰の目にも明らかとなった。

『王は神の人に言った、「あなたの神、主に願い、わたしのために祈って、わたしの手をもとに返らせてください」。神の人が主に願ったので、王の手はもとに返って、前のようになった。』(1列王記13:6)
主は、ヤロブアムの手を、戻して下さった。
それは実に、主の憐れみによる。
ヤロブアムはこの時、「あなたの神、主」と言っており、主は既に「わたしの神、主」でなくなってしまっていた事は、情けない事だが、ヤロブアムはこの事件を機に、全能の主を「わたしの神、主」として、立ち返るべきであった。

『そこで王は神の人に言った、「わたしと一緒に家にきて、身を休めなさい。あなたに謝礼をさしあげましょう」。神の人は王に言った、「たとい、あなたの家の半ばをくださっても、わたしはあなたと一緒にまいりません。またこの所では、パンも食べず水も飲みません。主の言葉によってわたしは、『パンを食べてはならない、水を飲んではならない。また来た道から帰ってはならない』と命じられているからです」。こうして彼はほかの道を行き、ベテルに来た道からは帰らなかった。』(1列王記13:7-10)
この預言者のミッションは、ただ単に言葉を伝えたら終わり、ではなかった。
その場所では、一切飲み食いせず、一切の交わりをせずに帰る所まで、であった。

主の言葉をそこに撒いたなら、一切の人間的な飲み食いはせずに、すぐに帰る。
人間的な言葉や、目をくらませる飲み食いの接待は、一切させる隙を与えるな、そうして、ただ主の言葉だけがそこに置かれるようにせよ、という事だろうか。
私達も、御言葉を伝える時、肉的な飲み食いや、人間的な接待によって、伝えるべき主の言葉を、くらまされるような事が無いようにするべきだ。

この事を通して、主は、ヤロブアムに立ち返って欲しかったのだろう。
もはや多くの人達を惑わして、滅びに導くような事は止めて、力強く憐れみに富まれた主に立ち返って欲しかっただろう。
しかし残念ながら、後の彼は、そうではなかった。
主に「立ち返らない」道を突き進んでしまう彼の名は、後に、悪の王の代名詞的な存在として、後世に記憶されてしまう。
私達はここから、大いに戒めを受けるべきである。

国をこぞって偶像礼拝へと導いたヤロブアム(1列王記12:21-33)
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『ソロモンの子レハベアムはエルサレムに来て、ユダの全家とベニヤミンの部族の者、すなわちえり抜きの軍人十八万を集め、国を取りもどすために、イスラエルの家と戦おうとしたが、』(1列王記12:21)

レハブアムは、新しい王となってから最初に人々からの相談に乗った時、荒々しく威張り散らした故に、人々から見限られ、イスラエル10部族が、彼の元を離れて行ってしまった。
その事に対しレハブアムが取った行動は、軍隊を招集し、離れて行った彼らに戦争を仕掛けようとした事だった。

全くもって、王の器に相応しくない事この上ないが、彼が王とされたからには、きっと、彼が一番、ソロモンの大勢いるであろう子供達の中で、まともだったという事だろう。
ソロモンは余程、跡継ぎに恵まれなかったようだ。彼はこう言っている。
『わたしは日の下で労したすべての労苦を憎んだ。わたしの後に来る人にこれを残さなければならないからである。そして、その人が知者であるか、または愚者であるかは、だれが知り得よう。そうであるのに、その人が、日の下でわたしが労し、かつ知恵を働かしてなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ。これもまた空である。』(伝道者の書2:18-19)

愚かな王の、愚かな動機によって、あわや、神の民同士で戦争となる所であったが、主はそれを止めさせる。
『神の言葉が神の人シマヤに臨んだ、「ソロモンの子であるユダの王レハベアム、およびユダとベニヤミンの全家、ならびにそのほかの民に言いなさい、『主はこう仰せられる。あなたがたは上っていってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない。おのおの家に帰りなさい。この事はわたしから出たのである』」。それで彼らは主の言葉をきき、主の言葉に従って帰っていった。』(1列王記12:22-24)

レハブアムは、一人の預言者・シェマヤの言葉に従った故に、イスラエル全体が戦火に巻き込まれる事は免れた。
シェマヤは、当時活躍した預言者であるが(2歴代誌12:5-8)、列王記はこれ以降も、さらに多くの預言者達が登場し、イスラエルに神の御心を伝える。
これ以降の記述を見ていくと分かるのは、イスラエルは、王の命令や王が定めた法令よりも、預言者の言葉どおりに、物事が展開して行く事だ。
すなわち、神の民の中においては、どんなに権威ある人間の思惑よりも、主が伝えられた御言葉の通りに物事が進んで行くのだ。

さて、北イスラエル王国の王となったヤロブアムは、どうだったか。

『しかしヤラベアムはその心のうちに言った、「国は今ダビデの家にもどるであろう。もしこの民がエルサレムにある主の宮に犠牲をささげるために上るならば、この民の心はユダの王である彼らの主君レハベアムに帰り、わたしを殺して、ユダの王レハベアムに帰るであろう」。』(1列王記12:26-27)
彼は恐れたが、その恐れは、的外れである。
なぜなら、主は彼に預言者を通し、彼の家はダビデのように長く続く事が約束されているからだ。ただし、彼が主の道に歩むならば。
だから、彼が為すべきは、ダビデにならい、主の道に歩みつつ統治する事であるのに、彼はこの後、身勝手な「自分を救う方法」を編み出し、主の御旨に反する事をするようになってしまう。

『そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、民に言った、「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。 そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。この事は罪となった。民がベテルへ行って一つを礼拝し、ダンへ行って一つを礼拝したからである。』(1列王記12:28-29)
彼はなんと、出エジプトの時に、あの苦々しい災いをもたらした金の子牛を造り、これこそ、あなたがたをエジプトから導き上った神だ、と宣言したのだ。
そうして、イスラエルの何百万という人々が、正統な場所で礼拝を捧げる事を止めさせ、代わりに自分が造った金の子牛を拝ませたのだ。

主は『わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。』と言われたが(マルコ9:42)、彼は何百万という人々をつまづかせてしまった。
何という災いな事を、してしまったのだろう。
『わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。』(ヤコブ3:1)

彼は、さらに罪を重ねる。
『彼はまた高き所に家を造り、レビの子孫でない一般の民を祭司に任命した。またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭を八月の十五日に定め、そして祭壇に上った。彼はベテルでそのように行い、彼が造った子牛に犠牲をささげた。また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた。こうして彼はベテルに造った祭壇に八月の十五日に上った。これは彼が自分で勝手に考えついた月であった。そして彼はイスラエルの人々のために祭を定め、祭壇に上って香をたいた。』(1列王記12:31-33)

現代風に言うなら、勝手に新しい教義を編み出し、その中ではイエス・キリストを救い主の座から引き降ろし、自分が造った偶像を「救い主」として拝ませ、牧師としての召命も訓練も無い人を任命して、主日でない別の日を礼拝する日にしてしまったようなものである。
それも、自分自身の「保身」のために。
「保身」とは元々、何か脅威がある時に自分の立場を守るために為すものであるが、ただ、彼の頭の中に「恐れ」があっただけで、そもそも脅威など実存していなかったのだ。

私達も、ヤロブアムの道に迷い込まないよう、気をつけるべきだ。
彼は、主から与えられた言葉に心を置く事をせず、人々の目が気になり、自分の立場が危うくなるのでは、と「根拠なき恐れ」に捕らわれ、それで彼は御旨に逆らう事をしたのだ。

私達も、人の目や自分の人気、自分の立場を失う事を恐れるあまり、御言葉に妥協したり、あるいは御言葉に真っ向から反する事をするなら、かえって災いを招いてしまう。
もし、人の上に立つ立場として、御言葉に反することを人に教えたり、あるいは強要したりするなら、そのような者は、「大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい」のだ。

今、世の中では、自分の保身や人気取りのために、キリストでないものにも救いがあると言ったり、同性愛は罪ではないと言ったり、そのような「人間の教え」を広める事によって、人々を滅びへと導く者もいるが、とんでもない事である。
むしろ私達は、御言葉に記されている事を人々にそのまま伝え、地の塩、世の光として正しく導く者でありたい。

イスラエル分断の発端(1列王記12:1-20)
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『レハベアムはシケムへ行った。すべてのイスラエルびとが彼を王にしようとシケムへ行ったからである。』(1列王記12:1)

かつて栄華を極めたソロモンは死に、彼の子・レハブアムの代となった。
彼の代で、イスラエルは北と南に分裂してしまうのだが、そのいきさつが、この章に記されている。
尊い神の民・イスラエルの分断は、実にあっけなく起こり、その原因も、実に下らない事が発端となった。

『ネバテの子ヤラベアムはソロモンを避けてエジプトにのがれ、なおそこにいたが、これを聞いてエジプトから帰ったので、人々は人をつかわして彼を招いた。そしてヤラベアムとイスラエルの会衆は皆レハベアムの所にきて言った、』(1列王記12:2-3)
人々は、ヤロブアムをわざわざエジプトから呼び寄せて、レハブアムに上申させた。
ヤロブアムはよほど手腕家で、人々からの信頼と人気もあったのだろう。

『父上はわれわれのくびきを重くされましたが、今父上のきびしい使役と、父上がわれわれに負わせられた重いくびきとを軽くしてください。そうすればわれわれはあなたに仕えます。』(1列王記12:4)
ソロモンの治世の当初、王宮で日々消費される食料も経費も、元々は莫大であったにもかかわらず、それでも人々は飲み食いを楽めていた。(4章)
全イスラエルの産物は、当初、よほど祝福されていたからであろう。
しかし、治世も後半になって来ると、人々は重税と厳しい使役にあえぎ、苦しんでいた。
という事は、祝福は途中で途絶えてしまったのだろう。

なぜ祝福が途絶えてしまったか。その理由は、明白だ。
ソロモンは、彼を祝福して下さった主を捨て、別の神々に走ってしまったからだ。
実入りが少なくなったのにソロモンは乱費を止めなかったため、民はあえぎ苦しみ、それで人々は、王の代が変わったタイミングで、厳しい税や使役を軽くしてもらおうと、ヤロブアムに直訴してもらったのだろう。

『レハベアムは彼らに言った、「去って、三日過ぎてから、またわたしのところにきなさい」。それで民は立ち去った。レハベアム王は父ソロモンの存命中ソロモンに仕えた老人たちに相談して言った、「この民にどう返答すればよいと思いますか」。彼らはレハベアムに言った、「もし、あなたが、きょう、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えるとき、ねんごろに語られるならば、彼らは永久にあなたのしもべとなるでしょう」。』(1列王記12:5-7)
ソロモンの長老達のこの助言は、実に正しい。
イエス様も同じ事を言っている。
『あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。』(マルコ10:42-45)

神の民は元々、人間の王を、持つべきではない。なぜなら、神である主こそ、王であるはずだからだ。(1サムエル記8章)
「王」といえども、主から与えられた「働き」の一つに過ぎず、人々を正統に主へと導く働きをする「主のしもべ」なのだ。
しかしレハブアムは、この長老たちの助言を、良しとはしなかった。

『しかし彼は老人たちが与えた勧めを捨てて、自分と一緒に大きくなって自分に仕えている若者たちに相談して、彼らに言った、「この民がわたしにむかって『あなたの父がわれわれに負わせたくびきを軽くしてください』というのに、われわれはなんと返答すればよいと思いますか」。
彼と一緒に大きくなった若者たちは彼に言った、「あなたにむかって『父上はわれわれのくびきを重くされましたが、あなたは、それをわれわれのために軽くしてください』と言うこの民に、こう言いなさい、『わたしの小指は父の腰よりも太い。父はあなたがたに重いくびきを負わせたが、わたしはさらに、あなたがたのくびきを重くしよう。父はむちであなたがたを懲らしたが、わたしはさそりをもってあなたがたを懲らそう』と」。』(1列王記12:8-11)

レハブアムと共に育った若者たちは、長老たちとは真逆の方向性の助言をした。
すなわち、へりくだって仕える姿勢ではなく、大上段から強権的に押しつける態度を貫く方向の。
レハブアムは、若者たちの助言のほうに気を良くしたのだろうか、こちらを採用してしまう。

『王は荒々しく民に答え、老人たちが与えた勧めを捨てて、若者たちの勧めに従い、彼らに告げて言った、「父はあなたがたのくびきを重くしたが、わたしはあなたがたのくびきを、さらに重くしよう。父はむちであなたがたを懲らしたが、わたしはさそりをもってあなたがたを懲らそう」。』(1列王記12:13-14)
彼は、新しい王として、荒々しく大上段から言い放った瞬間は、さぞやスカッとしただろう。
しかし、その一瞬のスカッとする爽快感を採用してしまうような人は、大事な人から逃げられてしまい、長年築き上げて来た大切なものを一瞬にして破壊してしまうものだ。

『このように王は民の言うことを聞きいれなかった。これはかつて主がシロびとアヒヤによって、ネバテの子ヤラベアムに言われた言葉を成就するために、主が仕向けられた事であった。』(1列王記12:15)
このような破壊的な言葉を、彼をして言わしめたのは、主である。
主は、欲望を遂げるために人を何とも思わないような人を、また、忠告を何度しても聞かないような人に対しては、さらに良くない思いへと引き渡し、自滅して行くに任せられる。
『彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。』(ローマ1:28-31)
これら、邪悪な性質の者のリストを見ていると、実にレハブアムが当てはまり、エジプトのパロや、ギデオンの子孫達を殺したアビメレク達に当てはまる。
彼らは皆、その道を行って、主から心頑なにされ、滅びへと導かれて行った者達である。

『イスラエルの人々は皆、王が自分たちの言うことを聞きいれないのを見たので、民は王に答えて言った、/「われわれはダビデのうちに何の分があろうか、/エッサイの子のうちに嗣業がない。イスラエルよ、あなたがたの天幕へ帰れ。ダビデよ、今自分の家の事を見よ」。そしてイスラエルはその天幕へ去っていった。しかしレハベアムはユダの町々に住んでいるイスラエルの人々を治めた。』(1列王記12:16-17)
人々は、レハブアムの、ふにゃふにゃの権威を振り回す様を見て、もうだめだこの人、と思ったのだろう。
こんな器の者に、王として治めてもらう謂れはもはや無いと、レハブアムを見限り、それぞれ自分の所に帰って行った。

『レハベアム王は徴募の監督であったアドラムをつかわしたが、イスラエルが皆、彼を石で撃ち殺したので、レハベアム王は急いで車に乗り、エルサレムへ逃げた。12:19 こうしてイスラエルはダビデの家にそむいて今日に至った。イスラエルは皆ヤラベアムの帰ってきたのを聞き、人をつかわして彼を集会に招き、イスラエルの全家の上に王とした。ユダの部族のほかはダビデの家に従う者がなかった。』(1列王記12:18-19)
こうして、神の民・イスラエルは、実にあっけなく分断し、21世紀の今に至っている。
そしてその発端をつくった人々の動機は、実に下らないものだった。

そうなってしまった根本原因は、ソロモンに帰するのであろう。
しかし、人を大上段に威圧してコントロールしようとする人は、大事な人達に逃げられてしまい、自分の家族や集いを破綻させ、長年築き上げて来た尊いものを一瞬にして破壊してしまうものである。

キリストにあって神の子とされた私達は、この世のもろもろを、正当に統治する事が、主から求められている。
それを忘れて権威を振りかざし、威圧的な態度や脅迫めいた言葉、執拗な嫌味などの”死に属する手段”を用いて物事を支配しようとするなら、自分自身ばかりでなく、周囲をも死へと巻き込んで行ってしまう。
私達は、そのような事を、妻に対し、夫に対し、子供に対し、部下に対して遂行していないだろうか。
それによって、逆に蔑まれたり、避けられたり、逃げられたり、していないだろうか。
主から求められている事は、全く、以下の御言葉の通りである。
『あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。』(マルコ10:42-45)

チームワークとしての再建のわざ(ネヘミヤ3章)
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週報/メッセージ(説教)概要

天声教会の節目にあたる今年に入り、教会設立当初にハガイ書から与えられたビジョンである「礼拝の再建」を中心に学んで来た。神殿の再建が始まって以降、主は祝福を返して下さる事を約束されたが、ハガイの時代、神殿のあるエルサレムの都の城壁は、ネヘミヤの時代まで、破壊されたままだった。
城壁が崩されたまま、という事は、敵は出入りし放題、邪魔され放題、分捕られ放題である。
ネヘミヤはその状態を憂いて悲しみ、主に祈った結果、主は彼の祈りを聞かれ、彼が仕えていたペルシア王を動かし、彼をエルサレムの総督に任命して、城壁を再建する者として遣わされた事を、前々回見た。
私達も立て直す事を決心するなら、もはやそれが阻害されないようにするため、「城壁」を再建する必要がある。今回、再建を始めたネヘミヤ達がどのように仕事を進めて行ったのかを、ネヘミヤ記3章から学び、私達もどのように再建を進めて行くべきかの指針を得たい。

『かくて大祭司エリアシブは、その兄弟である祭司たちと共に立って羊の門を建て、これを聖別してその扉を設け、さらにこれを聖別して、ハンメアの望楼に及ぼし、またハナネルの望楼にまで及ぼした。』(1節)
ネヘミヤの呼びかけに最初に応答して仕事を始めたのは大祭司で、彼らが真っ先に再建したのは「羊の門」、すなわち神殿の間近に位置する所だ。最も優先的にガードすべきは、神殿、すなわち礼拝である。
再建を始める時、敵がほぼ邪魔しに来る事を、前々回学んだが、最も邪魔しようとするのは、礼拝である。
まずは、礼拝を邪魔するあらゆる思いや考え、習慣、あるいはそのような人を取り扱うべきである。
また、この章では合計10の城門があるが、門は出入りする所で、最も攻撃にさらされやすい所である。
神殿、すなわち礼拝の次にガードするべきは、門であり、私達がガードすべき「門」とは、耳、目、口である。
インターネットや人の噂話など、世から聞こえて来るもの、見えてくるものの出入りをしっかり管理するべきであり、人の言葉などにいちいち傷ついたり煩わされたりする事がもはや無いよう、イエスの血を塗って清め、傷つきやすい状態を、修復するのだ。
「人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。」(箴言12:14)とある通り、唇からは悪い言葉を出す事なく、昼も夜も、御言葉を口ずさむべきである。それをするなら、水路のそばに植わった木のように、時が来れば実がなり、しおれる事なく、何をしても栄える。(詩篇1篇)

ネヘミヤ3章は、誰々が何処を修理し、次に誰々が何処を修理した、という記述が続くが、再建のわざは、チームワークである。工事に関わった人達は色々な職種があり、祭司(1)、金細工人(8,31,32)、香料作り(8)、レビ人(17)、商人(31,32)、また、娘達と一緒に建て上げた父親もいた(12)。
力のあるなしに関わらず、実に多彩な人達がこれに当っている。主の働きの建て上げも、同じキリストを頭とする多彩な人達によるものであり、主は彼ら一人ひとりに、異なった賜物を与えられた。(1コリント12章)
彼らは工事については素人ではあったであろうが、エルサレムの城壁は、彼らによって築かれたように、この教会も、工事についてはほぼ素人の、色々な職種の人達と、その娘達による手弁当の工事によって、諸々のものが作られた。人は何かと、自分のプロフェッショナリティや、常識に基いて判断し、自分で限界を設けてしまう所があるが、主の仕事において重要な事は、自分の何かではなく、主からの召命である。
自分にこれこれの準備が整えられたら、これこれの学識や技術を身につけてからにしよう、と思いながら先延ばしにしていると、結局、何も出来ないまま、いたずらに時を過ごしてしまうという事が、ありがちである。
ちょうど、バビロン捕囚から帰還した民が、城壁を建て直しもしないまま、何十年も過ごしてしまったように。
私達は、自分の力や能力に頼って、主のわざを成せるものではない。全てを満たして下さるキリストに繋がってこそ、有益な実りを結ばせられるのだ。(ヨハネ15章) 『教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。』(エペソ1:23)
優れた人になろうとする努力も大事だが、それよりも大事な事は、すべてのものを、全てのものによって満たす御方、キリストにより頼み、彼に求め、聞き従う事である。それをするなら、私達には到底できないような、また、到底考えも及ばなかったような事を、彼にあって、為す事が出来るのだ。私達はキリストのからだ、であり、互いがそれぞれ器官である。私達のかしらであられるキリストに繋がり、互いに建て上げられ、成長し合って行く皆さんであり、そしてこの教会でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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