メッセージ - 201605のエントリ
主の息吹に逆らう向かい風の人生と、主の息吹に従う追い風の人生(ヨブ記38:1-15)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2016-5-6 23:50
知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊(イザヤ11:1-5)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2016-5-6 13:50
酒に酔ってはならない、そこには放蕩があるから。その「放蕩」とは?(エペソ5:10-21)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » エペソ人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2016-5-4 23:40
わたしの霊があなたがたの間で働いている(ハガイ2:4-9)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要
2006年4月末、この横浜・弥生町の物件が与えられ、この会堂において「天声教会」として礼拝が始まり、今年4月でいよいよ10年目を迎えた。そこで今一度、設立当初に与えられたハガイ書の御言葉から学びたい。主の家の建て上げにおいても、礼拝の再建においても、主の霊が働かれる事が記されている。
『主は言われる、ゼルバベルよ、勇気を出せ。ヨザダクの子、大祭司ヨシュアよ、勇気を出せ。主は言われる。この地のすべての民よ、勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいると、万軍の主は言われる。これはあなたがたがエジプトから出た時、わたしがあなたがたに、約束した言葉である。わたしの霊が、あなたがたのうちに宿っている。恐れるな。』(ハガイ2:4-5)
勇気を出す事の根拠、そして働く事の根拠は、「わたしの霊が、あなた方の内に宿っている」事であり、聖霊抜きの、人間の考え・力・勇気の振り絞りによる働きは、やがて破綻してしまう事は既に学んでいる通りだ。
主はまた、昔、エジプトを出た時に約束された御言葉は、今なお有効である事を、思い起こさせている。
その時主は、主はイスラエルの人々の内に住んで彼らの神となって下さる事を、そして、主こそ彼らを奴隷の家・エジプトから導き出された神、主である事を知る、と言われた。そして「わたしは彼らの神、主である」という主の御名の”証印”によって、約束は確かであると”捺印”された。(出エジプト記29:46-47、20:2)
しかしエジプトを出た民の内、約束の地に入れた成人は、僅か二人であった事もまた、心に留めるべきである。約束の地、主の安息に入るために必要な事は、約束された事を信じ続ける事と、従順な事だ。
70人の長老達にも、モーセに注がれたのと同じ主の霊が注がれ、預言したが、それは一度きりで終わってしまった(民数記11:25)。その時ヨシュアは、招集に来なかった二人にも主の霊が注がれた事にねたみを起こしたが、モーセは「主の民がみな預言者となり、主がその霊を彼らに与えられる事は、願わしい事だ」と言った。今、主の民皆が預言者となり、主の霊が与えられる時代であるが、守るべきは主への従順である。
結局、この70人の長老も、カナンの強そうな人達や街々に恐れをなし、約束の地への歩みは止めてエジプトに帰ろう、と言う側に回ってしまい、与えられた主の霊をでモーセを支えるのではなく、反逆する側となり、結局、最後まで信仰と従順を貫き通したヨシュアとカレブだけが、約束の地に入る事が出来た。
『わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。』(ヘブル10:38-39)
ハガイの時代、主の言葉に心奮い立たせられ、実際に山に登り、木を切って主の宮を建てるための行動を起こした人々、御言葉に従順し、主の御言葉によって礎を建てた人達にこそ、主は全地を揺り動かし、全世界の財宝が入って来て、栄光を主の家に満たす、という約束を与えられた。(6-7節)
銀は主のもの、金も主のものである。だから私達は、金銀を求める以前に、全ての祝福の源であり、完全な愛で我らを愛し、ひとり子さえ惜しまずに渡された主をこそ、慕い求めるべきなのだ。
「主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きい」、「わたしはこの所に繁栄を与える」と、万軍の主は言われた(9節)。なんと、これから後の「主の家」の栄光は、あの豪華絢爛な、金銀宝石を豪勢に用いたソロモンの神殿の栄光より大きいのだ。ソロモンが建てた豪奢な神殿があった列王記・歴代誌の時代と、神殿より粗末な幕屋で礼拝していたモーセやヨシュア、ダビデの時代と、どちらが主の栄光に輝いていただろうか。
結局大事なのは、建築物としての建物ではなく、私達礼拝者という「主の宮」の、主を慕い求める心である。
あの山でもなく神殿でもなく、真の礼拝者たちが「霊:御霊」と「真理:御言葉」によって礼拝する礼拝こそ御父に喜ばれる礼拝、求められる礼拝である(ヨハネ4:23)。今、私達はイエス・キリストを通し、霊において、真理において、モーセの時代、ソロモンの時代よりもさらに優れた栄光を、主はそこに置いて下さるのだ。
天声の物件が与えられ10年目。新しい領域へと入りつつある。私達キリスト者は日々「新しくされ続け中」であり、リフォーム中である(エペソ4:17-24)。信仰生活をして行くならば、慣れ親しんだ所にいつまでも留まるという事はなく、主が道を示してくださるなら、いつでもその地へと恐れず、従順し、そして期待と楽しみに胸をふくらませながら進んで行けば良いのだ。行く先は見えないかもしれないが、主が行くように言われたその先に待っているのは、必ず祝福である。その栄光を勝ち取って行く皆さんでありますように!