メッセージ - 201610のエントリ

エリコの城壁を前にした時(ヨシュア記5:10-15)
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新しい領域に入った時、真っ先に捨て去るべきもの(ヨシュア記5:1-9)
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コロサイ人への手紙 講解説教メッセージ
キリストのいのちと引き換えに神の子とされた者として(コロサイ1:21-29)
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油注がれた者クロスに定められていた神の国の使命(イザヤ45:1-3)
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今まで通った事のない道を進み行くために(ヨシュア記3章)
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神の子どもと悪魔の子どもの区別方法(1ヨハネ3:1-12)
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全く同一である列王記のパターンと、私達の人生のパターン(1列王記22:41-53)
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第一列王記の講解説教は、いよいよ今回で終わる。
と言っても、原典ヘブル語聖書には元々、「第一」や「第二」の区切りは無かったので、この「第一」の終わりの内容も、何か物語の終わりを飾るに相応しいストーリー的な盛り上がりが特にあるわけではないし、第二列王記の始まりも、「第一」の続きがすぐに始まる。
そしてこの第一列王記の終わりは、アハブと同時代を生きたヨシャパテ王の歩みと、アハブの子・アハズヤの歩みの簡潔な説明によって終わる。

『アサの子ヨシャパテはイスラエルの王アハブの第四年にユダの王となった。ヨシャパテは王となった時、三十五歳であったが、エルサレムで二十五年世を治めた。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。』(1列王記22:41-42)
ヨシャパテ王については、第二歴代誌のほうがもっと詳細に記されている。

『ヨシャパテは父アサのすべての道に歩み、それを離れることなく、主の目にかなう事をした。ただし高き所は除かなかったので、民はなお高き所で犠牲をささげ、香をたいた。』(1列王記22:43)
イスラエルにおける礼拝は、本来、エルサレムの神殿でのみ行うべきものであったが、長い歴史の中で、イスラエル各地にある「高き所」でもずっと行われてきた。
この「高き所」は元々、異邦の民が築き上げた礼拝所で、全て粉砕されなくてはならない事はモーセをとして命じられていた。(申命記12:1-3)
しかしこの高き所は、後の時代にもずっと残りり続けていた。
良い王と悪い王とが交錯する長い歴史の中で、律法の知識が廃れ、イスラエルの民は何が礼拝の基準であるのかが分からないままに行なってしまっていたのを、主は杓子定規に裁く事はせず、むしろ彼らを憐れんで下さった。

『ヨシャパテはまたイスラエルの王と、よしみを結んだ。ヨシャパテのその他の事績と、彼があらわした勲功およびその戦争については、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。彼は父アサの世になお残っていた神殿男娼たちを国のうちから追い払った。』(1列王記22:44-46)
神殿男娼は、彼の父アサの時代にも追い出したはずであったが(1列王記15:9-12)、それは徹底されていなかったのだろう。
ヨシャパテは、それを追い出した。
このようにヨシャパテは、主の目に良い事を行なって祝福されたが、第二歴代誌を見ると、彼はイスラエルの王・アハブと同盟を結んだ故に、災いが起こってしまう事が預言されている。

『ユダの王ヨシャパテは、つつがなくエルサレムの自分の家に帰った。そのとき、先見者ハナニの子エヒウが出てヨシャパテを迎えて言った、「あなたは悪人を助け、主を憎む者を愛してよいのですか。それゆえ怒りが主の前から出て、あなたの上に臨みます。しかしあなたには、なお良い事もあります。あなたはアシラ像を国の中から除き、心を傾けて神を求められました」。』(2歴代誌19:1-3)
ヨシャパテは、預言者から警告を受けた後、イスラエルの主だった人々を集め、彼らには主を恐れ敬うよう、主の道を歩むように指導した。
しかしその内に、モアブ人・アンモン人の連合軍が大軍をもってヨシャパテの国に攻め寄せて来た。(同20章)
そこでヨシャパテ王は、全国に断食を布告し、ただ主に助けを求め祈る集会をした。

その時、主の霊が一人の人に臨み、主の言葉が告げられた。
すなわち、この戦いは、ヨシャパテ達の戦いではなく、主が戦って下さる、だから恐る事は無い、と。
ヨシャパテは主をほめ讃え、苦しみの中に始まった集会は、喜びの集会となった。

戦いの日、彼らは兵士を先頭に配置せず、賛美の聖歌隊を先頭に配置した。
彼らが主と敵との前で賛美の声を上げはじめると、主は伏兵を遣わし、敵を同士討ちさせるようにして下さり、こうしてイスラエルはただ賛美を捧げている内に、敵は全滅してしまった。
彼らが分捕りをするために出ていくと、あまりにも多くの分捕りがあったために、それだけで3日もかかったという。
こうしてヨシャパテ王は、いよいよ栄えて行った様が、第二歴代誌20章に記されている。

しかし彼は、そのように名声と富が増し加わった時、再び過ちを犯してしまう。
『そのころエドムには王がなく、代官が王であった。ヨシャパテはタルシシの船を造って、金を獲るためにオフルに行かせようとしたが、その船はエジオン・ゲベルで難破したため、ついに行かなかった。そこでアハブの子アハジヤはヨシャパテに「わたしの家来をあなたの家来と一緒に船で行かせなさい」と言ったが、ヨシャパテは承知しなかった。ヨシャパテはその先祖と共に眠って、父ダビデの町に先祖と共に葬られ、その子ヨラムが代って王となった。』(1列王記22:47-50)
ヨシャパテは船団を造って、富をさらに増し加えようとしたのだが、頓挫した。
それは、彼は悪しき者と結託してしまったためであった。

『この後ユダの王ヨシャパテはイスラエルの王アハジヤと相結んだ。アハジヤは悪を行った。ヨシャパテはタルシシへ行く船を造るためにアハジヤと相結び、エジオン・ゲベルで一緒に船数隻を造った。その時マレシャのドダワの子エリエゼルはヨシャパテに向かって預言し、「あなたはアハジヤと相結んだので、主はあなたの造った物をこわされます」と言ったが、その船は難破して、タルシシへ行くことができなかった。』(2歴代誌20:35-37)
つまりヨシャパテは、富をさらに得たいがために、主の目に忌み嫌われる者であるアハズヤと結託してしまったのだ。
彼はアハブ王と結託し、散々な目に遭ったというのに、同じ過ちを犯してしまった。

私達は、世に出て行って、主の目に悪を行っているような人達とも一緒になって生きざるを得ないし、一緒に仕事をしなくてはならないものだが、ここで注意すべきは、私達・神の民は、世に媚びるために、または世の栄華や富を得るために、神の国の価値観を捨て去って、世に対して媚びたり卑屈になったりしてはならない事だ。
私達は、邪悪な者達もいる世に出て行って、ビジネスしたり、福音を伝えたりする事によって、はびこっている死をキリストのいのちでどんどん飲み込んで行くべきではあるけれど、ヨシャパテがアハブの言いなりになってしまったように、邪悪な者のいいなりになって、彼らの欲望満足のために汚れた事に利用されたりしてはならないのだ。

私達・「教会」や「兄弟姉妹の集い」は、きよく保ち続けるべきである。
『あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。』(1コリント5:6-8)

ヨシャパテは、アハズヤというパン種を、自分の王国の中にに混入させてしまったために、彼が構築していた船団は、主にあって破壊されてしまった。
彼はこの出来事に懲りたのだろう、彼はアハズヤから「わたしの家来をあなたの家来と一緒に船で行かせなさい」と言われた時、承知しなかった。(1列王記22:49)

『アハブの子アハジヤはユダの王ヨシャパテの第十七年にサマリヤでイスラエルの王となり、二年イスラエルを治めた。彼は主の目の前に悪を行い、その父の道と、その母の道、およびかのイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの道に歩み、バアルに仕えて、それを拝み、イスラエルの神、主を怒らせた。すべて彼の父がしたとおりであった。』(1列王記22:51-53)
アハブとイゼベルの間の子、アハズヤが王として統治した期間は、たった2年だった。
彼はその短い統治の間、父と母の道に歩み、バアル礼拝をし、主を怒らせた、と記されている。

彼の父・アハブの時代、エリヤやミカヤ、その他の預言者達から、あれだけ主に立ち返るように、と、多くのしるしをもって示されて来たというのに、それでも彼はバアルを拝み、主に忌み嫌われる事を積極的に行った。
それで彼は、せっかく主から与えられた恵みの猶予を全く無駄使いしてしまい、彼の王国と人生は早々と閉じられてしまう事になる。
どのようにして彼は死ぬのか、また、彼が神からどのような警告を受けたのか、それらの話は、第二列王記へと引き継がれる。

このように「第一列王記」は、全く今までの「列王記のパターン」通りに終わり、第二列王記もまた、そのパターン通りに始まる。
列王記のパターン、それは、イスラエルの王達それぞれの治世の記録であり、何年統治したか、その王は、主に従った「良い王」であったか、主に従わない「悪い王」であったかという評価が、淡々と記されている。
その王が主に聞き従う「良い王」であるなら、祝福され、栄える。
しかし、王が主に従わないなら、その時代は呪われ、衰退する。
この決して揺るがされなかったパターンは、まさに私達の人生に全く当てはまる。
私達がこの書を読む時、自分自身の人生で、何をしたら祝福され、何をしたら呪われるのか、それをよく読み解いて行くべきである。

イエス様というサインを互いに出し合うように(1サムエル記20:24-42)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

 ダビデとヨナタンは、互いに連絡が取れていなかった事で、誤解し合ったまま喧嘩別れしてしまう危険があったが、互いに自分の「思い込み」を主張せず、柔和で穏やかな言葉によって「分裂」という悪魔の策略に勝利した。私達もそのような心を持つべき事を、前回のサムエル記から学んだ。ダビデとヨナタンは、全て問題の元凶となったサウルの本心をあばくため、新月祭にダビデが「参加しない」事で、探りを入れる。

『ところがその日サウルは何も言わなかった、「彼に何か起って汚れたのだろう。きっと汚れたのにちがいない」と思ったからである。』(26) この言葉から伺える事は、サウルにはあたかも、ダビデを何度も殺そうと槍を投げたり、待ち伏せたり、遠くまで追手を遣わしたり追いかけて来た事が、一切無かったかのようだ。
このように、周囲の調和をひどく破壊し、人の心や体を傷つけ、さんざん迷惑を撒き散らしたというのに、それら一切を全く覚えていないかのように、何事も無かったかのように平然と振舞う人は、確かにいる。
そのような人は、悪霊が住みついている場合が多い。悪霊に動かされ発作的に破壊活動したとしても「自分がした」という意識や記憶が全く無いのだ。もちろん全部が全部悪霊のせいと言う訳ではないが、少なくともサウルのように御言葉に背き続け、頑なに罪を握りしめ続けているなら、明らかに「霊的な問題」である。
なぜなら悪霊の好むエサは、ガラテヤ5:19に記されている「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、その類」だからだ。これらを野放しにしておくと、悪霊に支配されるようになり、極端な”発作的行動”を無意識的にしてしまうようになる。

新月祭の二日目もダビデは不在だったので、サウルはヨナタンに尋ねる。どうしてダビデは今日もいないのか、と。ヨナタンはダビデの家の都合であると答えたが、その何気ない、わずかな言葉と共にサウルは豹変し、すごい剣幕でヨナタンを、そしてヨナタンの母さえ冒涜する「汚し言葉」を発した。(27-31)
「お前は心の曲った背く女が産んだ子だ、お前は自分の身を辱め、母の裸を露わにしている(原意)」と。
ヨナタンはただ、ダビデには都合あってこの食事の席に参加できない、と言っただけなのに、どうして突然そんな返答が来るのか、さっぱり理解出来なかっただろう。そのような人は、汚れた悪しき思いをいつも頭にぐるぐる巡らし、常人には到底連想できない考えに導かれ、些細なきっかけで爆発し、ぶちまけるのだ。
『ヨナタンは父サウルに答えた、「どうして彼は殺されなければならないのですか。彼は何をしたのですか」。ところがサウルはヨナタンを撃とうとして、槍を彼に向かって振り上げたので、ヨナタンは父がダビデを殺そうと心に決めているのを知った。』(32-33) 今度はなんと、自分の跡継ぎ息子である彼にさえ槍を投げた。
悪魔や悪霊に秩序を求めてはならない。彼らはただ破壊し殺す事が衝動であり、目的なのだ。

ヨナタンは彼自身のみならず、彼の母まで辱められたのに、ダビデが辱められた事をこそ憂いた。(34)
主にある兄弟姉妹とは、自分や自分の家族より、危機の中にある愛する兄弟姉妹を心配し、案じるのだ。
翌日、ヨナタンは野に出て、ダビデと打ち合わせたサインを送る。すなわち、矢を放ち、それを取りに行く子供に「矢はあなたのこちら側だ」と言うなら安全で、「向こう側だ」と言うなら危険である、というサインを。
『ヨナタンは子供の後ろから呼ばわって、「矢は向こうにあるではないか」と言った。ヨナタンはまた、その子供の後ろから呼ばわって言った、「早くせよ、急げ。とどまるな」。』(38-39) ヨナタンはダビデに、事態は最悪だ、早く遠くに逃げよ、と切に伝えたのだ。それは子供には分からない、有志にのみ分かるサインである。
迫害下の初代教会も、信仰の有志にのみ分かるサインで、互いの信仰を確認し合い、また危険を伝えた。
私達も信仰者が持つサイン、すなわち、イエス様というサインを互いに言い表し、真実を尽くし合うべきだ。
『彼(キリスト)についてこの望みを「積極的に抱き続ける者(原意)」は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。すべて罪を「意図的に犯し続ける(原意)」者は、不法を行う者である。罪は不法である。あなたがたが知っているとおり、彼(キリスト)は罪をとり除くために現れたのであって、彼にはなんらの罪がない。すべて彼に「意図して在り続ける者(原意)」は、罪を「積極的に犯そうとしない(原意)」。すべて罪を「積極的に犯そうとし続ける(原意)」者は彼を見たこともなく、知ったこともない者である。』(1ヨハネ3:3-6)
ダビデとヨナタンのようにイエス様という信仰者のサインを出し合い、悪に悪で返さず、善によって悪に勝利する皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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祝福を求めるより祝福された後をシュミレーションせよ(申命記26章)
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