メッセージ - 201610のエントリ

主に戒められる度に立ち返ったヨシャパテ王(2歴代誌19:1-3)
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イスラエル最悪の王として確定してしまったアハブの死(1列王記22:29-40)
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『こうしてイスラエルの王とユダの王ヨシャパテはラモテ・ギレアデに上っていった。』(1列王記22:29)
アハブは、真に主が語られたミカヤの預言を退け、彼おかかえの、自分に都合のいい言葉を言ってくれる”預言者達”にそそのかされ、戦いに進み出た。
しかし彼は、預言者達の”都合のいい預言の言葉”だけでは心配だったようで、自分の身の安全のため、さらに防護策を取る。

『イスラエルの王はヨシャパテに言った、「わたしは姿を変えて、戦いに行きます。あなたは王の服を着けなさい」。イスラエルの王は姿を変えて戦いに行った。』(1列王記22:29-30)
なんとアハブは、敵の標的になる事から逃れるために、ヨシャパテひとりに王服を着させ、自分は王でないかのように変装して戦いに臨もうとしたのだ。

そもそもヨシャパテは、この戦いに加わっても何のメリットも無い。
それなのにアハブは、厚顔無恥にも、善意で助けに来てくれたヨシャパテひとりにリスクを負わせ、自分だけが安全になろうとしたのだ。
『悪しき者は物を借りて返すことをしない。しかし正しい人は寛大で、施し与える。主に祝福された者は国を継ぎ、主にのろわれた者は断ち滅ぼされる。』(詩篇37:21-22)

アハブは、おかかえの預言者達から、この戦いは必ず勝つと言われていたのだから、別にそんな、姑息な防護策を取らなくても良かったであろうに。
結局、彼はおかかえの預言者の言葉さえ信じていなかったという事だ。
彼の頭の中は、いつも自分がしたい事でいっぱいで、今回も、「戦いに勝ってその土地を取り戻し名誉を回復したい」という、思いつき的な願望が先走り、彼のこの願望に「そうだそうだ」と言ってくれる人を沢山はべらせたかったがために、”預言者”を400人も抱え込んだのだ。
彼にとっての預言者とは、自分のしたい事を主の名によって賛同してくれるための取り巻きに過ぎなかったのだ。

『さて、スリヤの王は、その戦車長三十二人に命じて言った、「あなたがたは、小さい者とも大きい者とも戦わないで、ただイスラエルの王とだけ戦いなさい」。』(1列王記22:31)
シリヤの王のこの命令は、ヨシャパテにはますますピンチ、アハブにはますます有利、と思われるかもしれないが、結果的に、その真逆であった事が後になると分かる。

『戦車長らはヨシャパテを見たとき、これはきっとイスラエルの王だと思ったので、身をめぐらして、これと戦おうとすると、ヨシャパテは呼ばわった。戦車長らは彼がイスラエルの王でないのを見たので、彼を追うことをやめて引き返した。』(1列王記22:32-33)
ヨシャパテが「呼ばわる」と、シリヤの戦車隊は、彼がイスラエルの王アハブではないと知った。そして彼に何も害を加えないまま引き返した。
一体どうして、そうなるのか。
それは、第二歴代誌の平行箇所、18章31節を見ると分かる。
すなわちヨシャパテは、主エホバに叫び求め、すると主が彼を助け、戦車隊を彼から離れさせるようにしたのだ。

シリヤの戦車隊が、王服をまとったヨシャパテ王に迫った時、この者がイスラエルの王アハブではないと判断した材料は、彼がとっさに「主エホバを呼び求めた」事だった。
きっとシリヤの間では、アハブは主エホバを求めるような者ではない、と、有名だったのだろう。
ともかくヨシャパテはこうして、主に助けを呼び求めた事により、また、あらかじめシリヤ王が発していた命令のおかげで、危ない所で命が救われた。
人の目に「これは状況が悪化した」と思える事でも、実はそれは、主が状況を好転させるために為された、という事もあるのだ。

ヨシャパテはこの度、悪しき者同士の、欲深い領土争いに足を突っ込んでしまって、とんだとばっちりを受けたが、主は、そのような罠に陥ってしまった主の民を悪人同士の争いの中から引き上げ、救い出す事がお出来になるお方である。
この戦いには、ヨシャパテの南ユダの兵士達も混ざっており、悪しき者と善き者とが混在状態ではあったものの、シリヤ王があの命令を下してくれたおかげで、ヨシャパテ側の兵士達から犠牲者が多く出る事からも守られたのだ。
どんなに、善き人に対不利な戦局が展開されようとも、主はその人を助け出される事が可能であり、そして、悪しき者がいかに二重三重の防護策を講じようとも、その者が主の裁きから免れられる事は無い。

『しかし、ひとりの人が何心なく弓をひいて、イスラエルの王の胸当と草摺の間を射たので、彼はその戦車の御者に言った、「わたしは傷を受けた。戦車をめぐらして、わたしを戦場から運び出せ」。その日戦いは激しくなった。王は戦車の中にささえられて立ち、スリヤびとにむかっていたが、ついに、夕暮になって死んだ。傷の血は戦車の底に流れた。日の没するころ、軍勢の中に呼ばわる声がした、「めいめいその町へ、めいめいその国へ帰れ」。王は死んで、サマリヤへ携え行かれた。人々は王をサマリヤに葬った。
またその戦車をサマリヤの池で洗ったが、犬がその血をなめた。また遊女がそこで身を洗った。主が言われた言葉のとおりである。』(1列王記22:34-38)

ついにアハブ王は死に、彼は、悪人が受けるべき報いを得た。
誰かが何気なく放った矢が、見事、戦車で激しく動いているアハブの、それも胸当てと草摺の間にヒットし、彼を死に至らしめたのだ。
結局、主には全ての事がお出来になるのだ。
アハブとしては、姑息な手を使ってでも万全を期して臨んだのであろうが、そのような小賢しい知恵や努力も、主の「為す」と定められた災いを防ぐ事は出来ない。
もし人が、主の定められた審判を免れたいのであるなら、ただ、悔い改めて主に立ち返るだけで良いのであって、一切の小賢しい手段は、必要無い。

アハブに対する災いの預言は、あらかじめ3人の預言者達によって預言されていた。
最初、預言者のともがらの一人からは、アハブは主が滅ぼそうと定めた人を勝手に放免させた故に、アハブの命はその者の命の代るとなる、と言われていた。(20:42)
次に、アハブがナボテという罪なき人を謀殺し、その地所を手に入れようと出て行った時、エリヤから次のように言われた。
『あなたが主の目の前に悪を行うことに身をゆだねたゆえ、わたしはあなたに災を下し、あなたを全く滅ぼし、アハブに属する男は、イスラエルにいてつながれた者も、自由な者もことごとく断ち、またあなたの家をネバテの子ヤラベアムの家のようにし、アヒヤの子バアシャの家のようにするでしょう。これはあなたがわたしを怒らせた怒りのゆえ、またイスラエルに罪を犯させたゆえです。』(21:20-22)
そして最後に、戦いに出る直前、ミカヤからの預言の警告も無視し、むしろ、ミカヤを獄屋に閉じ込め、そして戦いに出てしまった。

このように、3度も災いの預言が下されておきながらも、なお自分の好む道に突き進んで行ったが故に、彼は滅びるしかなかったのだ。
もし誰かが、「この先は崖だから進んで行くな」と言われても、その助言を無視し飛び出して行くなら、身分の大小・老若男女も関係なく、必ず崖から落ちてしまうように、誰であっても、主が「してはならない」と言われた事を無視し続けて突き進むなら、必ず災いと滅びへ至ってしまうのだ。

『アハブのそのほかの事績と、彼がしたすべての事と、その建てた象牙の家と、その建てたすべての町は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。こうしてアハブはその先祖と共に眠って、その子アハジヤが代って王となった。』(1列王記22:39-40)
彼は、象牙という高価な材料を使って、家を建てていたが、イスラエルは、そんなにリッチだっただろうか?
否、アハブの主を怒らせる数々の行い故に、三年半もの間、天が閉ざされ、人々は飢えていた。
そのような状況でも、アハブの妻イゼベルは合計850人もの異教の預言者達を飼っていたのだ。
民はどれ程、苦しんでいただろう。
また、イスラエルの軍隊がシリヤとの戦争に召集された時、イスラエルの人々は「やぎの二つの小さい群れのよう」であったのに対し、シリヤ人はその地に満ちていた、と言われている程、イスラエルの軍隊は、貧弱であった。

それでも主は、いつでも、アハブに良い事をして下さった。しかしアハブは、主に対していつでも仇でしか返さなかった。
そこで主は、アハブの悪政の元で苦しむイスラエルを救うために、アハブを滅びへと引き渡されたのだ。
それ故、アハブはイスラエル最悪の王と呼ばれ、永遠にその名を晒してしまったのである。

コロサイ人への手紙 講解説教メッセージ
キリストの本質と万物の存在目的(コロサイ1:13-20)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
私達の事を何千年も前から見透かしておられた主(イザヤ44:21-28)
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裏切った花嫁と、最初の契りをずっと誠実に守り続けておられた主(エゼキエル16:1-43)
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天の議会に連ならなかった偽預言者たち(1列王記22:15-28)
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ミカヤを呼びに行った使者は、彼に「預言者たちは一致して王に良い事を言いました。どうぞ、あなたも、彼らのひとりの言葉のようにして、良い事を言ってください。」と言ったが、ミカヤは「主は生きておられます。主がわたしに言われる事を申しましょう。」と言った。
『彼が王の所へ行くと、王は彼に言った、「ミカヤよ、われわれはラモテ・ギレアデに戦いに行くべきでしょうか、あるいは控えるべきでしょうか」。彼は王に言った、「上っていって勝利を得なさい。主はそれを王の手にわたされるでしょう」。』(1列王記22:15)

アハブは、戦いに行くべきか、控えるべきかを聞いてきたのに対し、ミカヤは、他の預言者達と同様、「行きなさい」言った。
しかし、どうもそれは真剣味に欠けたような、むしろ蔑みを含んだ口調や表情で言ったものと思われる。
なぜならアハブは、ミカヤに次のように答えるからだ。
『幾たびあなたを誓わせたら、あなたは主の名をもって、ただ真実のみをわたしに告げるでしょうか。』(1列王記22:16)

アハブは、ミカヤに言った。あなたは主の名をもって、ただ真実のみを告げよ、と。
それでミカヤは、彼の望む通り、主の御名をもって真実を告げた。
『彼は言った、「わたしはイスラエルが皆、牧者のない羊のように、山に散っているのを見ました。すると主は『これらの者は飼主がいない。彼らをそれぞれ安らかに、その家に帰らせよ』と言われました」。』(1列王記22:17)

ミカヤは、主から見せられた。
イスラエルは、牧者がいない羊のように迷わされ、散らされている有様を。
主は、神の民が散らされている様を見て、深くうめき、憐れまれる主である。

『イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。』(マタイ9:35-36)
ここの「深くあわれまれた」のギリシア語は「スプランキニゾマイ」、原意は「はらわたがちぎれる思い」で、心の痛みを伴って「ああ、かわいそうに!」と叫ぶ時の思いである。
主は、人々が羊飼いがいないような有様で弱り果てて倒れている様を、そのような思いでご覧になられる。

しかしアハブには、そんな主のうめきは届かなかったようだ。
『イスラエルの王はヨシャパテに言った、「彼がわたしについて良い事を預言せず、ただ悪い事だけを預言すると、あなたに告げたではありませんか」。』(1列王記22:18)
彼は、自分がイスラエルの良き羊飼いである、とでも思い込んでいたのかもしれない。
しかし、主のイスラエルに対する評価は「羊飼いがいない」であり、アハブは、自分を差し置いて羊飼いがいないなどと言うのは、心外だ、と思ったかもしれない。

さらにミカヤは、主から示された事を詳しく告げる。
『ミカヤは言った、「それゆえ主の言葉を聞きなさい。わたしは主がその玉座にすわり、天の万軍がそのかたわらに、右左に立っているのを見たが、主は『だれがアハブをいざなってラモテ・ギレアデに上らせ、彼を倒れさせるであろうか』と言われました。するとひとりはこの事を言い、ひとりはほかの事を言いました。その時一つの霊が進み出て、主の前に立ち、『わたしが彼をいざないましょう』と言いました。
主は『どのような方法でするのか』と言われたので、彼は『わたしが出て行って、偽りを言う霊となって、すべての預言者の口に宿りましょう』と言いました。そこで主は『おまえは彼をいざなって、それを成し遂げるであろう。出て行って、そうしなさい』と言われました。それで主は偽りを言う霊をあなたのすべての預言者の口に入れ、また主はあなたの身に起る災を告げられたのです」。』(1列王記22:19-23)

ミカヤは、天における会議の情景を見せられた。
そう、天では会議が開かれ、そこには御使達いが参加し、時にはサタンさえも参加して、彼ら全員は主が御心を実行するために用いられるのだ。(ヨブ記1-2章)

エレミヤ書にも、偽預言者に対する警告の中に、天の議会についての言及がある。
『万軍の主はこう言われる、「あなたがたに預言する預言者の言葉を聞いてはならない。彼らはあなたがたに、むなしい望みをいだかせ、主の口から出たのでない、自分の心の黙示を語るのである。彼らは主の言葉を軽んじる者に向かって絶えず、『あなたがたは平安を得る』と言い、また自分の強情な心にしたがって歩むすべての人に向かって、『あなたがたに災はこない』と言う」。』(エレミヤ23:16-17)
ここはまさに、アハブと、アハブを取り巻く預言者達にそのまま当てはまる事である。

『彼らのうちだれか主の議会に立って、その言葉を見聞きした者があろうか。だれか耳を傾けてその言葉を聞いた者があろうか。見よ、主の暴風がくる。憤りと、つむじ風が出て、悪人のこうべをうつ。主の怒りは、み心に思い定められたことを/なし遂げられるまで退くことはない。末の日にあなたがたはそれを明らかに悟る。
預言者たちはわたしがつかわさなかったのに、彼らは走った。わたしが、彼らに告げなかったのに、彼らは預言した。もし彼らがわたしの議会に立ったのであれば、わたしの民にわが言葉を告げ示して、その悪い道と悪い行いから、離れさせたであろうに。』(エレミヤ23:18-22)
ここも、今回のアハブと偽預言者の事が、そして、天の議会についての言及が記されている。
ミカヤは、主の議会でやり取り為された内容を主に示され、災いが来る事を預言した。しかし、主の議会に連なりもしなかった他の預言者達は、ただ、アハブ王の耳に心地良い事ばかりを告げた。

驚く事に、ミカヤが見た天の議会の議題は、アハブを倒れさせるために如何にすれば良いか、という事であり、主はその内容を、全部アハブに公開している。
一体、作戦会議で、会議の内容を敵に明かす者はいるだろうか。
しかし主は、その内容を堂々とミカヤを通して公開したのだ。
しかしアハブも、その取り巻きの預言者達も、このミカヤに与えられた内容を、「失礼な戯言」として受け取った。

『するとケナアナの子ゼデキヤは近寄って、ミカヤのほおを打って言った、「どのようにして主の霊がわたしを離れて、あなたに語りましたか」。ミカヤは言った、「あなたが奥の間にはいって身を隠すその日に、わかるでしょう」。』(1列王記22:24-25)
真理を伝える預言者は、迫害を受けるものである。
しかし、偽預言者は、自分が発した言葉に責任を持たず、都合が悪くなるとすぐ逃げるものである。

ゼデキヤは、鉄の角まで作って預言しアピールした事とは全く逆の事をミカヤが言ったので、彼を殴った。
もしゼデキヤが、主の言葉をそのまま伝えるなら、反する事を言われたとしも、ゼデキヤが侮辱されたのではないから、何も殴る必要は無いはずである。実際、ミカヤは憤慨しなかった。
結局、ゼデキヤがミカヤを殴った行為は、彼は、主から受けた事を語ったのではなく、ゼデキヤ自身から出たアイデアをアピールしていたのだという事を表している。

『イスラエルの王は言った、「ミカヤを捕え、町のつかさアモンと、王の子ヨアシの所へ引いて帰って、言いなさい、『王がこう言います、この者を獄屋に入れ、わずかのパンと水をもって彼を養い、わたしが勝利を得て帰ってくるのを待て』」。ミカヤは言った、「もしあなたが勝利を得て帰ってこられるならば、主がわたしによって語られなかったのです」。また彼は言った、「あなたがた、すべての民よ、聞きなさい」。』(1列王記22:26-28)
こうしてミカヤは、わずかな食料でかろうじて生かされる形で、幽閉されることとなってしまう。
しかし、ミカヤが正しかったと証明される日は、それ程遠くない。

今、この時代、偽預言者や反キリストが世に出てきており、できれば、聖徒をも惑わそうと狙っている事を、私達は知るべきである。(1ヨハネ2:18)
反キリストの霊の見分け方は、父と御子を否定する者(1ヨハネ2:22)、人となって来られたキリストを告白しない霊だ。(1ヨハネ4:1-4、2ヨハネ2:7)
私達はこの終わりの時代、忍耐と、あかしのことばによって、それらに勝利するのだ。
忍耐し、主のあかしを保つなら、この世にどのような試練の時代が来ようとも、その人は主に守られ、偽預言者達は、思い知らされるのだ。
『見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。』(黙示録3:8-10)

愛の故に肉を裂き血潮を流して下さったイエス様(黙示録21:1-4)
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週報/メッセージ(説教)概要

 普段の主日は聖書人物から、最近はダビデからメッセージを頂いているが、本日聖餐礼拝は、特に、主イエス様がなぜ天から降りて来られ、十字架で死に、復活して下さったのか、その基本を今一度学びたい。
イエス様は何故、十字架でいのちを投げ出されたか。それは私達が犯してしまった罪の結実である「死」の負債を、私達に代わって支払うため、そして私達人間が、キリストに代わって永遠のいのちを得るためだ。
それは一方的な恵みであり、ただ私達を愛する愛の故である。主はなぜこれ程、私達を愛されるのか。
それは、神が男と女とを創造され、結婚を制定された所の聖書の箇所から、垣間見る事が出来る。

神は人を、ご自身のかたちに創造され、男と女とに創造された。この世界の全ての物事は、天にある実体の写しであるが(ヘブル8:5)、男と女、夫と妻の有様も、「キリストと教会」という実体の写しである。
男はなぜ、女を愛するものなのか。それは、男と女とは元々、「一つ肉」だったからである。
『「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体(一つ肉)となるのである。』(創世記2:23-24)
この奥義は偉大である。主はご自分を愛し従う人達、すなわち教会を、キリストの花嫁として定められた。
教会はキリストの花嫁である。神が定められた結婚は、一夫多妻制ではなく「ふたりは一体となる」(エペソ5:31)であるが、では、多数いる私達と、キリストとの関係は、どういう関係なのか。
キリストの元の「一つ体」は、十字架上で裂かれた。その裂かれたキリストのからだに与るように、聖餐が制定された。『わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだに与ることではないか。パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。』(1コリント10:16-17)
私達一人一人はおのおの、キリストのからだの各器官である、と書いてある。(1コリント12:27)
つまり、キリストを受け入れた人々が、キリストの裂かれた肉である聖餐のパンに共にあずかる事によって、各々がキリストの一つからだである教会に組み入れられ、キリストと一つとなるのだ。

私達がキリストと「一つからだ」になるからには、キリストは、自分のからだを愛するように私達を愛して下さる。
誰も自分のからだを憎んだ者はいない。かえって、これを養い育てる。キリストは教会をそうされたのだ。
この事が記されているエペソ5章には、妻と夫に対する命令が書いてあるが、その実体は「キリストと教会」である。 『キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられた・・・キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。』(エペソ5:25-27)
花婿は花嫁を愛し、きれいにし、飾るように、キリストもまた、罪で汚れた私達を洗い清めるために、ご自身のいのちを投げ出され、ご自身の血をもって私達を洗い清め、あらゆる良きもので飾って下さる。

結婚の本質は、「花婿なるキリスト」と、「花嫁である教会」の結婚である。それ故、聖書の最初に結婚が定められ(創世記)、そして聖書は、キリストと教会(新エルサレム)の結婚で終わる。(黙示録)
人は元々、万物の源なる御子キリストの結婚する相手として創られていたにもかかわらず、人は御言葉に逆らい、神に反逆し、罪と死が導入されてしまった。本当なら、花嫁から除外され、捨てられても仕方ない存在となってしまったにもかかわらず、神は人を捨てる事なく、いのちを投げ出してでも救おうとされた。
主は、罪に陥って死ぬ以外に無いような私達を血潮で洗い、贖いの衣で包み、「生きよ」と言って下さった。
『わたしは着物のすそであなたをおおい、あなたの裸をかくし、そしてあなたに誓い、あなたと契約を結んだ。そしてあなたはわたしのものとなったと、主なる神は言われる。そこでわたしは水であなたを洗い、あなたの血を洗い落して油を塗り、縫い取りした着物を着せ、皮のくつをはかせ、細布をかぶらせ、絹のきれであなたをおおった。』(エゼキエル16:8-10) 主は私たちを愛する故、生かすために、ご自身の血潮をもって私達の罪を洗い清め、贖いの衣の中に入れられた。私達は御腕の中に包まれ、愛される者となった。
主は、買い戻しの権利者であり、聖なる衣のすそを広げ、この卑しい者を覆って下さった。私達はその主の一方的な愛に、ただただひれ伏して感謝するのみである。

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