メッセージ - 201612のエントリ
幼子イエス様とその母マリヤとを守るよう神に任命された人ヨセフ(マタイ1:18-25)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2016-12-15 23:40
一人一人に適した答え方がわかるようになるために(コロサイ4:1-6)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » コロサイ人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2016-12-14 23:40
鉄の首、青銅の額のような頑なな者を沈黙させる主(イザヤ48:1-11)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » イザヤ書
- 執筆 :
- pastor 2016-12-14 23:30
信仰と恵みが出会うとき体験するキリストの奇跡(ルカ1:26-56)
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週報/メッセージ(説教)概要
『御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」』(28節)
イエス・キリストの母マリヤに対する受胎告知の場面は、有名である。「アヴェ・マリア」はラテン語で「おめでとうマリア」だが、この「おめでとう」はギリシア語では「カイロー」、挨拶言葉であり、元々は「喜ぶ」「嬉しがる」「良くなる」の意味の動詞である。そしてこの動詞の女性名詞が「カリス」、すなわち「恵み」である。
「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵み(カリス)を受けたのです。」(30節)
この「恵み」は、ヘブライ語ハナン、元々の意味は、「曲げる」「かがむ」で、すなわち、上位にある者が下位に降りて来て一方的に示す好意、慈愛、憐れみのわざを言う。恵みは、上から下に降りてくるものである。
マリヤは主からの一方的な好意をいただいて、聖霊によってイエス・キリストを宿して産んだ。彼女のような幸いを頂ける人は、どういう人だろう。このような恵みは、運命的・宿命的に選ばれて受けるものではなく、おのおのの意志と選択、そして行動によって、誰でも、神様から頂くものである。
マリヤは「ほんとうに私は主のはしためです。どうぞあなたのおことばどおりこの身になりますように」(38節)と御使いに答えた。またエリザベツは、マリヤを次のように評価して言った。「主によって語られた事は必ず実現すると信じきった(ピステウオー)人は、何と幸いな事でしょう」(45節)
つまり、マリヤのように、主からの特別なご好意に預かれる人とは、主の御言葉どおりを信じ、この身・この人生に成りますように、と宣言する人、また、主が語られた事は必ず実現すると信じきる人である。
主が語られた事(御言葉)を「信じる」人に、主の恵み(カリス)は降りて来て、そして奇跡が起きるのだ。
「信じる」はギリシア語はピスティス、ヘブライ語はエムナーであり、エムナーは「アーメン」という動詞の女性名詞である。エムナーが聖書で最初に出てくるのは出エジプト記17:12、イスラエルが戦う時にモーセが背後で祈りの手を上げ、アロンとフルがモーセの祈りの手が「上がっているように支えた」場面である。
エムナーには「上昇する」という概念があり、すなわち信仰は、天に向かって、立ち上るものである。
そしてエムナーの動詞「アーメン」には、元々「サポートする、確認する、忠実である」の意味がある。
聖書に一番最初にアーメンが出てくる場面は、創世記15:6であり、『アブラムは主を「信じた(アーメン)」。主はこれを彼の義と認められた。』とある。この主の御言葉にアーメンする事こそ、主に喜ばれ、義と認められる性質だ。 たとえ御言葉の内容が、いかに信じ難い事であったとしても。
「信じる」には「連合する(to unite)」、「結合する(to band)」の意味もあり、主とたばねられ、連合し、一つになる事である。もし祈りや賛美、献金が信仰によって束ねられるなら、それは天に登って行くが、信仰が結び付けられていないなら、いかに多くの祈りや賛美、献金を捧げても、何にもならない。
以上のように、下から登って行く私達の「信仰」と、神から降りてくる「恵み」とが出会う時、「奇跡」が起きる。
「奇跡」のヘブライ語は、オット(אוֹת: 右からアレフ、ヴァヴ、タウ)であるが、先週見たように、アレフには「神」の意味、ヴァヴは「釘」、タウは「十字架」の意味があった。すなわち神が十字架につけらる奇跡である。
十字架、それは自我の死ぬ所、すなわち、自分のしたい事や考えを下ろし、死に明け渡す場所である。
マリヤのように、自分の思いや考えは下ろし、ただ「あなたのおことばどおりこの身になりますように」という信仰を持つ時、イエス・キリストというお方を、聖霊によってみごもる(宿す)奇跡が与えられる。
マリヤは信じる事により、人によらず、聖霊によって、超自然的にイエス・キリストのいのちを宿した。
聖霊によるのでなければ、誰もイエスを主とはできない。しかし聖霊の促しによって御言葉を受け入れ、信じた人々は、キリストを宿し、神の子になれるという、驚くべき、超自然的な「奇跡」が、私達に起こる。
私達もマリヤのように、聖霊によってキリストのいのちを宿す事が出来るのだ。それは、マリヤが「お言葉どおりこの身になりますように」と言って御言葉を受け入れたように、御言葉(ロゴス)を信仰によって受け入れ、私達の心の内に混ぜ込む事によってである。(ヨハネ1:12)
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力ある方が、わたしに大きな事をしてくださったからです。」(ルカ1:46-49) このマリヤと同じ喜びを体験する皆さんでありますように!