メッセージ - 201706のエントリ

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
子供たちよ、小さき者たちよ、若者たちよ、父たちよ(1ヨハネ2:12-14)
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主の言葉に逆らい、イスラエルと自分に災いをもたらしたエホヤキム(2列王記24:1-7)
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エホヤキムの父ヨシヤ王がエジプトのパロ・ネコと戦ったために、ヨシヤ王は死に、エジプトの戦力も削ぎ落とされ、エジプトのバビロン討伐は失敗に終わり、バビロンが栄えるきっかけとなった。

24:1 エホヤキムの世にバビロンの王ネブカデネザルが上ってきたので、エホヤキムは彼に隷属して三年を経たが、ついに翻って彼にそむいた。
24:2 主はカルデヤびとの略奪隊、スリヤびとの略奪隊、モアブびとの略奪隊、アンモンびとの略奪隊をつかわしてエホヤキムを攻められた。すなわちユダを攻め、これを滅ぼすために彼らをつかわされた。主がそのしもべである預言者たちによって語られた言葉のとおりである。

いよいよ、イスラエルをバビロンへ捕囚したネブカデネザル王が登場する。
エホヤキムは最初、バビロンにつかえていたが、3年後に逆らった結果、バビロンからのみならず、シリヤ、モアブ、アンモンから、寄ってたかって略奪されてしまう。
なぜこのような災いに遭ったか。それは、主の預言者に聞き従わず、バビロンに背いたからである。
主は、預言者エレミヤを通して語っておられた。

エレミヤ27:1 ユダの王ヨシヤの子ゼデキヤ(KJV:エホヤキム)が世を治め始めたころ、この言葉が主からエレミヤに臨んだ。
・・・
27:4 『万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、あなたがたは主君にこのように告げなければならない。
27:5 わたしは大いなる力と伸べた腕とをもって、地と地の上にいる人と獣とをつくった者である。そして心のままに地を人に与える。
27:6 いまわたしはこのすべての国を、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデネザルの手に与え、また野の獣をも彼に与えて彼に仕えさせた。
27:7 彼の地に時がくるまで、万国民は彼とその子とその孫に仕える。その時がくるならば、多くの国と大いなる王たちとが彼を自分の奴隷にする。

主はこの時代を、全て、バビロンのネブカデネザルに渡している。しかも6節では「わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデネザル」とさえ言っている。

27:8 バビロンの王ネブカデネザルに仕えず、バビロンの王のくびきを自分の首に負わない民と国とは、わたしがつるぎと、ききんと、疫病をもって罰し、ついには彼の手によってことごとく滅ぼすと主は言われる。
27:9 それで、あなたがたの預言者、占い師、夢みる者、法術師、魔法使が、「あなたがたはバビロンの王に仕えることはない」と言っても、聞いてはならない。
27:10 彼らはあなたがたに偽りを預言して、あなたがたを自分の国から遠く離れさせ、わたしに、あなたがたを追い出してあなたがたを滅ぼさせるのである。
27:11 しかしバビロンの王のくびきを首に負って、彼に仕える国民を、わたしはその故国に残らせ、それを耕して、そこに住まわせると主は言われる』」。

主がここではっきり言っておられる事は、バビロンに降伏するなら、祖国は滅ぼされる事なく安全に住む事が出来るが、それをしないなら、つるぎと、ききんと、疫病をもって罰し、滅ぼす、という事だ。
しかし、エホヤキムの元には、主の預言者に逆らう預言をする偽預言者や占い師、夢みる者、法術師、魔法使がいたようである。
自分にとって都合の良い事を言ってくれる嘘つきを抱え込んでしまい、真理の御言葉を語る主の預言者を退けてしまう者には、災いが降されてしまう。

また、預言者エレミヤは、エホヤキム王のみならず、時のエルサレムの全ての人々に対しても警告の預言をしていた。

26:1 ユダの王ヨシヤの子エホヤキムが世を治めた初めのころ、主からこの言葉があった、
26:2 「主はこう仰せられる、主の宮の庭に立ち、わたしがあなたに命じて言わせるすべての言葉を、主の宮で礼拝するために来ているユダの町々の人々に告げなさい。ひと言をも言い残しておいてはならない。
26:3 彼らが聞いて、おのおのその悪い道を離れることがあるかも知れない。そのとき、わたしは彼らの行いの悪いために、災を彼らに下そうとしたのを思いなおす。

主がエレミヤに預言の言葉を与えられた理由は、彼らに悪い道から離れさせるため、悔い改めて、その身に災いを負う事をまぬがれるためであった。

26:4 あなたは彼らに言いなさい、『主はこう仰せられる、もしあなたがたがわたしに聞き従わず、わたしがあなたがたの前に定めおいた律法を行わず、
26:5 わたしがあなたがたに、しきりにつかわすわたしのしもべである預言者の言葉に聞き従わないならば、(あなたがたは聞き従わなかったが、)
26:6 わたしはこの宮をシロのようにし、またこの町を地の万国にのろわれるものとする』」。
26:7 祭司と預言者およびすべての民は、エレミヤが主の宮でこれらの言葉を語るのを聞いた。
26:8 エレミヤが主に命じられたすべての言葉を民に告げ終った時、祭司と預言者および民はみな彼を捕えて言った、「あなたは死ななければならない。
26:9 なぜあなたは主の名によって預言し、この宮はシロのようになり、この町は荒されて住む人もなくなるであろうと言ったのか」と。民はみな主の宮に集まってエレミヤを取り囲んだ。

このように、当時のイスラエルの多くの人達には聞いた御言葉も無益であった。
かえって彼らは、自分にとって不愉快な言葉はたとえ真実であろうともそれを語った者には死刑判決を降し、自分にとって都合よく聞こえる言葉はたとえ嘘であろうとも快く受け入れてしまう。
そのような偽りを愛する者に用意されているのは、裁きである。

神がこのイスラエルを裁きに定められた決定的理由は、以下であった。

24:3 これは全く主の命によってユダに臨んだもので、ユダを主の目の前から払い除くためであった。すなわちマナセがすべておこなったその罪のため、
24:4 また彼が罪なき人の血を流し、罪なき人の血をエルサレムに満たしたためであって、主はその罪をゆるそうとはされなかった。
24:5 エホヤキムのその他の事績と、彼がおこなったすべての事は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。

前回も見たように、人の血を流す事は、後々まで、人の心に傷を残し、その人達が主に訴え続けるなら、主は彼らの叫びを聞かれる。
マナセの次にヨシヤ王という良い王が統治したにもかかわらず、マナセの時代に残された神と人との悲しみと怒りは払拭される事はなかった。

24:6 エホヤキムは先祖たちとともに眠り、その子エホヤキンが代って王となった。
24:7 エジプトの王は再びその国から出てこなかった。バビロンの王がエジプトの川からユフラテ川まで、すべてエジプトの王に属するものを取ったからである。

エジプトはエホヤキムの統治の11年ですっかり衰えてしまい、バビロンはすっかり強くなった。
全て歴史を支配しておられるのは主であり、その主の御心にそぐわないなら、たちまち枯れ果ててしまうのだ。

御言葉を声に出し、論じ合いなさい(申命記6:4-9)
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申命記6:4  イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。
ユダヤ人達はこの言葉を何よりも大切にする。
正統派ユダヤ人達は、子供が母の胎にいる時から、母は胎の子にトーラーを語りかけ、生まれた時、彼らに真っ先にこのシェマーの一文を教えこむ。
彼らは一日のはじめにこの言葉を宣言してから一日を始める。それ程、大切な言葉である。
この一文のヘブライ語は、次のものである。

 שׁמע ישׂראל יהוה אלהינו יהוה אחד׃
(シェマー イスラエル アドナイ エロヒーヌ アドナイ エハド)

トラー(モーセ五書の巻物)の中で、この一文のはじめと最後の文字(シェマーのアインと、エハドのダレッド)が、大きな文字で記される。
それはすなわち、この一文は大声を出して宣言しなさい、という事である。

声に出す、という事が大事である。
声に出すとは、自分の心に閉じ込められていて外には現れていない「言葉」を、声帯を振わせ、周囲の空気を振動させる事のよって、具現化し、それによって、自分自身が神の御言葉を信じている事と、神が確かに生きておられるという事を、内外に示し、それによって霊的世界をも震わせる、という事である。

すなわち、御言葉を声に出す事によって、御言葉の内容を自分に言い聞かせ、自分の脳に刻みつけ、心に刻みつけ、そして霊的世界を造り変え、それによって現実世界を動かして行くのである。
霊の世界は、私達の信仰を混ぜた真理の言葉によって動かされ、現実世界は、霊的世界によって動かされるからである。
2コリント4:18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

申命記6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

言葉を心に留める、とは、刻みつける事である。
ノミで彫刻を型取り出すように。
そして、口論しなさい、論じなさい、と言われている。
論理的に動かないように、論理的に武装しなさいという事である。

時代は闇の言葉があちこちに存在し、それに浸しこまれた人達は、御言葉が理解できない、あるいは闇を好き好む人は、光に属するいのちの言葉を忌み嫌う。
だから、御言葉によって武装されていなかったら、暗闇に敵対する術なく、倒れてしまう。
そのために、御言葉を口ずさみ、互いに御言葉を論じ合い、決して動かされないようにしなくてはならない。
それで、言われている。
6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、
6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。

ルカによる福音書 講解説教メッセージ
安息日の主が安息日に為される事(ルカ6:1-11)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
主の喜ばれる断食、その恩恵(イザヤ58:6-14)
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関わってはならない争いに関わってしまった故に死んでしまったヨシヤ王(2列王記23:29-37)
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23:29 ヨシヤの世にエジプトの王パロ・ネコが、アッスリヤの王のところへ行こうと、ユフラテ川をさして上ってきたので、ヨシヤ王は彼を迎え撃とうと出て行ったが、パロ・ネコは彼を見るや、メギドにおいて彼を殺した。
23:30 その家来たちは彼の死体を車に載せ、メギドからエルサレムに運んで彼の墓に葬った。国の民はヨシヤの子エホアハズを立て、彼に油を注ぎ、王として父に代らせた。

あの、主の目に叶う事を熱心にして、最大の賛辞を受けたヨシヤ王であるが、彼の最後は実にあっけなく、突然訪れた。
第二歴代誌のほうに、その次第がより詳しく記されている。

35:20 このようにヨシヤが宮を整えた後、エジプトの王ネコはユフラテ川のほとりにあるカルケミシで戦うために上ってきたので、ヨシヤはこれを防ごうと出て行った。
35:21 しかしネコは彼に使者をつかわして言った、「ユダの王よ、われわれはお互に何のあずかるところがありますか。わたしはきょう、あなたを攻めようとして来たのではありません。わたしの敵の家を攻めようとして来たのです。神がわたしに命じて急がせています。わたしと共におられる神に逆らうことをやめなさい。そうしないと、神はあなたを滅ぼされるでしょう」。
35:22 しかしヨシヤは引き返すことを好まず、かえって彼と戦うために、姿を変え、神の口から出たネコの言葉を聞きいれず、行ってメギドの谷で戦ったが、
35:23 射手の者どもがヨシヤを射あてたので、王はその家来たちに、「わたしを助け出せ。わたしはひどく傷ついた」と言った。
35:24 そこで家来たちは彼を車から助け出し、王のもっていた第二の車に乗せてエルサレムにつれて行ったが、ついに死んだので、その先祖の墓にこれを葬った。そしてユダとエルサレムは皆ヨシヤのために悲しんだ。

つまりヨシヤ王の死んでしまった原因は、関わってはならない戦いに関わった事である。
当時アッシリヤは力衰え,新興のバビロニヤがこれを西北方へ押しやっていた.アッシリヤ王とその軍隊はバビロニヤ軍に追われ,ユーフラテス川上流のカルケミシュまで追い詰められた.このアッシリヤへの援軍を率い〈エジプトの王ネコ〉(20)が北上するという情勢の中で,それを阻止するためにヨシヤは軍を率いて〈メギドの平地〉(22)でエジプト軍に戦いを挑んだ.ネコは「ユダを攻めるのではないから,軍を引け」と忠告したが,ヨシヤは聞き入れず,この戦いで彼は戦死する(20‐24)(聖書注解)

ヨシヤ王が自分が関与すべきでない大国間の戦争に関与し、しかも神からの警告に聞かず変装までして戦いに出て、しかも結果的にはバビロンを助ける形で関わってしまったゆえ、アッシリヤとエジプトの連合軍は破れ、バビロンが盛んとなり、さらにはそれが、後のイスラエルの首を締める形になってしまった。

箴言に記されている。
箴言26:17 自分に関係のない争いにたずさわる者は、通りすぎる犬の耳をとらえる者のようだ。

また、主は言われた。
マタイ5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
 5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

あの善王ヨシヤが死んでしまった原因、それは、首を突っ込んではならない戦いに首を突っ込んでしまった事だった。
私達の戦いの武器は、肉によるものではなく、御言葉の剣、平和の福音、信仰の大盾であり、平和をもたらすべきものである。

23:31 エホアハズは王となった時二十三歳で、エルサレムで三か月の間、世を治めた。母はリブナのエレミヤの娘で、名をハムタルといった。
23:32 エホアハズは先祖たちがすべて行ったように主の目の前に悪を行ったが、
23:33 パロ・ネコは彼をハマテの地のリブラにつないで置いて、エルサレムで世を治めることができないようにした。また銀百タラントと金一タラントのみつぎを国に課した。
23:34 そしてパロ・ネコはヨシヤの子エリアキムを父ヨシヤに代って王とならせ、名をエホヤキムと改め、エホアハズをエジプトへ引いて行った。エホアハズはエジプトへ行ってそこで死んだ。
23:35 エホヤキムは金銀をパロに送った。しかし彼はパロの命に従って金を送るために国に税を課し、国の民おのおのからその課税にしたがって金銀をきびしく取り立てて、それをパロ・ネコに送った。
23:36 エホヤキムは二十五歳で王となり、エルサレムで十一年の間、世を治めた。母はルマのペダヤの娘で、名をゼビダといった。
23:37 エホヤキムは先祖たちがすべて行ったように主の目の前に悪を行った。

こうしてイスラエルは衰退の奈落へと転げ落ちていく。ヨシヤ王以降、主に聞き従う善い王は、出なかった。
ヨシヤ王は、確かに主に喜ばれる政策を行った。
23:26 けれども主はなおユダにむかって発せられた激しい大いなる怒りをやめられなかった。これはマナセがもろもろの腹だたしい行いをもって主を怒らせたためである。
マナセの犯した罪の中で、何が、主を特に怒らせたか。
それは、罪のない者の血を流す罪である。(2列王記24:3-4)
人の血を流す事は、後々まで、人の心に傷を残し、その人達が主に訴え続けるなら、主は彼らの叫びを聞かれる。

私達は血を流す者ではなく、平和の子として地を相続するものでありたい。

歴代の王達の中で最高の賞賛が与えられたヨシヤ(2列王記23:15-28)
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23:15 また、ベテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムが造った高き所、すなわちその祭壇と高き所とを彼はこわし、その石を打ち砕いて粉とし、かつアシラ像を焼いた。

ヨシヤ王は先祖たちが造った主に忌み嫌われるものを、惜しむ事なく破壊した。たとえそれが何百年も前のものであろうとも、また、彼の父祖たちがいかに大切にしてきたものであろうとも。
それは、主の目に適った事である。なぜなら主は、彼がこの事をするのを既にヤロブアムの時代から宣言しておられたからである。

23:16 そしてヨシヤは身をめぐらして山に墓のあるのを見、人をつかわしてその墓から骨を取らせ、それをその祭壇の上で焼いて、それを汚した。昔、神の人が主の言葉としてこの事を呼ばわり告げたが、そのとおりになった。

この事を、神の人がこの事が成る事を呼ばわり告げたのは、どのくら「昔」であったか。
それは実に300年以上も昔である。

23:17 その時ヨシヤは「あそこに見える石碑は何か」と尋ねた。町の人々が彼に「あれはあなたがベテルの祭壇に対して行われたこれらの事を、ユダからきて預言した神の人の墓です」と言ったので、
23:18 彼は言った、「そのままにして置きなさい。だれもその骨を移してはならない」。それでその骨と、サマリヤからきた預言者の骨には手をつけなかった。

ヨシヤは、300年ほど前に建てられたこの石碑に目を留め、現地の人々に聞いたところ、これは「あなたが」この事を行う事を預言した人の墓です、と答えた。
300年前に何が起きたか。
それが記されているのは第一列王記13章、歴代の王達と何百何千万の人々に罪を侵させる大元となったヤロブアム王の時代に遡る。

1列王記13:1 見よ、神の人が主の命によってユダからベテルにきた。その時ヤラベアムは祭壇の上に立って香をたいていた。
 13:2 神の人は祭壇にむかい主の命によって呼ばわって言った、「祭壇よ、祭壇よ、主はこう仰せられる、『見よ、ダビデの家にひとりの子が生れる。その名をヨシヤという。彼はおまえの上で香をたく高き所の祭司らを、おまえの上にささげる。また人の骨がおまえの上で焼かれる』」。

ヨシヤが宗教改革を行ったのは紀元前622年頃と言われている。また、ヤロブアムの即位は、紀元前931年と言われている。
実に、300年前から既に主はヨシヤを名指しして、この事が行われる事を予告しておられたのだ。
その時預言者は、遠い将来に起きる事を予告しただけではない。その場でしるしを主は与えられた。

1列王記13:3 その日、彼はまた一つのしるしを示して言った、「主の言われたしるしはこれである、『見よ、祭壇は裂け、その上にある灰はこぼれ出るであろう』」。
 13:4 ヤラベアム王は、神の人がベテルにある祭壇にむかって呼ばわる言葉を聞いた時、祭壇から手を伸ばして、「彼を捕えよ」と言ったが、彼にむかって伸ばした手が枯れて、ひっ込めることができなかった。
 13:5 そして神の人が主の言葉をもって示したしるしのように祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た。
 13:6 王は神の人に言った、「あなたの神、主に願い、わたしのために祈って、わたしの手をもとに返らせてください」。神の人が主に願ったので、王の手はもとに返って、前のようになった。

ヤロブアムは、この自分の祭壇に悪い事を予告した預言者を捕らえよと言って伸ばした手がしなびてしまい、ゆるしを乞い願った結果、その手を元通りにしていただいた事も、その身をもって経験した。
しかし彼は、悔い改める事をせず、自分で造ったこの祭壇を自分の手で破壊する事をしないまま、その祭壇で300年もの間、多くの人々に罪を犯させ続ける結果となってしまった。

破壊し尽くすべき罪、そのように罪をそそのかさせてしまう物は、すみやかに私達の中から除き去るべきである。
そうでないと、自分自身に災いを招くのみならず、自分の家族や多くの子々孫々さえも、災いへと導いてしまうからだ。
彼は、このように、自国内を隅々まで行き巡り、主の目に汚らわしいものを取り除ききよめた。
私達が、皿がいかに純金で出来ていようとも、汚物のついているなら用いないのと同じように、神は、きよくない者は用いず、きよい者をこそ用いてくださる。
だから私達も、自らをきよくする努力を務めるべきである。

23:21 そして王はすべての民に命じて、「あなたがたはこの契約の書にしるされているように、あなたがたの神、主に過越の祭を執り行いなさい」と言った。
23:22 さばきづかさがイスラエルをさばいた日からこのかた、またイスラエルの王たちとユダの王たちの世にも、このような過越の祭を執り行ったことはなかったが、
23:23 ヨシヤ王の第十八年に、エルサレムでこの過越の祭を主に執り行ったのである。

彼の治世の18年に、どんなに素晴らしい過越の捧げものをささげたかは、2歴代誌35章に詳しく記されている。
2歴代誌35:18 預言者サムエルの日からこのかた、イスラエルでこのような過越の祭を行ったことはなかった。またイスラエルの諸王のうちには、ヨシヤが、祭司、レビびと、ならびにそこに来たユダとイスラエルのすべての人々、およびエルサレムの住民と共に行ったような過越の祭を行った者はひとりもなかった。

預言者サムエルの時代からこのかた、である。
サムエルはサウルに油を注いでイスラエル最初の王とし、またダビデにも油を注いだキングメーカーである。
つまり、歴代の王の中で、ヨシヤは、最も優れた過越祭を捧げたのだ。

23:25 ヨシヤのように心をつくし、精神をつくし、力をつくしてモーセのすべての律法にしたがい、主に寄り頼んだ王はヨシヤの先にはなく、またその後にも彼のような者は起らなかった。

23:26 けれども主はなおユダにむかって発せられた激しい大いなる怒りをやめられなかった。これはマナセがもろもろの腹だたしい行いをもって主を怒らせたためである
23:27 それゆえ主は言われた、「わたしはイスラエルを移したように、ユダをもわたしの目の前から移し、わたしが選んだこのエルサレムの町と、わたしの名をそこに置こうと言ったこの宮とを捨てるであろう」。

結局、救いは本人自身のものである事を示している。
彼の前の王達がいかに許されない事を、主の前に行ってきたか。それは、もはや許されない所までに、審判の目盛りを満たしてしまったのだ。
しかしその直前に、ヨシヤ王は主の前に忠実に仕え、そして先祖たちの犯してきた諸々の罪の生成物を破壊し、主の預言をことごとく成就させた。

彼は、歴代の王達の中で、最もすぐれた賞賛を与えられた。
それは、彼は、御言葉が与えられた時に悔い改め、御言葉に忠実に従い、その通りに実行したからだ。
私達も、救いを実現するために、自らの中の主に忌み嫌われるものは取り除き、主に喜ばれる礼拝を捧げ、そして主から最高の賞賛が与えられる者を目指して、信仰の競争を走りぬきたい。

制御しがたい衝動を鎮めるには(2サムエル記13章)
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人の思いを超えた神の最善なる介入(ローマ1:11-15)
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週報/メッセージ(説教)概要

 ローマ人への手紙には、全ての人が罪に勝利できる方法と、聖化される方法が記されており、さらにその先の「栄化」に至る真理が詰まっている。今回、パウロがローマ書を記すきっかけとなった出来事と、背後で働く神のわざ、そして、私達は神が示される道にいかにに応じて行くべきかを見ていきたい。

『わたしはほかの異邦人の間で得たように、あなたがたの間でも幾分かの実を得るために、あなたがたの所に行こうとしばしば企てたが、「今まで妨げられてきた(εκωλυθενエコルセン)」。』(ローマ1:13)
パウロはずっとローマに行きたかったのに、妨げられていた。彼はなぜローマに行きたかったのか?
それは彼の宣教戦略が「都市宣教」だったからである。彼が宣教した都市(アテネ、コリント、エペソ、ピリピ等)は、その時代その地域の中心都市だった。そこが福音化されるなら、周辺に多大な影響を及ぼす。
ローマは当時の世界の中心であり、彼はそこを福音化し、彼自身の手で宣教センターを立てたかったのだが、どういうわけかパウロは、何度チャレンジしても、どうしても行く事が出来なかった。
「今なお妨げられている」のギリシア語「εκωλυθην(エコルセン)は、直接法アオリスト受動態が用いられており、幾度もチャレンジしたのに、鉄板のように妨げられ続け、今に至っている、という事を意味する。このように、自分がどうしてもある方向に行こうとしたのに、鉄板のように妨げられ続ける、という経験を私達もするが、神が敢えてそのようにしているからだ。ここで驚くかもしれない。パウロが世界の中心・ローマに福音を伝えに行くのは、御心でないのか?彼の戦略は理に適っているし、彼ほどの人がローマに行ったなら、どれほど多くの働きが出来るだろう?どう考えても「良い事」づくしなのに、どうして神はそれを阻むのか?
このような場合、今自分は神の意図に反した方向に動こうとしているのだと気づき、軌道修正すべきである。
このように、あからさまに神によって道を閉ざされる「神的受動態」により、神の御手の下で私達の人生は練られ、形造られて来たのであり、歴史が形造られて来たのだ。一つはっきりしている事は、もし神があの時、パウロをローマに簡単に行かせていたなら、ローマ人への手紙は存在せず、私達の聖書からは、ロマ書は抜けていた事だ。
そしてもう一つ、パウロが「行かなかった」事によって成った事がある。ローマ16章には、約50名ほどの人物の名前が記されており、そのメンバー一人一人に対してパウロは「よろしく」と挨拶を送っているが、このような素晴らしい働き人達が次々とローマ入りして教会を開拓し、彼らが教会を開拓する段階において、あるいは、教会を成長させる段階において、大きな労苦と共に犠牲を捧げ、素晴らしい信仰を、神と人との前に示し、そうして50人が、パウロ抜きでそれぞれが成長し、御業を為し、神に栄光を捧げていったのだ。

まずは16章1節、フィベという女性執事はパウロのみならず多くの人を援助し、そして彼女が多くの危険を冒してもパウロが書いたこの手紙をローマに、そして私達にも送り届けてくれた。その次に登場するのは、プリスキラとアクラ夫婦である。「彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである・・・。また、彼らの家の教会にも、よろしく。」(16:4-5) この夫婦の「家」の教会は、彼らの天幕づくりの工場であり、当時ローマ軍団に年間1000の天幕を献上する工場であったため、かなり大きかったという。
その彼らは、神の働きのためにその工場を神の国のために捧げ、さらにはパウロに「自分の首をさえ差し出した」とまで評されている。彼らは教職者ではなく「平信徒」であるが、へたな教職者よりも遥かに大きな働きをしたため、2000年ほどの歴史があるコリントの教会には、今なおパピアス、アクラ、プリスキラ、フィベのイコンがあり、現代も、彼らの働きを覚えて掲げられているという。
この富んだ夫婦が、神によってパウロと「出会わせられた(神的受動態)」事により、彼らが神の働きに参加するようになり、パウロも多くの宣教の助けを得て、そうして世界に福音が広められている。

人の目には、今自分がしている働きも出会いも「たまたまそうなった」と映るかもしれない。ルツとボアズは「たまたま」会ったが、その出会いがダビデを生み、後のイスラエルと世界の歴史を動かした。クレネ人シモンも、たまたまイエス様の十字架の場面に会ったが、その出会いが後にローマ教会牧会者を生み、そしてコンスタンティヌス大帝を生み、ローマ帝国がキリスト教国家に変わる基礎をつくった。人の人生と人の歴史の一つ一つに神は「神的受動態」によって介在し、人はそれで御旨を実行し歴史を紡いで行くのである。

父の日礼拝:逆説から見る父子の健全な関係(2サムエル13-18章)
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週報/メッセージ(説教)概要

 ダビデ王は自分に反逆した彼の子アブシャロムが死んだ時、激しく悲しみ、自分が死ねばよかったのに、とまで言った。父は、不器用ながらも子を愛するものである。本日・父の日は、ダビデ王とアブシャロムの、ちぐはくな父子関係と、その悲しい結果から、親子関係の避けるべき事と健全な道を「逆説的に」学びたい。

発端となった事件は、アブシャロムの妹タマルが長兄アムノンによって暴行された事だった。彼女はその後、兄アブシャロムの家で寂しく住んだが、アムノンは責任を取らされたり懲らされたりされないままだった。
彼は王の長男という事で、何かしてしまっても大目に見られて来たようである。それが積み重なると、何をしても許されると思うようになり、妹に対する汚れた情欲さえ、制する事をしなくなってしまう。
ダビデも過去に「性的な罪」を犯した経験があるため、うまく戒められなかったかもしれないが、それならなおさら、経験者として強く戒めるべきだった。こうして問題が扱われないまま、2年の月日が過ぎていく。
アブシャロムは静かに復讐心を蓄え、ある日、事件を起こす。彼は周到な企てをもってアムノンを殺し、祖父の所へ逃げて行った。ダビデはそんなアブシャロムを、気にかけてはいたものの、放置してしまった。
父は確かに不器用な所もあるものだが、その放置した年月がさらに父の首根っこを掴んで行き、子供に対してさらに何も出来なくなり、そうしてさらに、その子と家庭全体を破滅的な方向へと導いて行く。
「放置」は積み重なると、良からぬものが沸々と育ち、やがて取り返しが付かない事になってしまう。『むちと戒めとは知恵を与える、わがまま(シャラーハ:放任する)にさせた子はその母に恥をもたらす。』(箴29:15)
将軍ヨアブは、この「放置状態」は良くないと感じ、一計を案じてダビデとアブシャロムを引き合わせようとしたが、どういうわけか、ダビデもヨアブもさらにアブシャロムを放置してしまう。親が子に明らかに戒めたり諭すべき時に、放置し続けるなら、子はどう出るか。子は親に、火をつける行為に出るのだ。(2サム14:30)
アブシャロムは言う。「今わたしに王の顔を見させてください。もしわたしに罪があるなら王にわたしを殺させてください。 」(14:32) ここに息子・アブシャロムの本音と叫びがある。「放置」されるよりは罰されるほうがまだ楽なのだ。そうして、ようやく、父子の何年ぶりかの再会が実現するのだが、アブシャロムは父から、親らしい会話を何も引き出せなかった。妹がアムノンに陵辱されて感じて来た悔しさ、自分がしてしまった事の後ろめたさ、放置され続けた事の寂しさ、理解されない事の苦しさ・・・。
それを父に打ち明ける機会が無いまま再会は終わり、再び断絶されてしまった。アブシャロムはこれ以降、父ダビデに会う努力を一切しなくなり、その代わり、父ダビデに反逆しクーデターを起こす計画を入念に立て始める。子は、親への親密な交わりが絶望的だと分かると、ひたすら憎むべき相手として親を見るのだ。

ダビデは息子アブシャロムを愛していなかったのか?子を愛さない父はいない。ただ不器用だった故に息子を放置し、放置してしまった故に罪を犯させ、ついには、裁きが子に追いつき、失ってしまう事となる。
アブシャロムが父に反旗を翻した時、ダビデは何の抵抗もせず、逃げた。ダビデは圧倒的に不利でありながらも、息子アブシャロムには自分に免じて手心を加えてほしい、と、部下に願う。(2サムエル記18:5)
しかし戦いは、アブシャロムの呪われたような死、という形で決着がつく。ダビデは息子アブシャロムが無事かを案じ、無事であるという「吉報」が来るのは今か今か、と切望していた。あたかも放蕩息子の父が、息子が出て行った道を見ながら、いつ帰って来るだろうかと、待ち望んでいるかのように。(ルカ15章)
しかし、ダビデの「放蕩息子」は、二度と帰らなかった。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」(2サム18:33)
この悲痛な叫びは、悔い改めないまま「裁き」に追いつかれ、滅んで行ってしまった人達に対する、父なる神の嘆きでもある。アブシャロムはせっかく「父の平和」という良い名前がつけられたのに、放置され続けた故、名前とは全くそぐわない子となってしまい、ついに、父に反逆する罪への裁きが、追いついてしまった。
親子関係で最もしてはならないのが、「放置」である。親も子も一家総出で次の御言葉を守り行うべきだ。
『妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。』(コロサイ3:18-21)
家族が固い愛の絆で結ばれ、主にある喜びと笑いがいつも絶えない皆さんの家庭でありますように!

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