メッセージ - 201709のエントリ

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
御名を信じる信仰のゆえに強くされた(使徒3:1-16)
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勝利の秘訣 - 祝福の法則に立つ(1歴代誌18:1-17)
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19:1 この後アンモンの人々の王ナハシが死んで、その子がこれに代って王となった。
19:2 そのときダビデは言った、「わたしはナハシの子ハヌンに、彼の父がわたしに恵みを施したように、恵みを施そう」。そしてダビデは彼をその父のゆえに慰めようとして使者をつかわした。ダビデのしもべたちはハヌンを慰めるためアンモンの人々の地に来たが、

アンモン人ナハシは、1サムエル記11章に登場する。
サウルがまだ王になったばかりの時、ナハシはイスラエルを痛めつける者としてヤベシュ・ギルアデに陣を張り、片目を抉りだす事を条件に和睦に応じよう、と、傲慢に振る舞ったが、主によって奮い立たされたサウルに返り討ちにあって退散した。
それをきっかけにサウルは名実ともに王として立ったが、その後、ナハシはダビデに対して真実を尽くすようになった。
ナハシの息子ショビは、後にダビデがアブシャロムにクーデターを起こされた時、ダビデを助けてやった。(2サムエル記17:27)
そのナハシが死んだ、という事で、ダビデは代わって王になった息子・ハヌンにも、恵みを施そうとする。
ところが彼は、ダビデに、恩を仇で返す。

19:3 アンモンの人々のつかさたちはハヌンに言った、「ダビデが慰める者をあなたのもとにつかわしたことによって、あなたは彼があなたの父を尊ぶのだと思われますか。彼のしもべたちが来たのは、この国をうかがい、探って滅ぼすためではありませんか」。

このアンモン人達は、相手の良心に対し、何か裏があるのではないか、と、疑いの目を向けた。
裏のある人間は、いつも裏をかいて生き抜いてきたので、善良な人の善良さが理解できず、こういう時に、実に失礼な対応を取ってしまうものである。

19:4 そこでハヌンはダビデのしもべたちを捕えて、そのひげをそり落し、その着物を中ほどから断ち切って腰の所までにして彼らを帰してやった。
19:5 ある人々が来て、この人たちのされたことをダビデに告げたので、彼は人をつかわして、彼らを迎えさせた。その人々が非常に恥じたからである。そこで王は言った、「ひげがのびるまでエリコにとどまって、その後帰りなさい」。

当時、「ひげ」は男性にとって栄光をあらわす部位であり、ひげを抜かれる事は非常な恥辱であった。
それも、中途半端に半分に切り落とし、また、服も半分に切り取って、尻の部分をあらわにした状態で帰させたのだから、相当の侮蔑である。
ダビデは、このような侮辱を受けた使者を思いやったが、すぐさまアンモンを攻撃しに行くという事はしなかった。
すると、いつも裏をかいて来た人間は、自分のした事でさらに疑心暗鬼に駆られ、自分から敵対的な行動を取るようになる。

19:6 アンモンの人々は自分たちがダビデに憎まれることをしたとわかったので、ハヌンおよびアンモンの人々は銀千タラントを送ってメソポタミヤとアラム・マアカ、およびゾバから戦車と騎兵を雇い入れた。
19:7 すなわち戦車三万二千およびマアカの王とその軍隊を雇い入れたので、彼らは来てメデバの前に陣を張った。そこでアンモンの人々は町々から寄り集まって、戦いに出動した。

戦車が3万以上、ものすごい装備と兵力である。
しかし、こちらが祝福の法則に乗り、怖じけずに主のために兄弟姉妹のために戦うなら、相手の兵力がいかであれ、主はこちらに軍配を挙げて下さる。

19:8 ダビデはこれを聞いてヨアブと勇士の全軍をつかわしたので、
19:9 アンモンの人々は出て来て町の入口に戦いの備えをした。また助けに来た王たちは別に野にいた。
19:10 時にヨアブは戦いが前後から自分に向かっているのを見て、イスラエルのえり抜きの兵士のうちから選んで、これをスリヤびとに対して備え、
19:11 そのほかの民を自分の兄弟アビシャイの手にわたして、アンモンの人々に対して備えさせ、
19:12 そして言った、「もしスリヤびとがわたしに手ごわいときは、わたしを助けてください。もしアンモンの人々があなたに手ごわいときは、あなたを助けましょう。
19:13 勇ましくしてください。われわれの民のためと、われわれの神の町々のために、勇ましくしましょう。どうか、主が良いと思われることをされるように」。

相手が大勢なので、イスラエルの軍が挟み撃ち状態であったが、しかしヨアブは怖じけず、主エホバの御名によって戦士達を奮い立たせた。
結果はどうであったか。

19:14 こうしてヨアブが自分と一緒にいる民と共にスリヤびとに向かって戦おうとして近づいたとき、スリヤびとは彼の前から逃げた。
19:15 アンモンの人々はスリヤびとの逃げるのを見て、彼らもまたヨアブの兄弟アビシャイの前から逃げて町にはいった。そこでヨアブはエルサレムに帰った。

敵は、自分達が有利であるのに、逃げた。
それは、イスラエルの側が祝福の法則に立っていたからに他ならない。
祝福の法則に立つとは、以下の事である。

申命記28:1 もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。
28:2 もし、あなたがあなたの神、主の声に聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。
28:3 あなたは町の内でも祝福され、畑でも祝福されるであろう。
28:4 またあなたの身から生れるもの、地に産する物、家畜の産むもの、すなわち牛の子、羊の子は祝福されるであろう。
28:5 またあなたのかごと、こねばちは祝福されるであろう。
28:6 あなたは、はいるにも祝福され、出るにも祝福されるであろう。
28:7 敵が起ってあなたを攻める時は、主はあなたにそれを撃ち敗らせられるであろう。彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前で七つの道から逃げ去るであろう。

以上のように、「主の御言葉に聞き従い、それを守り行う」という祝福法則に立つなら、主は勝利をもたらして下さる。
敵が大勢であっても、一人が千を、二人が万を打つ。
サウルの子ヨナタンは、主エホバを信じる信仰によって進み出て、たった二人で幾万を怖じけさせ、絶望的な状況のイスラエルに救いをもたらした。
モーセは言っている。
「彼らの岩が彼らを売らず、/主が彼らをわたされなかったならば、/どうして、ひとりで千人を追い、/ふたりで万人を敗ることができたであろう。彼らの岩はわれらの岩に及ばない。われらの敵もこれを認めている。」(申命記32:30-31)
そう、彼らは「岩」であられる主に信頼したから、二人で万人を破る事が出来たのだ。

世においては諸々の戦いがある。
しかし、御言葉に聞き従って、その通り守り行う道を進み行く限りでは、私達はたとえ辱めを受けても後には栄誉が与えられ勝利がもたらされるのだ。

勝利に勝利を重ねるダビデ、とクリスチャン(1歴代誌18:1-17)
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18:1 この後ダビデはペリシテびとを撃ってこれを征服し、ペリシテびとの手からガテとその村々を取った。
18:2 彼はまたモアブを撃った。モアブびとはダビデのしもべとなって、みつぎを納めた。

ダビデは、それまでのイスラエルがかつて制圧する事の出来なかったあらゆる敵に対する勝利を主から与えられた。
その敵とはエドム、モアブ、アンモンの人々、ペリシテびと、アマクレなどの諸国、さらにはユーフラテス川沿いの王、ダマスコのアラムなど、多くの王達を打ち破った。
さらには、ダビデの知らなかった王達がダビデを恐れ、仕えるようになった。
それはダビデに戦闘力があったからではない。6節と13節に記されている通りである。
「主はダビデにすべてその行く所で勝利を与えられた。」

勝利は、主のものである。
箴言21:30 主に向かっては知恵も悟りも、計りごとも、なんの役にも立たない。
 21:31 戦いの日のために馬を備える、しかし勝利は主による。

ダビデは、多くの分捕りをし、また、多くの貢物が納められたが、それらは全て、主に捧げた。(8節、1節)
ソロモンは集めた富を、自分のために豪勢に用いたが、ダビデは富を主に捧げた。
それで主はダビデに大いなる名を与えられたのだ。

ダビデは戦いにおいて勝利したのみならず、正しく統べ治めた事が14節以降に記されている。
彼は後に、正しい王の雛形として語り継がれた。「**は、ダビデの道を歩んだ」など。
そして、そのダビデの子孫から、真の王の中の王、キリストが現れるのである。

エレミヤ23:5 主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。
 23:6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。

何故に神は、ダビデに、こんなにも栄誉を与えられたのか。
それは、ダビデが真心をもって主に使えたからである。
詩篇18篇は、主が彼の全ての敵の手から救い出された日に歌った詩であるが、その書き出しを見ると、いかにダビデが主をどのような心で見ていたかが書かれてある。

聖歌隊の指揮者によってうたわせた主のしもべダビデの歌、すなわち主がもろもろのあだの手とサウルの手から救い出された日にダビデはこの歌の言葉を主にむかって述べて言った
18:1 わが力なる主よ、わたしはあなたを愛します。
18:2 主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。
18:3 わたしはほめまつるべき主に呼ばわって、わたしの敵から救われるのです。

ダビデはいつも、主を「わが」助けにしていた。
数多の戦いをして来たが、その戦いの都度、いつも主が助けであると宣言していたのである。
敬虔なクリスチャンが車を運転する前にいつも守りを祈るように。私達も、日常の仕事や家庭のわざ、諸々の「戦い」の都度、祈るなら、ダビデのように連戦連勝するのだ。

18:16 主は高い所からみ手を伸べて、わたしを捕え、大水からわたしを引きあげ、
18:17 わたしの強い敵と、わたしを憎む者とから/わたしを助け出されました。彼らはわたしにまさって強かったからです。
18:18 彼らはわたしの災の日にわたしを襲いました。しかし主はわたしのささえとなられました。

宮本武蔵はなぜ連戦連勝だったのかを聞かれた時、自分よりも弱い相手としか戦わなかったからだ、と言ったそうだが、ダビデはそうではなかった。彼は、自分よりも強い相手と戦って、連戦連勝だったのだ。
ゆえに、彼が勝つことができたのは、ダビデが強かったからではなく、主が彼のささえとなったからだ、と、ダビデは結論づけている。

18:19 主はわたしを広い所につれ出し、わたしを喜ばれるがゆえに、わたしを助けられました。
18:20 主はわたしの義にしたがってわたしに報い、わたしの手の清きにしたがって/わたしに報いかえされました。
18:21 わたしは主の道を守り、悪意をもって、わが神を離れたことがなかったのです、
18:22 そのすべてのおきてはわたしの前にあって、わたしはその定めを捨てたことがなかったのです。
18:23 わたしは主の前に欠けたところがなく、自分を守って罪を犯しませんでした。
18:24 このゆえに主はわたしの義にしたがい、その目の前にわたしの手の清きにしたがって/わたしに報いられました。

ダビデは、自分には義がある、手は清い、主の前にかけた所が無い、罪をおかさなかった、と言っているが、果たして主の厳しい基準に照らしても、全く罪を犯していなかったのだろうか。当然、そうではない。
彼は、主に喜ばれていた。(19節)
それは、彼が罪をおかさなかったからでなく、誠実に主に歩もうという志をもって、日々歩んでいたからである。
親が、子供がちょっとやそっとの罪や不完全さを持っていても、親を愛して親に誠実に歩もうとする子を喜ぶように、主は、主に誠実に歩もうとする私達をこそ喜んで下さる。

だから、示されていない罪について詮索する必要は無い。
特に良心のとがめが無いのに「自分はあの罪、この罪を犯していなかっただろうか」と詮索したり心配したりするのは、訴える者・悪魔から来るものであり、それによって、「自分はだめだ、罪人だ、神と共に歩むなど、おこがましい」と言って主から離れてしまうなら、サタンの企みが成功してしまった事になる。

18:29 まことに、わたしはあなたによって敵軍を打ち破り、わが神によって城壁をとび越えることができます。
18:30 この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は真実です。主はすべて寄り頼む者の盾です。
18:31 主のほかに、だれが神でしょうか。われらの神のほかに、だれが岩でしょうか。
18:32 神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。
18:33 神はわたしの足をめじかの足のようにされ、わたしを高い所に安全に立たせ、
18:34 わたしの手を戦いに慣らされたので、わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。

まさしくダビデは、この詩篇の通り、あらゆる強者を破り、連戦連勝したのは、主に依り頼んでいたからだ。
ここを読むとそれが明らかであると分かる。
私達も、主を頼みとし、主を拠り所とするなら、私達の足も雌鹿のようにして高いところに安全に立たせ、青銅の弓をも引けるようにされるのだ。

18:43 あなたは民の争いからわたしを救い、わたしをもろもろの国民のかしらとされました。わたしの知らなかった民がわたしに仕えました。
18:44 彼らはわたしの事を聞くと、ただちにわたしに従い、異邦の人々はきて、わたしにへつらいました。
18:45 異邦の人々は打ちしおれて、その城から震えながら出てきました。

歴代誌にもある通り、ダビデを恐れた王達がダビデの前にひれ伏した。
クリスチャンは、清貧の中を生きる弱々しい人生ではないはずである。
世に、悪魔サタンに対し、勝利につぐ勝利をし、多くを分捕り、そしてダビデのように、それを主に捧げる。
それが、正しいクリスチャンの生き様である。
そして、次のダビデの賛美のように、主をあがめるのである。

18:46 主は生きておられます。わが岩はほむべきかな。わが救の神はあがむべきかな。
18:47 神はわたしにあだを報いさせ、もろもろの民をわたしのもとに従わせ、
18:48 わたしの敵からわたしを救い出されました。まことに、あなたはわたしに逆らって/起りたつ者の上にわたしをあげ、不法の人からわたしを救い出されました。
18:49 このゆえに主よ、わたしはもろもろの国民のなかであなたをたたえ、あなたのみ名をほめ歌います。
18:50 主はその王に大いなる勝利を与え、その油そそがれた者に、ダビデとその子孫とに、とこしえにいつくしみを加えられるでしょう。

ルカによる福音書 講解説教メッセージ
御言葉なるお方イエス様を信じ続けるなら、なおる(ルカ8:40-56)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
神と私達ががいかなる関係であるのかを主張する祈り(イザヤ63:11-19)
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語られた御言葉に100%アーメンしたダビデとマリヤ(1歴代誌17:15-27)
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ダビデは、主のために家を建てようとしたのに、逆に主から、遠大な祝福の約束を頂いた。
そこで咄嗟に出た行動は、自分の身を低くする事だった。

17:16 そこで、ダビデ王は、はいって主の前に座して言った、「主なる神よ、わたしがだれ、わたしの家がなんであるので、あなたはこれまでわたしを導かれたのですか。
17:17 神よ、これはあなたの目には小さな事です。主なる神よ、あなたはしもべの家について、はるか後の事を語って、きたるべき代々のことを示されました。

私達も、そうである。本当に主の御胸を理解し、その偉大さ、遠大さを目の当たりにするなら、ただただ驚き感嘆する以外に無い。
どうして、こんなにも取るに足りない自分、こんなつまらない自分を、主は王として選んでくださり、ここに至るまで導いて下さり、さらには、遥か後の来るべき永遠までも示して下さるのですか、と。

ダビデは詩篇8篇で言っている。
詩篇8:1 主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。あなたの栄光は天の上にあり、
8:2 みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。

主は、小さな子、幼子の口によって、栄光をお受けになる。
イエス様に対して「ダビデの子にホザナ」と叫んだ幼子たちを見て、パリサイ人達は怒ったが、イエス様はまさに詩篇の御言葉を引用して、それは正しいことだと言った。
私達のような、小さな者の口が、その偉大な主を褒め讃えて良い、というのは、なんという喜びだろう。

『わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。』(詩篇8:3-4)
主の偉大さ、遠大さに引き換え、自分を見ると、ただただ小ささ、足りなさしか見いだせないのだ。

17:18 しもべの名誉については、ダビデはこの上あなたに何を申しあげることができましょう。あなたはしもべを知っておられるからです。

ダビデは、主の御言葉に対し、「この上あなたに何を申しあげることができましょう」と言った。
御言葉に対しては、「何も付け加えない」「何も取り除かない」、が、正しい態度である。
次のように書かれてあるからだ。
黙示録22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
 22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。

17:19 主よ、あなたはしもべのために、またあなたの心にしたがって、このもろもろの大いなる事をなし、すべての大いなる事を知らされました。
17:20 主よ、われわれがすべて耳に聞いた所によれば、あなたのようなものはなく、またあなたのほかに神はありません。
17:21 また地上のどの国民が、あなたの民イスラエルのようでありましょうか。これは神が行って、自分のためにあがなって民とし、エジプトからあなたがあがない出されたあなたの民の前から国々の民を追い払い、大いなる恐るべき事を行って、名を得られたものではありませんか。
17:22 あなたはあなたの民イスラエルを長くあなたの民とされました。主よ、あなたは彼らの神となられたのです。

主は、国々の間で、神の民を特別扱いし、偉大なる事を、内外に示された。
ダビデがこのように、両手放しで主を賛美できたのは、主の偉大さ、素晴らしさ、寛大さ、憐れみ深さ、その他、主が成して下さったあらゆる良きわざ、主のあらゆる良きご性質を、知り、理解し、味わったからである。

主は、私達にも、偉大なわざを為してくださった。
その、主が為してくださったあらゆる良き事を、覚えているだろうか。ダビデは主が語ってくださった事を全て理解し、覚えていたから、それをそのまま賛美で返した。
一体私達は、主が私達に与えて下さった良きわざをどれ程知って、理解しているだろうか。主の御業の大いなる事を、どれ程体験し、感謝し、それを喜び誉めたたえているだろうか。

17:23 それゆえ主よ、あなたがしもべと、しもべの家について語られた言葉を長く堅くして、あなたの言われたとおりにしてください。
17:24 そうすればあなたの名はとこしえに堅くされ、あがめられて、『イスラエルの神、万軍の主はイスラエルの神である』と言われ、またあなたのしもべダビデの家はあなたの前に堅く立つことができるでしょう。

ダビデは「願いごと」を申し上げているが、そこには、人間的な願いは一切無い。
ただ主の御胸がなりますように、という願いのみである。

17:25 わが神よ、あなたは彼のために家を建てると、しもべに示されました。それゆえ、しもべはあなたの前に祈る勇気を得ました。
17:26 主よ、あなたは神にいまし、この良き事をしもべに約束されました。
17:27 それゆえどうぞいま、しもべの家を祝福し、あなたの前に長く続かせてくださるように。主よ、あなたの祝福されるものは長く祝福を受けるからです」。

ダビデは、主が約束されたお言葉の通りに、なりますように、と、ただ願っている。
ちょうど乙女マリヤが祈ったように。

ルカ1:30 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
 1:31 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
 1:32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
 1:33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

御使いはマリヤに、まさに、ダビデ契約の成就が、マリヤから産まれる子によって実現する事を告げ知らせに来た。
この、途方も無い事に、マリヤは答える。

ルカ1:34 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。

マリヤは、処女が身ごもるという、現実には有り得ない事がどうしてなるでしょうか、とこたえたのに対し、御使いは、神に不可能な事は無い、その全能の力が、マリヤの身に起こり、人類の救いが起こる事を告げる。

ルカ1:35 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
 1:36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
 1:37 神には、なんでもできないことはありません」。
 1:38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。

マリヤはまさしくダビデの子孫である。マリヤはダビデと同様、主の言葉に対する100%の従順の姿勢を見せ、そして実際、彼女の身に起きた。
私達は、主の言葉に対して、何も加えてはならないし、何も引いてはならない。
御言葉に対して「でも」「だって」「信じられない」と言ってしまう一言一言ごとに、祝福が羽を生やして富んでいってしまい、呪いがくっついて来てしまう。
私達は御言葉の約束に対し、ただアーメンと従順する応答こそ、何にもまして主に喜ばれるいけにえである。

ダビデ契約:家を建てるのは誰か(1歴代誌17:1-14)
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今回の箇所は、いわゆる「ダビデ契約」と言われる箇所である。

17:1 さてダビデは自分の家に住むようになったとき、預言者ナタンに言った、「見よ、わたしは香柏の家に住んでいるが、主の契約の箱は天幕のうちにある」。
17:2 ナタンはダビデに言った、「神があなたとともにおられるから、すべてあなたの心にあるところを行いなさい」。

周囲の敵が平定され、快適な家に住むようになり、全てに安定したダビデは、自分によくして下さった主を愛する心のゆえに、主のために家を建てたい、という願いが起こされ、預言者ナタンに相談した。
ところが神の答えは、意外なものだった。

17:3 その夜、神の言葉がナタンに臨んで言った、
17:4 「行ってわたしのしもべダビデに告げよ、『主はこう言われる、わたしの住む家を建ててはならない。
17:5 わたしはイスラエルを導き上った日から今日まで、家に住まわず、天幕から天幕に、幕屋から幕屋に移ったのである。
17:6 わたしがすべてのイスラエルと共に歩んだすべての所で、わたしの民を牧することを命じたイスラエルのさばきづかさのひとりに、ひと言でも、「どうしてあなたがたは、わたしのために香柏の家を建てないのか」と言ったことがあるだろうか』と。

主の答えは「わたしの住む家を建ててはならない。」だった。
なぜか。それは、ダビデがリッチになって力があるから主の家を建てる、のではなく、主がダビデにそれらの富と力を与えたからだ。

使徒7:46 ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。
7:47 けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。
7:48 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、
7:49 『主が仰せられる、/どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、/地はわたしの足台である。
7:50 これは皆わたしの手が造ったものではないか』。

ダビデは、自分は快適な杉材の家に住んでいる、主にも、幕屋のような粗末な所ではなく、もっと豪勢な住まいを建てたい、と願った。
それは主を愛する心が高じての事であるが、主は、人間が建てたものにお住みになるお方ではない。
むしろ、それを建てた大工に匠の技を与えたのも、知恵を与えたのも、また、杉を山で育てたのも、そのために必要な太陽や雨を創造したのも、全部、主なのである。

17:7 それゆえ今あなたは、わたしのしもべダビデにこう言いなさい、『万軍の主はこう仰せられる、「わたしはあなたを牧場から、羊に従っている所から取って、わたしの民イスラエルの君とし、
17:8 あなたがどこへ行くにもあなたと共におり、あなたのすべての敵をあなたの前から断ち去った。わたしはまた地の上の大いなる者の名のような名をあなたに得させよう。

ダビデはリッチになった、力を得た、としても、結局ダビデは元々、羊飼いであり、その羊の園から呼び出してイスラエルの王としたのは、主であり、そしてさらに大いなる名を与えるのも、主である。
実際ダビデは、主の恵みにより、この現代においてもその名が大いなるものとされている。

17:10 かつわたしは主があなたのために家(単数形)を建てられることを告げる。

ダビデ契約の根幹は、ここである。
あなたが(人)、主のために家を建てるのではない。
わたしが、あなた(人)のために、決して廃れる事の無い、ひとつの永遠の家を建てるのだ、と。

そうである。主は、人が存在する以前から人を愛し、共に住むための家(宇宙)を創り、たとえ人が「自由意志」を用いてご自分を裏切ったとしても、十字架上でいのちを捨てて贖うほどの完全なる愛で、人を愛しておられ、ベレシート(はじめ)の前から、全てを見込んでおられたのだ。
そして、それをするのはダビデではなく、ダビデから出る「ひとりの子」であると主は定めている。

17:11 あなたの日が満ち、あなたの先祖たちの所へ行かねばならぬとき、わたしはあなたの子、すなわちあなたの子らのひとりを、あなたのあとに立てて、その王国を堅くする。

この「ひとりの子」はソロモンであるという考えはあるが、どうも次に続く節をみると、ソロモンでは役不足であることは明白である。

17:12 彼はわたしのために家を建てるであろう。わたしは長く彼の位を堅くする。

この節の前半を見ると、確かに、神殿を建てたソロモンが、その「ひとりの子」と見れる。
しかし、節の後半以降からの記述は、はたしてソロモンに当てはまるだろうか。
後の歴史を見ると、そうではない、と言わざるをえない。

17:13 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。わたしは、わたしのいつくしみを、あなたのさきにあった者から取り去ったように、彼からは取り去らない。
17:14 かえって、わたしは彼を長くわたしの家に、わたしの王国にすえおく。彼の位はとこしえに堅く立つであろう』」。

主は、ソロモンの王族から王権を取り去ってしまい、もう王は生まれない、と言われた。
あまりにも主に従わない事を続けてきたゆえだ。

『この人コニヤは/卑しむべき、こわれたつぼであろうか、だれも心に留めない器であろうか。なぜ彼とその子孫は追いやられて、知らない地に投げやられるのか。ああ、地よ、地よ、地よ、主の言葉を聞けよ。主はこう言われる、「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである」。』(エレミヤ22:28-30)

では、その、ダビデから生まれる「ひとりの子」とは誰か。
それは、イエス・キリスト以外の何者でもない。

イエス様は、ソロモンの血は継いでいない。ソロモンの血を継いだヨセフと結婚する前に、乙女マリヤは身ごもったからだ。
マタイ1章にはダビデ、ソロモン、と続いてヨセフに至る系図が記されているが、ルカ3章には、ダビデ、ナタン、と続くマリヤに至る系図が記されている。
イエス様は、ダビデの子ではあっても、ソロモンの血は継いでおらず、ソロモンの子孫に宣告された「もう王は生まれない」という呪いの外におられる。

結局、永遠の神の家を建てるのは、人ではない。
神に従う人に、神は、家を建ててくださるのだ。

ルツ記3:9 「お前は誰だ」とボアズが言うと、ルツは答えた。「わたしは、あなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方です。」

主こそ、私達の家を建て、家を絶やさぬ責任のあるお方。
黙示録にある通り、主こそ、まことの神殿であり、人々は、その主の栄光を慕い求めて主の元に行くのみである。

黙示録21:22 わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。
21:23 都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。
21:24 諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。
21:25 都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
21:26 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。

救いの赤い印の内に(ヨシュア記6:15-25)
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汚れた世界の只中の小さな叫びを聞いて下さる主(ヨシュア記2章)
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週報/メッセージ(説教)概要

 邪悪な事・汚れた事・人を虐げる事を、自ら好き好んで為し、何の良心の咎めが無い者達に、神の裁きが降る事がローマ人への手紙1章に啓示されていた。そのような者達は、不朽の神の栄光を、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に取り替え(ロマ1:23)、欲情に駆られて自分の体を互いに辱め、汚すままに任せられ(同24)、男女の自然な関係を不自然なものに取り換え、その乱行の当然の報いを受けた。(同26-27)
ローマ1章29-31節には、主が「死罪に値する」としている21項目が出てくるが、それらの事を自ら、好んで行い、また、それを行う者に心から同意する者達に対し、神の裁きが降ると記されている。(32節)
では、幼い時からそのような者達から被害を受けながら、自分も汚れた価値観・邪悪な習慣の中で育ってしまい、自分を変えられず、神に喜ばれるきよい価値観を知らないまま苦しんでいる人達はどうなるのか。
神は、そのような人達の叫び声も、もれなく聞いておられ(創世記4:10、19:13、ヤコブ5:4)、正しく扱われる。
今回、その一例として、そのような中から神によって見出され、救い出された遊女ラハブを見てみたい。

彼女は、弱肉強食のカナンの中、エリコという堅固な都市の、城壁の中に立て込まれた家に住んでいた。
その町の城壁に住んでる、という点では、セキュリティは保たれていたかもしれないが、彼女は遊女だった。
来る日も来る日も身売りをし、いくばくかの報酬を得ては家族に持ち帰る、という日々を送っていた。
遊女になるのを夢みてなる女の子はいないし、自分の娘や姉、妹が遊女になって欲しいと思う者もいない。
なぜそうなってしまったか。それは、自分も家族も生きて行かなくてはならなかったからであり、身勝手な者達が効率よく欲望を発散させるシステムで、そのような事が汚れた事と思わさないで育ってしまったからだ。
ラハブは、変わりたくても変わらぬ日々の中、ある噂を聞いていた。力ある唯一の神と、その民について。
その民は、力ある神に守られ、神から与えられた律法は、道徳的に優れ、弱者に優しく、それを守り行って祝福された彼らは、川向こうの強力な二人の王を滅ぼし、さらに勢いと力を増しているという。
過酷な要求ばかりして来る者達から、また、まもなく滅ぼされてしまうこの世界から、できれば救われたい。
しかし、そんな自分の思いを誰かに伝える術はなく、ただ周りは過酷な要求をしてくるばかりだった。
しかし、全能なる神は、彼女の思いを知っていた。主は御目をもってあまねく全地を見渡し、その心が、ご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのだ。(2歴代誌16:9)

そんなある日、彼女の元に、二人の男が来た。彼らは今まで出会ったどんな男達とも違って、分別と秩序があり、何か任務についているようだったので、彼女は、彼らこそあの民の斥候だ、と直感した。そしてその二人の者達が来た事はすぐにエリコの王に知られる所となり、捕り手が彼女の家に来て、その扉を叩いた。
その時、彼女は意外な行動に出る。命の危険を冒して、その二人を、かくまったのだ。なぜリスクを犯してかくまったのか。それは、彼女の普段からの願いと信仰が、咄嗟に現れたからである。(ヘブル11:31)
彼女は、命の危険に晒されていた彼らに、逆に、命乞いをする。『あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられる・・・。どうか、私があなたがたを親切に扱ったように、あなたがたも、私の父の家を親切に扱われることをいま主をさして誓い・・・私達の命を救って、死を免れさせてください。』(2:11-13)
彼女は、普段から信仰があったからこそ、この二人が来た時、咄嗟にこの告白が出て、そして実際に、救われたのだ。彼女は彼らの指示通り、窓に赤い印をつけた。エリコが裁かれる日、7人の祭司が7つの角笛を吹き鳴らした時、代々築き上げて来た城壁は崩れ去ったが、その印の内側にいた者は、全員助かった。
そして彼女は、サルモンという素晴らしい夫を得、ボアズを産み、ダビデへと続く家で生きる幸いに入った。

ヨシュアの時代、7人の祭司が7つの角笛を吹き鳴らした時、代々築き上げて来た城壁が崩れ去ったように、この世も、7人の御使いが7つのラッパを吹き鳴らす時、人類が積み上げてきた全ての英知は崩れ去り、全ては、主キリストのものとなる。(黙示11:15) 世界の滅びが近づいているとぼんやり認知し、その滅びから救われたい、今の過酷な状況から救われたい、と思う者は多いが、主は全地をあまねく探しておられる。
救いに入ろうとする志のある人を。救われるためには、ラハブのように、イエス様こそ救い主であると信仰告白をし、イエスの血という赤い印をつけ、神の民として見合った行動が必要である。その行いによって栄光の家系に加えられ、永遠に生きる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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