メッセージ - 201710のエントリ

しあわせな神の民(申命記33:26-29)
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イスラエルとなるためには(創世記32:22-33:4)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

 イスラエル。一つの国家として有名だが、イスラエルは元々は、一人の人で、その名はヤコブだった。
彼から12人の子が生まれ、それが大いに増え、12部族となり、そして現代に至っている。今回、イスラエルとは一体何者か、聖書の中で事実上イスラエルが誕生した場面から、その本質を探りたい。

イスラエルという人は、元々、ヤコブという名だった。名の意味は「かかと」あるいは「押しのける」であり、まさにその名の通りを生きてきた。彼は兄エサウのかかとを掴みながら生まれ出て、長男の権を奪い、父からの祝福を騙し取った。その結果、兄エサウの殺意を買い、母リベカはおじのラバンの所へ彼を送り出した。
時が解決すると思ったのだが(28:44-45)、時は解決しなかった。彼はかつてして来た事のやましさから逃げてきたが、兄と対面しなくてはならなくなった時、大いなる恐れに襲われた事が32章全体にかわ分かる。
彼は群れ全体を二つに分けてリスク分散したり、贈り物を波状的に贈り出す事で兄を宥めようとしたりと、色々な画策を立てたが、それでもなお恐れは消えず、夜、起き出して、妻と子供達を先に川を渡らせた。
32章は「夜」という言葉がよく出てくる。彼が「ヤコブ」として人を掴み、モノを掴み、出し抜いて騙し騙し生きて来た結果、人々を恐れ、彼よりも「騙し・出し抜き」に長けた人から弄ばれる「夜」の生き方で生きてきた。
彼の人生の夜闇が高じて、喉元まで迫ってどうにもならなくなった時、ある人が現れた。『ヤコブは一人あとに残ったが、ひとりの人(イシュ)が、夜明けまで彼と「組打ち(アバク:レスリング、相撲)」した。』(32:24)
彼と相撲したのは、ひとりの「人:イシュ」である。後に分かるのだが、その「人」は、神であった。相撲とは、抱きつくように組み合い、顔と顔とを間近に合わせ、力と筋肉をぶつけ合い、汗と泥が一つに混じり合う、生々しい、つかみ合いの格闘であるが、この、「神であり人であるお方」と、ヤコブは相撲を取ったのだ。
その格闘は、彼の命運を賭けた祈りでもあった。『どうか、共に「力をつくして」わたしのために神に祈ってほしい。』(ローマ15:30) この「力をつくして(スナゴニゾマイ)」は、奮闘し相撲を取る意味も含まれている。
箇条書きの祈祷課題をダラダラと読み上げるような祈りではいけない。私達もヤコブのように、「神であり人であるお方」、すなわちイエス様に、相撲を取る勢いでぶつかって行くなら、主は答えてくださる。
『ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちする間に外れた。』(32:25) ヤコブは今までその足を使って問題から逃げてきた。
そこを神に触れられ、もはや逃げられなくなった。御前において良くない企みをしながら生きて、それを捨てないまま助かろうとしても、助からない。彼はその格闘の前、自分を一切変えないまま、状況が変わる事によって助かろうとする、都合の良い祈りをしていたが、そんな彼に対する神の答えは、相撲だった。

長い夜は、明けようとしていた。『その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた「わたしを祝福して下さらないなら、あなたを去らせません」。』(26節) ヤコブは、自分の「夜」が明けるだけでは飽き足りなかった。さらに突き進んで、「神であり人であるお方」の祝福が欲しかったのだ。
それを表明した時、『その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。』(28節) こうして彼は新しい名が与えられた。そして、その方から祝福を受け、彼に太陽が照った。今まで問題だと思っていたものは、もう問題ではなかった。
イスラエルの「エル」は「神」の意味、「イスラ」は「サーラー」の派生語で、定義は「粘る」「忍耐強く続ける」、意味は「争う」「苦闘する」であり、イスラエルとは、神に粘り強く時には苦闘する程に関わりを持つ人である。
ヤコブは、主からもものつがいを打たれ、逃げる足をへし折られ、嫌がおうでも逃げられなくなった。
しかし、それが彼の、全く新しい祝福の人生の始まりだった。今まで人を出し抜き、家族やしもべを先に進ませていたが、今や、『みずから彼らの前に進み、七たび身を地にかがめて、兄に近づいた。』(33:3)
問題から逃げる足はへし折り、ただ粘り強く神と向き合い、神に全てを明け渡して、そうして問題と正面から向き合う時、私達も「イスラエル」となって神に支配され、そして「神のように支配する者」となる。
英語の辞書では、Israel = "God prevails",”he will rule as God”とあり、またガラテヤ6:16によると、「神のイスラエル」とは、割礼を受けた人の事ではなく、十字架によって世と分離し、新しく創造された事の基準に従って進み行く人の事である事が書いてある。神と粘り強く関わりを持ち、神の支配を受け、そうして新しいイスラエルとして世を治めて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
主のしもべの家族にも行き届く十分な福利厚生(2列王記4:1-7)
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しもべは知っていた(ヨハネ2:1-12)
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イエス様が公生涯において最初に起こされた場面は、結婚式という場面だった。
結婚式、それは人生の重大なイベントであり、何か不足や粗相があったなら大きな恥となってしまう。
イエス様の最初の奇跡は、男女が一つとなる「結婚式」という場面であり、そしてその奇跡の元となった事は、人の側の「不足」であった。

2:1 三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。

集う人数の公算を誤ったのか、貧乏ゆえに用意し切れなかったのか、ともかく、ぶどう酒が途中で切れてしまう、という、新郎新婦にとって大きな恥となる「不足」が起きてしまった。
普通なら、それは単なる「不足」のままで終わり、一新郎新婦の「恥」として終わってしまうものであるが、あいにく、この結婚式には、イエス様が招かれていた。
イエス様を呼び込み、イエス様を主とし、イエス様の言われた通りに行う時、その結婚式や結婚生活、あるいは、事業や諸々の活動における「不足」「死」は、単なる不足や死で終わるものではなく、神の栄光へと変えられる。

2:4 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。

この時点でイエス様はまだ誰の前でも奇跡を行った事が無かった。
母マリヤは、イエス様を自分の子として呼んだのであろうが、イエス様を王として、主としてでなく、低い地位として見積もって呼ぶなら、イエス様は何の関わりも持ってくださらない。
しかし、イエス様を主人とし、イエス様の言われる通りに行う「しもべ」は、イエス様の御言葉に従う事ゆえの大きなわざを見る事ができる。

2:5 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。

ここの「僕」のギリシア語はディアコノス、「塵灰をくぐる」事の意味から、奴隷、あるいは仕え人の事である。
主人としてイエス様が言われる「御言葉」に対し、なんでも従う「しもべ」としてのスタンスが準備が整えられる時こそ、すなわち、イエス様のわざが起きる用意が整えられる時である。

2:6 そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。
2:7 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。
2:8 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。

人の目から見るなら、イエス様は時に無意味な事を申し付けられる事がある。
しかし、御言葉であるゆえに従うなら、人には出来なかった事がイエス様を通して為される。

2:9 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで
2:10 言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。
2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。

この「よいぶどう酒」は、花婿が用意したぶどう酒よりも、良かった。
高級なワインは何万円もするものだが、その良いワインが風呂おけ6杯分もあるとするなら、それはどれほど結婚式を満たすのみならず、その後の結婚生活の必要が満たされただろうか。
そうである。イエス様は、圧倒的に、必要を満たされるお方である。
次のように書いてある通りである。

2列王記4:1  預言者のともがらの、ひとりの妻がエリシャに呼ばわって言った、「あなたのしもべであるわたしの夫が死にました。ごぞんじのように、あなたのしもべは主を恐れる者でありましたが、今、債主がきて、わたしのふたりの子供を取って奴隷にしようとしているのです」。
2Ki 4:2  エリシャは彼女に言った、「あなたのために何をしましょうか。あなたの家にどんな物があるか、言いなさい」。彼女は言った、「一びんの油のほかは、はしための家に何もありません」。
2Ki 4:3  彼は言った、「ほかへ行って、隣の人々から器を借りなさい。あいた器を借りなさい。少しばかりではいけません。
2Ki 4:4  そして内にはいって、あなたの子供たちと一緒に戸の内に閉じこもり、そのすべての器に油をついで、いっぱいになったとき、一つずつそれを取りのけておきなさい」。
2Ki 4:5  彼女は彼を離れて去り、子供たちと一緒に戸の内に閉じこもり、子供たちの持って来る器に油をついだ。
2Ki 4:6  油が満ちたとき、彼女は子供に「もっと器を持ってきなさい」と言ったが、子供が「器はもうありません」と言ったので、油はとまった。
2Ki 4:7  そこで彼女は神の人のところにきて告げたので、彼は言った、「行って、その油を売って負債を払いなさい。あなたと、あなたの子供たちはその残りで暮すことができます」。

結婚式に参加した多くの人々は、花婿さえ、その良いぶどう酒がどこから来たのかを知らなかった。
知っているのは、ただ「しもべ」だけであった。
私達も、イエス様のお言葉どおり行う時、イエス様の為された秘密を知り、イエス様の素晴らしい御業に「参加」する者として、大いに喜びに溢れる。

イザヤ65:13 それゆえ、主なる神はこう言われる、「見よ、わがしもべたちは食べる、しかし、あなたがたは飢える。見よ、わがしもべたちは飲む、しかし、あなたがたはかわく。見よ、わがしもべたちは喜ぶ、しかし、あなたがたは恥じる。
65:14 見よ、わがしもべたちは心の楽しみによって歌う、しかし、あなたがたは心の苦しみによって叫び、たましいの悩みによって泣き叫ぶ。
65:15 あなたがたの残す名は/わが選んだ者には、のろいの文句となり、主なる神はあなたがたを殺される。しかし、おのれのしもべたちを、ほかの名をもって呼ばれる。
65:16 それゆえ、地にあって/おのれのために祝福を求める者は、真実の神によっておのれの祝福を求め、地にあって誓う者は、真実の神をさして誓う。さきの悩みは忘れられて、わが目から隠れうせるからである。
 

門衛となって聖なる所を守れ(1歴代誌26:1-32)
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26:1 門を守る者の組は次のとおりである。すなわちコラびとのうちでは、アサフの子孫のうちのコレの子メシレミヤ。

26章は、主の宮の門や宝物庫を守る門衛の組み分けが記されている。
門衛というと今で言う所の警備員である。コンサート会場では、皆の前で歌う人に比べれば警備員は全く見向きもされないかもしれないが、ことに、主の宮において門衛は、歌う人、奉仕をする人に負けず劣らず大切である。
実際、門衛についての記述は、前章の聖歌隊の記述よりも文面が多く割かれている。

門衛は、出入り口に立ち、汚れた者、不法な者が出入りしないように守る。

黙示録21:25 都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
21:26 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
21:27 しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

黙示録におけるまことのエルサレムには、不法者は一切入れないように、今、私達という生ける神の宮については、私達自身が、私達の門、すなわち、目や耳、口という出入り口をガードする役割が、私達に与えられている。

2コリント6:15 キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。
 6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。
 6:17 だから、「彼らの間から出て行き、/彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
 6:18 そしてわたしは、あなたがたの父となり、/あなたがたは、/わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。

この、私達という生ける神の宮をしっかりガードするなら、その人は豊かに祝福される。

26:4 オベデ・エドムの子たちは、長子はシマヤ、次はヨザバデ、第三はヨア、第四はサカル、第五はネタネル、
26:5 第六はアンミエル、第七はイッサカル、第八はピウレタイである。神が彼を祝福されたからである。

主は、門衛をするオベデ・エドムを祝福された、と書いてある。
彼の子孫には、有力者が出て、子孫の数も増えて行った事が続く節にあるが、23章以降に登場する神殿奉仕者の中に、「彼を祝福した」とわざわざ記述された事はなかった。
聖なる門の出入りを守る者は、確かに祝福を受けるのだ。

26:13 彼らはそれぞれ門のために小なる者も、大なる者も等しく、その氏族にしたがってくじを引いた。
26:14 東の門のくじはシレミヤに当った。また彼の子で思慮深い議士ゼカリヤのためにくじを引いたが、北の門のくじがこれに当った。

門衛の奉仕もまた、くじによってその分担が割り当てられ、人の意図は一切排除された。
続いて、聖なるものを保管する宝物倉の奉仕者についてである。

26:20 レビびとのうちアヒヤは神の宮の倉および聖なる物の倉をつかさどった。
26:21 ラダンの子孫すなわちラダンから出たゲルションびとの子孫で、ゲルションびとの氏族の長はエヒエリである。
26:22 エヒエリ、ゼタムおよびその兄弟ヨエルの子たちは主の宮の倉をつかさどった。

私達は、倉である。
善人は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。(ルカ6:45)
だから、私達自身という倉に、良い物をたくわえ、悪いものは排除する管理責任は、私達にある。
ネヘミヤは、邪悪な者が神の宮の部屋を私物化して占有している事を許さず、それを外に投げ出したように(ネヘミヤ13:4-9)、私達も自分の中に邪悪な者と結託しているものを外へ投げやるべきである。

ルカによる福音書 講解説教メッセージ
主の弟子の道(ルカ9:18-27)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
主のしもべへの待遇と、主を捨てる者への処遇(イザヤ65:8-16)
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預言的賛美(1歴代誌25:1-31)
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25章は、賛美の歌声や色々な楽器をもって主を褒め称える聖歌隊の編成である。

25:1 ダビデと軍の長たちはまたアサフ、ヘマンおよびエドトンの子らを勤めのために分かち、琴と、立琴と、シンバルをもって預言する者にした。その勤めをなした人々の数は次のとおりである。

奉仕はアサフ、ヘマン、エドトンの指揮下にあり、三者はそれぞれレビ族のゲルション、ケハテ、メラリの子孫である。(6:33,39,44)

ここで特筆すべき事は、彼らは神殿において、琴と、立琴と、シンバルをもって「預言」した事だ。
「演奏した」ではなく、楽器をもって預言をしたのだ。

預言と訳された言葉「ナーバー」には預言する事の意味の他、恍惚状態になって霊に導かれた事を語る事の意味もある。
サウルは、悪霊にはげしく臨まれて家の中で「狂いわめいた(ナーバー:預言した)」事が書いてあるように(1サムエル記18:10-11)、霊によくよく気をつけ、吟味するべきである。

預言的な賛美というものがある。
預言は神から言葉を預かって、それを人に届けるものだが、ある人は、この楽器のメロディが伴われた御言葉の宣言 - それは賛美集会とも預言集会とも言える集会 - の中において、心刺され、癒され、解放される。
アサフやヘマン、エトドン、共々、詩篇の作者であるが、彼らが霊に促されて記した預言の詩篇は、現代の私達にはどのようなメロディに載せられて宣言したのかは分からないが、しかし、彼らが霊に促されて記した詩篇は、確かに読むだけで心刺され、癒やされ、解放される力がある。

旧約・ダビデの時代にそれがなされたように、新約でも、預言の集会は教会で為され、その際の注意事項が、パウロにより、第一コリント14章に記されている。

1コリント14:1 愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。
14:2 異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。
14:3 しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。
14:4 異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。
14:5 わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。

預言は、ダビデの時代は神殿に集う人達全体の徳を高め、教会時代は教会の徳を高めた。

その預言的賛美をするにおいて、ダビデが重視したのは、秩序である。

25:2 アサフの子たちはザックル、ヨセフ、ネタニヤ、アサレラであって、アサフの指揮のもとに王の命によって預言した者である。
・・・
25:6 これらの者は皆その父の指揮の下にあって、主の宮で歌をうたい、シンバルと立琴と琴をもって神の宮の務をした。アサフ、エドトンおよびヘマンは王の命の下にあった。
25:7 彼らおよび主に歌をうたうことのために訓練され、すべて熟練した兄弟たちの数は二百八十八人であった。

その奉仕者は「訓練され」「熟練した」者達であった。
歌において、あるいは楽器の巧みさにおいて熟練され、それのみならず、霊性において熟練していなければ、その奉仕者として立てられない。
1節では、この奉仕はダビデの一存のみならず、長達からも認められた者でなければならなかった。

教会の礼拝における奉仕も、単にテクニックに優れたというだけではなく、霊性において「訓練され」「熟練した」者達でなければ、奉仕はしてはならない。
パウロもまた、異言や預言において重視したのは、秩序であった。

14:23 もし全教会が一緒に集まって、全員が異言を語っているところに、初心者か不信者かがはいってきたら、彼らはあなたがたが気が変になったと言うだろう。
14:24 しかし、全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ、
14:25 その心の秘密があばかれ、その結果、ひれ伏して神を拝み、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。
14:26 すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。
14:27 もし異言を語る者があれば、ふたりか、多くて三人の者が、順々に語り、そして、ひとりがそれを解くべきである。
14:28 もし解く者がいない時には、教会では黙っていて、自分に対しまた神に対して語っているべきである。
14:29 預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを吟味すべきである。
14:30 しかし、席にいる他の者が啓示を受けた場合には、初めの者は黙るがよい。
14:31 あなたがたは、みんなが学びみんなが勧めを受けるために、ひとりずつ残らず預言をすることができるのだから。
14:32 かつ、預言者の霊は預言者に服従するものである。
14:33 神は無秩序の神ではなく、平和の神である。

教会においては、一人の人に預言が与えられたなら、それまで語っていた人は黙るように、パウロは指示した。秩序正しく行われるためである。
コロサイ3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。
3:16 キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。

現代、教会においては、御言葉のメッセージや預言の言葉に心刺されたり、癒やされたりするが、パウロの時代の教会やダビデの時代の神殿では、預言の言葉や御言葉に、さらに霊に促された奏者によって導かれるメロディが加わり、明るい音色や暗い音色、早いテンポやゆったりしたテンポが御霊により巧みに奏でられ、今の私達には想像できないような、霊において濃厚な礼拝が為されていたのだろう。

ダビデの時代、その奉仕者は血筋においても練達においても申し分の無い奉仕者が立てられたが、いつ、どのような奉仕をするかは、前章の祭司のように、くじ引きにより神から示され、人の意図によってではなかった。

25:8 彼らは小なる者も、大なる者も、教師も生徒も皆ひとしくその務のためにくじを引いた。
25:9 第一のくじはアサフのためにヨセフに当り、第二はゲダリヤに当った。彼とその兄弟たちおよびその子たち、合わせて十二人。
・・・
25:30 第二十三はマハジオテに当った。その子たちおよびその兄弟たち、合わせて十二人。
25:31 第二十四はロマムテ・エゼルに当った。その子たちおよびその兄弟たち、合わせて十二人であった。

現代、当時のような預言的賛美が回復されるよう、私達は、祈りに覚えるべきである。

祭司の奉仕(1歴代誌24:1-31)
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23章に続き、24章は祭司の奉仕分担である。

24:1 アロンの子孫の組は次のとおりである。すなわちアロンの子らはナダブ、アビウ、エレアザル、イタマル。
24:2 ナダブとアビウはその父に先だって死に、子がなかったので、エレアザルとイタマルが祭司となった。

祭司はアロンの血筋であると、主は指定された。
次のように書いてある。
ヘブル 5:1 大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。
5:4 かつ、だれもこの栄誉ある務を自分で得るのではなく、アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。
ゆえに、祭司たるものは、血において相応しくない者がなるのでなく、主が指定された血筋によって成るものであり、主に呼びだされたものがなるのである。
私達はキリストを信じる信仰によって、もはや人の血によってではなく、ただ神によって生まれたのであり(ヨハネ1:13)、祭司としての勤めが与えられた。

さらにその子孫の中から、それぞれ部族ごとに分け、その中から勤めのグループを細分化した。

24:3 ダビデはエレアザルの子孫ザドクとイタマルの子孫アヒメレクの助けによって彼らを分けて、それぞれの勤めにつけた。
24:4 エレアザルの子孫のうちにはイタマルの子孫のうちよりも長たる人々が多かった。それでエレアザルの子孫で氏族の長である十六人と、イタマルの子孫で氏族の長である者八人にこれを分けた。
24:5 このように彼らは皆ひとしく、くじによって分けられた。聖所のつかさ、および神のつかさは、ともにエレアザルの子孫とイタマルの子孫から出たからである。

祭司はただ神によって召された者がその勤めをなすが、その、神の家での「つとめ」もまた、人の考えに依らず、ただ神によって「くじ」で選ばれる。

24:7 第一のくじはヨアリブに当り、第二はエダヤに当り、
24:8 第三はハリムに、第四はセオリムに、
・・・
24:19 これは、彼らの先祖アロンによって設けられた定めにしたがい、主の家にはいって務をなす順序であって、イスラエルの神、主の彼に命じられたとおりである。

以上のように、人の知恵によらず、人の選びによらず、ただ主に選ばれた人々が祭司の勤めを果たした。
ルカ1章の、バブテスマのヨハネの父ザカリヤも、アビヤの組の祭司で、くじによって主に奉仕が選ばれ、そして、彼が神殿で奉仕する時に、主のお告げを受けたのだ。

24:20 このほかのレビの子孫は次のとおりである。すなわちアムラムの子らのうちではシュバエル。シュバエルの子らのうちではエデヤ。
・・・
24:31 これらの者もまた氏族の兄もその弟も同様に、ダビデ王と、ザドクと、アヒメレクと、祭司およびレビびとの氏族の長たちの前で、アロンの子孫であるその兄弟たちのようにくじを引いた。

レビ人も、同様に主から選ばれた血筋の者であり、奉仕も、くじによる主の選びによる。
私達は、イエス様にあって、王族の祭司、聖なる国民として選ばれた者である。
神と人との間に立ち、自分の思いではなく主の御心を選び、祭司とされた者としてのつとめを果たしていくみなさんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

城壁の破れを繕う者、市街を住めるように回復する者の条件(イザヤ58:3-12)
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