メッセージ - 201902のエントリ

 

横浜天声キリスト教会主日礼拝「大きな祝福を得る時に伴う大きな責任(申命記6:10-19)」
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  今年も昨年同様、「ベエル・シェバ」という安心して産んで増えて行ける広い地、敵が入ってこない地を獲得するようにとの御言葉をいただいたが、さらに進んだ祝福の御言葉が与えられたので、お分かちしたい。

 「あなたの神、主は、あなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに向かってあなたに与えると誓われた地にあなたを入らせられる時、あなたが建てたものでない大きな美しい町々を得させ、あなたが満たしたものでない諸々の良い物を満たした家を得させ、あなたが掘ったものでない掘り井戸を得させ、あなたが植えたものでないぶどう畑とオリブの畑とを得させられるであろう。あなたは食べて飽きるであろう。(6:10-11)

 

 この約束は、ユダヤ人が最も大切にしている申命記6章の「シェマー本文」の命令に従った人に与えられる祝福の約束である。その命令の中身は、既にコーエンや天声で何度も取り上げられていて、イエス様も「最も大切な戒め」とまで言った、大切な命令である。すなわち、主の御言葉を心に留め(ハヤー:存在させ溢れさせる)、これを子供達によく教え(シャナン:研ぎ石などで鋭くする、コツコツ刺激を与える)、家にいる時も道を歩く時も、寝る時も起きる時も、これについて語らなければならない(ダバル:論じ合う)(6-7)

 また、これを手につけて(カシャール、結合、連盟、同盟する)、目の間にいつも置き(ハヤー)、家の入口の柱(メズーザー)と門とに書き記す事によって、我とわが家は、御言葉が土台の家であり、御言葉によって出入りする家、御言葉によって守られた家である、と、内外に表明するのだ。(8-9)

 以上の命令をクリヤした人が、自分が建てなかった大きな美しい町々を得、自分が建てなかった、良い物で満ちた家を得、自分が掘らなかった井戸を得、自分が植えたものでない畑と、その実りを得られる

 

 しかし、この誰もがうらやむ祝福は、抱き合わせで「警告」がついている事を、よく心に留めるべきだ。

 あなたは元々、エジプト(世)の奴隷状態だった。そこから、小羊の血の代価をもって買い戻され、救われた事を、忘れてはならない(12-13)。そして偶像礼拝に気をつけるべきである。すなわち、世の何者も、神以上に神としてはならない。そうでないと、主のねたみが燃え上がって滅ぼし尽くされてしまう(14-15)

 また「主を試みる事」をしてはならない(16)。イスラエルはマサで水が無かった時、主を試みたが、主はモーセに命じて、岩から水を出させた。主の御力と素晴らしさを見て、体験し、実際飲んで食べておきながら、それでも主に対して感謝する事も、何ら学ぶ所も無く、次は肉をくれ、と、さらに図に乗って主を試みた。

だから主は「怒って、彼らをわたしの安息にはいらせることはしない、と誓った(ヘブル3:7-11)のである。

 神が私達に富や力を祝福として与えられるのは、私達の物欲・贅沢欲を満たすためではない

私達が気をつけて世の罪や悪に染まらず、王として、祭司として地上の人々を主へ導き、神の子として地上を正しく統治し神の国(神の支配)をもたらし全被造物に慰めを与えるという「大目的」のためである。

 

 『あなたは主が見て正しいとし、良いとされることを行わなければならない。そうすれば、あなたは幸いを得、かつ主があなたの先祖に誓われた、あの良い地にはいって、自分のものとすることができるであろう。また主が仰せられたように、あなたの敵を皆あなたの前から追い払われるであろう。(申命記6:18-19)

 ここにあるように、私達が行うべきは、私達が考案した私達の「良かれ」ではない。主の「良かれ」である。

私達が自ら積極的に主に喜ばれる事が何か考え、先取りして行動するなら、さらに多く与えられるのだ。

 会社の経営者は、どうすれば事業が拡大し、顧客が喜び、社会のためになるかを主体的に考え行動するが、私達も、御国の事業に参加している意識を持ち、どうすれば御国が広がるかを主体的に考え、御言葉を調べ、その通り行動するなら、主はさらに多くをその人に任せるために、富や権威、職分を、御前で相応しくない用い方をしている人から取り上げて、その人へ与え、神の王国の経営を任せるようになって行く。

 大きな富を得たい、大きな力を得たい、と願う人は多いが、大きな富や力が委ねられた人には、それだけ大きな責任が伴う事を、忘れてはならない。単に贅沢欲を満足させたいという理由で、それらを求めたりはしていないだろうか。もし、自分が建てなかった町々を得、自分が建てなかった良い家を得、自分が掘らなかった井戸を得、自分が植えたものでない畑を得たなら、それを用いて、さらに神の国の拡大のために用いて行く準備は、整っているだろうか。神の国の忠実な経営者として、託されたタラントをさらに何倍にも増やしていく、良き忠実な主のしもべでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

苦しめられている最中にあっても、圧倒的勝利者となる私達キリスト者(詩篇44篇)
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メッセージ音声

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詩篇44篇は、三つのパートに分けられる。
第一のパートでは、トーラーと先祖達からの口伝から聞いた、主の御力の宣言と信仰告白であり、第二のパートでは、自分たちが苦しめられ卑しめられている事を主に訴えており、第三のパートでは、そのような現状から救い、購って下さる事を願い求めている。

今、災いに遭って苦しんでいるとするなら、その原因は即座に「その人の罪のゆえだ」、と、ヨブの友人たちのように思いがちであるが、必ずしもそうとは限らない。
正しい事をしているのに、主との関係は良好であるにもかかわらず、迫害され苦しめられる事がある。そして、その事が起こるとするならば、それは、主の許可の元で行われているのだ。
特に黙示録にその記述がある。

終わりの時代、サタンの配下の獣に権威が「与えられ」、また聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを「許され」、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威も、「与えられる」。
このような、神の民からすれば望ましくない権威は、神が許可されるからこそ、彼らにそれが可能なのである。(黙示録13章)

これは決して、神がいたずらにサタンの勢力を用いて、聖徒達を苦しませる事が目的ではない。
人には全て、自由意思が与えられている。
その自由意思を用いて、イエス・キリストを主として認め、神の側につく事が出来るし、あるいは、イエス・キリストが主である事を拒否し、自分の欲望のままを生き、結果的に、サタンの側につく事もできる。

サタンの配下につく者達は、その自由意思を活用しなければ、聖徒に戦いは挑まないし、彼らを殺す事もしない。しかし、もし彼らが聖徒達に戦いを仕掛け、殺そうとするなら、それは神から「許されている」事なので、それは成功する。
しかし、こうして与えられている自由意志を用いて、敢えて、聖徒達に戦いを仕掛け、聖徒達を意図的に殺したとするならば、もう彼らには弁解の余地はなくなる。
彼らが悪い実を結んだ「毒麦」である事が明らかにされたのであり、それによって、彼らが永遠の業火へ投げ入れられる事が確定するのである。
そして、死に至るまでも忠実を尽くした聖徒には、永遠のいのちと決してしぼむ事の無い栄光の冠の報いが確定するのである。

詩篇44:1 神よ、いにしえ、われらの先祖たちの日に、あなたがなされたみわざを/彼らがわれらに語ったのを耳で聞きました。
44:2 すなわちあなたはみ手をもって、もろもろの国民を/追い払ってわれらの先祖たちを植え、またもろもろの民を悩まして、われらの先祖たちをふえ広がらせられました。
44:3 彼らは自分のつるぎによって国を獲たのでなく、また自分の腕によって勝利を得たのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたのみ顔の光によるのでした。あなたが彼らを恵まれたからです。

作者はまず、出エジプトの時代に主がなさった不思議を引き出して、主が成されたみわざに思いを馳せている。
そして3節では、この救いが成就したのは、自分の手によるのではなく、主の御腕のわざである、と告白している。
そう、主は力強きお方である。

詩篇44:4 あなたはわが王、わが神、ヤコブのために勝利(イエシュアハ)を定められる方です。

ここで「勝利」と訳されたヘブライ語は「イエシュアハ」、「主は救い」という意味であり、同時にイエス様の名前そのものである。
ここに、イエス様がいるのだ。
ヤコブは、他人のかかとを掴んで人から奪いながら生きる者だが、彼の名は後にイスラエルになった。
神は、ヤコブのためにイエシュアハ(イエス様)を定められる方である、と書いてある。それ故、ヤコブを祝福しイスラエルの名を与えたのは、イエス様だと思われる。

詩篇44:5 われらはあなたによって、あだを押し倒し、われらに立ちむかう者を、み名によって踏みにじるのです。
44:6 わたしは自分の弓を頼まず、わたしのつるぎもまた、わたしを救うことができないからです。
44:7 しかしあなたはわれらをあだから救い、われらを憎む者をはずかしめられました。
44:8 われらは常に神によって誇り、とこしえにあなたのみ名に感謝するでしょう。〔セラ

私達も、イエス様の御名によって敵を倒し、イエス様の御名によって悪魔サタンを踏みにじるのである。
私達は、自分の力や経験、ことばの力、世的なやり方によって、自分を救う事は出来ない。
ただイエス様にあってこそ、救いが確定している。ここを離れては、罪に対し、サタンに対し、勝利者として生きる事ができない。

神は確かに力ある御方だ。圧倒的な力をもって敵を根絶やしにする事は、神にはいつでも出来るが、9節以降は、厳しい現状が記されている。

詩篇44:9 ところがあなたはわれらを捨てて恥を負わせ、われらの軍勢と共に出て行かれませんでした。
44:10 あなたがわれらをあだの前から退かせられたので、われらの敵は心のままにかすめ奪いました。
44:11 あなたはわれらをほふられる羊のようにし、またもろもろの国民のなかに散らされました。
44:12 あなたはわずかの金であなたの民を売り、彼らのために高い価を求められませんでした。
44:13 あなたはわれらを隣り人にそしらせ、われらをめぐる者どもに侮らせ、あざけらせられました。
44:14 またもろもろの国民のなかにわれらを笑い草とし、もろもろの民のなかに笑い者とされました。
44:15 わがはずかしめはひねもすわたしの前にあり、恥はわたしの顔をおおいました。
44:16 これはそしる者と、ののしる者の言葉により、敵と、恨みを報いる者のゆえによるのです。

敵が力を増して聖徒達を圧倒する。もし自分たちに神の御前に非があるとするなら、災いは受けて当然であるが、詩篇44篇は、このパターンに当てはまらない。
主に対し誠実であっても、苦難を受け、災いに遭ってる。そういう事が、あるのだ。
コラの子たちは、災いに遭ってはいても、「われらはあなたを忘れず、あなたの契約にそむくことがありませんでした。」と告白している。

詩篇44:17 これらの事が皆われらに臨みましたが、われらはあなたを忘れず、あなたの契約にそむくことがありませんでした。
44:18 われらの心はたじろがず、またわれらの歩みはあなたの道を離れませんでした。
44:19 それでもあなたは山犬(タニーム)の住む所でわれらを砕き、暗やみをもってわれらをおおわれました。

ここで「山犬」と訳された語タニームは、KJVではドラゴンと訳され、他にも蛇、モンスター等の意味もある。
すなわち詩篇44篇の彼らは、ドラゴンの住む所で苦しめられている状況だ。
まさに、黙示録13章と同じ状況であり、そして主はそのような状況を許可する事がある。
その状況で求められる事は、忠実である。

黙示録2:13 わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。

神の民が、神の許可の元、サタンに苦しめられる時は、必ず期間が定められている。
サタンとその勢力は、永遠に好き放題できるわけではない事は、先に説明したとおりであり、主は必ずその後、聖なるものには永遠にしぼむ事のない報いを、サタンに属する者達には、永遠のさばきを降される。

詩篇44:20 われらがもしわれらの神の名を忘れ、ほかの神に手を伸べたことがあったならば、
44:21 神はこれを見あらわされないでしょうか。神は心の秘密をも知っておられるからです。

20−21節は仮定法で書かれている。
という事は、彼らは神を忘れたり、他の神へと裏切った事はなかった、という事だ。

詩篇44:22 ところがわれらはあなたのためにひねもす殺されて、ほふられる羊のようにみなされました。

彼らは、「あなた(神)のために」このような災いを受けている、と告白している。
神のために、四六時中悩まされ、ほふられる羊のように見なされる。
それは私達の主イエス様が体験され、そして私達キリスト者にも起こりうる事だ。

しかし、望みを失う必要は一切ない。
そのような困難にあったとしても、新約を生きる私達は、キリストにあって圧倒的勝利者となる希望がある。

ローマ8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
8:36 「わたしたちはあなたのために終日、/死に定められており、/ほふられる羊のように見られている」/と書いてあるとおりである。
8:37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
8:38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、
8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

キリスト者が患難に、苦悩に、迫害に、飢えに、裸に、危難に、剣に悩まされる事は、確かにあるが、たとえその最中にあったとしても、圧倒的勝利は私達の側にある。
私達を愛してくださった方の故に。
何者によっても引き離されない、主キリスト・イエスにある神の愛故に!

詩篇44:23 主よ、起きてください。なぜ眠っておられるのですか。目をさましてください。われらをとこしえに捨てないでください。
44:24 なぜあなたはみ顔を隠されるのですか。なぜわれらの悩みと、しえたげを/お忘れになるのですか。
44:25 まことにわれらの魂はかがんで、ちりに伏し、われらのからだは土につきました。
44:26 起きて、われらをお助けください。あなたのいつくしみのゆえに、われらをあがなってください。

詩篇の作者は、最後に、われらを購って下さい、と締めている。
私達は、キリスト・イエスにあって、既に贖われている。

1コリント6:19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
6:20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

私達のいのちは、イエス様によって買い戻された。という事は、私達のこのからだ、このいのちは、もはや私達のものではない、という事である。
そうであるからには、この体を、時間を、能力を、エネルギーを、経済を用いて、神の栄光を表すべきである。
このサタンに支配されてしまっている地上に、神の栄光と支配をもたらして行くために。

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