メッセージ - 201907のエントリ
私達・羊のためにいのちを捨てるまことの牧者キリスト(ヨハネ10:1-18)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ヨハネによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2019-7-18 7:20
私達・羊のためにいのちを捨てるまことの牧者キリスト(ヨハネ10:1-18)
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【概要】
イエス・キリストは羊の門であり、良い牧者として私たちを救いへと導く
【聖書箇所】
ヨハネによる福音書10章1-18節
ヨハネによる福音書12章24-26節
【慰めの言葉】
イエス・キリストは私たちの名を呼び、罪から救い出し、永遠の命へと導いてくださる
【励ましの言葉】
イエス・キリストの声に聞き従い、従うことで、私たちも牧者となり、他の人々を導くことができる
【戒めの言葉】
偽りの教えや、羊の皮を被った狼に惑わされないよう注意する
【勧めの言葉】
自分の命を愛するのではなく、イエス・キリストに従い、永遠の命を得るよう励む
【悔い改めの促しの言葉】
自分の罪深い性質を憎み、イエス・キリストに従う決心をする
【***詳細***】
今日の箇所は、ヨハネによる福音書10章1-18節です。イエス・キリストは、ご自身が「羊の門」であり「良い牧者」であることを宣言されています。
まず、1-2節で「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。」とあります。ここでイエスは、正当な方法で羊の囲いに入る者と、不正な方法で入る者を対比しています。
4-5節では、「彼は自分の羊をみな連れ出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえってその人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」とあります。ここで重要なのは、羊が牧者の声を聞き分けるということです。私たちクリスチャンも、イエス・キリストの声を聞き分け、従うべきです。
7節で、イエスは「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。」と宣言されます。イエスは私たちが救いに入る唯一の門であり、イエスを通してのみ、私たちは救われ、安らかに生きることができるのです。
9-10節では、「わたしは門です。だれでもわたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」とあります。ここでイエスは、ご自身が来られた目的を明確に述べておられます。それは私たちに「いのち」、しかも「豊かないのち」を与えるためです。
11節で、イエスは「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」と宣言されます。ここでの「いのち」は、ギリシャ語で「プシュケー」であり、魂や心を意味します。イエスは私たちのために、ご自身の思いや願いを捨て、十字架にかかってくださったのです。
14-15節では、「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のために、わたしのいのちを捨てます。」とあります。ここでイエスは、ご自身と羊との関係が、父なる神との関係と同様に親密であることを示しています。
17-18節で、「わたしは自分のいのちを再び得るために、自分のいのちを捨てるのです。だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令を父から受けたのです。」とイエスは述べられます。ここでイエスは、ご自身の死と復活が、自らの意志によるものであり、また父なる神の命令によるものであることを明らかにしています。
さらに、ヨハネによる福音書12章24-26節も重要です。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」ここでイエスは、ご自身の死と復活を一粒の麦にたとえ、また私たちにも自己犠牲の精神を求めておられます。
【結論】
終わりの時代に来る惑わしの霊にとらわれないために(1テモテ3:14-4:6)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 1テモテへの手紙
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- pastor 2019-7-17 23:30
終わりの時代に来る惑わしの霊にとらわれないために(1テモテ3:14-4:6)
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主から図星を突かれても我が道を行く人達の行く先(エレミヤ44:20-30)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » エレミヤ書
- 執筆 :
- pastor 2019-7-17 16:30
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ペンテコステ・七週の祭り・十戒授与のキアズム(使徒2:1-13)
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- 執筆 :
- pastor 2019-7-17 11:10
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週報/メッセージ(説教)概要
黙示録の原語はアポカルプシス、啓示、公示の意味で、啓示録と言うのが正しい。この書の言葉を宣言する人・聞いて守り行う人は幸いであると書いてある。主の時が近い今、私達はこの書から恵みを受けたい。
原初の教会は、主イエスを信じる人々が主日、一つ所に集い、メッセンジャーはこの書をそのまま宣言し、聖徒達はそれに耳を傾けてアーメンするという、非常にシンプルな礼拝で、いわゆる「説教」は無かった。
聖書をそのまま宣言し、聖霊から直接養いを受けるという「聖霊牧会」が生き生きと息吹いていたが、現代の私達は、日本語に翻訳された聖書をそのまま読んでも、当時のような恵みを受けるのは難しい。
日本語はギリシヤ語と違って冠詞が無く、時制や単数・複数の指定もあいまいで、また「アルファとオメガ」「ニコライ派」などの当時特有のキーワードも説明無しにはわからない。だから現代のメッセンジャーは、ヘブライ思考に基づき、原語から本来的な意味や時代的ニュアンスを掘り起こし、メッセージする必要がある。
ヨハネは主日、御霊の内に7つの金の燭台を見せられ、その真ん中を歩まれるお方が7つの星を握っておられた。主は、7つの星は7つの教会の御使(アンゲロス)、7つの燭台は7つの教会である、と直接解き明かして下さった(1:20)。「アンゲロス」は元々、便りを届ける者、メッセンジャーなので、啓示録という手紙の最初の受信者は「各教会のメッセンジャー」、二次受信者は「各教会の聖徒たち」である。
そして最後の受信者は「耳のあるもの」全員である。2-3章で「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」と、7度も繰り返されているからだ。そうであるからには、私達もこの啓示録から、それぞれ置かれた環境や信仰、状況に応じた賞賛や叱責、勧めや、報いの約束を、御霊から直接いただくものである。
『エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。「右の手に七つの星を「持つ(ホ・クラトーン)」者、七つの金の燭台の間を歩く(ペリパテオー)者が、次のように言われる。』(啓示録2:1) この「ホ・クラトーン」の「ホ」は冠詞で、「クラトーン」は、ぎゅっと握りしめる意味の動詞である。通常、動詞に冠詞はつけないが、ヨハネはわざわざ「ぎゅっと握りしめている」という動詞に冠詞を付けた。それは、強く強調したかったからだ。
「星」とは、教会のメッセンジャーや牧会者達の事、燭台は、エクレシア達(教会)の事である、と、主は既に解き明かして下さった。つまり主は、どの時代のメッセンジャーも、主の働き人達も、牧者達も、世の終わりまで、情熱をもって、ぎゅっと握って離さない!と、ヨハネは強調したのだ。また、「歩く(ペリパテオー)」は、ゆっくりじっくり歩き回る、生きる、過ごす、といった意味がある。つまり主は、牧会者を握りしめ、7つの金の燭台の只中、すなわち主にあるエクレシア達の”ただ中”で、聖徒達と共に歩み、共に生きて下さるお方だ。 その御方は、『あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている(エイドー:感覚的・主観的・感情的な面において「知っている」)』(2:2-3) と言われる。主はエクレシアの間を行きめぐり、働き人達の心の奥底、内に隠れた心の動機の機微も知っており、また、働き人が労苦し忍耐した時に流した涙も、全て知っておられる。
『使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。』(2節)
しかしエペソ教会への叱責として、初めの愛から離れてしまった、という事が語られた。そしてもし、悔い改めて初めの愛に立ち返らなければ、燭台(教会)を取りのけてしまう、とも警告された(4-5節)。
エペソ教会は当初、テモテの指導の元で成長し、やがては、建物が200m×500mの、馬が内部を通れる程となり、中央には、水のバプテスマに使っていたと思われる約5mもの洗礼槽もあった。しかしギリシア思考によって御言葉を変質してしまい、AD431年、エフェソス公会議において、マリヤ神聖宣言がなされ、マリヤを聖母とし、神の妻として、マリヤ祈祷が始まってしまった。彼らは、御言葉中心の「はじめの愛」には帰らず、その100年後、教会は地震によって破壊されて以来、再建される事は無かった。主はまさに、「初めの愛を捨ててしまった」主の働き人達に、「悔い改めて、初めのわざを行いなさい」と警告しておられる。
『勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。』(2:7b)
ここで主は、楽園にあるいのちの木への回復を、約束しておられる。私達は勝利者となるために、はじめの愛に即した行いを続け、もし主からの叱責を受けたとしたなら、速やかに主の言葉に従順するべきだ。
『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。』(黙示録2:7a) 私達は、初代教会のように、ヘブライ思考に基づき、御言葉から直接的に御霊の養いを受け、最初の愛・最初の行いをキープし、その幸いにあずかるべきである。そのような皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
幻を見て誇り、かしらに堅く結びつくことをしない者になるなかれ(コロサイ2:16-23)
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- pastor 2019-7-12 23:50
金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
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教会の要職(監督、執事)に求められる素養(1テモテ3:1-13)
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- pastor 2019-7-10 21:13
教会の要職(監督、執事)に求められる素養(1テモテ3:1-13)
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預言で真理を指摘されて開き直った人達(エレミヤ44:15-19)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » エレミヤ書
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- pastor 2019-7-10 15:00
預言で真理を指摘されて開き直った人達(エレミヤ44:15-19)
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主に選ばれても、自分の道を進み、その職が他の人に取られてしまったユダ(使徒1:12-26)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 使徒の働き
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- pastor 2019-7-10 11:50
主に選ばれても、自分の道を進み、その職が他の人に取られてしまったユダ(使徒1:12-26)
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