メッセージ - 202002のエントリ
主日礼拝
災いの日を喜びの日に変えるために(エステル9-10章)
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週報/メッセージ(説教)概要
年明け以降、エステル記から恵みを頂いている。本日、その最後である。ユダヤ人の敵ハマンは、ユダヤ人を滅ぼす日を12月13日と定め、さらにモルテガイも木にかけて殺害しようと企んだ。
しかし、時間と空間の主権を支配しておられる主は、主に助けを求める神の民を、敵の思いのままにさせる事をしない。主は紙一重の差で、モルテガイに大きな栄誉を与え、またハマンの全ての悪行を暴き、彼がモルテガイを吊るそうとして立てた木に、彼自身がそのまま架けられた。こうしてモルテガイは、彼が建てていなかったハマンの家を譲り受け、また、ハマンが得ていた地位と権威も、ごっそりそのまま受け継いだ。
ハマンは死んだが、彼が制定した「ユダヤ人を滅ぼせ」というメド・ペルシヤの法令は、一度発布されたら、取り消す事はできない。そこでモルデカイは、その法令に勝利する法令を、すなわち、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらむ者は、逆に滅ぼしても良い、という法令を、王から与えられた権限を行使して制定した。
こうして、その法令に則って行動する人には、いのちの救いと、敵の財産を没収する特権が与えられた。
しかしもし、この王の権限を行使せず、敵が勝手に制定した「死の法令」を放置したままなら、滅んでいた。
天の法令も、メド・ペルシヤの法令と同様、一度発布されたら取り消せない。敵であるサタンは、人をそそのかし、人を罪に陥れ、罪と死の法則を招いた。罪を犯した人は、必ず死ななければならないが、天の王であられる神は、それに勝利する法令を発布された。すなわち神は、御子イエス・キリストを、全人類の身代わりに十字架に架け、そして彼を信じる信仰によって、罪は帳消しにされ、滅びを免れ、神の子としての特権が与えられ、サタンから大いにぶんどって良いという「いのちの御霊の法則」(ローマ8:1)が制定された。
この、王から与えられた特権を行使するなら、人は救われるだけでなく、サタンから良いように分捕られ続けて来たものを、逆に、大いに分捕り返して良いのだ。しかし、この特権を行使しないなら、その人は死の法則によって滅ぼされてしまう。サタンが人を陥れた「罪と死の法則」は、取り消されていないからだ。
さて運命の12月13日、ユダヤ人達は、モルテガイが定めた新たな法令に、固く立ったゆえに、ユダヤ人の敵は、逆にユダヤ人によって滅ぼされた。その報告がもたらされた王は、エステルに言った。
『「さてあなたの求める事は何か。必ず聞かれる。更にあなたの願いは何か。必ず聞き届けられる。」エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、どうぞスサにいるユダヤ人にあすも、きょうの詔のように行うことをゆるしてください。かつハマンの十人の子を木に掛けさせてください」。』(エステル記9:12-13)
あの優美なエステルが、そんな事を願い出たのか、と、驚かれるかもしれない。しかし、神に敵対し、人のいのちを踏みにじるようなサタンの仕業は、私たちは躊躇せず、徹底的に滅ぼし、見せしめにするべきだ。
そもそも、エステルが願ったこの願い、すなわち、神の民に敵対する者の根絶は、はるか昔、サウル王の時代に、成されるべきだった。サウル王はアマレク人を根絶するよう、主から命じられていたが、彼はアマレクの王アガクを根絶する事を惜しみ、それで災いの根を残す事になってしまった。(1サムエル15章)
アマレクの性質を一言で言うなら「弱い者いじめ」で、弱い者を狙い撃ちするのは、サタンの性質である。
アマレクは、エジプトから出てきた会衆の、後ろについて来ていた「弱っている人達」を狙い撃ちにし、また、ダビデと部下達が戦争で留守中、天幕に留まっていた女子供と財産を狙い、奪って行った。
アガグ人ハマンは、このアマレクのアガグの子孫であると言われている。ハマンは、権力を握ったとたん、イスラエル民族を皆殺しにしようと企んだ。もしサウルの時代、サウルが主から仰せられた通り根絶していれば、アマレク人の末裔・アガク人・ハマンも生まれる事なく、こんな好き勝手をされずに済んでいたのだ。
私たちも、私たち自身の中にある、自分を滅ぼしかねない性質は、徹底して滅ぼし尽くすべきである。
そして、弱い者いじめをして圧政しようとする性質には、断固、立ち向かうべきである。王はエステルに、「何をしてほしいのか、求めなさい」と言った。天の王である主も、私達に「求める」事を願っておられる。
私達は、救うべき人を救うべきであり、滅ぼし尽くすべきものは、滅ぼし尽くすべきである。それをしないなら、災いの根っこが育って手がつけられなくなってしまう。私たちは見分ける知恵を求め、遂行するべきだ。
エステル記10章は、アハシュエロス王の勢力がモルテガイの力にあずかっている事を暗示している。
エステルやモルテガイのように、聖なるプライドを持ち、王の王・イエス・キリストの喜びとなる事を行い、その時代に大いに用いられ、栄えていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
主日礼拝
闇の中で病が忍び寄る時の過ごし方(詩篇91篇)
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週報/メッセージ(説教)概要
今、中国武漢に端を発するコロナウイルスで全世界が恐怖に包まれている。ウイルスは目に見えないし、今回のウイルスは潜伏期間が長いので、一体誰が感染しているのか、もしかしたら自分も?と、死の恐怖が闇の中から忍び寄っているような恐ろしさがある。店からも、マスクや消毒液は売り切れている状況だ。
この時期、私達キリスト者は、いかに過ごして行くべきか。今日、あらゆる災いから守られるコツを得たい。
結論から言うと、最も有効な防護方法は、詩篇91篇を、各自、信仰を混ぜて宣言し、いと高き神に身を避ける事である。マスクは売り切れるし、ウイルスはマスクの隙間からも入って来るが、信仰の大盾は売り切れる事が無く、迫りくるウイルスも、悪霊が放つ火の矢も、無効化させられる。毒を受けても害を受けず、むしろ病人に手を置けば、病人は癒やされるのが、信じる者に与えられるしるしである。(マルコ16:18)
詩篇91篇には、とても強力な保証が書いてある。いと高き方の隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は、闇の中を歩き回る疫病も、真昼に襲う滅びをも、千人の人が右手に、万人の人が傍らに倒れる時さえ、災いが襲うことはない。 第2次世界大戦下、イギリスのウイットルゼイ大佐は、この詩篇91篇を部下全員に暗唱(テフィリン)させ、毎日祈らせた結果、銃弾が飛び交う戦場で5年間、一人の死者も出さなかった。
主は、その御翼の陰を避け所とし助けを求めに来る人には、御翼を広げ、その人を覆ってくださる。神の真理がその人の盾となり、夜の恐怖も、昼に飛び来る矢も恐れることはない、と書いてある。
人は、蔓延する疫病は、無差別に誰も彼もに襲いかかる、と思いがちだが、主は無差別なお方ではない。出エジプト記や民数記などを見ると、災いや病が起きる時、必ず人の側に、主に対する罪があり、また、病や災いで真っ先にやられた人は、主が立てられた指導者モーセに逆らったり、文句を言ったり、主の御言葉に逆らった人達だった。病がはびこる時、そこに込められた主のメッセージに、耳を傾けるべきである。
コーエンの中国宣教をした方からの報告によると、武漢は2019年、教会迫害が最もひどく、48の地下教会を強制的に閉鎖させた地域で、中国宗教規制政策の模範地指定までされた。年末には、ほぼ全てのキリスト教宣教師が追放されており、中国全体のどの地域より、キリスト教弾圧がひどかったという。
しかしこの度のウイルス騒ぎでは、宗教規制を実行する部門の最高位だったその人が、真っ先にウイルスで死んだという。「あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。」(詩篇91:8)
主は、好きこのんで人々に災いを下されるお方ではないし、災いは誰にも彼にも降されるわけではない。
主に忠実な人は、災禍のたとえ中心地にいても、無事である。
イスラエルが罪を犯し、サタンがダビデをそそのかして民の数を数えさせた時、イスラエル全土で、7万人もの人々が疫病で倒れた時、御使いがエブス人・オルナンの打ち場に立ち、抜き身の剣をエルサレムの上に差し伸べていた(1歴代誌21章)。その災いの中心地である打ち場にいたオルナンは、何の害も受けず、その傍らで麦打ちしていた。そこに主君・ダビデ王が来た時、彼はすぐに出て来て、ひれ伏した。
オルナンは、普段から仕事に、また主が立てられた権威に忠実であったばかりではない。彼はいつでも、主に全てを捧げる心備えががあった(22節)。 このように忠実で、主を愛する人を、主は助けて下さる。
『彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。』(詩篇91:14)
また、人々を救うために働き、執り成し祈る人にも、主は守りの保証を与えて下さる。モーセの時代、人々が主に逆らった故に疫病が起こり、人々がばたばた倒れて行く中、大祭司アロンは祭壇から火を取り、死んだ人達と生きている人達の間に走って行って祈りの香を焚いた時、疫病が止んだ(民数記16:41-50)。
この時、アロンは生きている人と死んだ人の間に立ったのに、彼は病とは無縁だった。
私達は、まことのほふられた小羊であるキリストの十字架の血潮の元に、避けどころを求めるべきである。
オルナンのように、与えられた仕事と権威に忠実で、いつも主を愛し、主に捧げる心を持ち、そしてアロンのように、苦しんでいる人達のために祭司としてとりなし祈り、この事によって主への悔い改めが沸き起こり、主への栄光が捧げられる形で、収束に向かう事を祈りつつ、この時期を過ごす皆さんでありますように!
主日礼拝
滅びの法則は、キリストのいのちの法則で対抗せよ(エステル記8章)
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週報/メッセージ(説教)概要
主から大きな恵みを頂いて、大きく用いられる性質とは何か。エステル記から引き続き恵みを得たい。
モルテガイを木にかけようとしていたハマンは、逆にその木に彼が架けられ、ハマンの家は王妃エステルに与えられ、ハマンが握っていた王の指輪(実印)は、そのままモルデカイに渡された。(エステル記8:1-2)
まさに、私達が満たしていない良い物が満ちた家を得させ、私達が掘ったものでない井戸を得させ、私達が植えたものでないぶどう畑とオリーブ畑を得させて下さる、という御言葉の通りである。(申命記6:11)
主は、時間と空間を支配し、主を求める人々には、素晴らしいタイミングで助けを送り、主に敵対する者には、その報いをされ、こうして主は、主の民を特別扱いして下さる事を世界に示し、栄光をあらわされる。
ハマンは死に、モルデカイは支配の実印が渡され、ハマンの家も与えられたが、まだ一件落着ではない。
このままでは、ハマンが定めた神の民を滅ぼす日・12月13日に、モルデカイもユダヤ人も殺されてしまう。
そこでエステルは、この今だ有効な「滅びの法令」を取り消してもらうため、再び王に直訴した。しかし王が言うには、メド・ペルシヤの法令は、一度発布してしまったら消す事は出来ない。だから、ハマンが定めた「滅びの法令を打ち滅ぼす法令」を新たに定め、王の名で実印を押し、有効化させなさい、と言った。
天の法令も、メド・ペルシヤの法令と同じように、一度発布されたら、取り消せない。人は罪を持っているなら、必ず死ななければならない、という天の法令は、決して取り消す事ができない。
ハマンは最初、ユダヤ人を殺害し、その富を分捕ろうとしたが、サタンも同じ目論見をした。サタンは人を妬んでそそのかして、罪へと陥れ、死と呪いを招いた。罪を犯した人は必ず死ななければならないが、憐れみ深い神は、それに対抗する法令を発布された。すなわち、私達の罪の身代わりとなって、木に架けられ、死なれたイエスキリストを信じる者は、その信仰によってサタンに勝利し、罪は帳消しにされ、滅びを免れ、神の子としての特権と栄誉が与えられる。主は、この素晴らしい「いのちの御霊の法則」を制定された。
ローマ8:1を、ギリシヤ語原典(TR)から訳すと、「こういうわけで、今や、肉に従ってでなく御霊に従って歩み続けている(現在形分詞)キリスト・イエスにある者は、罪に定められることがない。」である。
サタンが定めた罪と死の法令に対し、何も対策を実行しないままでは、そのまま死の法則が遂行されてしまう。だから私達は、勝利者であるキリストに留まり続ける事、いのちの御霊の法則に乗り続ける必要がある。
すなわち、自分の思い・意思・感情は脇に置き、御言葉であるキリストご自身である御言葉を優先させる。
そうすると、自分の資質や能力、努力などによるのではない、キリスト由来の、力ある「法則」が動き出す。
飛行機に乗るなら、重力の法則を打ち負かして飛行して行くように、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則に乗るなら、罪と死の法則を打ち負かし、死をいのちへと飲み込んで行くのである。主は、滅びの法則に束縛された私達に、人の資力によらぬ、キリストのいのちの法則による解放を与えて下さったのだ。
モルデカイは次の法令を発布した。すなわち、ユダヤ人の敵は残らず根絶やしにし、その家財を分捕って良い、という法令を。(9-11節) その良き知らせが、早馬によって世界中に告げ知らせられた。
同じように今、イエス・キリストが定めた勝利の良き知らせ、すなわち福音(エウァンジェリオン)が、世界中に届けられつつある。キリストはサタンを打ち破り、圧倒的に勝利し、サタンの家財を、大いに分捕って良い、という、勝利の良き知らせ(福音)は、今、全世界に告げ知らされ、私達はその使者となっている。
しかし法則は、ただ単に知っているだけでは、効力は発動されない。ハマンが定めた法令に対抗手段を講じず、そのまま置いていたなら、やがて滅ぼされてしまっていたように、日々迫り来る罪や死、病や困難に対し、何の対抗手段を講じなければ、やがて滅ぼされてしまう。私達は日々迫り来る罪や死は、イエス・キリストの名によって拒否し、イエスにつく者として、勝利を宣言し、そして、信じた通りに行動するのだ。
モルデカイは栄誉が与えられ、青白の王服と金の冠を身に帯びて、王の前から出てきた。(15節)
同じように私達も、王族の祭司の特権と栄冠が与えられ、王として統べ治めるのだ。(1ペテロ2:9)
だから今、私達は主イエス・キリストが定めて下さった、いのちの御霊の法則に、しっかり根ざすべきだ。
サタンは一度、罪と死を人類に導入し、人類はそれに何ら対抗できなかったが、しかし今や主イエス・キリストが勝利し、彼にあって堂々と対抗できるようになった。私達は彼にあって必ず勝利し分捕る事が出来る。
この法則に従って、勝利の内に歩む皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!