メッセージ - 202003のエントリ

主日礼拝
全てを癒やし、いのちの水で満たして下さるキリスト(ヨハネ1:1-14)
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週報/メッセージ(説教)概要

 人は、エデンの園で善悪を知る知識の木から食べて以来、神から離れた「善悪判断」という破綻した”ものさし”で物事を判断し、狂わせ、破綻するしか無かった。昨今人類を脅かしているコロナウイルスも、また生活の中のあらゆる労苦や痛み、死は、全てこれが原因である。しかしその全てを治すお方がおられる。
 
 初めに、「ことば」がおられた。「ことば」は、神と共におられた。「ことば」は、神であられた。(ヨハネ1:1)
この人格あることばは、ギリシア語でロゴス、ロジック(論理)の語源で決して変わらない客観的真実である。
 この、決して変わらない真実なる「ことば」。彼が宇宙の全存在を創造された。この御方によらずにできたものは何一つ存在しない。この、全世界を創造されたロゴスであられるお方、それはイエス・キリストである。
 このお方こそ、全て存在するものを存続させ、全てのいのちの源なるお方、死んでしまったいのちを再びいのちで息吹くお方、一切の闇を圧倒的な光によって塗り替えるお方である。『この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。』(4-5節)
 この、ロゴスであられるイエス・キリスト、すなわち、全存在の源であり、全て生命あるものの生命の根源であり、人の光であられるお方の、不変のいのちのことば(ロジック)によって測り直されるなら、全て、本質から外れたゆがみは解消され、あらゆる傷は癒やされ、死はいのちへと飲み込まれて行く。。。
 
 『彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々(現在形能動態:「自ら信じ続ける人々」)には、彼は神の子となる力(権)を与えたのである。それらの人は、「血筋」によらず、「肉の欲」によらず、また、「人の(意)欲」にもよらず、ただ神によって生れたのである。』(12-13節) このように、イエス様を信じ続けている人は、「血筋」の束縛、「肉の欲」の束縛、「人の(意)欲」の束縛から解放されて行く。それらは全て、人間の善悪判断による、本質を外した”ものさし”によるもので、もはや、それらに左右されなくなって来るのだ。
 世の人は「血筋」を重んじる。それは生来の能力や外見、社会ステータスも決定づけるからであるが、そうした「血筋」の束縛から開放される。また、「肉の欲」を根拠とする束縛からも開放される。男女が性欲に身を任せ、望まない命が「できてしまった」という事は多々あるが、自分はそういった「人の欲望の産物だ」という空しさもなくなる。また「人の意欲」の束縛、すなわち、親や誰か他人の政略的な操作によって今の自分は存在するのだ、といった空しさからも解放される。信じた人は、ただ、神の完全な愛によって、神の子として愛される存在として、今もこれからも永遠に存在するのだ、と確信し、解放され、全く自由を味わうのだ。
 
 太宰治は、自分は人間失格だ、生まれて来てすみません、と書いて、多くの人から共感を得た。全存在の源である「有る」お方を持たない人が、サタンの言葉に惑わされるなら、そんな言葉に同意してしまう。神の敵・サタンが、人を破壊させる最たる言葉は、おまえは存在するな、居てはならない、有ってはならない、である。それを全くもって打ち消す、超・積極的なことばが、全存在の根拠であられるキリストの言葉である。
光を前にした闇は、消え失せる以外に無いように、キリストが現れたなら、悪魔は消え去る以外に無い。
 イエス様は、人が存在する前から、人を愛し、妻として定め、共に住むための家(宇宙)を創り、たとえ人がご自分を裏切る選択をしたとしても、十字架上で身代わりとなって命を捨てる覚悟で人を救おうと、なんと、永遠の昔から愛をもって定めておられたのだ。その意図の中で、人は創造されたのだ。(エペソ1:3-6)
 この御方のことばを豊かに住まわせるなら、もはや自分の存在のあやふやさは拭い去られる。
 
 イエス・キリストというが加えられた測りで測り直して行くなら、狂っていた全ては直って行き、いのちの水が湧き出て、死に満ちていた所は、いのちに満ちた所となり、そのいのちにおびきよせられて来る。
 その完成形が、天国の、水晶のように光るいのちの川である。この川は神と小羊との御座から出て、その両岸にはいのちの木があり、毎月、十二種の実を結び、その葉は諸国民をいやす。(啓示録22章)
 今、世界は死がはびこり、エデン以来受けてきた労苦や痛みにあえいでいる。そんな中、私たちは全く積極的なことば、いのちの源であり、人の光であられるイエス・キリスト、すなわち御言葉を、豊かに住まわせ、死をいのちへと、闇を光へと飲み込んで行き、いのちの水の川を豊かに流しだして、周りをいのちで満たして行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!
 

主日礼拝
エリヤのように次世代を起こす働き人となるために(1列王記19章)
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週報/メッセージ(説教)概要

 預言者エリヤは、不法と偶像崇拝に満ちたイスラエルの信仰復興のために大いに働き、時代を変える王や預言者を任命した。今の時代、エリヤの働きが必要である。今回は列王記より、エリヤの恵みを得たい。
 
 エリヤは、国と時代が不信仰に傾く中、熱心に主に仕え、アハブ王お抱えのバアルの預言者450人と対決し、祈りによって天から火を降し、3年半も閉ざされていた天から、再び雨が降るようになった。人々はこぞって「主こそ神です」と叫び、その時代の信仰が、一気に回復したかのように見えた。しかし、たった一人の女、アハブの妻、イゼベルの一言によって、彼が長年して来た労苦は、一瞬でひっくり返されてしまう。
 『イゼベルは使者をエリヤに遣わして言った、「もしわたしが、あすの今ごろ、あなたの命をあの人々の一人の命のようにしていないならば、神々がどんなにでも、わたしを罰して下さるように」。』(2節)
 イゼベルは非常に効果的に、偉大な預言者の心を挫く事に成功した。エリヤはそれを聞くと、逃げ、大いに意気消沈し、「主よ、もはや充分です。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」(4節) と願うまでになってしまった。主はイゼベルや、彼女の勢いに押されて信仰をさっさと捨ててしまった者達はすぐに取り扱う事はせず、ただ気落ちした主のしもべに速やかに助けの手を延べられる。
 
 エリヤは全てを放り出し、木の下で眠っていた。そんな彼に主が送られたのは、彼が願った「死」ではなく、焼いたパンと水だった(5-6節)。イエス様も弟子達に、同じようにされた。弱さ故にあやまちを犯した傷心の弟子達に、主は現れ、自ら焼いて調理して下さった魚とパンを差し出された。(ヨハネ21:9-13)
 主はそのようなお方である。そのような直接の特別な養いは、主のために労して働く働き人の特権である。
 『主の使は再びきて彼に触って言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから(NKJV: the journey is too great for you)」。彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。』(7-8節) エリヤには、まだまだ多くの成すべき「主の使命」があった。
 たとえ傷つき、疲れ、倒れてしまっても、主はその人に焼いたパンを下さり、それをいただく人は、どんな険しく長い道のりも進み行く事が出来、人にはとうて出来ない「主のわざ」をするようになって行く。
 私たちも疲れ果ててしまった時、祈るべきである。主よ、エリヤに下さった焼いたパンを下さい。不法な者を沈黙させなければなりません。救わなければならない人が多くあります。私が空腹で貧しいまま、どうして働けるでしょう。この時代この国で戦っておられる勇士たちを力づけ、栄光の働き人を力づけてください、と。
 
 そしてエリヤは神の山ホレブに到着し、主の御前にひとり立つ。主に激しく訴えるために。彼は主の前に出て、自分の思いを全て投げ出し、一対一で交わった。激しく。そして親密に。
彼は主と激しく交わって行く内に、徐々に癒やされ、ついに彼は働きに戻る事が出来るようになる。
それ以降、彼は、もはや独りで戦うのではなく、主のために戦う次世代を建て上げる働きに入っていく。
 彼はその後、彼の後継者であるエリシャを得る。主は、ダマスコのハザエルに油を注いで王とせよ、と命じられたが、ハザエルを王としたのはエリヤではなく、後継者のエリシャだった。さらにその後、エリシャの「預言者のともがらの一人」が、ニムシの子エフーに油を注いだ(2列王記9章)。「預言者のともがら」は、リビングバイブルでは「預言者学校の生徒」と訳されている(2列王記2:3-5)。エリヤはかつて、預言者は全員殺され、自分しかいなくなった、と思ったが、彼は後に預言者学校を立ち上げ、多くの若手預言者たちを育成して行った。これが、主から直接の養いをいただき、主と一対一で親密に交わった者の力である。
 
 この時代、あまりに不法がはびこっており、主の働き人は、心が折られてしまいそうな事柄は沢山あるが、それら全ての中にあっても、エリヤのように、主から直接のパンをいただき、また、主と一対一で親密に交わるなら、主は必要な人と、モノと、ミニストリーを与えて下さる。 先月、天声メンバーは、テフィリン・インターナショナル・アカデミー(TIA)を立ち上げた。テフィリンによって御言葉の子を育てて行く、現代版預言者学校である。この時代、エリヤの霊の二倍三倍が与えられ、新たな次世代にテフィリンという油を注いで王とし、預言者とし、勇士する働きをし、バアルに膝をかがめていない七千人共々、不法と偶像礼拝に満ちた日本を、主の福音で塗り変えて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

早天礼拝
頑固な人の心を一瞬で変えられるイエス様との出会い(使徒9:1-9)
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主日礼拝
乳と蜜の流れる地に入るための査定:ダバル(民数記13:27-14:38)
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週報/メッセージ(説教)概要

 『彼らはモーセに言った、「わたしたちはあなたが、つかわした地へ行きました。そこはまことに乳と蜜の流れている地です。これはそのくだものです。』(民数記13:27) イスラエルに行ってみると、そこはまさに乳と蜜の流れる地だと感じた。その地のくだものは、太陽と水にふんだんに育まれ、刺すようなみずみずしさで溢れていた。南のベエル・シェバやエルサレムは砂漠の気候なのに、水が湧き上がり、北のガリラヤ湖周辺は非常に潤って緑豊かで、さらに北端のダンの地、ヘルモン山周辺では豊かな水の流れが出ていた。
四国ほどの面積の中に春夏秋冬があり、砂漠も潤った地もあった。まさに山と谷の地、天の雨で潤っている地、主の目がいつも注がれている地であった。そしてそこは、同時に、人をテストする地でもあった。
主は、乳と蜜の流れる地に入る人を、テストされる。果たしてそこの良きものを享受するに値するかどうかを。
  本日の書、「民数記」の原語はベミッドバルבמדבר、「荒野にて」という意味である。「ダバルדבר(ことば)」に場所を表す前置詞「メムמ」がつくと「ミットバルמדבר(荒野)」、さらに前置詞ベイトב(〜にて)がつくと、「荒野にて」の意味となる。民数記の内容は、エジプト(世)から約束の地(神の国)へ行く途上の中間地帯、荒野(ミットバル)にて、神がテストし、約束の地に入るに値する人と、そうでない人とを振り分けた記録でもある。神はまず、御言葉という「大正解」を教えられる。そして、目の前に起きる事象や出来事に対し、人がどのダバル(ことば)を選択し、発したかによって、採点された。私達も同じように、この「世」という荒野にて、目の前に起きる諸々の事象に対し、どのダバルを選択して行くかによって、採点される。
 そこは乳と蜜が流れる地であったが、『その地に住む民は強く、その町々は堅固で非常に大きく、わたしたちはそこにアナクの子孫がいるのを見ました。』(13:28-29) 主は、強靭な原住民をテスト材料に用いられた。ついこの間までエジプトで隷属して生きてきたイスラエルの民には、到底勝ち目の無い相手である。
 『その時、カレブはモーセの前で、民をしずめて言った、「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」。しかし、彼と共にのぼって行った人々は言った、「わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません。彼らはわたしたちよりも強いからです」。』(民数記13:30-31)
 カレブとヨシュアは「必ず勝つ」と、他の10人は「攻めのぼる事は出来ない」と、ダバル(言葉)を発した。
自分達の力では到底勝ち目の無い相手なのに、ヨシュアとカレブは、なぜ「必ず勝てる」と判断したのか。
それは神の命令は元々「行け」であり、そして自分達と共に行かれる神は、その者達より遥かに強いからだ。
 他の十人は、主の命令と主の力をキレイさっぱり忘れたかのように、自分と彼らとを比較し、主が示された地を「悪く」言いふらした。そこは自分たちを滅ぼす地だ、そこに住む者達は強大で、それに対し、自分達はいなごのように思われた、と(13:32-33)。人々は、そのダバルに感染され、次々に不平・不満を言い出す。
『何故、主は私達をこの地に連れてきて、剣に倒れさせ、また私達の妻子をえじきとされるのであろうか。』(14:3) 主の言葉を捨て、人由来の弱音や不平、文句を言った人達は、そのダバルどおりにその身に災いが起き、荒野にて滅びた。ただ神のダバルを握りしめ、御言葉を発した人達だけが約束の地を受け継いだ。
  言葉(ダバル)。それは感染力を持つ。ダバルの母音が変わってデーベルという発音になると、ペストのように広まる「疫病」の意味になる。詩篇91篇に書いてある。主に対し「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と宣言する人を、主は狩人のわなから、恐ろしい「疫病(デーベル)」から、救い出される、と。
民数記にて、多くの人を滅びに導いてしまった人間の言葉(ダバル)には感染力があり、それがデーベル(疫病)へと実体化し、彼らを滅ぼした。それを消毒し、いのちへと導く特効薬は、神のダバルである。
 今回、私たちも試された。2/22以降、イスラエルでは日本人・韓国人はコロナを持っているかのような”ダバル”が蔓延し、私達はホテルの隅に隔離され、以降の行程が断念された。軍に拘束される危険性もあったため空港に逃れたが、あちらこちらに追い返された。しかし私達は誰も、絶望の言葉や、「どうして私達をここに連れて来たのか」と文句を言わなかった。私達の一人が38度の熱があると診断され、全身防護服の検疫官に連れて行かれ、一緒にいた私達も隔離を言い渡された時も、また、用意された航空券が購入できない程の高値であった時も、ただ神のダバルを宣言し、祈り続けた結果、主は、とても素晴らしい待遇で手配して下さり、私達は全員揃って、無事、日本に帰る事が出来た。主は、試される。私達が、この世という「荒野にて」、どのダバルに場所取りするかを。それによって、約束の地に入れるか入れないかが決まる。
デーベルに侵される事なく、神のダバルを宣言し、いのちに溢れた地を受け継ぐ皆さんでありますように!
 
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