メッセージ - 202004のエントリ

早天礼拝
親しい友に裏切られた時の詩(詩篇55篇)
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詩篇55篇表題「聖歌隊の指揮者によって琴をもってうたわせたダビデのマスキールの歌」
 
マスキールはサーカル(指示する、教示する、理解する)が元になっていると思われる。この詩は、私達に教訓を与えてくれる詩篇である。
 
ダビデは特に、親しい友人に裏切られた時の心情を、主に激しく吐露し、祈っている。
一体誰が彼を裏切ったのか、その裏切り者の名は記されていないが、この詩の内容は、第2サムエル記15章の記事、すなわち、彼の息子アブシャロムがクーデターを起こし、彼の有能な議官アヒトフェルほか、彼に親しかった者達がこぞってアブシャロムについた記事によくあてはまる。
 
アブシャロムは年月をかけて人々の心にダビデへの不平不満を植え込んだ。
アブシャロムは親しげに民衆に語りかけ、時にはハグし、口づけして人心に取り込みつつ、ダビデ王は人心を汲み取ってはくれない事、自分のほうこそ王に相応しい器だ、という事を、じっくりゆっくりと人々の心に浸透させていった。
このように巧妙に闇の中で下準備を整え、そして4年目のある日、満を持して王を名乗り、多くの民衆がアブシャロムについた。
ダビデは息子アブシャロムがクーデターを起こしたと聞いたが、彼はいつも、主を助けとした。
 
詩篇55:1 神よ、わたしの祈に耳を傾けてください。わたしの願いを避けて身を隠さないでください。
55:2 わたしにみこころをとめ、わたしに答えてください。わたしは悩みによって弱りはて、
55:3 敵の声と、悪しき者のしえたげとによって/気が狂いそうです。彼らはわたしに悩みを臨ませ、怒ってわたしを苦しめるからです。
 
この詩の最初の3節において、ダビデは神に切に求めている。
祈りを耳に入れて下さい、身を隠さないで下さい、御心を留めてわたしに答えてください、と。
ダビデはこの時の心情を、続く節で表しているが、それはかなり激しい。
 
詩篇55:4 わたしの心はわがうちにもだえ苦しみ、死の恐れがわたしの上に落ちました。
55:5 恐れとおののきがわたしに臨み、はなはだしい恐れがわたしをおおいました。
 
彼は死の恐れ(複数形)が彼の上に落ちた、と言った。
愛する子アブシャロムに裏切られ、また親しかった人々がこぞって彼から離れて行った時、死ぬほどの苦しみと恐れを、いくつも感じたのだ。
 
詩篇55:6 わたしは言います、「どうか、はとのように翼をもちたいものだ。そうすればわたしは飛び去って安きを得るであろう。
55:7 わたしは遠くのがれ去って、野に宿ろう。〔セラ
55:8 わたしは急ぎ避難して、はやてとあらしをのがれよう」と。
 
鳩は、その鳴き声から、うめく鳥と言われている。
彼は翼をかって、遠くに逃げ去りたい、と願った。
彼はアブシャロムのクーデターを聞いた時、真っ先にしたのは、速やかに野のほうへ逃れて行った事だった。
彼は息子には手をかけられないし、また、もし戦争となったら、戦場は国内の町々やエルサレムでの市街戦となり、多くの同胞たちが、同士討ち同然の戦いで死ぬ事になってしまうからだ。
ただ、逃げるしか無い。
このように行き場を失った時の彼の心情が、この詩篇によく現れている。
 
55:9 主よ、彼らのはかりごとを打ち破ってください。彼らの舌を混乱させてください。わたしは町のうちに暴力と争いとを見るからです。
55:10 彼らは昼も夜も町の城壁の上を歩きめぐり、町のうちには害悪と悩みとがあります。
55:11 また滅ぼす事が町のうちにあり、しえたげと欺きとはその市場を/離れることがありません。
 
彼は「彼らのはかりごとを打ち破ってください。彼らの舌を混乱させてください。」と祈っている。
その祈りは第2サムエル記15章においてダビデが祈った内容と一致している。
 
2サムエル記15:31 時に、「アヒトペルがアブサロムと共謀した者のうちにいる」とダビデに告げる人があったのでダビデは言った、「主よ、どうぞアヒトペルの計略を愚かなものにしてください」。
 
私達も、祈るべきである。
現在、韓国において、まさにダビデの時代に起きたクーデターのような事が起きている。
戦後、韓国では共産主義者たちが密かに、そしてじっくりと政界に浸透し、長年かけて教育業界に共産主義者たちを送り込み、子供たちに、共産主義を何か良いもの、かっこいいものであるかのように教育し、そうして長年浸透して来たある日、ムン・ジェイン政権が立ち上がり、そして4月15日の選挙では多数の議席を獲得してしまった。
もし韓国が北朝鮮に併合されるような形で共産化してしまったら、日本はロシア、中国、そして朝鮮半島と、共産国に囲まれ、孤立してしまい、大いに危険な立場に立たされてしまう。
 
共産主義とは、神無しとする思想であり、共産化された国は、一部の特権階級が搾取し、その国の多くの人々があえぐようになってしまっているのは、共産国の現状を見れば明らかである。
 
私達も、ダビデのように祈るべきである。
彼ら・共産主義者たちの計略が、愚かなものになり、彼らのはかりごとを打ち破って下さい、彼らの舌を混乱させてください、わたしは町のうちに暴力と争いとを見るからです、と。
 
詩篇55:12 わたしをののしる者は敵ではありません。もしそうであるならば忍ぶことができます。わたしにむかって高ぶる者はあだではありません。もしそうであるならば身を隠して/彼を避けることができます。
55:13 しかしそれはあなたです、わたしと同じ者、わたしの同僚、わたしの親しい友です。
55:14 われらはたがいに楽しく語らい、つれだって神の宮に上りました。
55:15 どうぞ、死を彼らに臨ませ、生きたままで陰府に下らせ、恐れをもって彼らを墓に去らせてください。
 
一緒に育ち、一緒に学び、一緒に多くの時間を過ごし、しかも一緒に礼拝を捧げた人が、神に喜ばれない卑劣な手段で裏切った。
それは、単に悪人にののしられたり圧迫されるより、はるかに心のダメージが大きい。
私達はそのような苦しみに遭った時、どうくぐり抜けるか。
 
ダビデは、決して裏切らない主への心情吐露と、祈りと、信仰告白によって切り抜けた。
彼が真っ先に行った事は、主に対する心情吐露であった。
その次は、祈りによって心を整え、そしてその後、彼は信仰告白の宣言に入る。
 
詩篇55:16 しかしわたしが神に呼ばわれば、主はわたしを救われます。
55:17 夕べに、あしたに、真昼にわたしが嘆きうめけば、主はわたしの声を聞かれます。
55:18 たといわたしを攻める者が多くとも、主はわたしがたたかう戦いから/わたしを安らかに救い出されます。
55:19 昔からみくらに座しておられる神は/聞いて彼らを悩まされるでしょう。〔セラ/彼らはおきてを守らず、神を恐れないからです。
55:20 わたしの友はその親しき者に手を伸ばして、その契約を破った。
55:21 その口は牛酪よりもなめらかだが、その心には戦いがある。その言葉は油よりもやわらかだが、それは抜いたつるぎである。
 
主は全て、真実に主に求め祈る人に、聞いて下さる。
そして、主に忌み嫌われる事を敢えて行う人、戒めても聞かない人に対し、主は敵対される。
主は、心の真実な人を喜ばれる。詩篇15篇に記されている。
 
詩篇15:1 主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。
15:2 直く歩み、義を行い、心から真実を語る者、
15:3 その舌をもってそしらず、その友に悪をなさず、隣り人に対するそしりを取りあげず、
15:4 その目は神に捨てられた者を卑しめ、主を恐れる者を尊び、誓った事は自分の損害になっても変えることなく、
15:5 利息をとって金銭を貸すことなく、まいないを取って/罪のない者の不利をはかることをしない人である。これらの事を行う者は/とこしえに動かされることはない。
 
ダビデはさらに、三人称の視点で記して、自分自身を奮い立たせ、また、この詩を読む全ての人に対し、断言する。
 
詩篇55:22 あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。
55:23 しかし主よ、あなたは彼らを/滅びの穴に投げ入れられます。血を流す者と欺く者とは/おのが日の半ばも生きながらえることはできません。しかしわたしはあなたに寄り頼みます。
 
ダビデは、血を流す者と欺く者とは、そのいのちの日の半ばも生きながらえられない、と宣言した。
いのちの日は、それぞれ、神によって量り与えられている。
敢えて血を流す者、欺く者は、もし80年の命が量り与えられていたとしても、40年も生きる事ができないようにされるのだ。
 
この詩篇は最初、子供が親に泣きつく「泣き言」のような祈りで始まったが、しかし最後は凛々しい信仰告白と宣言で終わった。
前知識が無い人が詩篇を見ると、ダビデという人物は、いつも泣いて呻いて神に祈っていて、ずいぶん弱々しいのかな、と思われそうだが、サムエル記におけるダビデの勇士然とした有様と、また彼の英雄的な行動は、主と彼との親密な交わりの中に秘訣がある。
私達も、主の前では幼子のように親しく交わり、何かあったら何でも主の前に泣きつき、そうして主から慰めと力を得たなら、凛々しく世に立って出ていき、勇士となり勝利し、英雄となって行くのである。

 

詩篇 講解説教
主の御名の力(詩篇54篇)
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詩篇54篇表題「聖歌隊の指揮者によって琴をもってうたわせたダビデのマスキールの歌。これはジフびとがサウルにきて、「ダビデはわれらのうちに隠れている」と言った時によんだもの」
 
この表題の出来事は、1サムエル記23:19-29である。
ダビデがサウル王に追われていた時、ダビデが隠れている場所を、ジフ人がサウルに告げ口した。
それでサウル王は喜んで、ジフ人に言った。
「あなたがたはわたしに同情を寄せてくれたのです。どうぞ主があなたがたを祝福されるように。」(1サムエル記23:21)
 
ジフ人は、ダビデを差し出す事によって、時の権力者・サウルに気に入られ、地位なり富なりを得たかったのだろう。
対してダビデは、誰から救いを得ようとしたか。
 
詩篇54:1 神よ、み名によってわたしを救い、み力によってわたしをさばいてください。
54:2 神よ、わたしの祈をきき、わが口の言葉に耳を傾けてください。
 
ダビデは、まず神を呼び求め、「御名」によって救って下さい、と祈った。
この詩篇54篇は、最初と最後(1節と6節)が、「御名」によってサンドイッチされており、その間に「神は」「主は」と、主のご性質を宣言しており、全体を通して、神の「御名」による救いが主題となっている。
 
名。
それは、その相手を識別し、相手の身元を明らかにするものであり、相手の本質を表していることばである。
ダビデはそれを宣言し、主はいかなるお方であるのかを表明して行く。
 
54:3 高ぶる者がわたしに逆らって起り、あらぶる者がわたしのいのちを求めています。彼らは神をおのが前に置くことをしません。〔セラ
 
「高ぶる者」と訳された語ザールは「ほかの者」「異邦人」とも訳せ、特に、主の民を迫害する者、神を否定する者の事である。
ジフ人は、サウル王が主の祭司たちを虐殺したり、明らかに主の御旨に逆らう事をして来たにもかかわらず、サウルに媚びて、ダビデを売り渡そうとした。
彼らは、サウルを拠り所としたが、それに対し、ダビデは主を拠り所として宣言した。
一体どちらがいのちを長らえ、栄えるか。主はダビデに軍配をあげた事を、歴史は証明している。
 
ダビデはここで「セラ」を宣言した。
「セラ」は、雰囲気を変えなさい、転調しなさい、休みなさい、という意味で、今までは受身的・防御的な内容だったのが、ここからは積極的・攻撃的に変わる。
 
詩篇54:4 見よ、神はわが助けぬし、主はわがいのちを守られるかたです。
 
ダビデは、神は助け主、と告白したが、それはイエス・キリストによって成就した。
イエス、ヘブライ語ではイエシュア、その名の意味は「主は救い」、そのヘブライ語は「ישוע」(ユッド、シン、ヴァヴ、アイン)であるが、「ユッド」は「手」の意味、「シン」は「聖なる」あるいは「破壊された」、「ヴァヴ」は「釘」、「アイン」は「目」、の意味がある。
これをつなげると、聖なる、破壊された御方の、手の釘を、その目で見よ、という意味になる。
だから私達が「イエスよ」と呼び求める時、イエス様の十字架の贖いを見据え、救いを求めているのである。
だから、イエス様の御名の中に、この詩篇54:1-4でダビデが宣言し求めた内容は、全部、含まれているのである。
 
イエス様は言った。
ヨハネ14:13 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。
14:14 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。
 
だから私達は、イエス様の御名によって、大胆に父なる神様に求める事が出来る。
『その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。』(ヨハネ16:23-24)
 
詩篇54:5 神はわたしのあだに災をもって報いられるでしょう。あなたのまことをもって彼らを滅ぼしてください。
 
主の真実、それは、神を恐れぬ者、主の民を迫害する者に、力強い御腕で報いを与える。
 
54:6 わたしは喜んであなたにいけにえをささげます。主よ、わたしはみ名に感謝します。これはよい事だからです。
54:7 あなたはすべての悩みからわたしを救い、わたしの目に敵の敗北を見させられたからです。
 
ダビデは最後に、御名をもって、感謝をもって結んだ。
そして、敵の敗北を宣言した。
 
私達は祈る時、イエス様の御名によって、祈りを閉じるが、御名を単なる「閉じ言葉」にしていないだろうか。
私達はいつでも御名を呼び求め、積極的に御名によって宣言すべきである。
そうするなら、御名に込められた力強い力が私達のうちに現れるのだ。

 

主日礼拝

正しいひきこもり生活の過ごし方(ガラテヤ5:13-26)

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賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 

 現在、コロナウイルスのために、今まで普通にしていた事業や学校生活が出来ず、先が見えない状況だ。
そんな中にあっても私達キリスト者には、主イエス・キリストと御言葉にあって希望がある。私達はこの時期、与えられた時間をどのように有効活用して、時代の有力者へ飛躍して行けるか、ガラテヤ書から学びたい。
 
 パウロは言う。与えられた自由は肉の働く機会とせず、愛をもって互に仕え合いなさいと。(ガラテヤ5:13)
愛をもって仕え合う相手は、まず、家の中の目の前にいる夫や妻、子供、親である。『律法の全体は「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。』(14節) 彼らが健やかになるよう仕え、時に戒め、共にいのちの喜びを増し加えて行くのだ。もし互いにかみ合ったり食い合ったりしているなら、互いに滅ぼされてしまう(15節)。もし家族が噛み合う相手なら、この時勢どれほど辛いだろう。
 さらにパウロは言う。『私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。』(16節) 生まれつきの人間は「肉(サルクス)」の存在である。「肉」とは、神を除外した人間的な考え方・肉体的な力を行うもので、そこには、罪の棘が刺さっており、罪に傾く性質がある。
 このようなご時勢、世の中では、持て余した時間を、映画や動画、漫画やゲームなどに投じる人が多い。
それらはインターネットから、幾らでも観たり遊んだり出来るが、それらは御霊ではなく肉を刺激するものが多い。事実、人気と言われる番組やゲームは、19-21節に記されている性質を「売り」にしている事が多い。
『不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のもの』(19-21節) 人には罪のとげが刺さっているため、どうしても不品行や好色、魔術や魔法、妬みや憤り、戦闘意欲を駆り立てる系統のテーマや話題に、惹き込まれる性質があるからだ。
 「偶像」を表すヘブライ語の一つに、「エリィル」がある。エリィルは偶像の他に「空しいもの」「意味の無いもの」、特に、占い師が作った実体的な意味が無い、空しいものを現す。仮想世界の映像やゲームは、視覚・聴覚などあらゆる感覚に訴え、夢中にさせ、それに時間、お金、エネルギーを費やさせ、神の似姿である人の尊い霊性と人生の時間を奪っていく。まさにエリィルだ。それらの映像や物語という「偶像」に浸り切っていると、神が創造してもいない魔物や架空の能力、架空の恐怖や架空の快楽を夢想するようになる。
 それは「肉」にとっては非常に心地よく、どんどん霊的な感覚や健全性や、真理の感覚がすたれて行くのみならず、肉体的・精神的にも不健全になり、社会性や、コミュニケーション力、思考力、生きる意欲がどんどん萎えて行く。そして、現実世界の、目の前の愛し仕えるべき家族や伴侶が、つまらなくてうっとおしい存在となり、罵声を浴びせたり、攻撃したりするようになってしまう。サウル王がまさにそうだった。
 サウル王は、健全な主の言葉に耳を傾けず、気分に流されるまま、「妬み」「怒り」「殺意」など悪霊好みの言葉をいつも思い巡らしたため、悪霊に憑かれ、常に刃物を持ち歩くようになり、自分の思い通りに行かないと、ダビデであろうとヨナタンであろうと槍を投げつけていた。それで自分の身を滅ぼしてしまった。
 私達の「思い」は、常時、何かの「言葉」が電光掲示板のように流れている。その思い巡らす言葉の内容を、管理し、支配すべきだ。なぜなら私達は、内外に流れる「ことば」に影響を受けながら「人となり」が形成されて行くからだ。こうした思いが思考パターン化してしまった「要塞」は、普通なら到底太刀打ちできない。
 
 もし、そうした「要塞」が構築されてしまった場合、それを打ち破る効果的な武器がある。その武器とはキリストへの服従である。自分の理屈や計算を破り、神の知恵に逆らって立つあらゆる高慢を打ち壊し、全てのはかりごとや所存をイエスの名によって「逮捕」し、キリストに服従させ、その服従が完全になった時、要塞をも破る大砲の玉が込められ、全て不従順なものが処罰される準備が整うのである。(2コリント10:3-6)
 ただ、服従には骨が折れる。一番ラクな方法は、御言葉をそのまま暗記し体質化する「テフィリン」である。
 御霊の剣である神の言葉が入り、体質化すると、肉への攻撃も防御も全自動となる。御心にかなった健全な方法を選択し行う事と、罪と滅びの性質を避ける事が、思考パターン化・行動パターン化するからだ。
そうなると、22節以降に記されている御霊の実(愛、喜び、平安など)を結んで行くのも、自動化される。
だからこの時期こそ、テフィリンをして、将来に向けて知恵と洞察力と人間力、霊性を磨いて行くべきだ。
 肉に興じて、ラクな”時間つぶし”をしている人が多い中、家族に愛をもって仕え、御霊に従って歩み、時の有力者を目指して、ぐんぐん成長する皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 早天礼拝

御霊が来るとどうなるか(ヨハネ16:1-16)

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 早天礼拝

邪悪な時代に染まらず栄光の次世代を残すために(エレミヤ35章)

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主日礼拝
主の民は、主の御名にふさわしく生きよ(黙示録3:8-11)
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週報/メッセージ(説教)概要

 現在、コロナウイルス感染症緊急事態宣言が、全国都道府県にも拡大され、平和に生きてきた私達は、今まで体験した事の無い時代に突入している。今、全世界が、特に政府や指導者が、試されている。
この時代を私達キリスト者は、いかに無事に乗り切って行くべきか。その秘訣は、主の御名にある。
 
 主は「忠実また真実」と呼ばれる方であり、その名は「神のことば」と呼ばれ、その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれている(黙示録19:11-16)。もしこの時期、忠実さ・真実さを捨て去って、嘘で塗り固めたり、事実とは違ったふりをしたり、現実的でないロマンを押しつけたり、怠慢や不真実な対応で乗り切ろうとするなら、コロナは無慈悲なまでに襲いかかって来る。これは誰に対しても同じである。
 主は言われる。たとえ小さな力しかなくても、忍耐してわたしの言葉を守り、わたしの名を否まないなら、地上に住む者達を試みるために、全世界に来ている試練の時に、あなたを守ろう、と。(黙示録3:8-10)
 主の民は、主の御名にふさわしく生きるべきであり、そこに留まるために、忠実と忍耐が求められている。
 
 主ジェホバの呼び名は、聖書全体では81種類も登場すると言われる(ジェホバ・ジレ、ジェホバ・シャンマ等)。それらを代表する8種類の呼び名が、実は、詩篇23篇に隠されている。
1,「主はわたしの牧者」(1節a) ヘブライ語では「ジェホバ・ロイ」、羊飼いである主の御名が表現されている。私達が主が羊飼いである事を否まず、あくまでそれを認めるなら、以下の特典が私達へついて来る。
2,「わたしには乏しいことがない」(1 節b)。ここには「ジェホバ・イルエ」という主の御名が隠されている。
この御名が登場するのは創世記22:14で、「主の山には備えあり」として有名であるが、正しくは「ジェホバ(主)+ラアー(見つめるの未完成形)」、「主は今なおずっと見つめ続けておられる」である。主は見つめておられる。主は確かに必要なものを備えて下さるが、それは人の欲する最善ではなく、「主の最善」である。
3,「主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいの水際に伴われる」(2節)。ここには「ジェホバ・シャローム(主は平安)」という主の御名が隠されている。それが示されたのは、部族の中で最も小さく、弱く、臆病だったギデオンに対し、彼を大勇士にして下さった場面においてである(士師記6:24)。イエス様も、恐れ隠れている弟子達に現れ、平安(シャローム)があなた方にあるように、と宣言し、その手とわき腹を示された。
4,「主はわたしの魂をいきかえらせ」(3節) ここには「ジェホバ・ロフェ」すなわち「癒し主」という御名が隠されている。『あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプト人に下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたを癒やす者(ロフェ)である。』(出エジプト記15:25-26)
5,「み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」(3節) ここには、「ジェホバ・チヅケヌ(義なる主 エレミヤ23:6)」の御名が隠されている。主が人を立て直す順番は、最初に「たましいを生き返らせ」、次に「義の道に導かれる」であり、主が人を義とする理由は、ただ「主ご自身の御名のために」である。
6,「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。」(4節) ここに隠されている御名は「ジェホバ・ニシ」、「主はわが旗」(出エジプト記17:8-15)という意味である。その箇所では、モーセが手を上げて祈り、勝利をもたらした。同じように、私達が手を上げて祈る事は、主の旗を掲げる事なのである。
7,「あなたがわたしと共におられるからです」(4節) ここには「ジェホバ・シャンマ」、すなわち「共におられる主」(エゼキエル48:35)の御名が隠されている。イエス様は、インマヌエル(主が共におられる)であられる。
8,「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる」(5節) 
ここには「ジェホバ・メカディシケム(聖別する主 出エジプト記31:13)」という御名が込められている。主は、敵の面前で油を注いで聖別し、任職して下さる。そして主は、敵の面前で、宴会を設けてくださる。
 
 以上は、主のご性質を表す御名の、ほんの一部である。私達がこの時代、主の御名を否まず、忍耐して主の言葉を守るなら、既に来ている全世界の試練の時、主に守られ、主から栄誉を頂く事ができる。
この素晴らしい御名という冠を、誰にも奪われないようしっかりと持ち、勝利を得る者として、主の御名と、新しいエルサレムの名が書き記される皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

ヨハネによる福音書 講解説教

閉じこもっている中に平安をもたらしに来られる復活の主(ヨハネ20:19-23)

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 ピレモンへの手紙 講解説教 水曜夕礼拝

ピレモンへの手紙概要(ピレモン1-7)

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 哀歌 講解説教 水曜昼礼拝

だちょうのように子を顧みないとどうなるか(哀歌4:1-12)

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 早天礼拝

主がきよめた(使徒10:9-23)

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