メッセージ - 202005のエントリ

ホセア書 講解説教 水曜夕礼拝

買い戻された姦淫の妻(ホセア2:16-3:5)

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エゼキエル書 講解説教 水曜昼礼拝

エゼキエルに与えられた使命:見張り人として警告を発する(エゼキエル3:16-27)

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他の引用箇所:
ルカ24:49-53
1テモテ4:13-16
 

早天礼拝

御言葉が「謎」でなはなく、はっきり分かるようになるために(ヨハネ16:25-33)

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16:25 わたしはこれらのことを「比喩(パロイミア:真意を隠した表現、謎)」で話したが、もはや比喩では話さないで、「あからさまに(パレースィア:自由に、大胆に、あからさまに、公然と)」、父のことをあなたがたに話してきかせる(カナゲロー:表明する、マニフェストする)」時が来るであろう。
 
15:14 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。

 

ルカ24:45 そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて

24:46 言われた・・・

24:52 彼らは〔イエスを拝し、〕非常な喜びをもってエルサレムに帰り、

24:53 絶えず宮にいて、神をほめたたえていた。

 

 

ヨハネ16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

1ヨハネ4:4 子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。

4:5 彼らは世から出たものである。だから、彼らは世のことを語り、世も彼らの言うことを聞くのである。

 

詩篇 講解説教

ダビデの連戦連勝の陰にあった、彼の葛藤の祈り(詩篇60篇)

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詩篇60篇表題『聖歌隊の指揮者によって、「あかしのゆり」というしらべにあわせて教のためにうたわせたダビデのミクタムの歌。これはダビデが、アラムナハライムおよびアラムゾバと戦ったとき、ヨアブがその帰りに、塩の谷でエドムびと一万二千人を殺したときによんだもの』
 
この表題の出来事は、第2サムエル記8章、1歴代誌18章で示されている。
それらの記事を見ると、「ダビデは**と戦った、勝った」と、結果だけが淡々と記されていて、途中どんな葛藤やドラマがあったのかは記されていないので、その箇所だけを見るなら、あたかもダビデは、何の苦労も無く連戦連勝したかのように見えるかもしれない。
しかし、詩篇60篇の内容を見ると、決してそうではなかったのだという事が伺える。
 
詩篇60:1 神よ、あなたはわれらを捨て、われらを打ち破られました。あなたは憤られました。再びわれらをかえしてください。
60:2 あなたは国を震わせ、これを裂かれました。その破れをいやしてください。国が揺れ動くのです。
60:3 あなたはその民に耐えがたい事をさせ、人をよろめかす酒をわれらに飲ませられました。
 
ダビデはその時、北のアラム・ナハライム(アラム軍)や、アラム・ツォバ(ダマスコの北東の国)と戦っているさ中で、しかもその時、南からはエドムが蜂起して戦いを仕掛けて来た。
強敵が次から次へとイスラエルに襲いかかって来る。
その時、ダビデは、あたかも神が憤ってダビデを捨てたかのように感じたのだ。
ダビデがここまで弱気な事を書いたからには、この時のイスラエルは、普通の人が見るなら、誰が見ても絶望、と見られる程の、危機的状況だったのだろう。
しかしダビデは、信仰を奮い立たせて、宣言する。
 
詩篇60:4 あなたは弓の前からのがれた者を再び集めようと/あなたを恐れる者のために/一つの旗を立てられました。〔セラ
 
ここは、訳し方が分かれる節である。
原文は以下である。
ナタター(あなたは与えた) リレエイカ(恐れる、打つ) ネス(旗) レヒトノーセス(ひらめく、逃れる) ミペネイ(顔に、〜前に、のために) コシェット(ヘブライ語:真理、アラム語:弓) セラ
 
口語訳や新改訳は、コシェットをアラム語の「弓」と訳したが、KJVや新共同訳は、ヘブライ語の「真理」と訳している。
主は、主をおそれ敬う人達、すなわち主を避け所として、主の御旗の元に集う人の前には、真理(あるいは弓)をもって、偉大な御力をあらわしてくださるのだ。
 
旗には、自分の所属のしるしが記されている。
私達も、自分の所属は、天地を創られた主である、という事を表明するために、主の御旗を掲げるべきである。
どのようにしたら、主の御旗を掲げる事が出来るのだろう。
出エジプト記に、主の旗をかかげて勝利をもたらした記事がある。
 
『モーセはヨシュアに言った、「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。わたしはあす神のつえを手に取って、丘の頂に立つであろう」。ヨシュアはモーセが彼に言ったようにし、アマレクと戦った。モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。』(出エジプト記17:9-10)
 
手を上げて主に祈る事が、すなわち、主の旗を掲げる事である!
 
『モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。』(11節)
モーセが背後で祝福の手を上げて祈る、その手が「主の旗」となり、それが戦いを左右した。
教会と、世の組織との違いは、祈るか、祈らないか、であり、祈る教会と祈らない教会とでは、大きな違いが出てくる。
世の人は、肉弾戦で戦おうとするが、私達・教会は、主の御名によって祈る事によって、天の扉を開けたり閉めたりする権威をもって、戦うのである。
 
出エジプト記17:12 しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。
 
このように、霊的指導者の祈りの手が下りないように支える働きは、実戦部隊より重要である。
教会も、牧会者が祈りと御言葉の奉仕に専念できるよう、事務作業において、経済において、支える働き人が必要である。
もし牧会者ひとりが、祈りと御言葉の奉仕をし、その上で事務作業をしたり、日銭を稼いだりしていたら、疲れ果てて、祈りの手が萎えてしまう。
 
出エジプト記17:13 ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。
 
祈りに専念したら、ヨシュアが戦って勝利してくれた。
ヨシュア、ヘブライ語でイエシュア、その意味は「主は救い」。すなわちヨシュアは、イエス様の名と同じである。
私達も、祈りの手を上げて主の旗をかかげるなら、まことのヨシュアであられるイエス様が戦って、勝利をもたらしてくださるのだ。
 
出エジプト記17:15 モーセは一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ。
17:16 そしてモーセは言った、/「主の旗にむかって手を上げる、/主は世々アマレクと戦われる」。
 
「主は世々、戦われる」と書いてある。世々に、という事は、今も、である。
現代の私達も、手を上げて祈る時、主の旗が掲げられ、そうして主は、今も、主の民に敵対する者と戦われるのだ。
 
詩篇60篇は、4節で、セラ(モードチェンジ)が宣言されている。
恐れおののいていたダビデは、主の御旗を掲げた信仰宣言によって、その雰囲気をチェンジする。
 
詩篇60:5 あなたの愛される者が助けを得るために、右の手をもって勝利を与え、われらに答えてください。
 
ダビデは、主の右の手をもって勝利を与えてください、と願った。
主の旗は、世々に渡って勝利を与えて下さる主の手である。
そしてダビデは、主の聖所に入り、主の言葉を聞いた。
 
詩篇60:6 神はその聖所で言われた、「わたしは大いなる喜びをもってシケムを分かち、スコテの谷を分かち与えよう。
60:7 ギレアデはわたしのもの、マナセもわたしのものである。エフライムはわたしのかぶと、ユダはわたしのつえである。
 
シェケムとエフライムはヨルダンの西側、スコテとギルアデはヨルダンの東側の地で、それらの地は元々、創世記15章において、主が「与える」と約束された相続地である。
私達も、祈りの内に主の聖所に行って、主の約束の御言葉を盾にとって祈るなら、それは実現する。
 
詩篇60:8 モアブはわたしの足だらい、エドムにはわたしのくつを投げる。ペリシテについては、かちどきをあげる」と。
 
モアブ、エドム、ペリシテは、神の民に敵対して来た者達であるが、主は、それを足の下に踏みつける、と言われる。
私達も、御言葉を宣言するのだ。
「平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう。」(ローマ16:20)
 
詩篇60:9 だれがわたしを堅固な町に至らせるでしょうか。だれがわたしをエドムに導くでしょうか。
60:10 神よ、あなたはわれらを捨てられたではありませんか。神よ、あなたはわれらの軍勢と共に出て行かれません。
60:11 われらに助けを与えて、あだにむかわせてください。人の助けはむなしいのです。
 
ダビデは、北から南からイスラエルを引き裂こうとして来た強敵を前に一度は恐れおののいたが、しかし信仰告白によって奮い立つ。
 
詩篇60:12 われらは神によって勇ましく働きます。われらのあだを踏みにじる者は神だからです。
 
ダビデは「神によって」と宣言した。
そう、人の力や助けは虚しいが、神にあって私達は強い。
 
ダビデはこの宣言をもって、戦った結果、あっさりと勝利した。
 
サムエル記や歴代誌の記述だけを見ると、あたかもダビデは何の葛藤もなく、あっさりと勝ったかのような印象を受けるが、そうではない。
ダビデにも戦いの毎に恐れがあり、そして主への祈りと信頼があり、そして勝利する度に、主への感謝と賛美があったのだ。
 
この詩篇の表題にある「あかしのゆり」の原語は、シュシャン・エイドゥース。
シュシャンはゆり、エイドゥースは「あかし」で、新共同訳では「定め」「教え」と訳されている。
つまりこの詩は、教えのために作られたものであると考えられる。
 
この詩は、現代の私達にも、教える。
戦いを前に、あるいはコロナウイルスが蔓延る現状に、恐れがあるだろうか。葛藤があるだろうか。
しかし主は、今も、祈りの手を上げて御旗を掲げる人には、イエシュアであられるイエス様が戦ってくださり、勝利をもたらしてくれるのだ。

主日礼拝

力を着せられるまで、都にとどまっていなさい(ルカ24:49-53)

第一礼拝 Youtube動画

賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 次週は聖霊降誕日である。聖霊が来ると主の力強い証人となり、罪について、義について、さばきについて、世にその過ちを認めさせるようになる。また、人や物事に対する識別力が与えられ、言葉や人間関係でつまづいたり、失敗したりしなくなっていく。五旬節をもうじき迎える今、私達はいかに備えたら良いか。
 
 『見よ、わたしの父が約束されたものを、あなた方に贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなた方は「都(ポリス:城壁がある大きな町)」に留まっていなさい。』(ルカ24:49) 主は、「力を着せられるまで留まりなさい」と言われた。だからそれまで、勝手にあれこれするべきではない。しかし聖霊が与えられる時、内から込み上がってくる聖なる衝動に突き動かされ、聖なる行いをし、聖霊が語らせてくださるままを語る。
聖霊が働く時、失敗は無いが、聖霊抜きに、自分で編み出した力で神の国を立てあげようとすると、必ず失敗する。サラは、約束の子が与えられるのを待ちきれず、ハガルを通して苦い根を残し(創世記16章)、サウルは、サムエルが来るのを待ち切れず儀式を行い、王国が立つ事を逃してしまった(1サムエル13章)。
 
 初代教会の聖徒達は、力を着せられるまで待ったが、その間、エルサレムに留まって何をしていたか。
彼らは、非常な喜びをいただき、いつも神を褒め称え(テヒラーתהלה)て(49-53節)、また共に心を合わせて祈り(テフィラーתפלה)に専念していた(使徒1:13)。これは聖霊を待ち望む私達もするべき事である。
 私達も、聖徒の交わりという城壁の町の中に留まり、共に賛美し、祈り続けるのだ。祈り(テフィラー)は本来、主の御言葉を暗唱する事で、それを反復すると「テフィリンתפלין」となる。そうして御言葉を思い巡らし続けていると、やがて、非常な喜びが沸き起こり、それにメロディがついて賛美(テヒラー)となる。
 マリヤのように、主の言葉を繰り返し思い巡らしていると、矢のように飛んで来て刺さるような言葉が現れ、また、感動し涙する言葉、心から離れない言葉が現れ、大いにアーメンし、賛美したくなる。この人知を超えた経験をするのは、神の言葉は霊であり、生きており、その霊が、私達の霊と共鳴するからだ。
 こうして賛美、祈り、テフィリンを繰り返して行くと、その感動と喜びが、確信となり、アーメンとなり、それが貯まりに溜まってデュナミス(力)となり、それが見える世界で実体化し、力強く神をあかしするようになる。
 だから、御言葉を昼も夜も口ずさめば口ずさむほど、その言葉の高さ、広さ、深さを理解し、知恵と啓示の霊で満ち溢れる。そして、目の前にある人が来た時、または何かの事象が起きた時、それまで思い巡らして来た、エネルギーを帯びた言葉に、主がエンジンをかけて下さり、主のタイミングにより溜まっていた聖なるエネルギーがほとばしり出て、目の前の人、モノ、状況に対して、主の御業が”ばんっ”と遂行される。
 
 言葉には、3種類ある。思いの中の言葉と、態度という言葉と、口から出て人に聞かせる言葉であるが、思いの中の言葉が、一番大事である。人は、言葉を蓄えた器のようで、その器の中に蓄えて来た言葉を源とした言葉が、思いの中に、電光掲示板のごとく流れ、そうして思い巡らしている言葉が顔の筋肉を動かし、表情に現れ、または態度に現れ、それが定着して、顔立ちや言動パターンが、そして人生が出来上がる。
悪い言葉を蓄えて思い巡らしているなら、人相が悪くなり、健全な言葉を蓄えているなら、顔立ちが良くなる。せっかくエステに通っていても、もし内に蓄えている言葉が悪いなら、人相の悪さは治りようが無い。
 良くない言葉を内に溜めていると、良くない事を引き寄せ、嫌な思いをするので、内なる言葉を入れ替える必要がある。良くない言葉は、健全で積極的な「主の言葉」によって打ち消す以外には無い。
 もし主の言葉を思い巡らし、豊かに蓄え、その健全な言葉を豊かに自分に染み込ませているなら、その人の平安と健全さは、決して状況や気分によって左右されないし、一発屋的に終わるのでもない。
御言葉を思い巡らし、反復して宣言し、霊に染み込んだ御言葉には、腹の奥底からの確信があるからだ。
 
 今、コロナの危険がある現代、私達は悪者のはかりごとに歩んだり、罪人の道に立ったり、あざける者の座に着いてはならない。主の守りの保証から外れてはならない。むしろ聖徒の交わりの城壁の内にこもり、主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむべきだ。そうすれば、時が来れば実がなり、その葉は枯れず、何をしても栄える保証が得られる(詩篇1篇)。この時代、留まるべき御言葉に留まり、やがて聖霊の力が着せられ、大いに主の働きをする皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

 金曜徹夜祈祷会

感謝せずにむさぼり食べる者の行く末(民数記11章)

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 ホセア書 講解説教 水曜夕礼拝

姦淫をやめさせるための3つの「それゆえ」(ホセア2:1-15)

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 エゼキエル書 講解説教 水曜昼礼拝

鉄面皮を粉々に砕くダイヤモンド・ヘッドが与えられるために(エゼキエル2:1-3:15)

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他の引用箇所:
黙示録4:1-2
黙示録10:8-11
2テモテ4:1-5
 

早天礼拝

「しもべ」を通してご自身をあらわしてくださるイエス(使徒10:24-33)

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詩篇 講解説教

好んで悪に加担する者達に殺されそうになった時にダビデが宣言した祈り(詩篇59篇)

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詩篇59篇表題「聖歌隊の指揮者によって、「滅ぼすな」というしらべにあわせてうたわせたダビデのミクタムの歌。これはサウルがダビデを殺そうとして人をつかわし、その家をうかがわせたときダビデのよんだもの」
 
この時の状況は、1サムエル記19章11節以降に記されている。
ダビデはサウルの元で仕え、戦争の時は千人隊長として真っ先に敵陣に突入して勝利をもたらし、平時はサウルの元で立琴を弾いていたが、サウルは妬みにかられ、悪霊に憑かれて、ダビデに槍を投げた。
ダビデは槍を逃れて、妻ミカルがいる家に逃げ帰ったが、サウルは使者をその家に遣わし、夜があけたらダビデを殺そうとしていた、まさにその夜の状況を、ダビデは詩篇に編纂し、後にダビデが王になった時、聖歌隊にこれを歌わせ、主を賛美した。
 
詩篇の順番は、時系列ではなく、内容順にまとめられており、特に51篇以降、ダビデが「自分自身の罪」という敵に、あるいはサウルやペリシテ人など、あらゆる外的な敵によって苦しめられた時、それらに対し、いかに主と共に克服して行ったかが記されている。
ダビデが危機に陥る都度、彼は主を叫び求め、祈り、そうして心の平安と、そして実際的な助けを得て行った。
これらの詩篇は、全て私たち主の民に対するメッセージであり、私たちも危機的状況に陥った時、どのような祈りをすればよいか、また、主はどのような危機から解決して下さるかを、知る事が出来る。
 
59:1 わが神よ、どうかわたしをわが敵から助け出し、わたしに逆らって起りたつ者からお守りください。
59:2 悪を行う者からわたしを助け出し、血を流す人からわたしをお救いください。
 
わが神(エロハイ)の呼びかけによって、この詩が始まる。
いのちを付け狙う者が目の前にせまっていて、今にも殺されそうな時、ダビデは神を「わが」と呼び、神は自分のもの、と宣言した。
 
私たちもこれを習うべきである。
神は、すべてより頼む者を助けて下さる。
神は、私たちと関係無き存在ではなく、私たちと関係される存在、そして、私の拠り所、と宣言するなら、主が本当に直接関わって下さる。
 
59:3 見よ、彼らはひそみかくれて、わたしの命をうかがい、力ある人々が共に集まってわたしを攻めます。主よ、わたしにとがも罪もなく、
59:4 わたしにあやまちもないのに、彼らは走りまわって備えをします。わたしを助けるために目をさまして、ごらんください。
 
ダビデがいのちを付け狙う者達に囲まれているのは、ダビデが悪い事をしたからではなかった。
彼はただ、サウル王の元で、神と、神の民イスラエルに、純粋に仕えていただけだった。
しかしサウルは、ダビデの活躍をねたみ、ダビデは命を狙われる事になってしまった。
 
そこでダビデは、主に、「目」を用いて、この状況を見てください、と願い求めた。
正しい事が行われていない現状です、自分は殺される事などしていないのに、不当にも命が奪われようとしています、と。
私たちも、主に願い求めるのだ。
主よ、どうか今のこの状況をご覧になって下さい!と。
 
59:5 万軍の神、主よ、あなたはイスラエルの神です。目をさまして、もろもろの国民を罰し、悪をたくらむ者どもに、あわれみを施さないでください。〔セラ
 
「もろもろの国々」と訳された語「ゴイーム」は、群生する獣やいなごが元々の意味で、特に、主を知らない異邦の者達のことをいう。
敢えて好き好んで、悪に加担する者達を罰してください、とダビデは主に願う。
その者達が、以下の意図をもって悪を行っているからだ。
 
59:6 彼らは夕ごとに帰ってきて、犬のようにほえて町をあさりまわる。
59:7 見よ、彼らはその口をもってほえ叫び、そのくちびるをもってうなり、「だれが聞くものか」と言う。
 
彼らは、口で(言葉で)、多くの罪を犯しているのだ。
「だれが聞くものか」。
これは、「神はいない」という人生観で、誰も見ていない所では、どんな悪い事を犯してもいい、と思い込んでいる人々だ。
そのような者達には、主が生きておられる事、主は決して嘲られるお方ではない、という事を、知るべきだ。
そのために、ダビデは以下のように祈る。
 
59:8 しかし、主よ、あなたは彼らを笑い、もろもろの国民(ゴイーム)をあざけり笑われる。
59:9 わが力よ、わたしはあなたにむかってほめ歌います。神よ、あなたはわたしの高きやぐらです。
59:10 わが神はそのいつくしみをもって/わたしを迎えられる。わが神はわたしに敵の敗北を見させられる。
 
ダビデは宣言した。
自分は、彼らが軽んじた主が「わが」力である、そして主は、主をないとする者達(ゴイーム)をあざける、と。
さらに主は、ダビデを襲う者達の敗北を見させて下さると。
なぜなら彼らは、何も悪い事をしていないダビデを、不当に追い回し、いのちを奪おうとしており、対してダビデは、主が「わが神、わが避けどころ」と宣言した。主の軍配は、確実に、ダビデに上がるのだ。
 
59:11 どうぞ、わが民の忘れることのないために、彼らを殺さないでください。主、われらの盾よ、み力をもって彼らをよろめかせ、彼らを倒れさせないでください。
59:12 彼らの口の罪、そのくちびるの言葉のために/彼らをその高ぶりに捕われさせてください。彼らが語るのろいと偽りのために
59:13 憤りをもって彼らを滅ぼし、もはやながらえることのないまでに、彼らを滅ぼしてください。そうすれば地のはてまで、人々は神がヤコブを治められることを/知るに至るでしょう。〔セラ
 
彼らのように、悪辣な事を平気でする者達が、あまりにも速やかに滅びるとするなら、人々は、すぐに忘れてしまうため、むしろ人々が忘れないように、敢えて彼らが長くさまようようになって、人々がそれを見る時、「確かに悪者はこうなるのだ」「主は確かに生きておられる」と、知るように、とダビデは願った。
義であられる主は、主に逆らって悪を行う者達に、災いを降す事によっても、栄光をお受けになるのだ。
 
59:14 彼らは夕ごとに帰ってきて、犬のようにほえて町をあさりまわる。
59:15 彼らは食い物のためにあるきまわり、飽くことを得なければ怒りうなる。
 
「うなる」と訳された語の元の意味は「とどまる」「ずっとそこにいる」事をあらわしている。
ダビデを狙っていた者は、その晩、一晩中ずっとダビデの家の外で待ち伏せ、夜が明けたらダビデを捕縛して殺そうとしていた。
しかし、ミカルがダビデを窓から吊り降ろして助けてくれたので、ダビデは主の守りの内に逃げる事が出来た。
 
59:16 しかし、わたしはあなたのみ力をうたい、朝には声をあげてみいつくしみを歌います。あなたはわたしの悩みの日にわが高きやぐらとなり、わたしの避け所となられたからです。
59:17 わが力よ、わたしはあなたにむかってほめうたいます。神よ、あなたはわが高きやぐら、わたしにいつくしみを賜わる神であられるからです。
 
彼は最後、主への喜びの賛美でこの詩を閉じる。
どんなに敵が夕に攻めて来て、一晩中、犬のようにうろつきまわっても、朝には主の守りと平安が来るからだ。
彼は主をやぐらとし、助けとした。
そのような人に対し、主はどのように扱って下さるか。
詩篇91篇に記されている。
 
91:1 いと高き者のもとにある/隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
91:7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
91:8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
91:9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
91:10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
91:11 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で/あなたを守らせられるからである。
91:12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。
91:13 あなたはししと、まむしとを踏み、若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。
91:14 彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
91:15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。
91:16 わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。
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