メッセージ - 202012のエントリ

主日礼拝

ヤコブより、離散している兄弟姉妹へ(ヤコブ1:1-5)

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週報/メッセージ(説教)概要

 

 今年最後の主日となった。色々な困難のあったこの年の最後の主日、主は、ヤコブ書を示して下さった。
ヤコブ書は、イエス様の弟・ヤコブが書き、彼は自らを「主イエスのしもべ」と告白して初代教会を力づけた。
 ヤコブが手紙を書いた時、どういう時代だったか。教会は迫害の時代へ突入し、キリスト者が互いに集まる事も困難となった。2020年末、多くの教会はコロナの故に交わりが分断され問題になっているが、当時の聖徒達は、密告されたり、集っている所を強襲されたり、コロシアムへ連行され公開処刑されてしまう恐怖もあった。ヤコブはそんな恐怖の中にある離散中のキリスト者達へ、手紙を書いて勇気づけた。『神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している(ディアスポラ)十二部族の人々へ、あいさつを送る。』(1:1)
 「離散している十二部族」とはイスラエル十二部族の事ではなく、暗に、散り散りの憂き目に遭っている主イエスにある兄弟姉妹の事であろう。つまり、現代、散り散りになっている私達にも、宛てられた手紙である。
 
 信仰義認の救いを強調したマルチン・ルターは、このヤコブ書を「藁の書」と呼び、聖書正典から外そうとした。それはこの書が、信仰よりも「行い」による救いを強調したからだ。しかし私たちは知るべきである。
ヤコブ書は、イエス様を知らない人を「信仰による救い」へと導くような初心者の書ではなく、信じた故に困難の渦中に遭ってしまった練達の信仰者達を、励まし、行いによって救いを得る術を記した書である、と。
 ヤコブは言う。『あなた方が、色々な試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしい事と思いなさい。』 
なぜ試練が非常に喜ばしいのか?『信仰が試される事によって、忍耐が生み出されるからである。だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。』(2-4節)
 つまり、試練によって生じた忍耐を、完全に働かせるなら、何一つ欠けた所のない、完全な、成長を遂げた人となり、その人は、世が仕掛けてくるどんな困難にも負けない確固とした盤石さと、『神を愛する者達に約束されたいのちの冠を受ける』(12節)事が約束されているのだ!なんと力強く慰めに満ちた言葉だろう。
 『あなたがたの内、知恵に不足している者があれば、その人は、咎めもせずに惜しみなく全ての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。』(5節) 今、難題があるだろうか。問題を解決する知恵が、無いだろうか?求めるのだ!願い求めるなら、全ての人に、惜しみなく、与えられる!
死は、いのちに飲み込まれる! 暗闇は、光の前に消え去る! 嘘・偽りは、真理の前に消え去る!
 いかに私達が、少しばかりの力しか無くても、癒やし主であり備え主である主の御名を否まず、真理の御言葉を忍耐し守っているなら、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時、守られるのだ(黙示録3:8-10)。主は言われる。わたしはすぐに来る。あなたの冠を誰にも奪われないよう、あなたの持っているものをしっかり持っていなさい、勝利を得る者を、神の聖所の柱としよう、と。(同11-12節)
 
 今、私達は試されている。互いに集まる事を、やめたりしないかどうかを。教会をあらわす「エクレシア」のギリシア語の意味は、「集会」「会衆」である。教会の本質が、聖徒が交わりをする所であるからには、教会から「交わり」を取ったら、何の意味も無くなる。書いてある、ある人々のように一緒に集まる事をやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしよう、と。(ヘブル10:25)
 この時代、コロナや社会的困難は諸々あるが、そうしたものごときで、交わりを分断してはならない。
むしろSNSや電話がある現在、それらを駆使して、もっと、親密に、聖徒の交わりをするべきである。
教会は、召し出された者達の「群れ」であり、一切のものを一切のものによって満たす方の満ちておられる所、また、天国の鍵が与えられており、ハデスの門も打ち破る力がある所、そして、キリストの花嫁だからだ。
 サタンは、ほえたける獅子のように、食い尽くすべき獲物を狙っている。獅子は吠えて、それを怖がって群れから飛び出した一匹に襲いかかる。サタンは、将来の不安を煽ったり、「皆に迷惑をかけてしまうのではないか」「かけてしまったのではないか」といった後ろめたさを、また、兄弟姉妹を疑わせ、詮索させ、あら捜しさせて来る。私たちはむしろ、イエスにあって群れ、イエスの御名によってサタンを踏みつけるべきだ。
 
 困難な時代、迫害の時代になったとしても、イエス様の忍耐の言葉を守り、彼の御名を否まず、勝利を得る者、神の聖所の柱となっていく皆さんでありますように!どうか一人一人がこの時代、主に用いられる器として整えられ、完全な者となっていくこれからでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

 

主日礼拝

高貴な信仰の記録を永遠へと残していこう(マタイ2:13-15)

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週報/メッセージ(説教)概要 

 アドベント(降誕節)第四週。いつものこの時期は、いよいよクリスマス間近、という雰囲気で盛り上がっている所だが、今年は、今まで経験した事が無いような年となってしまった。コロナ感染数がいよいよ一日三千人を突破し、陽性反応を示す方も身近になりつつある。クリスマス礼拝を行う事は毎年、当たり前に思って、疑った事もなかったが、今、世界的にそれが出来ない状況だ。黙示録の時代は、いつ来てもおかしくはない。だから私達はいつも、「主イエスよ、来て下さい」(黙示録22:20) と求め、心を備えるべきである。
 
 さて、博士達は、赤ちゃんとなって来られたイエス様の所へと星に導かれ、礼拝を捧げて大いに恵まれたが、主から戒めを受け、ヘロデの所には寄らずに帰って行った後、御使いが夢でヨセフに現れ、言った。
 『幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこに留まっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている』(マタイ2:13-15) 主に選ばれて、メシヤの育て親として任命された男女の記録から、多くの苦労の日々と、その中にひときわ香る、高貴な従順が漂ってくる。
 もし主からこの使命が与えられていなかったなら、彼らはある程度、平穏無事な信仰者夫婦として人生を全うしていたかもしれないが、特別な使命が与えられた故に、「平穏」とは言えない人生だった。しかしそれは、冒険的で退屈しない、そして絶対的に「無事」な、誰よりも祝福された歩みだった。なぜなら二人とも、権威に対して従順だったからだ。主が与えられた権威に従順である事こそ、絶対的に安定した歩みである。
 子を産んだばかりの母親としては、夫にはなるだけ外国に移住したりせず、安定した所で働いて、そして自分は、子供を養う事に専念したい。そんな、将来が思い描けるような、安心感が欲しい所かもしれない。
 しかしヨセフはある晩、突然、「御使いからのお告げを受けた」「すぐにエジプトへ逃げよう」、と言い出す。
それでもマリヤは夫に従い、夫は主に従って、夢を見た「夜の内に」、そこを発って、エジプトへ下った。二人とも、驚くべき従順である。この従順こそが、主が彼らを特別に、メシヤの父母として任命した理由である。
 従順はいけにえにまさる、と書いてある(1サムエル記15:22)。主が私達に求めておられる事は、私達の「体(ソーマ:思い、意思、感情、霊、肉体)」の全部を、神に受け入れられる、聖い、生きたそなえ物として捧げる事。それこそ霊的な礼拝であると書いてある(ローマ12:1)。今回のこの、日常通りでないクリスマス礼拝。逆に考えるなら、今まで毎年12月に、パターン的にこなそうとしていた事が覆えされ、出来なくされたのだから、今まで見いだせなかった、さらに優れた、霊とまことによる礼拝を捧げるチャンスでもある。
 『たとい、わたしは肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたと一緒にいて、あなたがたの秩序正しい様子とキリストに対するあなたがたの強固な信仰とを見て、喜んでいる。』(コロサイ2:5)
 今、全世界から礼拝する場所や空間がどんどん失われているが、礼拝すべき場所は、あの山でもこの山でもない。父なる神が求めておられるのは、従順を尽くした、霊とまことによる礼拝である。(ヨハネ4:23-24) 
 
 今年はコロナゆえに、ある所では、兄弟姉妹の親しい関係が裂かれ、あるいは夫婦関係が、親子関係が、仕事が、会社経営が、子達の学びが、裂かれた。ある人は、疑心暗鬼に駆られ、あの人はコロナではないだろうか、自分がコロナにかかったのは、あの人のせいではなかろうか、コロナにかかってしまった故に家族や同僚を、自分の団体全体を、苦しい目に遭わせてしまった、人生台無しになってしまった、などと思わせて来た、このコロナこそ、またそれを考案した者こそ、本当に呪って踏みつけるべき、悪辣なものである。
 今この時、私達は苦しい目にあっているかもしれない。不便かもしれない。しかし信仰の先人達は、迫害や疫病の中でも、主に対して霊とまことを尽くし、主の御言葉にしがみついて行った。
 今、私達は、コロナ禍という、今まで経験した事の無い困難の時代に入っている。それは逆に、主に対して信仰の高貴さを示し、霊とまことを尽くした礼拝を捧げるチャンスである。「今まで通り」が出来ないゆえに、ある人は礼拝を止めてしまうかもしれない。ある人は、もっと伸びるかもしれない。まさに試されている。
 人間関係や仕事、学業を引き裂く、このサタンの悪あがきであるコロナに対し、私達はどう対処すべきか。
恐怖で、絶望で、疑心暗鬼で、分裂で対処するなら、まさにサタンの思うツボである。私達はむしろ信仰の先人のように、愛で、忍耐で、聖なる趣で、高貴さをもって対応し、私達も、あの栄光の系図、『アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図』(マタイ1:1)に連なり、この時代を、「高貴にふるまった」という記録が、天の書物に書き記されていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

 

主日礼拝

宇宙で最も尊い奇跡に居合わせた博士たちの性質(マタイ2:1-12)

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週報/メッセージ(説教)概要

 アドベント(降誕節)第三週に入った。福音書記者マタイは、イエス様こそ救い主メシヤ(油注がれた方)である事を証明するために、まず系図を引用し、さらに、イエス様がお生まれになった時に起きた事は、全て、預言の成就だったという事を、多くの箇所を引用して証明している(マタイ1:22,2:5,15,18,23)。
 イエス様がお生まれになった時、東方から博士たちが来訪し、エルサレムに来て言った。『ユダヤ人の王としてお生れになった方は、どこにおられますか。私達は東の方でその星を見たので、その方を拝みにきました。』(2節) この博士達は、王のような高い地位だったと言われており、以下の預言の成就と言える。
 『起きよ、光を放て…主の栄光があなたの上に昇ったから。見よ、暗きは地を覆い、闇は諸々の民を覆う。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。国々はあなたの光の内に歩み、王達はあなたの輝きに照らされて歩む。目を上げて、辺りを見よ。彼らはみな集まって、あなたの元に来る…これらシェバから来るものは皆、金と乳香を携えて来て、主の奇しいみわざを宣べ伝える。』(イザヤ60:1-6) 
 
 メシヤを示す星が現れた時、博士達は日常の色々な業務を脇に置いて、具体的な行き先も知らないまま、高価な献げ物を携えて故郷を出た。強盗に遭うかもしれないし、ナビゲーションも無い。ただ星の光だけが頼りである。迷子になってメシヤに会えなかったり、途中で死んでしまう危険もある。それでもなぜ来たのか。
 博士達は、私達は「拝みに(プロスクネーオ)」来た、と言った。プロスクネーオは「プロス(前に)」+「クオン(犬)」で、犬が喜んで主人の手をしきりに舐める様子から、ひれ伏す、拝む、礼拝する、の意味となった。
ツロ・フェニキヤの女は、「小犬(クナリオン)も、その主人の食卓から落ちるパンくずは頂きます」とイエス様に食い下がったため、癒やしをいただいた。異邦人といえど、小犬のように、主を慕い求め礼拝する人に、主は奇跡を現して下さる。なんとしても主を仰ぎ見たい、という思いをもって、捧げものを準備し、遠くであろうが、どこへ行くのか分からなかろうが、礼拝へと向かう礼拝者を、決してむなしくさせないお方である。
 
 しかし世の中には、メシヤの光を歓迎しない者達もいた。『ヘロデ王はこの事を聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。』(3節) 光を憎み、恐れ、闇を愛する人の本質は、「悪」である(ヨハネ3:19-21)。ヘロデ王は、王座を脅かす恐れがあるなら、妻であろうと子であろうと、処刑するような者で、その王宮は、彼に取り入って利益を得ようとする者達であふれた魔物の住処のような場所だった。そんな彼らには、預言されていた王など、来てもらっては困るのだ。だからヘロデは、博士達に「自分も行って拝むから、詳しく調査して欲しい」と言いつつ、密かに殺そうとした。しかし主は全て見ておられ、彼にそれが叶わないと分かると、彼はベツレヘム周辺の2歳以下の幼児を皆殺しにするという、大それた事をするのだ。
 
 王宮を出た博士達の頼りは、再び星だけになってしまった。しかしなんと、星が彼らを先導し、幼子のいる所の上に留まったのだ!彼らは、はなはだしく大きな喜びを喜んだ(10-11節直訳)。まさに宇宙規模の喜びである。神が、ご自身を慕い求めて礼拝する人に用意しておられるわざは、人知を遥かに超えている。
 万物を支配しておられる神の御子が、密かに、片田舎の馬小屋に赤ちゃんとして降りて来られ、しかも、飼い葉桶に宿られた。これこそ宇宙で最も尊い奇跡である。「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(11節) 
 このささやかな礼拝は、永遠の記録として残された。彼らはアブラハムのように、行き先も知らず、ただ星の光だけを頼りに出て来た結果、主は、星を動かしてまで導き、赤ちゃんイエス様と出会わせて下さった。
 そのかたわら、下心をもって博士たちを利用したヘロデ王は、全ての企みを暴露され、博士たちにも幼子にもスルーされ、怒った挙げ句、その地方の赤ちゃんを全員殺す暴挙に出たが、そのすぐ後に、死んだ。
 
 今、この時代も、闇が覆っており、諸国の民は、闇の中にいる。しかしそんな時代でも、天を見上げ、イエス・キリストの光に導かれて行く礼拝者を、主は、宇宙規模の奇跡と、大きな喜びを用意しておられる。
 この時代、私達は、恥じることなく、天を見上げ、主の光に導かれて行こう。どんなに闇が深くとも、主の光は必ず輝き出て、どんなに偽りで塗り込まれようとも、必ず真理が勝利する(ヨハネ1:5)。起きて光を放ち、栄光の歴史を紡いでいく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

主日礼拝

重要な子供を主から任される男女の性質(マタイ1:18-25)

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賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 アドベント(降誕節)の第二週に入った。福音書のはじめの、イエス・キリストに至る系図に、神がその民に介入して働かれた歴史が刻まれていた事を、前回見た。時代時代の信仰者が、主と寄り添って生きようとする人生の狭間に、主が働かれたドラマがあり、それが歴史に縫い込まれ、継ぎ足され、そしてその綾織物の絵は、いよいよはっきり主イエス様を浮かび上がらせて行く。主が来られた時代は、ダビデの血筋の王が絶えて14代、ヨセフの代の時だった。イエス・キリストの育ての親となったヨセフとマリヤは、どうしてその役割が任され、どういうドラマがあったのか。今日、重要な子供を主から任される人の性質を学びたい。
 
 マリヤは無名で取るに足りない、一介の処女だったが、主が彼女に、主イエス様を産む母という、この上もなく重要な役割を任されたのには、理由があった。彼女が主から召し出された時、彼女は、しっかりした信仰者のヨセフと結婚の約束をし、貧しくても幸せな信仰の家庭を築いて行こうと準備している最中だった。
 そんなある日、突然、天使が彼女に現れ、突拍子もない事を告げられる。あなたはこれから身籠って、男の子を産む。その子にはダビデの王位が与えられ、その国は、永遠に終わる事は無い、と(ルカ1:26-38)。
 私達も、主から御言葉をいただいた時、試される。それまでの生き方や、握りしめて来た価値観、人生設計を捨てて、主が示された、人知をはるかに超えた主のご計画へと従うか、従わないか。アブラハム以来、信仰者は皆そうだった。マリヤには、ある日突然、御使いが現れ、その決断を迫られたが、彼女は立派に応答した。「神にとって不可能な事は何一つ無い…。」「どうぞお言葉どおり、この身に成りますように…。」
 彼女には、主の言葉や主がなされた事を思い巡らし、そしてそれが、主の御心である、と分かったなら、迷わす、すぐに行動する性質だった。彼女はその後、夫ヨセフから突然「主からのお告げがあった。今すぐエジプトに逃げよう。」と言われた時、迷わずそれに従い、夜の内に出て行った程、従順だった。(2:13)
それ程の高貴な決断をする程の女性だったから、主は、彼女を選ばれたのだ。ヨセフはどうだったか。
 
 ヨセフがマリヤと婚約期間中だった時、自分には覚えが無いのに、婚約者の胎に命が宿っていて、どんどん成長して行く。身籠ったからには別の男性とそれなりの性交渉があった、と普通思う。素晴らしい信仰の女性だと思っていたのに、しかも、自分という婚約者がいるのに。男性として最も怒り、苦しみ悩む所だ。
 律法では、婚約中の女性が、婚約者以外の男性と合意して性交渉するなら、二人とも石打ちに処せられる(申命記22:23‐27)。しかしヨセフは、そのように、事を公にして、憐れみのないさばきをするのではなく、ひそかな離縁を決断した。それでも彼は、思い悩んでいた。そんな時、御使いが彼にも現れて、言われた。
 「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。」(マタイ1:20) その胎に宿った子は、不貞によってではなく、聖霊によるものである、と…。処女が身籠るという「ありえない」しるしは、預言者イザヤによって告げられていた。また御使いは、その子は主の民を罪から救ってくださる方である、と言った。
 ヨセフは、テフィリンされた男性だったので、知っていた。メシヤであられる御方は「ダビデの子孫」として処女から生まれ、その子は、御民の罪の問題を解決し、インマヌエル(神は共にいます方)と呼ばれる事を。
 全世界の御民の罪を除く、インマヌエルなる子を産む、という重要な事にマリヤは用いられ、そして自分も、その子とマリヤとの保護者として、用いられるのだ、と、彼は知った。あまりに大きな役割である。そして、これからの人生は、今まで思い描いていたものではなくなる。ヨセフは決断した。主に命じられた通りに、マリヤを妻として迎え入れ、そしてその特別な子が生まれるまで、マリヤを知る(性交渉を持つ)事は無かった。
 
 私達はそれぞれ、自分で考えられる範囲、想像できる範囲で人生を設計し、ささやかな幸せを期待する。
しかし、主が私達・信仰者のためにご計画している事は、私達の心に浮かんだ事の無いもの、突拍子もない程の栄光と尊厳に富んだ事ものである。主がアブラハムに現れた時も、ダビデに現れた時も、そうだった。
 ヨセフとマリヤは、このように、自分の善悪判断や計画、あらゆる心配を全部、主の前に降ろし、ただ主の御言葉に従う性質だったからこそ、救い主キリストの育ての親という、唯一の栄誉を勝ち取ったのだ。
 これこそ、多くを任され、そして尊い命を主から任される性質である。彼らのように、イエス・キリストの家系の中でも抜きん出た性質を持ち、多くの素晴らしい尊い子供達を、栄光の次世代を、任される皆さんでありますように!栄光の歴史を紡いでいく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

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