メッセージ - 202101のエントリ
主日礼拝
閉塞感を聖霊の力(ダイナマイト)で爆破せよ(使徒1:3-8)
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週報/メッセージ(説教)概要
この新年、祝福が実体化する年とするために、古い罪のなわばりやしきたりを離れ、神様のなわばりと、しきたりへと入って行く事が示された。私達は「3つの”ず”」から離れ、テフィリンする事によって、ますますその実体を得ていくものだが、今、このコロナの時代を見るに、世が最も必要としている「実体」とは何だろう。
今、漠然とした恐怖や不安があり、色々な事が制限され、漫然とした閉塞感がある。こんな時代だからこそ、生きて働かれる救い主イエス・キリストの、いのちと希望が必要だ。それを示すためには、しるしや奇跡という、実体を伴った、爆発的な聖霊のわざが必要である。それが為されるなら、多くの魂を刈り取るチャンスである。それを成すために、私達はどうすべきだろうか。使徒の時代の出来事から学びたい。
『エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。』(4節)
今、コロナの故に、外を出歩く事は制限され、安心できる場所に留まるべきではあるが、何もできないわけではない。弟子たちは、聖霊が注がれるまで何をしていたか。彼らは、いつも神を褒め称え(テヒラー)、また、共に心を合わせて祈り(テフィラー)に専念していた、と書いてある。(ルカ24:49-53、使徒1:13)
祈り(テフィラー)は本来、御言葉の暗唱を祈りに乗せる事で、それを反復すると「テフィリン」となる。
ユダヤ人は今も、そうしている。こうして御言葉を思い巡らし続けていると、やがて非常な喜びが沸き起こる。
御言葉に基づいた確信は、表情へと、立ち居振る舞いへと表れて行く。いつも思い巡らしている言葉が、顔の筋肉を動かし、表情をつくり、態度に現れ、それが定着し、顔立ちや言動パターンが、そして、人生パターンが出来上がっていく。もし主の言葉を昼も夜も思い巡らし、その健全な言葉を豊かに自分の内に染み込ませているなら、その人の平安と健全さは、決して揺るがされない。腹の奥底からの確信となるからだ。
世から来る、イエス様とは何の関係もない言葉を蓄え、思い巡らしているなら、人相や顔立ちが悪くなっていく。せっかくエステに通っていても、もし内に蓄える言葉が悪いなら、人相の悪さは、治りようが無い。
今、コロナの時代、多くの人は、漫然とした不安や心配、閉塞感で、表情が曇っている。そんな中、世の人は、溌剌(はつらつ)とした希望に輝いた表情の人へと、引き寄せられていく。聖霊の油塗りによって、元気はつらつとなり、顔立ちもつややかに、美しく、力やエネルギーにみなぎる皆さんでありますように!
イエス・キリストの御名によるしるし・奇跡は、世界中で例があるが、御言葉の無いしるし奇跡は、花火のように、単発で終わってしまう。使徒時代のように、「御言葉の土台」ありきの聖霊のわざを成して行くべきだ。
御言葉による祈りとテフィリンを繰り返して行くと、その感動と喜びが確信となり、アーメンとなり、貯まりに溜まって、デュナミス(力)となる。それが見える世界で実体化し、しるし、奇跡となって神をあかしするのだ。
『聖霊があなたがたに降る時、あなたがたは力(デュナミス)を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となる』(8節) 聖霊が降った時に受ける「力(デュナミス)」は、ダイナマイトの語源となった言葉である。つまり私達が聖霊を受ける時、私達は、爆弾を抱えた者となる。
それは、悪魔のわざを爆破する爆弾であり、あらゆる罪と暗闇のわざを破壊するダイナマイトであり、いのちを爆発的に増え広がらせる力あるものだ。消極的な人の「消極」は爆破され、人生破綻してしまった人の「破綻」は爆破される。今、コロナのゆえに、色々な事が制限されているが、この、漫然とした閉塞感、世の漫然とした絶望感を、聖霊を受けて、聖霊のデュナミスで爆破して行く皆さんになりますように!
私達が、聖霊によるしるし・奇跡を求める理由は、ひとえに、イエス・キリストを証するためであり、死をいのちへと飲み込み、絶望を大いなる希望へ変え、人々がそれを見て、イエス様を信じるようにするためだ。
聖霊は、きよい霊である。きよい者は、神を見る。私達はもはや、単なる「信徒」である事を離れ、弟子に、すなわち、主の言葉どおり動き、主の喜びとなる事を求め、積極的に御言葉を蓄え、思いを、行動を自分から清くし、聖霊が働かれる土台をつくるべきだ。主の命令は、全世界に出ていき、弟子をつくる事だった。
まず「わたし自身」が主の弟子となり、それぞれ行くべきユダヤ、サマリヤ、そして地の果てへと、主から遣わされ、遣わされて行った先でイエス様の証人として、成さなければならないわざがある。主イエスの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇をもつかみ、毒を受けても決して害を受けず、病人に手を置いて癒し、イエス様に栄光を大いに捧げる皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!
早天礼拝
イエス・キリストすなわち神の種と、私たち・霊的な女との関係(マタイ1:1)
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参照箇所:
創世記22:15-18
創世記3:15
1歴代誌17:11-14
1ヨハネ3:8-9
主日礼拝
私達が獲得しようとしている地はどういう所か(申命記11:10-12)
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週報/メッセージ(説教)概要
アブラハムは、本土・親戚・父の家という「縄張りやしきたり」を離れ、主が示された地に入ったため、祝福の実体を、大いに受けた。私達もこの2021年、罪深い、以前の縄張りやしきたりを離れ、神様が示された御言葉のしきたりと、御言葉の縄張りの中へと入って行き、実際的・具体的にアシェルの祝福の実体を得る年として、御言葉が与えられた。本日は特に、アブラハムとその子孫である私達に約束された「土地」「住む所」は、具体的にどういう所かを見ていきたい。
『あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。その地は、あなたの神、主が顧みられる(ダーラシュ:求める、探す、要求する)所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。』(申命記11:10-12)
これが、主がアブラハムの子孫に与えようと400年以上も前から目を注ぎ続け、準備しておられた地である。主がいつも目を留めておられる、このような地を受け継ぐ今年でありますように!
創世のはじめ、地は、沸き上がってくる泉によって全地が潤っていた(創世記2:16)。エデンの園は、人が自分の力で開墾したり、除草や害虫駆除したり等、労苦する所ではなく、主がふんだんに実らせて下さった喜びの園を「守り(シャマール)」「仕える(アバァド)」所である。(同2:15)
しかし御言葉に背き、善悪を知って、神のようになった人間は、エデンから追い出され、額に汗し、次から次へと生え出るいばらやあぜみと格闘しながら地を耕し、労して食を得るようになった。
しかし、主が神の子達に、すなわち、詩篇1篇の「3つの”ず”」を離れ、昼も夜も御言葉を口ずさむテフィラーが相続する地は、年中、主の目が注がれていて、天の雨で潤っており、神の子達はそこで主に仕え、主ご自身が豊かに実らせて下さるものを「守る(シャマール)」のである。
そこはエジプトのようではない、と言われた。こき使われて労苦する所ではなく、主が潤し、ふんだんに実らせて下さった実りを、全被造物の益となるために、正しく管理する仕事場である。
イスラエルの民は、主が用意されたその地へ向かう途中、何度か、エジプトをなつかしんだが、いかに、エジプトがナイルで潤っているとはいえ、所詮、額に汗し、自分の手足で働き、労して食を得る生き方の範疇を出られない地である。私達はそんな、エジプトの流の生き方(しきたり)から、離れなくてはならない。この生き方パターンは、エデンの外側で、自分の善悪判断で生きる生き方であり、私達はそうした「本土・親戚・父の家」から離れ、主が常にその目を注がれ、いつも主が面倒を見ておられる地に入り、そこで、御言葉に留まり、正しく生きるべきである。
エジプト流の生き方を注意深く見極め、離れ、祝福のパターンに入る皆さんでありますように!
今、世界は、エデン園の良き世界とはかけ離れていて、額に汗を流し、労苦し、食を得なくてはならない、どころか、額に汗したくても、食を得たくても、できないような時代になりつつある。
このような時代だからこそ、私達はますます、古い生き方の本土・親戚・父の家を離れ、神様の言葉のしきたり、神様のガードがある縄張りに留まり続けるべきである。すなわち、詩篇1篇の「3つの”ず”」から離れ、主の教えを喜びとし、御言葉を昼も夜も口ずさむテフィラーとなるのだ。
ユダヤ人が暗唱している律法(トーラー)は、約束の地に入る直前で、終わってしまっている。
しかし私達は、イエシュア、すなわち、まことのヨシュアであられるイエス様に従っていくなら、その地に入る事ができる。旧新約の御言葉を守り行い、イエスのあかしを保ち、その地に入って、祝福の実体の中で生きる今年でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
滅ぼされるべき邪悪な者と、残されるべき義人を、神の民の中でふるい分ける主(アモス9章)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » アモス書
- 執筆 :
- pastor 2021-1-6 21:30
まことの夫を捨て、目に見える逞しい男に欲情した不実な女(エゼキエル23:1-27)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » エゼキエル書
- 執筆 :
- pastor 2021-1-6 7:20