メッセージ - 202104のエントリ

詩篇 講解説教

主から聞かれる正しい執り成しの祈りとは(詩篇79篇)

詩篇79篇表題『アサフの歌』
 
この詩篇も、74篇と同じくアサフの作で、バビロン捕囚を思わせる災いに遭っている記述がある。
それに対するうめきと、神への訴えと、執り成しの祈りが、この詩篇に記されており、そして、どのような執り成しの祈りが、神に聞いていただける祈りであるかを、学ぶ事が出来る。
 
1-4節は、アサフによる神への訴えがあり、その訴えの内容は、特に、異邦人からそしりを受けている事についてである。
 
詩篇79:1 神よ、もろもろの異邦人はあなたの嗣業の地を侵し、あなたの聖なる宮をけがし、エルサレムを荒塚としました。
79:2 彼らはあなたのしもべのしかばねを/空の鳥に与えてえさとし、あなたの聖徒の肉を地の獣に与え、
79:3 その血をエルサレムのまわりに水のように流し、これを葬る人がありませんでした。
79:4 われらは隣り人にそしられ、まわりの人々に侮られ、あざけられる者となりました。
 
この祈りの中に「あなたの」というキーワードが頻繁に出てくるが、「あなた」とはすなわち「神」の事であり、「あなた」すなわち「神」を主体とする祈りこそ、有効な祈りである。
 
私達は祈る時、何かと「わたしの」を前面に、また全面に出しやすい。
そのような、自分主体の祈りは、中々聞かれない。
もし神様が、人間一人ひとりの願望をその通り叶えていたら、矛盾した、大変な世の中になってしまう。
 
この世は、ただ、主のご計画、主の御心が成就して行くものであり、私達はそれを手伝い、またそれが成るようにと祈るべきなのだ。
 
実際、イエス様が「このように祈りなさい」と言われた主の祈りは、御名、御国、御心を求める祈りが、最初に来る。
すなわち、「御(あなた=神)」が主体であり、その後に「我らの」必要が満たされるように祈るように、と言われている。
 
5-8節では、憐れみを求める祈りが続く。
 
詩篇79:5 主よ、いつまでなのですか。とこしえにお怒りになられるのですか。あなたのねたみは火のように燃えるのですか。
 
アサフは「いつまで」と吐露している。
かなり長い間、災いを被っているようだが、何故、そのような災いが起きたのか。
この節にある2つのキーワードから、伺い知る事が出来る。
それはすなわち、神の「怒り」と「ねたみ」だ。
 
「怒り」は、相手が自分の意図通りにしなかった時に起こるものであり、実際、イスラエルは、バビロン捕囚前、神様の意図である御言葉を軽んじ、破り、主が遣わされた預言者達から、度々注意を受けても無視し、侮った。
 
「ねたみ」は、愛している相手が浮気をした時などに起きる感情だ。
そう、イスラエルは、バビロン捕囚前、まことの神を脇に置いて、異教の神々に惹き寄せられ、偶像礼拝をした故、神のねたみを引き起こしたのだ。
 
神から特別愛された者は、神の御心にかなった事を行った事への祝福が格別である。
それと同時に、神を裏切って、妬みを引き起こされた時の災いもまた、格別なのだ。
 
しかしそれに懲りて、悔い改めて、立ち返るなら、神は豊かに赦して下さる。
 
詩篇79:6 どうか、あなたを知らない異邦人と、あなたの名を呼ばない国々の上に/あなたの怒りを注いでください。
79:7 彼らはヤコブを滅ぼし、そのすみかを荒したからです。
79:8 われらの先祖たちの不義をみこころにとめられず、あわれみをもって、すみやかにわれらを/迎えてください。われらは、はなはだしく低くされたからです。
 
災いは、先祖以来、何代かに渡って、続いて来た。
それは、主がモーセの時代にあらかじめ警告しておられた事だった。
 
『あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。』(出エジプト記20:5-6)
 
主を憎む者には、呪いが3,4代、主を愛し戒めを守る者には、なんと、恵みが千々代(原文は複数形)及ぶのだ。
ここに、主のすさまじい恵みの足し算と、そして、憐れみの引き算が表されている。
 
9節以降は、アサフによる執り成しの祈り、願いが捧げられているが、その祈りの主体は「あなた」、すなわち、神である。
 
詩篇79:9 われらの救の神よ、み名の栄光のためにわれらを助け、み名のためにわれらを救い、われらの罪をおゆるしください。
 
彼は神を「救いの神」と呼び、「御名」の栄光、「御名」の故の助けと、救いと、赦しを求めている。
それはまさに、主の祈りと同じである。
 
主の御名を主体として祈る執り成しの祈りは、アブラハムがしたし、モーセも、ダニエルもした。
 
『アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか・・・正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」』(創世記18:23-25)
 
『モーセはその神、主をなだめて言った、「主よ、大いなる力と強き手をもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか。
どうしてエジプトびとに『彼は悪意をもって彼らを導き出し、彼らを山地で殺し、地の面から断ち滅ぼすのだ』と言わせてよいでしょうか。どうかあなたの激しい怒りをやめ、あなたの民に下そうとされるこの災を思い直し、
あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、あなたが御自身をさして誓い、『わたしは天の星のように、あなたがたの子孫を増し、わたしが約束したこの地を皆あなたがたの子孫に与えて、長くこれを所有させるであろう』と彼らに仰せられたことを覚えてください」。
それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。』(出エジプト記32:11-14)
 
『主よ、正義はあなたのものですが、恥はわれわれに加えられて、今日のような有様です。すなわちユダの人々、エルサレムの住民および全イスラエルの者は、近き者も、遠き者もみな、あなたが追いやられたすべての国々で恥をこうむりました。これは彼らがあなたにそむいて犯した罪によるのです。
主よ、恥はわれわれのもの、われわれの王たち、君たちおよび先祖たちのものです。これはわれわれがあなたにむかって罪を犯したからです。
あわれみと、ゆるしはわれわれの神、主のものです。これはわれわれが彼にそむいたからです。
・・・
主よ、どうぞあなたが、これまで正しいみわざをなされたように、あなたの町エルサレム、あなたの聖なる山から、あなたの怒りと憤りとを取り去ってください。これはわれわれの罪と、われわれの先祖の不義のために、エルサレムと、あなたの民が、われわれの周囲の者の物笑いとなったからです。
それゆえ、われわれの神よ、しもべの祈と願いを聞いてください。主よ、あなたご自身のために、あの荒れたあなたの聖所に、あなたのみ顔を輝かせてください。
わが神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、われわれの荒れたさまを見、み名をもってとなえられる町をごらんください。われわれがあなたの前に祈をささげるのは、われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなるあわれみによるのです。
主よ、聞いてください。主よ、ゆるしてください。主よ、み心に留めて、おこなってください。わが神よ、あなたご自身のために、これを延ばさないでください。あなたの町と、あなたの民は、み名をもってとなえられているからです」。』(ダニエル9:7-19)
 
以上、これら、信仰の偉人たちの執り成しは、全て、人間の側の分は一切申し出ず、ただ、主の憐れみを求めた祈りであった。
これこそ、私達が為すべき執り成しである。
 
詩篇79:10 どうして異邦人は言うのでしょう、「彼らの神はどこにいるのか」と。あなたのしもべらの流された血の報いを/われらのまのあたりになして、異邦人に知らせてください。
 
異邦人も「神」を覚えた。
それほど、神の民に加えられた災いが、大きかったのだ。
彼らは、神の特別扱いに驚いたのだ。
 
神の民が、おのれの罪ゆえに災いに遭うとしても、彼らが遭う災いを通して、神の栄光があがめられる。
私達は、そのような、「災い」という形で、神の栄光をあらわす「ネタ」には、用いられたくないものである。
 
詩篇79:11 捕われ人の嘆きを/あなたのみ前にいたらせ、あなたの大いなる力により、死に定められた者を守りながらえさせてください。
79:12 主よ、われらの隣り人があなたをそしったそしりを/七倍にして彼らのふところに報い返してください。
 
12節の「ふところ」のヘブライ語は「ヘーク」、新改訳では「胸に」」と訳されている。
ふところは、大事な物を入れる所であるが、異邦人が神の民を侮り、神を侮ったならば、絶対に忘れることの出来ないように、神のさばきを、ふところに、胸に刻みつけ、覚えさせて下さい、という祈りであろう。
 
詩篇79:13 そうすれば、あなたの民、あなたの牧の羊は、とこしえにあなたに感謝し、世々あなたをほめたたえるでしょう。
 
終わりの節は「あなたの」が3回用いられている。
 
「あなたをほめたたえる(テヒッラー)」、これこそ、神の民が為すべき使命である。
 
残念ながら、イスラエルは、主のみおしえを軽んじ、破り、他の神々に走った故に、格別の災いを受けて、その災いのすさまじさを見た異邦人が、結果的に、神をほめたたえた。
 
私達は、そのような形で神がほめたたえられる道具として用いられるのは、こりごりである。
むしろ、主のみおしえを守り、行い、祝福されてますます神をほめ称え、その様を見た異邦人が、共々、神をほめたたえるという、一番の理想形の「ほめたたえ(テヒッラー)」が、望ましい。
 
主の御言葉どおりに生きて、大いに祝福され、そうして主の栄光がたたえられる事に大いに用いられる皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

主日礼拝

主が十字架と復活を通して私達にして下さった事(ヨハネ20:19-23)

第一礼拝 Youtube動画

English Service Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 本日は復活祭、私達の主イエス様が復活された事を、記念し、祝う、キリスト教会で最も重要な日である。
私達にとって一番大切な事、それは、聖書が示す通り、イエス様が私達の罪のために死なれた事、葬られた事、三日目によみがえられた事、そして、その彼が、私達に現れて下さった事である。(1コリント15:3-5)
 復活がある事を信じているだろうか?私達にも、復活がある!と、信じているだろうか??もし復活が無い、と言うなら、その人の信仰は空しく、今なお、自分の罪の中で死んでいる事になってしまう。(同12-19)
 しかし今や、キリストは、眠った者の初穂として、死者の中からよみがえられた。「死」という、あまりにリアルな脅威は、一人の人アダムを通して来たが、復活というあまりに偉大な喜びは、一人の人イエス・キリストを通して来た。キリストはやがて来て、あらゆる支配、権威、権力を滅ぼし、一切を父なる神にお渡しになる。
そして、最後の敵である死も、滅ぼされる!(同20-26)。これこそ、全クリスチャンにとっての希望である。
 イエス様は復活した後、弟子たちの真っただ中に入って来られ、宣言されたのは「平安」だった(ヨハネ20:19)。 不安があるだろうか?確かに不安の種は、日常生活の中に、沢山ある。死の不安、将来の不安、人との関係の不安、仕事の不安など…。しかし、復活の主が真っ先に取り除かれたのが、「不安」である。
 
 『イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもまたあなた方を遣わす」。』 不安が取り除かれ、平安を得たなら、次は、働き人として、主から「遣わされる」のだ。遣わされる上で必要なものが、聖霊と権威である。『そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。あなた方が赦す罪は、誰の罪でも赦され、あなた方が赦さずにおく罪は、そのまま残る。』(21-23節)
 聖霊を通して受ける力・デュナミスは、ダイナマイトの語源である。すなわち私達が、復活の主を信じて平安が与えられ、聖霊をいただく時、私達は、爆弾を抱えた者となる。その時、私達は、あらゆる不安を爆破し、消極的の「消極」を爆破し、あらゆる貧乏根性を、ケチケチ精神を、奴隷根性を、そして人生破綻してしまった、その「破綻」を爆破する、ダイナマイトを持つ者となっているのだ。これは、信じた者のものである!
 聖霊の「霊」は、「風」とも訳せる。ダイナマイトの爆風は、いろいろなものを破壊するが、イエス様の復活の爆風は、死をいのちへと飲み込み、不安を平安へと飲み込む、破壊とは真逆の、いのちの爆風なのだ。
 
 イエス様の復活の爆発的な効力は、自動的に人に適用されるものではない。イエス様の復活を「信じる」必要があるのだ。あれこれ思い患ったり、不安や心配などで心の戸を閉ざしてしまっていないだろうか。
御言葉が、心の戸を叩いておられる時、戸を開いて、受け入れる(信じる)なら、主は入ってきて、平安を宣言し、聖霊の息吹で、あらゆる不安や心配を吹き飛ばして下さる。私達が信仰を持つ時、主はそれを喜び、実際に事を起こし、あらゆる不安をもたらす問題を解決して下さる。なぜなら神は、神がおられる事と、神を求める者には、報いてくださる方である、と信じる人を、喜んで下さるからだ。(ヘブル11:6)
 「信仰とは、望んでいる事がらを”確信(実体、権利証書)”し、まだ見ていない事実を”確認(証拠、監査明細)”する事である。」(ヘブル11:1) 信仰とは、望んでいる事柄の「権利証書」である。もし、ある土地の所有権を示す権利証書を持っていて、それを提示し、主張するなら、その土地は確かにその人のものだ。
 世の権利証書は、紙にサインしたものであるが、神の国における権利証書は、神の言葉を信じた事、すなわち、御言葉を信仰でサインしたものあり、それは、世の権利証書より、はるかに力がある。
 主は、私達を、不利に攻め立てるあらゆる債務証書を取りのけ、十字架に釘づけにされた。それ故、私達は、主が十字架と復活を通して私達に下さった、このすばらしい権利証書を、世のあらゆる物事に対し、提示すべきだ。信仰の先祖アブラハムは、神の言葉を「信じた」事によって、神に喜ばれ、報いられた。
 
 主が創って下さったあらゆる良きものや、富や、経済、権利、それらは今、不信仰な者の手に不当に渡っていて、悪用されている。私達は信仰をもって、それはわたしのもの!と、権利証書を主張するべきである。
今、そうする人があまりにいないので、信じて宣言するなら、神は喜んで報い、豊かに与えて下さる。
 イエス様は言われた。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と。イエス様がせっかく十字架で流された血によって、死からいのちへ名義変更されたのだから、この偉大な権利を、大胆に主張し、行使し、世からどんどん分捕り返していく皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!
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