メッセージ - 202105のエントリ
主日礼拝
主の息(聖霊)が来る時、枯れた骨は生き返る(エゼキエル37:1-14)
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週報/メッセージ(説教)概要
本日、聖霊降臨祭(ペンテコステ)は、イエス様の弟子達が聖霊を受け、大胆で力強い働き人になった事を覚える日である。それまで弱かった弟子達も、聖霊を受けて以降、力強く変わった。本日、聖霊の力はどれ程偉大で、日本の福音化のためにいかに必要であるのか、エゼキエル書37章から、その極意を得たい。
エゼキエルの時代は、バビロン捕囚下の時代で、かつてソロモン王が建てた豪華絢爛な神殿も、ダビデ王が建てた堅牢なエルサレム城壁も、バビロンによって破壊し尽くされ、荒れ果てた状態の時代である。
その破壊された理由は、神の民たる聖徒が、御言葉と礼拝をおろそかにし、世の諸々に奔走し、主がしてはならないと言われていた悪い事をし続け、警告を受け続けて来たにもかかわらず、改めなかった故だ。
それで彼らは、敵にやぶれ果て、打ちのめされ尽くされた様が、この、ひどく干からびた骨々の有様である。
この有様は、今の私達にも当てはまるかもしれない。若かりし頃の夢に破れ、もはや復帰する望みが無いまま何年も経ち、ただ枯れるに任せるしかないような状態に。あるいは、神様から離れ、好き放題にした結果、身から出た錆によって徹底的に打ちのめされ、もはや復帰の望みが絶たれてしまったような。
この日本も、霊的には、エゼキエル37章のような、干からびた骨々のような状況である。かつて日本は、多くの人が福音を受け入れ、いのちにみなぎっていた。1549 年、フランシスコ・ザビエルによって、初めて福音がこの地に入った時、信者の数はどんどん増えて行ったが、時の指導者達が、主にある私達の兄弟姉妹を迫害し、多くの殉教の血が流され、その人達の骨々で埋め尽くされているような状況である。
主は問われる。『「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。』(3節)
エゼキエルは答えた。神、主よ。あなたがご存じです。と。アーメン。枯れた骨々が生き返るかどうかは、主にかかっている! この国で、干からびた骨となってしまった信仰が、よみがえって、主の大勇士軍団となる事も。また、干からびた骨となってしまったような人生が、生きかえって、力強い働き人となる事も。
それは、権力によらず、能力によらず、主の霊によって!(ゼカリヤ4:6) 聖霊によって、可能である。
主はエゼキエルに、骨に対して主の言葉を語れ、と言われた。枯れた骨よ、主の言葉を聞け、と。(4節)
彼が、主から命じられた通りに、御言葉を宣言すると、大きな音、大きなとどろきが起こり、骨と骨が互いにつながった。『私が見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。』(8節) 私達も、信じた御言葉をそのまま語りだすなら、大きな変化が起きる。
たとえ、干からびた骨のような相手、状況、あるいは、干からびた骨のような、自分自身にも。
しかし、その中に「息(霊)」は無かった、と書いてある。主は確かに、干からびた骨のような人、モノ、状況を、人並みの状態へと戻して下さる事はおできになるし、そのようにされたキリスト者は、大勢いる。 しかし、神の息、すなわち、聖霊が無い状態では、マネキンのように、力の無い、死んだも同然の状態なのだ。
『時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息(ルアッハ:霊)に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。』(9 節)
その通りに彼が「息(霊)」に預言すると、霊が彼らの中に入り、自分の足で立ち上がった。それは、非常に多くの「集団(ハイル:軍団、勇士、厳粛な者、富んだ者)」となった(10節)。 このハイルは、有力者ボアズに、厳粛な女ルツに、勇士ギデオンに、ダビデに与えられた称号である。弱い、臆病な者は強くされ、貧しく何も無かった者は富んだ者とされ、異邦生まれの者が、栄光の王族の家系へと組み入れられた。
私達も、主の息、すなわち、聖霊が与えられるなら、枯れた骨のような者が生かされ、ハイルとされるのだ。
神の息、聖霊を求めるべきである。ペテロや他の弟子達は、聖霊降臨以前は、大した実を結ぶ事のできない、烏合の集団だった。しかし聖霊降臨以降、彼らは死をも恐れない、力強い神の軍団となり、全世界に出て行き、ローマ帝国を席巻し、ヨーロッパ、アジア、地の果てにまで、福音を広めて行った。
自分は干からびた骨のようだ、と思っている人は、自分自身に御言葉を宣言すべきである。生き返れ、と 。
そして、「息」に預言すべきである。「息、四方から吹いて来い、この者に吹きつけて、生き返らせよ」と。
神の息吹のダイナマイトパワーに満たされて、干からびた骨から、神の軍団へと創り変えるられ、大胆にキリストを証して行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!
主日礼拝
偉大な母の性質(詩篇34:12-15)
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週報/メッセージ(説教)概要
先月4月17日、米国で一人の女性が天に召され、多くの人が悲しんだ。彼女の名はヘスター・フォード、115歳だった。なぜ彼女の死が多くの人に感銘を与えたのか。それは彼女は、「偉大な母」だったからだ。
母の日である今日、偉大な母と言われた彼女から、偉大な人生・高貴な人生のコツを得ていきたい。
彼女の子供は12人、孫は68人、ひ孫は125人、玄孫は120人、計325人もの子孫と、同時代を生きた。
(なお、子孫の数があまりに多く、年齢の記録も古い為、情報元によって数字や年齢に若干の違いがある)
彼女は1905年8月15日、アメリカ・サウスカロライナ州ランカスターで生まれ、ジョン・フォードという男性と15歳で結婚し、12人の子を産んだ。彼女は農場で働いて後、48歳からは乳母として20年以上働いた。
1963年、彼女の夫が57歳で天に召されて後も乳母として働きつつ、教会での礼拝と奉仕を生涯捧げた。
真に偉大な人とは、生涯、信仰生活を守り、その信仰をしっかり子々孫々へと継承し、空の星々のような、素晴らしい信仰の子々孫々を残す人である。有象無象をたくさん増やしても、何もならない。私達の使命は、信仰者である神の子達を、産んで、増えて、地に満たす事であり、全被造物もそれを待ち望んでいる。
彼女は高齢になると認知症を患ったが、幾つかの聖書箇所は完璧に覚えており、112歳の誕生日には、詩篇23篇を暗唱してみせたのだ。御言葉暗唱こそ祝福と長寿の秘訣であり、生涯現役の秘訣である。ユダヤ人は健康・長寿で有名で、色々な研究が為されているが、結局、それはテフィリン(御言葉暗唱)をしている故だ。彼女は、長寿の秘訣について聞かれると、「わからない」と言っていたが、聖書に書いてある。
主は、主を愛する人を助け、御名を知る人を守られる。その人が、主の御名を呼ぶ時、主は答え、その人の悩みの時、彼と共におられ、彼を救い、彼に栄光を与え、長寿で満ち足らせる、と。(詩篇91:14-16)
彼女の「人となり」は、どうだったか。彼女のひ孫であるパターソン=パウ氏は、彼女についてこう語った。
「彼女は発明家で、革新者で、地域社会や家庭内では独自の流行を生み出す先駆者だったため、1つの枠に収まる事は無かった。」「彼女は逆境に面しても揺るがず、動じない人だった。」「彼女は決して不平を言わず、敗北を示さず、同情を誘う事も無かった」と。 まさに彼女は、素晴らしいアイデアを実践する力で満ちた人で、地に住み誠実を養った人、口を制して否定的な言葉を言わせず、主にある勝利者の立場を、言葉において貫き、宣言し、実現し続けた人だった、とわかる。私達が日毎、宣言している通りである。
彼女は、いつでも子孫に言っていたと言う。「あなたは誰かを祝福するために、ここにいるのですよ」と。
彼女は分かっていたのだろう。アブラハムの子孫である私達・信仰者は、呪いに満ちている世に、祝福をもたらすために生かされており、私達が祝福するなら、その祝福は巡り巡って、自分へと帰ってくるのだ、と。
『人は自分の言葉の結ぶ実によって、満ち足り、そのくちびるの産物によって自ら飽きる。』(箴言18:20)
だから、私達も日々、祝福を宣言し、その実を実体として得ていくべきだ。
彼女は、自身の沢山の子達を育てた、のみならず、他人の子も乳母として育てた。神はいのちの神、また愛の神である。それ故、いのちを愛し、大切に育み育てる人を、神は大切にされる。偉大な人とは、いのちを大切に守り、増やし、育む人だが、いのちを軽んじ、傷つけ、殺す人は、神と人から忌み嫌われる。
『幸いを見ようとして、いのちを慕い、ながらえる事を好む人は誰か。あなたの舌をおさえて悪を言わせず、あなたの唇をおさえて偽りを言わすな。悪を離れて善を行い、やわらぎを求めて、これを努めよ。主の目は正しい人をかえりみ、その耳は彼らの叫びに傾く。主のみ顔は悪を行う者にむかい、その記憶を地から断ち滅ぼされる。』(詩篇34:12-15)
主にあって両親を敬い、従う人は、幸せになって地上で長生きする、と約束されている(エペソ6:1-3)。
幸せで、祝福され、信仰の家庭を建てあげて行くためには、親は、御言葉教育を行う責任があり、子供は両親に従う、という、双方向の責任をそれぞれ全うする必要がある。それが合致した家庭は幸いである!
今日は母の日、母が日頃負っている労をねぎらい、感謝する日であるが、親に感謝する人は幸いなのだ。
信仰を受けたなら、それをしっかり保持し、子へと、孫へと受け継がせ、地上において幸せで、長生きし、偉大な信仰者の列へと加えられていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
主日礼拝
きよさと敬虔さによって時代を支配した信仰の先人たち(1テモテ4:8)
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週報/メッセージ(説教)概要
私達が日々宣言するようになった「成功のための宣言文」で、最も大事なキーワードは、「イエス様にあって」である。イエスのヘブライ語「イエシュア」は、「彼は救い」という意味だ。そう、「神こそ救い」、それが聖書全体を一言で表した言葉である。皆さんは、救われたいだろうか?病気、お金、生活、人間関係、塞がれているように見える未来、などなど。目の前に立ちはだかる問題の数々から「救われたい」、と私達は願う。
イエス様は私達を愛し、私達を罪と死の呪いから救うために、身代わりに十字架にかかって下さった。
聖書は言っている。「イエスこそ私の主である」と告白し、神がイエスを死人の中からよみがえらせたと信じるなら、救われる、信じる人は失望に終る事がない!と。主の御名を呼び求める者は、全て救われるのだ。
主イエス様の御名を呼び求めるなら、あらゆる問題から救われる故、「イエス様にあって」が大事なのだ。
この宣言文には、4人の聖書中の人物が登場する。ダビデとヨセフは男性、アビガイルとエステルは女性である。彼らに共通している事は、神様に対して敬虔である事、また、自分自身をきよく保っている事だ。
そのようにした彼らは、神様に愛され、保護され、チャンスや良い出会いに巡り合わされ、未来が拓かれ、この世において抜きん出た者となって行った。敬虔である事と、きよさを保つ事、これが祝福の源である。
「敬虔(ユセベイア)」とは「恐れ敬う事」、日本語で親孝行の「孝」に相当する語である。肉体の鍛錬は少しは有益であるが、敬虔は、今のいのちと未来のいのちが約束されている故、全てに対して有益である。(1テモテ4:8) 敬虔であればあるほど、すなわち、神様を恐れ敬う度合いが高く、真の父である神様に”孝行”する心が強ければ強いほど、神様に愛され、あらゆる面で守られ、最善の導きで、導かれるのだ。
ヨセフは、敬虔さときよさを保つ事において、当時の世界ではダントツだった。彼は、兄が悪事を行う時、それに加担せず、むしろそれを父に報告した。また、彼がポテファルの妻から毎日、性的な誘惑を仕掛けられた時、「どうしてそのような大きな悪事をして、神に罪を犯す事ができましょうか」と言って聞き入れず、彼女のそばに寝る事も、彼女と一緒にいる事もしなかった(創世記39:10)。彼は正直すぎた故に、奴隷に売られたり牢に入れられたりしたが、神は彼を引き上げ、総理大臣とし、生涯エジプトの王達の父となった。
ダビデも若かりし頃、信仰において清さを保っていたため、敵の巨大さや強さには一切ひるまず、信仰によって勝利し、またサウル王に憑いていた悪霊を、彼の賛美によって追い出す事ができた。ダビデを殺そうと付け狙っていたサウル王を殺すチャンスが二度も与えられたが、ダビデは「主が油注がれた王を殺す事など、とんでもない」と、二度とも自分で手を降す事をしなかった。彼はイ、スラエルの誰もが尊敬する偉大な王となったが、彼は祝福されると、性的な罪と殺人を犯してしまった。それを預言者から指摘されると、彼は主を恐れ敬っていた故に、すぐに自分の罪を告白し、赦しと、きよめられる事を求めた。(詩篇51篇)
アビガイルは、聡明で美しい女だった。ダビデは彼女と2,3の会話をしただけで、「彼女と結婚したい」と惚れさせた程の女性だ。それは、彼女の敬虔さと清さが醸し出す、真の美しさの故だ。彼女は元々、ナバルという、頑迷で、物事を破壊する男の妻だったが、そんなひどい夫でも、彼の事業を日々誠実に運営し、拡大させて行ったため、部下は彼女にアドバイスを求めるようになった。ダビデがサウル王に追われていた時、報われない事ばかり続いて心が荒んでしまっていたダビデを、彼女は彼の信仰を回復させたのだ。
ナバルは頑迷さを変えなかったため、神に打たれて死んだが、ダビデは即座に彼女に結婚を申し込んだ。
エステルは美しい女性で、数ある美しい女性達の中から特に選ばれて、ペルシア王の王妃となったが、彼女は、数多くいる美女には無い清らかさと、敬虔から来る芯の強さがあった。彼女は夫に対してはいつも慎ましく従順であった。神が彼女を美しくし、王妃としたのは、神の民イスラエルの危機を救うためだった。
神の民が危機に瀕した時、彼女は命の危険を顧みず王の前に進み出て、思慮深く、凛として対応し、イスラエルを救った。夫である王に対しては良き慰めとなり、神の民の敵に対しては少しもはばからなかった。
私達も、この時代の彼らのようになるために、まず、きよくなる事を求め、そして主をおそれ敬う「敬虔」を身につけるのだ。汚れをもたらす習慣を止め、普段のきよさを保っていくなら、それが大きな力となって行く。
まことの父である神様に親孝行し、神様にますます愛され、この時代のダビデやヨセフ、アビガイルやエステルのようになっていく皆さんと、その子供達でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。アーメン。
わたしはわたしに不正や悪を行う者に、腹を立てず、主を信じ、日々、誠実を養ったヨセフの模範にならいます。
なぜなら、悪や不正を行う者を、主が、たちまち、枯らしてくださるからです。
わたしの愛するイエス様。
わたしはイエス様にあって計画されている、わたしの将来を信じます。
イエス様、今日も、素晴らしい一日が始まりました。
イエス様にあって、わたしは、この素晴らしい一日を期待します。
わたしは、イエス様にある、わたしの可能性を、信じます。
わたしは、イエス様にあって、健康で幸せです。
わたしは、イエス様にあって、全ての素晴らしい事を、学ぶ事が大好きです。
わたしは、イエス様にあって、十分なほど、スマートでシャープな者です。
わたしは、イエス様にあって、素晴らしいアイデアを実践する力で満ちています。
わたしは、イエス様にあって、素晴らしい思考力で、溢れています。
わたしは、イエス様にあって、取り組んだものを完成する力で、満ち満ちています。
わたしは、イエス様にあって、愉快で、創意的な力で、いっぱいです。
わたしは、イエス様にあって、独創的で、特別な存在です。
わたしは、イエス様にあって、これから拓くわたしの未来が、すごく楽しみで、誇らしいです。
わたしの人生は、イエス様にあって、楽しみと喜びで、満ち満ちています。
わたしは、イエス様にあって創られた自分が、誇らしいです。
わたしは、イエス様にあって、いつも安全に保護されており、また、特別に愛されています。
わたしは、イエス様にあって、素晴らしい友との出会いが、約束されている事が、喜びです。
わたしは、イエス様が、日々素晴らしいチャンスに巡り合わせてくださる事を、喜びます。
わたしの夢は、イエス様にあって計画された自分が、完成する事です。
わたしは、イエス様にあって、栄光の子育てができます。
わたしの子供は、この時代のダビデやヨセフ、アビガイルやエステルのように成長する事を信じます。
わたしと出会う人は、みんな、わたしのことを喜びます。
この時代の政治、経済、文化、教育において、わたしが担うべき責任を全うする力を、イエス様が下さるから、感謝します。
わたしは、これらの事が実体化される事を信じ、イエス様に宣言しました。
イエス様が保証して実体化して下さるからです。
わたしのこの信仰が、神様を喜ばせている事を、信じます。
イエス様には天と地のすべての権威があり、わたしの祈りに必要なすべてのものがイエス様の御手の内にあるからです。
この祈りを、イエス様の天と地で満たして下さる事を、わたしは信じます。
わたしの名によって祈れ、天の御父が報いて下さる、わたしが実行する、と、約束して下さった、天と地において、誰も逆らうことの出来ない、主・イエス様のお名前によって、祈りました。
アーメン!