メッセージ - 20260220のエントリ

サムエルの召命 - 主よ、お語り下さい。しもべは聞きます

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【概要】

主の言葉が稀となった、霊的に衰退した時代。 少年サムエルは、汚職の祭司が聞けなかった主の声を聞いた。 「お話しください。しもべは聞いております。」 母ハンナの涙の祈りによって生まれた子が、やがて神の声を聞く預言者に! この時代も主は働き人を探しておられる。 あなたの耳は、主に捧げられているだろうか?

【聖書箇所】

  • 1サムエル3:1-10

  • イザヤ50:4

【励ましの言葉】

  • 神様は祈りを聞かれる主であり、私たちが聞くことを望んでおられる

  • 霊的に衰退した時代においても、神様は主のために働く働き人を探し求めておられる

  • 母の祈りによって神に聞かれた子が、やがて神の声を聞く預言者となる

  • 小さな働きであっても、神様は誠実に仕える者の姿をご覧になっている

  • 皆さんの祈りは聞かれています

  • 皆さんの涙も聞かれています

  • 皆さんの心からの願いを主は聞いておられます

  • 小さな従順がある人は、やがて大きな従順をいただくようになる

  • 朝ごとに主は私たちを呼び覚まし、弟子のように聞くようにしてくださる

【勧めの言葉】

  • 耳という最上の捧げ物を主に向かって捧げるべき

  • 御霊が諸教会に告げることを聞きなさい(黙示録で7回繰り返される)

  • 日々自分自身を清め、悔い改めて歩むべき

  • 神様に捧げられた子供のために切に祈り求めるべき

  • 主の働き人として、主のお声がかかったらすぐに立ち上がって応答すべき

  • 神様の御前で「主よ、お話しください。しもべは聞いております」という態度を持つべき

  • 耳を主に捧げ、主の宮と一体化させるべき

  • 熱心に神様に声を聞かせる祈りをささげるべき

  • 主からお言葉をいただいたのであるならば、それを一言も漏らさずに告げるべき

  • 聞く嗜みを日ごと主の御前に捧げましょう

  • 聞いた言葉に対して自由意志をもって選びなさい

【AIによる文字起こし】

今朝、恵みをいただく御言葉は第一サムエル記3章1節から10節です。初めに皆さんと一緒に10節を最初に宣言したいと思います。

「そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じようにサムエル、サムエルと呼ばれた。サムエルは『お話しください。しもべは聞いております』と申し上げた。」(1サムエル3:10)

皆さんは礼拝に参加しておりますけども、神様の御前において、皆さんの体の器官、いろんな器官がありますね。目とか耳とか口とか、手足、いろんな器官があるんですけども、それを主に捧げること、そのうちで、皆さんのどの器官を最も主に捧げるべきか、皆さんご存知でしょうか。そうですね、皆さんの耳です。耳が、皆さんにとって一番重要な、神様の御前において一番重要な器官です。耳はね、ただついているものではないんですね。聞くためにあるものですね。

「耳のあるものは、御霊が諸教会に告げられることを聞きなさい」と、黙示録では7回も繰り返し繰り返し語られております。耳のあるものは、耳がついてない人、今ここにいますか。みんなね、ついてますね、耳がちゃんと。じゃあ皆さん聞くべきなんです。耳があるものは御霊が諸教会に告げる言葉を聞きなさい。

今日はサムエル記からですが、このサムエルという名前の意味は、「サム」、これはシェマー、「聞く」という意味ですね。そして「エル」、これは「神」という意味です。ですから、「神は聞かれた」、あるいは「神は聞く」、この意味を持っております。この「神様は聞かれた」という意味があり、また「神の名」という意味もサムエルにはあるんですけども、このサムエル、彼はどういう形で主に召し出されたものか。

ここ最近、主からの召命シリーズを見ておりますね。モーセについて、また一人一人の、この神様から召し出された時にどのような成り立ちであったのか。預言者イザヤが召命された時は、唇が炭火で清められました。また、昨日はエレミヤでしたね。エレミヤに対しても「私はあなたを城壁とする。鉄の柱とする。あなたを王たちの上に、民の上に立てる」、そのような形で召命しました。エレミヤは「自分は弱いものです。若いです」と恐れましたけども、神様は「恐れてはならない」と言われましたね。

そして今朝はサムエルの召命の場面なんですけども、いずれの時代も神様の御言葉が廃れ、また悪がはびこる、そういう時代でした。モーセの時代もそうでした。イザヤの時代もエレミヤの時代もそうでした。サムエルの時代もそうなんですね。

3章1節、どういう時代だったか書いてあるんですけども、1節を皆さんと一緒に宣言します。

「少年サムエルはエリの前で主に仕えていた。その頃、主の言葉はまれにしかなく、幻も示されなかった。」(1サムエル3:1)

そういう時代です。主の言葉がまれ。幻も示されない。こういう時代に、サムエルは召命を受けました。イザヤの時代もそうでしたし、エレミヤの時代もそうでした。モーセの時代、本当に神様の御業が必要な時代でした。

今、この日本ではどうでしょうか。本当に本当に今、主の言葉が稀で、主の幻も稀で、そして本当に悪がはびこって、神様が退けられている、神様の言葉が退けられているかのような、そういう時代、まさに主は召命者を求めておられます。主はこの日本の地をあまねく見渡して、本当に主のために働く働き人はいないか、そういうふうに見ておられます。今まさにこのサムエルの時代、モーセの時代、またエレミヤ、イザヤの時代です。主の召命、これが必要な時代です。霊的に衰退した時代において、神様は探し求めるんです。主のための働き人を。

このサムエル、「神は祈りを聞かれた」。まず神様の御前に向かって、サムエルの母が、切なる祈りで神様に祈りを聞いて、聞かせていきました。言葉にもならない、声にならない、人間の声には聞こえない祈りで、母は、「本当に主よ、どうか私にお子を与えてください。あなたに捧げられたお子をどうか授けてください。お子が生まれたら、あなたにお捧げします」という、その母の祈りを神様が聞いてくださいましたね。神は聞かれた。だからサムエルなんです。

そして母が祈りによって神様に聞かせた。そのようにして与えられた子は、やがて神の声を聞く預言者になっていくんです。母の祈りによって神に祈りを聞かれた子が、やがて聞く者に、神の声を聞く者になっていくんです。そして、霊的に衰退した時代において、神に聞く者を神様は起こされるんです。

だからね、母のみならず、皆さん一人一人が本当に祈り求めるべきなんです。「神様、聞いてください。神様、神様に捧げられた捧げ物なる子供を私は求めます。栄光の次代、神様に聞く次代を私に与えてください」。今、私たちは切にティアのために祈っております。神様、聞かれるんです。また皆さんは本当に望みを持って祈りましょう。また皆さんのお子、子供が本当に神様に聞くという、そういう祈りを母は捧げていくべきなんですね。

このサムエルの時代、本当に廃れた、霊的に廃れた時代でした。主の言葉は稀にしかなく、幻も示されなかった。もうすでに、エリ、その時の当時の大祭司はエリと言うんですけどもね、2節では、「その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて見えなくなっていた。神の灯はまだ消えていず、サムエルは神の箱の安置されている主の宮で寝ていた」(1サムエル3:2-3)と書いてあります。

サムエルは主の御前において寝ていたんですね。神様の御前において、彼はエポデを身につけて、そして神様に仕えておりました。神殿において、まあ、きっとね、雑用的なことしか任されていなかったことでしょうね。

その彼を養っている大祭司エリは、神様のお言葉をもう聞くことが稀にしかなくなってしまいました。なぜならエリはあまり良くない祭司でした。エリの2人の息子は、この神様に捧げ物を持ってくる人々のその捧げ物を途中でくすねるんですね。人々が神様の御前に、あの牛や羊を持ってきて生贄として捧げる時、その捧げられている最中、神様へと捧げられている最中に、こんな大きなフォークを持ってきて、その大きなフォークでその焼肉をブスって刺して、祭司が持っていくんですね。

で、人々が「ちょっと待ってよ。焼き尽くされる前に持っていくのはやめてください。焼き尽くした後であなたがお取りください」と言うんですけど、しかし、そのエリの息子たちは、「いや、祭司は焼いた肉は受け取らない、生のままで持っていくのだ」って言って、そのフォークで持って行ってしまうんですね。もうこれじゃあ礼拝者たちの心が傷つきます。人々がもう「神の恵みもあるものか」と、自暴自棄になってしまいますし、またこのエリの2人の息子、この主の宮において仕える女性たちに、悪いことをして、そういうことをして、その噂が立ち上って、お父さんの耳にも聞こえて。で、お父さんは、エリは、それを戒めるんですけど、しかし、息子は聞きませんでした。

で、お父さんは息子が聞かなかったら、もう祭司職を罷免させるなり、なんなりすればいいんですけど、しかし、そのまま放置していたんですね。で、それでそういうわけで、この神様の御声が稀にしかなく、また主の幻もその時はもう示されなくなってしまった。

本当に皆さん、主の働き人が、この主の御前において、悪いことをずっと続けているとするならば、主の言葉が聞けなくなってしまうんです。幻が示されなくなってしまいます。今、私たちは本当に自分自身を日々清め、悔い改めて、そして日々歩んでいくべきなんですけども、でないと私たちのこの耳が、この霊的な耳が廃れていってしまうからですね。本当に私たちはよく気をつけるべきです。

その時、サムエル、この「主は聞かれる」という名前のサムエルが、彼は神の宮において仕えていたんですけども、彼の働きは、もう本当に小さな小さな働きだったことでしょうね。まだ彼は幼子です。子供です。で、彼はエリに仕えていたって書いてあるんですけどもね。まあ、どのように仕えていたのか。けれども、神様はその少年の仕える様をご覧になっておられたんですね。

で、それでサムエルがこの神の箱の安置されている主の宮で寝ていたその時ですね。その時、「主はサムエルを呼ばれた。彼は『はい、ここにおります』と言ってエリのところに走って行き、『はい、ここにおります。私をお呼びになったので』と言った。エリは『私は呼ばない。帰っておやすみ』と言った。それでサムエルは戻って寝た」(1サムエル3:4-5)。

サムエルが初めて主の声を聞いたんですね。しかもね、サムエルはこのエリのところに走っていきました。サムエルとしては、何か声が聞こえたとしたら、そこにいる人間といえばエリしかいないから、当然エリが呼んだ声だと思ったんですね。で、それでエリのところに走っていきってありますね。走っていた。もう一刻でも早くこの大祭司様のお言葉、こんな夜中寝ていたところでも、それでも起こされた、サムエルは「ちょっと眠いから休ませてよ」じゃなくて、もうすっと立って「はい、ここにおります」と言って走って行って、そしてね、行ったんですね。

本当にこの主人たるお方の御前におけるこのような誠実さ、この少年サムエルは持っていたんです。皆さんも本当にこの主の働き人であるならば、この主人たるもののお声がかかったら、もうすっと夜中だろうと立ち上がって走っていって、この聞く、その態度、これのこの小さな従順を主は喜ばれるんですね。小さな従順がある人は、大きな従順を、やがてそれをいただくようになっていきます。

この1回目のサムエルのこの呼ばれた時はこのまま終わったんですけど、しかし6節、主はもう一度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのところに行き、「はい、ここにおります。私をお呼びになったので」と言った。エリは「私は呼ばない。我が子よ。帰ってお休み」と言った。まあ、1度目だったらまだ何か、寝ぼけたとか、そういったことで、ええ、まあ説明がついたことでしょうけど、2回ありましたね。2回目で、まあちょっと不思議だなって思ったことでしょう。お互いね、サムエルの方もエリの方も。でもまあまだね、日常生活の範囲内で、こういうことは起こり得ることだと片付けられたかもしれません。

まあ、7節ですね。「サムエルはまだ主を知らず、主の言葉もまだ彼に示されていなかった。」ですからサムエル、ここに仕えるようになってから、もうずっとエリの御前にいるんですけど、しかし、祭司は主の言葉を聞くということ、これをまだ見たことはなかったのかもしれないですね。もう非常にエリに主の言葉が示されることは稀でしたので、サムエルはまだ主を知りませんでした。だから、エリが自分を呼んだというふうに勘違いしたんですね。

それで8節、「主が3度目にサムエルを呼ばれた時、サムエルは起きてエリのところに行き、はい、ここにおります。私をお呼びになったのでと言った。それでエリは主がこの少年を呼んでおられるということを悟った。」エリは、この3度目にして、ようやく、主が呼んでおられるのだということをようやく気づきました。1回目ではなく、2回目ではなく、3回目ですね。本当に不思議です。なんで主はこんな回りくどいことをされるのか。

主はモーセを召命される時、主はもう真っ先に自分自身を自己紹介しましたね。モーセに対して「私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」そういうふうに自己紹介してモーセを召命したんですけど、しかしサムエルの時は、ただ「サムエル」と呼んだだけですね。自己紹介しませんでした。「私はエリではなく主である」と初めに言えば、簡単に事足りたことでしょうけどもね、不思議ですね。なんでこういうふうに回りくどく、しかもなんか忍耐強いですね。主は1回目、サムエル呼んだけど、サムエル主だと気づかずにエリを起こしに行った。2回目もそうだった。3回目もそうだった。

まあ、私たちは結果から推測するしかないんですけども、なんでだかこの時、エリが関わりましたね。エリに対して、少年サムエル主が語ったということがこの時、明確にエリ、わかったんですね。そしてサムエル自身も3回もこのね、エリに対してのその従順、主のお言葉を預かる祭司に対する従順を3回も示しました。もう2回目、おかしいなと思ったんですよ。3回目、ちょっとまた聞こえたけど、でもちょっともし今回も違うと言われたら、いい加減怒られてしまうかなという、そういった恐れを、それをとりあえずね、さておきして、とにかく彼が走っていって。エリのところに行って。

「はい、ここにおります。私をお呼びになったので」と。本当に健気な、従順な。そういう少年サムエルです。主が喜ばれる様です。本当に主は、そのように従順で、そして本当に恐れることなく、この主のお言葉を預かる人のところに行って聞くという、その姿勢を主は喜ばれるんですね。

エリはようやく気づきました。あ、これは主がサムエルを呼んでおられるんだ。なんで私にではなく、こんな少年に、そういったことがあったかもしれませんけれどもね、エリはこの時、正しい指示をするんですね。9節。「それでエリはサムエルに言った。行っておやすみ。今度呼ばれたら主よ、お話しください。しもべは聞いておりますと申し上げなさい。」こうして、サムエルは行って、再び、この自分のところで寝ました。

「主よ、お話しください。しもべは聞いております。」これが本当に私たちが主の御前において、取るべき正しい態度です。そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げた。アーメン。この聞くということ、これはとても大事なことだと今日のメッセージで語られます。

召命、主から呼び出されること、これは、まず聞くということ、また主に聞かせるということ、ここから始まるんです。サムエル記、ダビデのことが記されている書物です。イスラエルの王が起こされた書物です。その真っ先にサムエルがまずいるんです。主の声を聞く預言者です。そしてこのサムエルの前に彼の母ハンナの祈りがあります。サムエルは偉大な預言者です。王様を2人も油注ぎました。ダビデにも油を注いだ偉大な預言者です。この偉大な預言者がどうやって生まれたのか。それは一人の母の祈りによって生まれたんですね。母が熱心に祈って神に聞かせた祈り。

「サムエル」、「神は聞く」。神に聞かせる。この母の本当に熱心な祈りによってサムエルが生まれ、そして、神に聞かせた祈りを聞かせた母。その母の祈りに神様が答えて、神様に聞く預言者サムエルを彼女に与えてくださったんです。皆さんも神様に聞かせるべきなんです。祈りを持って神様に聞かせる祈り、母の祈り、父の祈り、あるいはね、皆さん、子供が実際には生まれていないかもしれない。それでも神様に聞かせる。その祈りによって神様は答えてくださった。ハンナは、いつこの神様に聞かせたか。お子がいない時です。皆さんも今まだお子がいないかもしれません。

霊的なお子がまだいないかもしれません。だったら今は神様に聞かせるべき時です。皆さんの声を、皆さんの祈りを。神様は皆さんの声を聞かれるんですね。そしてやがて神様が聞いてくださり、そして今度は神様に聞く預言者を皆さんに与えてくださいます。私たちも今、ティーチ・ザ・トゥルース・インターナショナル・アカデミーを通して、この小学校一年生の子どもたち、放課後学校を通して神様のお言葉を口ずさむ子どもを養うということを今これからしようとしております。その子どもたち、やがて神様のお声を聞くようになっていくでしょう。今はまだ私たちには与えられておりません。今はですから、皆さんは熱心に神様にお声を聞かせるべき時です。皆さんの祈りの声、皆さんの賛美の声を神様に聞かせる。サムエル、聞かせるべき時、そして皆さんも神様の声を聞くべきです。サムエルのように神様の声を聞いて、そして本当にこの今この時代、主の弟子を神様求めておられます。弟子となっていくべきなんです。

イザヤ50:4にこう書いてあります。「神である主は私に弟子の舌を与え、疲れた者を言葉で励ますことを教え、朝ごとに私を呼び覚まし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。」アーメン。主は朝ごとに呼び覚まし、そして私たちのこの耳を開かせて、耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。

弟子というものは聞くべきものです。しもべは聞くべきものです。このしもべというものは、耳と非常に深く関わっておりますね。律法の中で、もし、家のしもべがずっと主人の家に仕えたいというのであるならば、そのしもべの耳を、その家の柱に、針で通しなさい。そうすれば、そのしもべはその家の主人の家で生涯仕えることができると書いてあります。皆さんは主のしもべです。皆さんの耳は本当にこの主の宮に、貫き通して主の宮と皆さんの耳を一体化させるべきなんです。するならば皆様は生涯主に仕えることができるようになります。耳としもべ。これは非常に関わりがあることです。皆さんは耳を主に捧げましょう。

このサムエルに対して主が語られました。「サムエル、サムエル。」そしたらサムエルは「主よ、お語りください。しもべは聞いております」と言いました。この時、サムエルに語られた主の言葉ですね、エリの家に対する裁きの厳しい預言でした。到底、この大祭司様に、この主から与えられた言葉を語るのは恐れ多い、多すぎるような、そういうことを、少年サムエルに神様お語りになりました。

そしてサムエルはこの主からの、恐れ多い言葉、もうエリに言ったらどうなるかわからないような、そういう言葉でしたけれども、しかしエリは、18節で見ますと、「サムエルはエリに対して一言も隠さず、すべてを告げた」ことが書いてあるんですね。一つも漏らさず。主からのお言葉を聞いたサムエルは、それをそのままエリに伝えました。

これは預言者としてとてつもなく素晴らしい性質です。皆さんも主からお言葉をいただいたのであるならば、それを一言も漏らさずに告げるべきです。聞いたならば、それをそのまま人々に告げること。これが本当に素晴らしい預言者の嗜みです。サムエルは神に聞かれたものでした。

今日、皆さんもそうですね。皆さんの祈りは聞かれています。皆さんの涙も聞かれております。皆さんの本当に周囲に向かっての、本当に心からの願い、主は聞いておられます。

ハンナの祈りを主は聞かれたように、皆さんも本当にこのハンナのように、もう傍から見れば酔っ払いなんじゃないかって思えるような、それほどの熱心な祈りをするべきです。そしたら主は皆さんにサムエルを与えてくださいます。

時代を変える預言者、主から聞いて、この耳を捧げる、そのような素晴らしい次世代、これを与えてくださるまで、皆さんは祈り続けましょう。

今、皆さんが聞く番です。皆さんもサムエルのように主に語ってください。「しもべは聞いております」。この嗜みを日ごと主の御前に捧げて、皆さんの耳を主に捧げ、聞く嗜みを主に捧げて、主に喜ばれる次世代を、この時代、生み出していく皆さんでありますように。

聞いたからには、これからその御言葉通りに行うこと。また聞いた通りに人に伝えること。これをしっかりと私たちもサムエルのごとくしていくことができますように。

また、今お子が与えられていない今は、ハンナのごとく主に聞かせる祈り、熱心に捧げることができますように。時代が悪い時代だからです。こんな悪い時代に、主は預言者を呼び起こしました。モーセの時代も、イザヤの時代も、エレミヤの時も、またサムエルの時も、本当に主の言葉が廃れている。そのような悪い時代、人々が主に聞かない、自分の欲望のままに生きる。そういう時代にサムエルを遣わされたごとく、主よ、どうかここにいる一人一人を遣わしてください。

【結論】

霊的に衰退した時代において、神様は祈りを聞く主であり、また私たちに聞くことを求めておられる。サムエルの母ハンナの祈りによって与えられた子が、やがて神の声を聞く預言者として召し出されたように、私たちも耳という最上の捧げ物を主に捧げ、「お話しください。しもべは聞いております」という姿勢で主の御前に進み出るべきである。小さな従順を積み重ねることで、やがて大きな従順をいただくようになる。主のために働く働き人を今も探し求めておられる主に応答し、聞いた御言葉を一言も漏らさず告げる預言者として立つことが求められている。母の祈りが次世代を神に聞く者として育て、時代を変える働き人を生み出すことを信じて、熱心に祈り続けるべきである。

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