メッセージ - 20260323のエントリ

子どもたちを来させなさいという主の命令(イザヤ60:4-6)

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【概要】

神様が次世代の子どもたちを招き、必要なすべてを備えてくださるという約束を信じ、私たちが霊的な目を上げて祈り、備えることの重要性を語るメッセージです。

【聖書箇所】

イザヤ60:4-6

マルコ10:14

イザヤ45:14

【慰めの言葉】

現実にはまだその兆候が見えなくても、神様はすでに働いておられ、子どもたちや必要なものをすべて集めてくださるという希望が語られています。

【励ましの言葉】

霊的な目を上げて神様を見上げ、次世代の教育と教会の回復のために、大胆に祈りながら準備を進めていくようにと励ましています。

【戒めの言葉】

大人の常識や不信仰によって、子どもたちが神様の元へ来ることを邪魔してはならないという強い警告がなされています。

【勧めの言葉】

イエス様の「子どもたちを来させなさい」という命令を堅く握り、次世代を招き入れるための具体的な体制づくりと祈りに取り組むことが勧められています。

【悔い改めの促しの言葉】

教会が子どもたちにとって近づきにくい場所になっているのであれば、その現状や、私たち自身の内にある不信仰を悔い改めるべきであると促しています。

【***詳細***】

このメッセージは、イザヤ書60章4節から6節の言葉から始まります。「目を上げてあたりを見よ。彼らは皆集まって、あなたの元に来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちは脇に抱かれてくる。その時、あなたはこれを見て晴れやかになり、心は震えて喜ぶ。海の富はあなたのところに移され、国々の財宝はあなたのものとなるからだ。らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだがあなたのところに押し寄せる。シェバから来る者は皆、金と乳香を携えて来て、主のくすしい御業を宣べ伝える。」(イザヤ60:4-6)。

イエス様の御元に子どもたちを遣わすことは、神様の御心であり、明確な命令です。私たちは今、神様の御元に子どもたちを集める働きをしています。神様が一切の邪魔を退けてくださるように、そして私たちが何をするべきなのかを教えてくださるようにと祈り求めています。語られた御言葉が、一人一人の心の中に命の川となって流れ込み、私たち自身を潤し、さらには周りの人々をも潤していくことを期待しています。

深夜の祈祷会の中で、特にこのイザヤ書の箇所が心に示されました。これは今月のカレンダーの聖句でもありますが、子どもたちが遠くからやって来ること、そして脇に抱かれて集まってくるという情景が、深く心に響いたのです。

預言者イザヤは「目を上げてあたりを見よ」と語っています。目を開けて見なさい、ということです。これはただの提案ではなく、命令形です。そしてこれは「希望を持って前向きに見なさい」という程度の意味ではなく、「現実にはまだ何も見えない時であっても、顔を上げなさい」という強いメッセージなのです。もしかしたら、この幻はまだ現実の目には見えないかもしれません。だとしても、目を上げていなさい、目を上げ続けなさいという命令です。

ですから、この預言が実現したり、礼拝が回復したり、子どもたちが実際に集まってくるといった、現実の条件がすべて揃ってから行動を始めようということではありません。まだ現実が動き出す前、何も見えないうちから、信仰の視線を切り替えることが求められています。今まで下を向いてうつむいていたなら、目を上げること。人ばかりを見ていたなら、天におられる神様の方向を見上げることです。「目を上げる」「見る」という二つの命令から、この預言は始まっています。私たちが目を上げたとき、現実が動き出し、やがてその光景が実際に目に入ってくるのです。

聖書には「娘たちは脇に抱かれてくる」とあります。この「脇に抱かれる」という言葉には、世話をされる、あるいは養われるという意味が含まれています。子どもたちがただ抱えられて来るというだけでなく、大切に世話をされ、養われながら運ばれてくるというニュアンスがあるのです。

さらに5節には「その時、あなたはこれを見て晴れやかになり、心は震えて喜ぶ」とあります。人は恐れや戸惑い、恐怖を感じる時にも震えますが、圧倒的な感動を覚える時にも震えるものです。神様の素晴らしい御業を前にして、私たちは感動で震えながら喜ぶことになります。

このイザヤ書の熱狂的な箇所においては、息子や娘たちが遠くから集まってくるだけでなく、富や財宝も集まってくると語られています。「海の富はあなたのところに移され、国々の財宝はあなたのものとなるからだ」とあるように、海の向こう側から船団が押し寄せ、国々の財宝が運ばれてきます。

彼らはなぜ、わざわざ財宝を集めてくるのでしょうか。それは礼拝をするためです。私たちが住むこの日本という島国においても、国内からだけでなく、海の向こうから財宝が運ばれてくることを祈り求めています。なぜなら、教会の建物を買ったり、土地を買ったり、スタッフを雇ったりするためには、経済的な蓄えが必要だからです。私たちの心を整えるだけでなく、教会の制度や経済的な基盤も整えなければなりません。

しかしそれは、自分たちで一生懸命アルバイトをしてお金を稼ぎ、それを少しずつ積み立てていくというよりも、まずはすべてをもたらしてくださる力ある神様に願い求め、私たちが何をすべきかを教えていただくところから始まるのです。

すべては「目を上げなさい」という命令から出発しています。目に見える現実から判断するのではなく、すべてを行ってくださる天の神様を見上げ、祈り求めます。「子どもたちを集わせてください」と祈るなら、私たちは実際にその光景を目にし、心から感動して喜ぶことになります。そして、子どもたちだけでなく、海外からの富や財宝も集まってくるという約束は、思い描くだけでも心がワクワクするものです。

6節には、ラクダの大群が登場します。ラクダは砂漠の旅に耐え、重い荷物を運ぶことができるとても頑丈な動物です。「ミディアンとエファの若いらくだがあなたのところに押し寄せる」とありますが、彼らは手ぶらで来るわけではありません。「シェバから来る者は皆、金と乳香を携えて来て、主のくすしい御業を宣べ伝える」と記されています。海から陸から財宝が来るだけでなく、彼らは神様の不思議で素晴らしい御業を宣べ伝えるのです。

金と乳香といえば、イエス様がお生まれになった時に博士たちが捧げた贈り物を思い出すことでしょう。彼らは単に富を持ってきたのではなく、礼拝をするために宝物を携えて来ました。今この時代においても、遠くから、また近くから、礼拝者たちが財宝を携えてやって来るというビジョンを私は仰ぎ求めています。

そして彼らは「主のくすしい御業を宣べ伝える」とあります。やって来た彼ら自身が広告塔となって、神様の素晴らしい御業をさらに広めていくことになります。私たちは次世代の教育を目指していますが、それは単に学校の勉強を教えることだけが目的ではありません。御言葉による教育の素晴らしさを体験し、御言葉によって内面から作り変えられた子どもたち自身が、生きた広告塔となるのです。そして、変えられた子どもたちの姿を見て驚き、感動で心を震わせた親たちもまた広告塔となり、神様の御業を宣べ伝えていくようになります。私たちは、そのように具体的に祈り求めるべきです。

単に「子どもたちを来させてください」「親たちを来させてください」と祈るだけでなく、彼らが神様のくすしい御業を宣べ伝えるようになることを祈ります。御言葉の教育によって作り変えられた彼らが、将来の日本を変える器となり、この地域だけでなく、日本全土に神様の栄光を現す子どもたちがどんどん増え広がっていくことを求めていくのです。

子どもたちがやって来ることに関して、マルコによる福音書10章14節のイエス様の言葉が思い出されます。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。」(マルコ10:14)。子どもたちが来るのを止めてはならない、来させなさいというのは、イエス様の明確な命令であり、神様の御心です。これは非常に直接的な命令です。

この場面の前後関係を見ると、どうやら弟子たちが、子どもたちがイエス様のところへ行くのを邪魔していたようです。子どもはまだ未熟で、わきまえがありません。そのような不完全な子どもをイエス様の元に連れて行くのはおこがましいと、弟子たちは大人の常識で考えたのかもしれません。「神聖な礼拝の場に子どもはふさわしくない」という思いがあったのでしょう。しかし、その行為はイエス様を喜ばせるどころか、かえってイエス様を憤らせました。

今日においても、もし教会が大人中心の場所になっており、子どもたちを礼拝から遠ざけているような雰囲気があるならば、私たちは悔い改める必要があります。教会という場所は、大人だけが集い、大人向けの催しをするだけの場所ではなく、常に子どもたちを迎えるための準備をしておくべき場所なのです。次世代を招くことにおいて、教会はもっと真剣に祈り求めていかなければなりません。

現在の日本のキリスト教会における礼拝者の平均年齢は60歳前後であり、牧師や教職者の平均年齢は70代だという調査結果もあります。この現状を前に、私たちは本当に悔い改めるべきです。教会をもっと若者や子ども向けに整えなければなりません。

主の命令が「子どもたちを来させなさい、止めてはいけません」である以上、もし教会に子どもたちが近づきにくい空気や言葉遣い、態度、体制があるのなら、教会は悔い改めるべきです。「次世代の教育なんてどうせ無理だ」という不信仰な思いが、皆さんの心のどこかに潜んではいないでしょうか。子どもたちが来ることを妨げている要因があるなら、それをしっかりと悔い改め、イエス様の「来させなさい」というご命令を固く握りしめて祈り、具体的な体制を整えていくべきです。

今日の御言葉にある神様の約束は、子どもたちや家族がこぞって礼拝に回復され、帰還してくること、そして同時に栄光の富が入ってくるということです。教会開拓の歩みにおいて最も重要なのは、礼拝の回復と、若い次世代、子どもたちの回復です。私たちはこのことにこそ心を留め、準備を進めるべきです。

次世代の若者や子どもたちが来ることを妨げている要因は、私たち自身の不信仰かもしれません。イエス様は「止めてはいけません。子どもたちを来させなさい」と言われました。ですから、私たちは自身の心の内を点検し、悔い改めるべきところを悔い改め、栄光の次世代がイエス様の元へ来るための準備をしっかりと整えるべきです。今一度、自分たちを点検し、悔い改め、具体的な準備を整えましょう。そして、この栄光の次世代を迎え、子どもたちだけでなく、必要な富や財宝ももたらされるように祈り求めます。次世代の養育の働きと、神様のためのあらゆる働きが祝福されることを信じます。

祈りの中でも確認したように、イエス様の御心は、次世代の子どもたちを御元に連れて行くことです。私たちの内にある、子どもたちが教会に来ることを妨げている要因や、怠けている心、また「本当に実現するのだろうか」と信じきれない思いを取り除く必要があります。神様は「産めよ、増えよ、地に満ちよ、地を従えよ」と命じられました。その命令を固く握りしめ、歩みを進めていかなければなりません。

海の向こうから富をもたらし、それを用いて礼拝を回復させてくださるよう祈ります。かつてキュロス王の時代に礼拝が回復したように、今の時代に私たちを用いてくださるよう願います。主の宣言の通り、「エジプトの労苦の実、クシュの商い、背の高いセバ人」(イザヤ45:14)がやって来て、確かに神が生きておられることを彼らが知るようになりますように。そして、もたらされた財宝を用いて礼拝が回復されることを信じます。私たちがまだその働きに向けて整えられていない部分があるなら、神様に許しを請い、まずは私たち自身の思いを神様に向け、この次世代を育てる働きのためにしっかりと立ち上がっていくことができるようにと祈ります。

【結論】

教会の未来と礼拝の回復は、次世代の子どもたちを招き入れることにかかっています。大人の常識や不信仰によって子どもたちが神様の元へ来ることを妨げる姿勢を悔い改め、イエス様の「来させなさい」という命令に純粋に従う時、神様は必要な富や人材を集め、素晴らしい御業を見せてくださいます。私たちは目に見える現実にとらわれず霊的な目を上げ、次世代教育と教会の体制づくりに、信仰を持って具体的に取り組んでいくべきです。

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