メッセージ - 20260324のエントリ
主にあってひとつも無駄な事は無いこの人生(ローマ8:28-30) 早天祈祷会 2026年3月24日(Tue)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2026-3-24 5:40
主にあってひとつも無駄な事は無いこの人生(ローマ8:28-30)
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【概要】
神様のご計画に従って召された人々にとっては、人生のどんな苦難や一見無駄に思えることもすべてが益となり、御子イエス様の姿へと作り変えられるための大切な過程であるというメッセージです。
【聖書箇所】
ローマ8:28-30
ローマ8:31
ローマ8:38-39
【慰めの言葉】
自分自身の過ちや、他人の悪意によって人生が台無しになったように思える時でも、神様を愛しているならば、神様がすべてのことを働かせて益に変えてくださいます。
【励ましの言葉】
私たちの人生に無駄なことは一つもありません。今の苦しみや困難は、やがてより大きな神様の働きをするためのトレーニングであり、私たちが御子の姿に作り変えられるための大切なプロセスです。
【勧めの言葉】
今任されている仕事や、目の前にある困難な状況から逃げることなく、将来の大きな希望を見据えて、イエス・キリストにあって忠実に走り抜けましょう。
【***詳細***】
2026年3月24日の朝に与えられた恵みの御言葉は、ローマ8:28-30です。まず、神様を愛する人々、すなわち神様のご計画に従って召された人々のためには、神様がすべてのことを働かせて益としてくださることを確認し、祈りから始まります。神様に連なっている人々にとっては、身の回りに起こるすべての物事、そして私たち自身が神様の姿に作り変えられていくためのあらゆる経験が、すべて益であることを感謝します。この礼拝に参加する一人ひとりが豊かな恵みを受け取り、御言葉を取り次ぐ者の口を通して、神様の御座から流れる命の御言葉を豊かにいただき、神様を心に蓄えて共に歩むことができるようにと祈ります。
私たちキリストを信じる者の人生は、間違ったまま、あるいは不幸なままで終わるということは決してありません。「自分の人生は暗く、どん底だった」と振り返るような時期があったとしても、人生の途中の段階で「自分の人生はこういうものだ」と決めつけてはいけません。なぜなら、その先には必ず神様が用意された続きがあるからです。神様の御心は、私たちの人生が不幸せなままで終わることではありません。神様は私たちを、ご自身の姿形に似せて作ってくださいました。私たちは神様に深く愛されており、私たちが母親の胎内に宿るはるか前から、神様はすでに私たちの人生が幸せで有意義なものになるように設計しておられたのです。エペソ人への手紙にも書かれているように、世界の基が置かれる前から、私たちは神様の御前でしみやしわのない、きよいものとして選ばれて作られていました。ですから、私たちの人生には確かな意味があります。
今、私たちはそれぞれの人生の途中にいます。神様は完全なご計画を持って、私たちの人生を導き進めておられます。私たちは神様の壮大な計画の全体を知らないため、人生の途中で起こる出来事だけを見て「自分の人生は不幸だ」「失敗だった」と決めつけてしまいがちです。しかし、神様に愛されている私たちは、すべてのことが働かせて益となるという事実を知るべきです。「これまでの人生は無駄だった」と思えるような時期も確かに存在しますが、決してそれだけで終わるわけではないということを、今日の聖書箇所は明確に示しています。
ローマ8:28には、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」と記されています。ここに、すべてのことが益となるための重要な条件が書かれています。それは「神様を愛する人々である」ということです。私たちが神様を愛しているならば、この御言葉の約束の範囲内に入っています。それは例えるならば、手厚い保険に入っているようなものです。保険の適用範囲内であれば、たとえ自分が何かミスをしてしまったとしても、保険によって守られます。たとえば、ある人がアパートの自分の部屋でうっかり水漏れを起こし、下の階の部屋に被害を与えてしまったとします。しかし、保険に入っていたおかげで、自分のお金で全額を賠償して生活が立ち行かなくなるような事態は避けられました。神様を愛する人々は、このような神様の確かな守りの範囲内にいるのです。
そもそも、なぜ私たちが神様を愛することができるのでしょうか。それは、私たちが自発的に神様を愛したからではなく、神様がご自身の計画に従って私たちをあらかじめ召してくださったからです。2026年3月24日の今日、こうして早天礼拝に参加しているのも、御言葉を聞きたい、神様を賛美したい、礼拝を捧げたいという思いがあるからです。あるいは、たまたま動画配信を見てこのメッセージに出会った人もいるかもしれません。どのような形であれ、神様のご計画に従って召された人々のために、神様はすべてのことを働かせて益としてくださいます。勝手に、あるいは自然に状況が良くなっていくわけではありません。私たちが神様を愛しているなら、神様ご自身が背後で働いて、すべての出来事を益へと作り変えてくださるのです。
たとえ自分自身の罪や無知、愚かさのせいで人生を台無しにしてしまったと感じたとしても、それでも神様を愛するなら、神様はそれを益へと作り変えてくださいます。先ほどの水漏れの話のように、自分に落ち度があったとしても、神様の守りの範囲内にいるなら致命的な損害にはなりません。同じように、自分の罪によって人生に損害が出た場合でも、あるいは自分には何の落ち度もないのに他人の悪意や意地悪によって人生が壊されてしまった場合でも、神様の愛の手の中にあるならば、それはすべて益へと変えられていくのです。
旧約聖書に登場するヨセフの人生がまさにそうでした。ヨセフ自身には何の落ち度もなかったにもかかわらず、兄たちの嫉妬と悪巧みによって、エジプトへ奴隷として売られてしまいました。その状況だけを見れば、絶望しかありません。「私の人生は真っ暗だ」と嘆いても仕方のない状況でした。しかし、ヨセフは非常に前向きで誠実な人でした。奴隷として売られた見知らぬエジプトの地でも、任された仕事を忠実にこなしました。すると、彼がすることすべてが成功していきました。エジプト人の主人は、神様がヨセフと共におられるのを見て、彼に家のすべての管理を任せました。私たちの人生においても、どんなに理不尽で、奴隷として売られたような絶望的な思いがする状況であっても、神様が共におられるなら、その置かれた場所ですべてが益へと作り変えられていきます。
神様が共におられるからこそ、その働きは祝福されます。そして、その置かれた場所で私たちは鍛えられていくのです。後に神の国の働きのために大いなる活躍をするために、今受けている苦しみや困難、不本意な状況のすべてを、私たちは自分を成長させるトレーニングとして受け止めるべきです。ヨセフは奴隷として忠実に働いた結果、祝福されました。しかしその後、主人の妻から嘘の告発を受け、今度は無実の罪で犯罪人として牢屋に入れられてしまいます。それでもヨセフは不満や愚痴を漏らしたという記録はありません。牢屋の中でも忠実に働き、そこでも神様が共におられたので、牢屋の番人から多くの責任を任されました。奴隷として、そして囚人として鍛えられ、彼がどんな状況でも忠実さを貫いた結果、やがて時が来たとき、神様はこのヨセフという人物にエジプト国中を任せることになります。そして、神の民であるイスラエルを飢饉から救うためにエジプトに呼び寄せ、一つの家族から一つの国家へと成長するための土台作りをヨセフが担ったのです。これらはすべて、神様の計画に従い、神様の御心が成就するために行われたことでした。
ローマ8:29には、「なぜなら、神はあらかじめ知っておられる人々を、御子の形と同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」とあります。私たちキリストを信じる者の最終的な目標は、御子イエス様と同じ姿になることです。私たちの人生の目的は、単に毎日が楽しくてハッピーになることではありません。イエス様と同じ性質へと成長していくことなのです。ですから、人生の途中で起こる苦しいことや悲しいこと、無駄に思えるような出来事は、決して無駄ではありません。その苦難の中で、私たちは着々と御子の姿へと作り変えられていきます。私たちの中にある不要な性質や不純物が、どんどんと取り除かれていくのです。だからこそ、すべての出来事は益であり、意味があるのです。「あの時期の自分の人生は無駄だった」ということは決してありません。御子の姿に作り変えられるための大切な過程なのです。今、少しでも以前よりイエス様の性質に近づいているのなら、これまでの人生は一切無駄ではありません。
続くローマ8:30には、「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」と記されています。これらはすべて、すでに過去に完了したこととして書かれています。神様が私たちを召し、義と認め、栄光を与えることは、すでに定まっている確かなことなのです。私たちがこれから何をしようと、この神様の計画が変更されることはありません。神様が私たちを召し出してくださったのは、私たちが義と認められるためです。私たちには罪があり、そのために人生に悲惨なことが起こり、周囲に不幸をもたらすこともあるかもしれません。しかし、キリストにあって私たちは義と認められ、さらに神様の栄光が与えられるようになるのです。今こうして礼拝に参加し、御言葉を聞いているのも、すべて神様の計画によるものです。
ローマ8:31には、「では、これらのことからどう言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょうか。」とあります。そして、ローマ8:38-39にはこう書かれています。「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」 この世にあるどんなものも、目に見えない霊的な力も、私たちをキリスト・イエスにある神様の愛から引き離すことは絶対にできません。イエス・キリストこそがすべてなのです。
ですから、私たちの人生に無駄なことは一つもありません。「自分が今やっていることに何の意味があるのだろうか」「全く成果が出ないではないか」と悩むことがあるかもしれません。しかし、私たちは確実に御子イエス様の姿へと作り変えられています。そして、将来さらに大きな栄光の働きをするために、今日なすべきことがあるのです。今日なすべき一つ一つのことが、やがて神の国の働きのために私たち自身を整え、準備するトレーニングとなっています。ヨセフの奴隷としての仕事も、牢屋での仕事も、決して無駄ではありませんでした。それは神様に対する誠実さを育むためのトレーニングの場でした。今、自分が何かをしているなら、それはトレーニングです。やがてより大きな舞台に立ち、より大きな働きをするために、今鍛えられている最中なのです。
神様のご計画に従って召され、今いる場所でトレーニングを受け、やがてより大きな栄光の舞台で魂を救い、福音を伝える働きのために備えられています。どうか希望を持って、今の仕事や目の前の状況から逃げ出さずに、イエス・キリストにあって走り抜けてください。愛する神様、世の始まる前から私たちを選び、御前できずのない者として定めてくださったことを感謝します。今日与えられている務めを、御子イエス様の姿に作り変えられていくという大きな目的のために果たしていきます。私たちが元気を失うことなく、キリストにあって将来に希望を持ち、今日2026年3月24日も、明日2026年3月25日も、そしてこれからも、神様によって幸いを勝ち取っていくことができますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
【結論】
神様を愛する者にとって、人生に無駄なことは一つもありません。すべての困難や日常の務めは、私たちを御子イエス様の姿へと作り変え、将来のより大きな働きのために備えるためのトレーニングです。神様の愛から私たちを引き離すものは何もないという確信を持ち、今置かれた場所で希望を持って忠実に歩み続けましょう。
