メッセージ - 主の側の情報開示(出エジプト記6:2-9)

主の側の情報開示(出エジプト記6:2-9)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 出エジプト記
執筆 : 
pastor 2012-11-15 23:41

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モーセは神の言葉を伝えた結果、パロには断られ、イスラエルの民にもかえって災いをもたらす結果となってしまい、四面楚歌状態となってしまった。
その事を訴えたモーセに、主は、ご自身がどういうお方であるのかを詳しく開示され、彼に自信を与えられた。

『神はモーセに言われた、「わたしは主である。わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れたが、主(エホバ)という名では、自分を彼らに知らせなかった。(あるいは「知られていなかった」)」』(出エジプト記6:2-3)
アブラハムの時代には「全能の神」としては知られていたものの、「エホバ」としても「わたしはある」という名としてもまだ知られておらず、それが開示されて行ったのは、モーセの時代以降だった。
創世記に「エホバ」という語が何度も出てくるのは、創世記は、天地創造からアブラハム達の時代に至るまでを、モーセに啓示し、モーセに書かせて下さったものだからである。
神は、時代を降るごとに、また、神との付き合いが長く深くなればなるほどに、御自身がどういうお方であるのかを示し、その全容を徐々に開示されて行く。
そして今や、神は御子を世にくだす事によってその愛を完全に開示され、キリストを通して救いの全容を明らかにして下さった。

神がモーセに現れた時は、「I AM」という名を明らかにされた。
通常の言語では「I AM」だけでは使われず、普通なら「I am savior」「I am provider」など、続く語があるはずである。

この主の御名、「I AM」は、金額欄を自由に記入できる小切手のようであり、私達は「I AM」に続く空欄に、信仰によって自由に代入する事が出来る。神は助け、神は癒し主、神は備え主、神は救い主、など。
そういうわけで、主は私達にとって全ての全てであり、主を得た事は全て以上を得たも同然である。

神はまた、大いなるさばきによって民を贖うと、モーセに言われた。
『それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい、『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなるさばきをもって、あなたがたをあがなうであろう。』(出エジプト記6:6)

裁きとは、裁かれる人には恐ろしいが、裁かれるべき人が行った悪事の”被害者の側”にとっては、救いである。
黙示録の21章以降は、救いが完成し、永遠の祝福の世界が記されているが、その前の20章は、裁かれるべき者たちの裁きが続くが、救いの前には、さばきがあるのである。

人は言う。神はさばきをする、ひどい、恐ろしい存在だと。
そう思う人には、自分は裁かれる側である事の自覚、すなわち、自分は神の御前では罪人である事の自覚がある、という事だ。
それなら、救われて裁かれない側に入れば、さばきを恐れなくて良いわけである。

救われる方法は、キリスト教会がいつも言っており既に聞いてきた事、すなわち、イエス様を主とする事。
自分の人生のハンドルを自分で握る事を手放し、運転席をイエス様にゆずり、イエス様に人生のハンドルさばきをしていただく事である。

神は裁かれるひどいお方だ、と信じている人は、その言葉どおり裁かれてしまう。
小切手にマイナス一億円と記載したら、その額面どおりの借金を背負ってしまうようなものである。
実際の小切手にはそんな機能は無いが、信仰の世界においては、それが起こってしまうのだ。
どうせ信仰告白するなら、主は良きお方である事を告白したほうが、断然徳である。

『モーセはこのようにイスラエルの人々に語ったが、彼らは心の痛みと、きびしい奴隷の務のゆえに、モーセに聞き従わなかった。』(出エジプト記6:9)
労働の疲れや思い煩いでいっぱいいっぱいな時は、御言葉も、すばらしい解き明かしも、偉大な指導者の言葉も、耳に入らない。
それ故、主の御前に出る時は、自分のコンディションに気をつけるべきである。

『神の宮に行く時には、その足を慎むがよい。近よって聞くのは愚かな者の犠牲をささげるのにまさる。彼らは悪を行っていることを知らないからである。神の前で軽々しく口をひらき、また言葉を出そうと、心にあせってはならない。神は天にいまし、あなたは地におるからである。それゆえ、あなたは言葉を少なくせよ。夢は仕事の多いことによってきたり、愚かなる者の声は言葉の多いことによって知られる。』(伝道者の書5:1-3)

仕事を多くしてしまうと、夢によって思いが塞がれ、御言葉が入らなくなり、言葉数も多くなり、罪が増し加わってしまう。
それ故、主の御前に出る時は、整えられた心であるよう気をつけるべきだ。
そうでないと、御前に出ても罪が示され、恥じ入って御前立てなくなり、聖徒の集いから退散するのみである。

イスラエルの民は、仕事が多くなってしまった事によってモーセに示されたすばらしい事さえ聞く耳をもたなくなってしまったが、主はそんなイスラエルの成り立ちもご存知で、憐れみ、救い出して下さる。

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