メッセージ - 神の宮をなおざりにしない(ネヘミヤ10章)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
神の宮をなおざりにしない(ネヘミヤ10章):右クリックで保存
【概要】
律法によって自らの罪を示されたイスラエルの民が、悔い改めの祈りの後、神の律法に従って歩むことを固く誓い、具体的な取り決めを定めました。私たちも自らを神の宮として聖く保ち、神の宮をなおざりにしない決心をすることで、主からの豊かな祝福を受けることができます。
【聖書箇所】
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ネヘミヤ10:1-39
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申命記27:15-19
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マラキ3:8-12
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第1コリント3:16-17
【励ましの言葉】
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神様のものを神様にお返しするなら、主は天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を注いでくださいます。
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あなたが神の宮であるならば、あなたを脅かす者を神ご自身が仕返ししてくださいます。
【戒めの言葉】
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御言葉に人間的な解釈や世の教えを混ぜ込んではなりません。
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主が定められた聖なる日を、世の売り買い事や俗なることで汚してはなりません。
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神様のもの(十分の一や奉納物)を盗んではなりません。
【勧めの言葉】
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私たち自身が神の宮であることを自覚し、神の宮をなおざりにしない決心をしましょう。
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自分自身が聖なる者となり、ますます清く正しい生活を送ることで、豊かな人生を歩むことができます。
【***詳細***】
今日はネヘミヤ記の10章です。その前に、前回の9章のおさらいをしましょう。イスラエルの民は、第7の月に律法が朗読されるのを聞いて、心が深く刺されました。律法に従うなら、自分たちは罪ある者であり、神に打たれても仕方がない存在だと悟ったのです。何百年も前に記された律法が、まるで最近の自分たちの姿や、身に降りかかった災いの原因を記しているかのように新しく感じられました。律法の書には、神の教えをないがしろにすると様々な災いが起こり、それでも心をかたくなにするなら、さらに大きな災いが臨み、ついには国を追われると書かれていました。女たちが自分の子供を煮て食べるような悲惨なことまで、すべて律法に記されていた通りに起こったのです。それは、イスラエルの民が神様の教えや戒めをないがしろにし続け、心をかたくなにして自分の道を変えなかったからです。
自分たちの歴史と身に起こったことを振り返り、彼らは「本当に私たちは罪を犯した」と悟りました。そして、神様の律法を守り行うことこそがすべてであり、礼拝をおろそかにしてはならないことの重要性を知りました。そのため、喜びの祭りである第7の月の祭りとは別に、悔い改めのための集会を開き、民全体で祈ったのがネヘミヤ記9章です。この祈りは、何かをお願いする祈りではなく、ただ自分たちが主の御前にどのように罪を犯し、主がどのように対応され、そして今、自分たちがどのような心で主の前に立っているのかを告白する、画期的な祈りでした。
この9章の祈りの後、レビ人や祭司たち、主だった人々はその告白を書き記し、印鑑を押しました。10章の冒頭には、その印を押した人々の名前が記されています。筆頭は総督ネヘミヤで、続いて祭司やレビ人、民の長たちの名前が27節まで続きます。
そして28節からは、印は押さなかったけれども、同じように祝福と呪いの誓いに加わった人々が何をしたかが書かれています。
【ネヘミヤ10:28-29】「このほかの民、祭司、レビ人、門衛、歌うたい、宮に仕えるしもべたち、また国々の民と縁を絶って、神の律法についた者全員、その妻、息子、娘たち、すべて理解できるまでになった者は、彼らの親類のすぐれた人々に頼り、神のしもべモーセを通して与えられた神の律法に従って歩み、私たちの主、主のすべての命令、その定めと掟を守り行うための呪いと誓いとに加わった。」
まだ主ご自身、このように指導者に聞き従うことも有益です。
彼らが加わった「呪いと誓い」とは、と直接関わることに難しさを感じている人々は、民の長や祭司など、目に見える指導者たちに頼って誓いに加わりました。信仰の初心者の方が、牧師や信仰の先輩に頼るように、彼らも民の優れた人々に頼ったのです。もちろん、最も大切なのは一人ひとりが主と直接関わることですが具体的にどのようなものだったのでしょうか。申命記の27章にその様子が書かれています。祭司たちが律法を宣言し、民が「アーメン」と応答する形式です。
【申命記27:15】「職人の手の業である主の忌み嫌われる彫像や鋳造を造り、これを密かに安置する者は呪われる。」民はみな答えてアーメンと言いなさい。
【申命記27:16】「自分の父や母を侮辱する者は呪われる。」民はみなアーメンと言いなさい。
このように、「〜する者は呪われる」という宣言に、民が「アーメン」と答えることで誓いを立てたのです。ネヘミヤの時代の人々も、律法によって心が新たにされ、このような誓いを立てました。
その具体的な内容が30節以降に記されています。
【ネヘミヤ10:30-31】「すなわち、私たちの娘をこの地の民たちに嫁がせず、また彼らの娘を、私たちの息子にめとらない。たとい、この地の民たちは安息日に、品物、すなわちいろいろな穀物を売りに持ってきても、私たちは安息日や聖日には彼らから買わない。また、私たちは七年目には土地を休ませ、すべての負債を取り立てない。」
ここには三つの誓いがあります。
第一に、異邦人との結婚を禁じ、民族の純潔を保つことです。これは、主の御言葉に人間的な教えや世のものを混ぜ込まず、純粋さを保つことの重要性を示しています。例えば「偽ってはならない」という御言葉に、「嘘も方便」という人間の教えを混ぜ込んではいけないのです。御言葉はそのまま受け取るべきです。
第二に、安息日や聖なる日に売り買いをしないことです。異邦人がビジネスチャンスと見て安息日に物を売りに来ても、一切買わないと誓いました。私たちにとっても、主の日である聖なる日に、世の中のことで心を満たしたり、エネルギーをやり取りしたりすることをやめる、ということです。仕事などでやむを得ない場合はありますが、自ら積極的に聖なる日と俗なる日を混ぜこぜにしてはなりません。
第三に、7年目には土地を休ませ、負債の取り立てをしないことです。イスラエル民族が災いにあった理由の一つは、土地を休ませるという安息の定めをないがしろにしたことでした。その結果、バビロン捕囚によって民が取り除かれ、土地が強制的に70年の安息を得ることになったのです。また、7年目には負債を免除することも、憐れみを示す大切な教えです。憐れみのない裁きをする者は、自分も憐れみのない裁きを受けることになります。
さらに32節以降では、神の宮の働きを支えるための具体的な取り決めもしています。毎年シェケルの3分の1をささげること、祭壇で燃やす薪を誰がささげるかくじで決めることなどです。以前は人々の自発的なささげ物に頼っていましたが、それが絶えてしまったため、仕組みとして神の宮の働きが滞らないように知恵を絞ったのです。これは、誰がやるか曖昧だった部分に責任の所在をはっきりさせた画期的なことでした。
また、初物や十分の一をきちんとささげることも改めて決心しました。神様のものを神様にお返しすることは非常に重要です。旧約聖書の最後の書であるマラキ書には、驚くべきことが書かれています。
【マラキ3:8】「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは十分の一と奉納物によってである。」
神様のものを盗むことができるのです。それは、ささげるべき十分の一や奉納物をささげないことです。しかし、主は続けてこう約束されています。
【マラキ3:10-12】「十分の一をことごとく宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。──万軍の主は仰せられる──わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を、あなたがたに注ぐかどうかを試してみよう。わたしはあなたがたのために、いなごを叱って、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。──万軍の主は仰せられる──すべての国民は、あなたがたを幸せ者と言うようになる。あなたがたが、『喜びの地となるからだ』と万軍の主は仰せられる。」
私の経験上も、ささげることを惜しんだ時には手痛い目に遭いましたが、きちんとささげるようになってからは、主が本当に生きて働いておられるとしか思えないような、幸いな日々が続きました。主は、ささげる者に天の窓を開き、あふれる祝福を注いでくださるのです。皆さんもぜひ試してみてください。
この章の締めくくりは、39節の最後の言葉です。
【ネヘミヤ10:39】「…こうして私たちは私たちの神の宮をなおざりにしないのである。」
彼らの決心のまとめは、「神の宮をなおざりにしない」ということでした。
では、今の私たちにとって「神の宮」とは何でしょうか。それは教会でもありますが、それ以上に、皆さん一人ひとりです。
【第1コリント3:16-17】「あなたがたが神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もしだれかが神の神殿を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。」
皆さんの内にキリストの御言葉が豊かに宿っているなら、皆さんはキリストが宿る神の宮です。そして、その聖なる宮を壊そうとする者、つまり皆さんを脅かす者がいれば、神ご自身がその人を滅ぼしてくださいます。ですから、皆さんをいじめる者や攻撃する者がいるなら、自分の内にイエス様をお迎えしてください。そうすれば、その人はイエス様をいじめることになり、イエス様が直接仕返しをしてくださるのです。
これは敵に対抗するためだけではありません。皆さん自身が聖なる者となり、ますます清く正しい、豊かで健やかな人生を送るためです。皆さん一人ひとりが神の宮であることを自覚し、神の宮らしく歩むこと。神の宮をなおざりにしないと決心することです。そうすれば、皆さんの行く所どこにでも主の臨在が伴い、ますます祝福され、喜びに満ちた勝利の人生を歩んでいくことができるのです。
【結論】
ネヘミヤの時代、民は悔い改めの後、「神の宮をなおざりにしない」と固く決心し、具体的な誓いを立てました。私たちも、自分自身がキリストの宿る「神の宮」であることを自覚し、聖さを保ち、神様へのささげ物を惜しまず、主の教えを第一とする決心を新たにするなら、主は天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を注いでくださいます。
