メッセージ - 安息日の死守(ネヘミヤ記13:15-22)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
安息日の死守(ネヘミヤ記13:15-22):右クリックで保存
【概要】
ネヘミヤ13:15-22を通して、安息日を聖とすることの重要性と、ネヘミヤが霊的城壁を守るために徹底して行った改革について語られたメッセージです。イザヤ58:13-14、第2歴代誌36:11-21なども引用し、安息日を軽んじることの歴史的な結果と、主の前に徹底して歩む勧めが示されました。
【聖書箇所】
ネヘミヤ13:15-22
出エジプト20:8-11
ネヘミヤ10:29-31
2歴代誌36:11-21
イザヤ58:13-14
【慰めの言葉】
-
主は安息日を祝福し、聖なるものと宣言された。安息日を喜びの日とするとき、主は私たちの喜びとなり、地の高いところを歩ませてくださる(出エジプト20:11、イザヤ58:14)。
【励ましの言葉】
-
ネヘミヤの徹底さに倣い、非常識と思われても主の御言葉を守り抜く勇気を持とう。主はその徹底を覚え、憐れみをもって養ってくださる。
【戒めの言葉】
-
安息日を軽んじる怠慢の積み重ねは主への背きとなり、歴史が示すように厳しい結果を招く(2歴代誌36章)。売り買い、無駄口、世の思いに心を占められることを慎むべきである(イザヤ58:13)。
【勧めの言葉】
-
安息日を「喜びの日」「主の誠実の晴れある日」と呼び、門を閉ざすかのように自分の生活を整え、礼拝を守るための具体的な境界線を設けよう(ネヘミヤ13章、イザヤ58章)。
【悔い改めの促しの言葉】
-
生ぬるさと甘さを悔い改め、主の聖なる日を軽んじてきた心、礼拝の中で世事に心を向ける癖、他者を罪に誘う態度を捨て、主をたっとぶ心へと立ち返ろう。
【***詳細***】
今日は、ネヘミヤ記13章15節から22節までです。ネヘミヤ13:15-22。
その頃、私はユダの地で、安息日に酒舟を踏んでいる者や、麦束を運んでいる者、また、ロバに荷物を負わせている者、さらに、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじくなど、あらゆる品物を積んで、安息日にエルサレムに運び込んでいる者を見つけました。それで私は、彼らが食物を売ったその日、彼らを咎めました。また、そこに住んでいたツロの人々も、魚やいろいろな商品を運んできて、安息日に、しかもエルサレムでユダの人々に売っていました。
そこで私はユダの主だった人たちを問いただして言いました。「あなた方はなぜこのような悪事を働いて、安息日を汚しているのか。あなた方の先祖もこのようなことをしたので、私たちの神はこの全ての災いを私たちとこの町の上に送られたではないか。それなのに、あなた方は安息日を汚して、イスラエルに下る怒りを加えている。」(ネヘミヤ13:18)
安息日の前、エルサレムに夕闇が迫ると、私は命じて門を閉めさせ、安息日が済むまでは開いてはならないと命じました。そして、私の若い者の幾人かを門の見張りに立て、安息日に荷物が持ち込まれないようにしました。それで商人やあらゆる品物を売る者たちは、一度か二度エルサレムの外で夜を過ごしました。そこで私は彼らを叱って言いました。「なぜあなた方は城壁の前で夜を過ごすのか。再びそうするなら、私はあなた方に手を下す。」その時から彼らはもう安息日には来なくなりました。(ネヘミヤ13:19-21)
ネヘミヤ記では、城壁が完成した後も、ネヘミヤは霊的な城壁を守ることを遂行していきました。13章に入ってからは、まずレビ人への支給がなおざりにされていたため、レビ人たちは宮に仕えることができず、自分の畑に逃れてしまい、エルサレムからレビ人がいなくなるという事態が起きました。ネヘミヤはその状況を改善するために、レビ人たちへの支給分をしっかりと捧げるように布告しました。またその前には、神殿の中において、異邦人であるアモン人のトビヤの私物が神殿の倉庫の一角を私物化していたことを取り除き、清めました。13章の中では、他にも改革が続いていきます。今日お読みした箇所でも、ネヘミヤの改革は続きます。
ネヘミヤは、城壁の再建に限らず、霊的城壁を守ることに専心しました。とりわけ安息日を守ること、安息日という城壁をしっかり守ることの大切さをよく分かっていました。本文を読むと、安息日に仕事をしている人々を見つけ、彼らを咎めました。映画の一場面のように想像すると、ネヘミヤは堅物で、商売している人たちに「今日は仕事をしてはならない日だ」と言ってやめさせた、厳しい人だと思えるかもしれません。しかし、ユダの人々のうち、安息日に酒舟を踏んでいる人や、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじくなどの品物を売っている人、あるいはエルサレムに運び込んでいる人たち、彼らの方が約束破りでした。
覚えているでしょうか。今は13章ですが、10章ではエルサレムの人々が呪いの誓いをしている箇所があります。その誓いの中で、「私たちは安息日は聖なる日として覚えて、一切のものは買ったり売ったりしません」と約束しました。ネヘミヤ10:29-31にはこうあります。「彼らは…神のしもべモーセを通して与えられた神の律法に従って歩み、私たちの主のすべての命令、その定めと掟を守り行うために…約束した。」ところが、その約束を早速破ってしまいました。約束をするときは心が燃えていて、「守ります」と勢いよく言えるのですが、それを守り続けられる人こそ本当に主に喜ばれる人です。
安息日は、ユダにおいては誰も働かず、物を売ったり買ったりすることはできません。安息日に歩く歩数も限りがあることが知られています。安息日、例えば前日に作ったものを食べますが、「もっと別のものが食べたい」という時に、ふらっと買いに行きたくなることがあるでしょう。都会ではコンビニが24時間開いていて、夜中でも欲しいものをすぐ買える便利さがあります。しかし、その仕事をしている人たちは、夜中だろうが主日だろうが土曜だろうが元旦だろうが働いている。そこには安息がありません。神が命じられているのは「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」ということです。
十戒におけるこの命令は、出エジプト記20章にあります。「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。六日間、あなたは働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる在留異国人も。それは主が六日のうちに天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」(出エジプト20:8-11)
安息日は、単に仕事をしないという決まり事の日ではありません。神がこれを聖なるものと宣言し、取り分けられた日です。創造の御業を主がすべて終えて安息されたから、私たちも安息日を覚えるのです。「安息日を守る」だけでなく「安息日を覚えてこれを聖とする」ことは、神を正しいとし、神を敬う心そのものです。ですから、安息日に売り買いしたり、家畜に荷を負わせたりすることは主に喜ばれないことです。
ただし、主の災いはすぐには下りません。私たちは主に背くつもりはないでしょう。しかし、一日一日の怠慢の積み重ねが、主への背きです。主に戦いを仕掛けることだけが背きではありません。ちょっと気を緩めて、神の定めを守らないことの積み重ねが背きとなります。
ネヘミヤが町を歩いていて、安息日に売り買いしている人々を見つけたとき、彼は彼らを問い質しました。厳しすぎると見えるかもしれませんが、根拠があります。先ほどのネヘミヤ13:18の通り、「あなた方の先祖もこのようなことをしたので…災いが下った」。安息日を守らなかったがために、ユダ王国は滅ぼされました。歴代誌という長い書物の最後は、バビロン捕囚の直前で終わります。
第2歴代誌36章では、最後の王ゼデキヤの記録があり、次のように語られます。「彼は二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間王であった。…彼はその神、主の目の前に悪を行い、主の言葉を告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。…彼はうなじの強い者となり、心を閉ざしてイスラエルの神、主に立ち帰らなかった。その上、祭司長全員と民も、異邦の民の忌み嫌うべきすべての習わしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した。彼らの父祖の神、主は彼らのもとに使者たちを使わし、早くからしきりに、使いを送られた。それはご自分の民とご自分の御住まいをあわれまれたからである。ところが彼らは神の使者たちを笑いものにし、その御言葉を侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに主の激しい怒りがその民に対して積み重ねられ、もはや癒されることがないまでになった。そこで主は彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は剣で彼らのうちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主はすべてのものを彼の手に渡された。彼は神の宮のすべての大きな器具、主の宮の財宝と、王とその司たちの財宝、これらすべてをバビロンへ持ち去った。彼らは神の宮を焼き、エルサレムの城壁を取り壊した。その高殿を全部火で燃やし、その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。彼は剣を逃れた残りの者たちをバビロンへ捕らえ移した。こうして彼らはペルシア王国が支配権を握るまで彼とその子たちの奴隷となった。これはエレミヤにより告げられた主の言葉が成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。」(2歴代誌36:11-21)
ここには、安息が人にも町にも畑にも与えられるべきものであることが示されています。しかし安息は聖と覚えられず、イスラエルの民は主が使わされた預言者たちを馬鹿にし、その言葉を行わず、物笑いにした結果、あってはならないことが起こりました。神の聖所の庭で人々が殺され、聖なる器物はすべて奪われ、若者も年寄りも殺され、残された人々は捕らえ移されました。そうしてこの地は安息を得たのです。邪悪で不信仰で堅くなな人々が取り除かれ、残りが捕らえ移されることによって、地が安息を得た。安息を守らない国、安息日を聖としない人々は、神が取り除かれ、土地に強制的な安息が与えられることになります。
安息日を聖なる日とすることは、とても大事です。ネヘミヤはこのことをよく知っていました。ところが、安息日に売り買いしていた人たちは、儲けのことしか考えていませんでした。「安息日は誰も働かない。では私が市場に物を持ち込めば独占だ」と浅ましい儲けをしたのでしょう。しかしそれは、神を侮ることです。目先の利益を優先し、御言葉をないがしろにする民には、主が強制的に裁きをなされます。
異邦人の国にはこの律法は課せられていません。しかし、神の律法を知り、贖われ、神の民とされた者が、神が性別された日を守り行わないなら、エルサレムに起こった破壊が及ぶのです。そこでネヘミヤは、安息日を徹底的に守るために、夕闇が迫ったら門を閉じ、安息日が済むまで開けないよう命じ、見張りを立てました。外国の商人たちは門が閉まっているのを見て、城壁の前で夜を過ごし、安息日に門が開くのを待って商品を運び入れ、売り買いしようと企みました。しかしネヘミヤは彼らを咎め、「再びそうするなら、手を下す」と警告しました。それ以降、彼らは安息日には来なくなりました。
異邦人から見れば、ネヘミヤのやり方は堅苦しく、非常識でしょう。イスラエルに商品を持ち込んでやるものか、と思ったかもしれません。しかしネヘミヤは躊躇しませんでした。物を売りに来る商人たちの事情を考えれば、彼のしたことは厳しすぎる、非常識です。それでも、神の律法、御言葉、神に喜ばれることを守り通すために、ここまで徹底したことがあるでしょうか。私たちもネヘミヤのように、非常識と見られることがあっても、御言葉を守るために徹底する必要があります。
例えば、主日には無駄口を慎み、御言葉以外のことを話題にしないことを貫く。主日に電話がかかってきても、礼拝と安息のために切る勇気を持つ。ネヘミヤはそこまでやりました。「なぜ城壁の前で夜を過ごすのか。もう一度やったら手を下す。」彼は安息日を聖とすることに徹底しました。
この徹底は、イザヤの預言にも響き合います。「もしあなたが安息日に出歩くことをやめ、私の聖日(誠実)に自分の好むことをせず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を栄えある日と呼び、これをたっとんで旅をせず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、その時、あなたは主をあなたの喜びとしよう。私はあなたに地の高いところを踏み行かせ、あなたの父ヤコブの譲りの地であなたを養う。」(イザヤ58:13-14)安息日に出歩くことをやめ、主の聖日に自分の好むことをせず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を栄えある日と呼び、これをたっとび、無駄口を慎むなら、主はあなたの喜びとなり、あなたを高いところに歩ませ、譲りの地で養ってくださいます。
ネヘミヤのしたことは厳しく見えますが、イスラエルの民に罪を犯させないためであり、また地に売り買いしに来る異邦人たちにも罪を犯させないためでした。私たち自身も、主の聖なる日にそれをたっとび、喜びとし、無駄口を慎むなら、自分が罪を犯さないだけでなく、私たちに売り買いを仕掛ける人々、無駄口を誘う人々にも罪を犯させないことになります。ネヘミヤのような徹底さをもって、自分自身を、主が聖なるものとしてくださった者として清く保ち、主が聖別してくださった日を清く保つように勧めるなら、主は私たちを覚え、慈しみをもって憐れんでくださいます。
最後に祈りが捧げられました。ネヘミヤの徹底ぶりは、外から見れば厳しすぎるように見えます。しかしそれは相手に罪を犯させないことであり、イスラエルの人々に罪を犯させないことでした。私たちはこれほどまで徹底して罪と戦ってきたでしょうか。生ぬるい信仰を悔い改め、これからは自分を清く保ち、人々に罪を犯させないために、あえて厳しい態度をとる勇気を与えてください。御言葉を守ることの重要さを教えてください。かつて安息日を軽んじたイスラエルはバビロンに連行され、多くが殺され、神の聖所の前で殺され、土地は七十年の安息を得ました。私たちはその愚かを繰り返さないように。主が聖とされた礼拝の時を聖とし、頭の中で売り買いをせず、礼拝の時に世のことに心を使って罪を犯すことがないように。そうしている兄弟姉妹には、愛をもってしっかり戒めることができるように。主よ、助けてください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
【結論】
安息日は、主が祝福し聖とされた日であり、私たちが神をたっとぶ心を具体的に表す「霊的城壁」です。ネヘミヤの徹底は、民と異邦人を罪から守るための愛の実践でした。私たちも境界線を明確にし、安息日を喜びの日と呼び、無駄口を慎み、礼拝を聖とするとき、主は私たちの喜びとなり、地の高いところを歩ませ、譲りの地で養ってくださいます。2024-11-20 12:53:18に与えられたこのメッセージを心に留め、日々の小さな怠慢を悔い改め、御言葉を守り抜く徹底で歩みましょう。
