メッセージ - 律法の中の刑法:死刑にあたる罪(出エジプト記21:12-17)
律法の中の刑法:死刑にあたる罪(出エジプト記21:12-17)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 出エジプト記
- 執筆 :
- pastor 2013-1-17 23:54
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今回の箇所は、死刑に処せられるべき罪を示す所である。
律法には、死刑に処せられるべき罪が確かに示されており、それが何であるかを明示する事によって、悪がはびこる事を防ぎ、人として身に付けるべき常識感覚を養い、平和な秩序を保つのだ。
「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。」(出エジプト記21:12)
以前も学んだように、神は人の命を尊いものとされ、それを人が脅かす事は許されず、そこには未成年などの年齢制限は無い。
ただし、恨みもない人を誤って殺してしまう、という事がある。
『故意にではなく、偶然、彼の手に”神が”渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる。』(出エジプト記21:13)
例えば、敵意や悪意もなく人を突いてしまったり、気がつかないで人を死なせるほどの石を人の上に落としてしまったり(民数記35:22-23)、あるいは、木を切るために斧を振り上げたところ、その頭が抜け、それが隣人に当たってその人が死んでしまう場合(申命記19:5)、など、主は事細かに、偶然人を死なせてしまった場合の事例を挙げている。
その場合、その人の救済措置として、「のがれの町」に逃れる事が出来、その境界の内側にいるなら復讐者に襲われる事から守られるが、境界の外側に出た場合、その人の命の保証は無い。
そのような場合は、「神が」敢えてその人の命を取られた、という事である。
例えば、ダビデがペリシテの代表戦士ゴリアテに投げた石は、百発百中でゴリアテの兜の隙間を縫い、急所に命中し、イスラエルに勝利をもたらしたし(1サムエル17章)、イスラエルの悪王アハブも、ひとりの兵士が何げなく放った弓が、見事に胸当てと草摺の間を射抜き、それによってアハブは絶命した。(2歴代誌18章)
それらは人の責任でも栄誉でもなく、主のわざである。
『しかし、人が故意に隣人を殺そうとして暴力を振るうならば、あなたは彼をわたしの祭壇のもとからでも連れ出して、処刑することができる。』(出エジプト記21:14)
殺意をもって意図的に隣人を殺す場合は、その人がたとい祭壇の聖なる所にいたとしても、そこから引きずり出して死刑に処さなくてはならない。
ユダ王国で唯一、女性として国を治めたアタルヤは、自分が支配権を握りたいが故に、王の血筋を引く人達を一人を除いて全て殺害したが、彼女は後に、祭壇の聖なる所から引きずり出されて殺された。(2列王記11章)
また、誘拐する者も死刑に処せられる。
『人を誘拐する者は、彼を売った場合も、自分の手もとに置いていた場合も、必ず死刑に処せられる。』(出エジプト記21:16)
神は人を自由な存在として創造され、その自由を他人が侵し、売り買いするような事を、主は許されない。
人を殺したり誘拐する者は死刑、という法律は、古来から珍しいものではないし、私達も感覚的に理解できるが、以下は現代日本人には厳しすぎるように見えるかもしれない。
『自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる。・・・自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。』(出エジプト記21:15-17)
イスラエルにおいて、父母は神の掟を伝える役割があり、子供にとって父母は、神の代理で権威を行使する立場の人であり、それに逆らう事は神である主に逆らう事である。
また、父母は、人が従うべき権威の最も身近、最も基本である。それに逆らうとするなら、その人にとって「権威」という概念が無くなってしまい、権威という概念が無い人達がはびこると、親子関係や社会の、国家の、そして、神の権威までもないがしろにされ、世の中は混乱を来してしまう。
親殺し、いわゆる尊属殺人には、世界各国でも厳しい処置を行う歴史があり、日本でも、1973年までは尊属殺人には死刑か終身刑という厳しい措置があった。
しかし、世界的にもその時期あたりから犯罪者の人権が擁護されるようになって来て、そのような法律が撤廃されて来た。
世の中の「権威」という概念が無くなって来たのは、その時期あたりからではなかろうか。
そして今や、親子や社会、国家、そして神の権威は、ないがしろにされ、秩序が無くなって来ている。
『自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる。・・・自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。』
これは現代の我々にはとても厳しく見えるが、それが神のスタンダードであり、それを尊守するなら祝福を得、それをないがしろにするなら、呪いを招くものである。