メッセージ - 聖霊を受ける備え:イエス様の証人となる(使徒1:3-9)
聖霊を受ける備え:イエス様の証人となる(使徒1:3-9)
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主は天に挙げられる前、もうすぐ弟子達に聖霊のバプテスマが授けられる事を預言し、その時までの備えとして、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。」と言われた。(使徒1:4)
エルサレム。その名前の意味は、「平和の土台」であり、神殿のある場所、礼拝者達が集う、神の都である。
私達も、聖霊が与えられるのを待ち望む時は、まず、平和という土台に立ち、主を礼拝する所から離れず、御言葉にとどまり続け、主がかねてから言われている約束を待ち望む事である。
聖霊は、扇動的な言葉によって高揚して得るものではない。御霊の実は、平安である。
続いて主は言われた。「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」(使徒1:5)
バプテスマには2種類ある。一つは、ヨハネが授けた「水のバプテスマ」。これは、それまでの生き方を悔い改め、生来の自分を「死」へと渡すために、水へと浸しこむものである。もう一つは、主が授けて下さる「聖霊と火とのバプテスマ」(マタイ3:11)で、力を受け、全世界に対しイエスキリストの証人となるしるしである。
キリストの弟子としての条件は、ヨハネのバプテスマから、キリストの昇天まで、いつも行動を共にした者であり、「イエスの復活の証人」たる者である。(使徒1:22) つまり、キリストの弟子として聖霊を頂くには、悔い改めた者である事は必須条件であり、聖霊を受ける目的も、イエス・キリストの証人となる事である。
まもなく聖霊を受ける事を言われた弟子達は、イエスに問うて言った。「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。(使徒1:6)
弟子達が望んでいた事は、イエス様が王権を取り、イスラエルがローマ帝国の支配から脱却し、支配される側から、支配する側となり、自分たちが栄える事であったが、主は彼らに言われた。「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。」(使徒1:7)
イエス様はその直後、人の世の王座に座して君臨するのではなく、天に挙げられ、人々の目から見えなくなるのである。主が実権をもって直接世を支配されるその時は、父なる神が主権をもって定めておられるが、その前に、弟子達が、そして私達が、為さねばならない事がある。
「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となるであろう。」(使徒1:8)
弟子達が、そして私達が、主が実権をもって来られる前に、為さねばならない事、それは、地の果てにまで、イエス・キリストの証人となる事である!そのためにこそ、聖霊が与えられ、力を着せられるのだ。
「こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。」(使徒1:9) まさにこの時以降、弟子達は、イエス様と顔と顔とを合わせて会う事が、もはや無くなる。
ある意味、8節の言葉が「最後のお別れの言葉」であったのだが、とてもそうとは思えない内容である。
他の福音書のイエス様の最後の言葉も、とても、お別れの言葉とは思えない。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。」(マルコ16:16)
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ28:20)
「それから、イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手をあげて彼らを祝福された。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、天にあげられた。」(ルカ24:50-51)
イエス様は「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」と言われた。真理の御霊が来る時、私達は知るのである。主が御父におり、私達が主におり、主が私達におる事を。(ヨハネ14:16-20)
そして私達は、地の果てまでイエス様の証人となる。イエス様をあかしする霊を宿し、全ての事について教えられ、イエス様が生きている事の証人として、地の果てまで出て行くのである!
平和の土台に立ち、主を礼拝する所から離れず、御言葉にとどまり続け、聖霊に満たされる事を待ち望む皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!