メッセージ - 栄光の家系の女達 – ラハブ3 救いと滅びを永遠に分ける日(ヨシュア記6:15−25)
栄光の家系の女達 – ラハブ3 救いと滅びを永遠に分ける日(ヨシュア記6:15−25)
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ラハブは元々「遊女」だったが、同時に王族の女として、イエスの母の一人として、聖書は記している。
救いはただ、イエス(ユダヤ名「イエシュア」=ヨシュア=「神は救い」という意味)を、救い主とする事による。
イエス様を救い主とするなら、以前がいかに罪深く汚れていても、例外なく救われ、王族に加えられるのだ。
そして実際に救われるには、神の側から示された条件を「聞き」、それを実際に「行う」必要がある。
ラハブは、聞かされた事をすぐに「行い」、いつ来るとも知れぬ「かの日」が来るのを待った。
「かの日」とは、赤い印のある人には救いの日、印の無い人には滅びの日で、その日がいつかは、神のみが知っている。聞いた御言葉を信仰によって自分自身に結び付けず、いつまでも救いの行動を先延ばしにしたままにして、「かの日」を迎えてしまうのであれば、その人の永遠は、「滅び」として確定してしまう。
私達も、救いの御言葉を聞いた時、ラハブのように、すぐに信仰によって結び付けるなら、幸いである。
イエシュアの軍団は六日間、エリコの周りを回った。彼らに先立って進むのは契約の箱であり、その中には主の約束の御言葉が入っている。民も、契約の箱も、ものを言わない。ただ角笛の音だけが響いていた。
対してエリコは、神の軍が間近に迫っても頑なに城門を閉ざし、五日、六日と過ぎても行いを改なかった。
そしていよいよ、エリコに「かの日」が来た。
イエシュアの軍団がエリコの城壁を回って第七の日、契約の箱は七度回り、その七度目に、祭司たちが角笛を吹いた時、イエシュアは民に言った。「鬨(とき)の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。・・・ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした”使い”をかくまってくれたからである。」(6:16-17)
その時、窓に赤い印を結びつけて息を潜めていたラハブは、イエシュアの軍団の角笛と鬨の声を聞いた。
自分達のいる回りの城壁が、大音響を立てながら崩れ落ちたが、彼女達がいた一角だけは崩れなかった。
イエシュアの軍団が、剣を手に攻め寄せて来るのが、赤い印をつけたその窓から見えたが、しかし彼らは、自分達のいる家には手出しせず、その周りは全て攻め滅ぼした。
そして、彼女がかつてかくまった、あの二人の使いが来た。今度は、彼らが彼女たちをかくまう番となり、赤い印をつけた家の人全員を連れ出し、安全な所へと導いた。そしてエリコは滅ぼし尽くされ、赤い印の内でかくまわれていた人達は、滅びの向こう側へと渡り行き、遊女だったラハブは、栄光の家系に入った。
全世界にとっての「かの日」は来ようとしており、その日、エリコに起きた事と同じ事が起きる。
今、約束の御言葉の実現は、静かに近づき、その音づれを世界中は聞いている。
そして人々は、それでも心を頑なにして自分の行いを悔い改めようとしない人達と、悔い改めて主イエス(イエシュア)に立ち返り、その憐れみにすがって救いの印を受ける人とに、分かれている。
七人の御使いが、七つのラッパを吹き鳴らす度に、災いが降り、第七の御使いがラッパを吹き鳴らす時、人類が積み上げてきた全ての営みは崩壊し、全てが私達の主イエシュアのものとなる。(黙示11:15)
その日、人類が築きあげて来た全ての「城壁」は崩れ落ち、頑なに悔い改めなかった人達は、イエシュアの軍団に滅ぼされ、イエス様の赤い血にかくまわれていた人達、神の印を押されていた人達には、かつて彼らがもてなした御使いが迎えに来て、安全に天の御国へと導き、永遠の栄光の救いに入る。
イエス様が十字架上で流された赤い血潮、それが私達の救いのしるしである。
イエス様が十字架上で私達の身代わりとなって死に、私達を救って下さったという事を、信仰によって私達自身に結びつけ、そうして救いの印を私達につけるなら、私達も救われるのだ。
ラハブは、救いの条件は「赤い印を、自分の所に結びつける事」であると聞いて、それをすぐに行ったように、私達も今すぐにでも、イエス様を救い主として、救いを得るべきである。
救いの行動を先延ばしにしたりせず、聞いた御言葉をラハブのようにすぐに信仰によって結び付け、「かの日」には救いのしるしを掲げつつ迎え、滅びが決して届く事なく「救い」を永遠に確定する皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!