メッセージ - 神の民を見た時の感動(民数記24:1-13)
礼拝説教メッセージ音声:神の民を見た時の感動(民数記24:1-13):右クリックで保存
『バラムはイスラエルを祝福することが主の心にかなうのを見たので、今度はいつものように行って”魔術”を求めることをせず、顔を荒野にむけ、目を上げて、イスラエルがそれぞれ部族にしたがって宿営しているのを見た。その時、神の霊が臨んだので、彼はこの託宣を述べた。』(民数記24:1-3)
バラムが託宣を求めるために、今までしてきた事は、結局、”魔術”だったようである。
彼は、主の御心は「イスラエルを祝福する事」であると明確に示されていたのに、「もしかしたら別の示しがあるかもしれない」と思って、バラクに言われるままに、あちらへ行ったり、こちらへ行ったりした。しかし結局、そうした全ては、無駄だと悟ったので、もはや魔術は止めにして、目を上げ、イスラエル12部族の宿営している様に目を向けたのだ。
彼が見たイスラエル六十万の宿営は、神の幕屋、すなわち神を礼拝する所を中心とし、そしてそれぞれの部族は、好き勝手な所に無秩序に住むのではなく、それぞれが主から定められた定位置に宿り、導きに従って進み、導きに従ってとどまっている。
そして、この隊形は、上から見ると巨大な十字架の形を成している。(詳細: http://voice.of.christ.yokohama/modules/d3blog/details.php?bid=1588 )
彼がその、壮大な十字の陣形を見た時、神の霊が臨んだ。
「ベオルの子バラムの言葉、/目を閉じた人の言葉、神の言葉を聞く者、/全能者の幻を見る者、/倒れ伏して、目の開かれた者の言葉。」(民数記24:3-4)
彼が語り出した言葉は、相変わらず「ベオルの子バラムとしての託宣」であるが、しかしそれは神の霊に促された言葉であり、その内容は、イスラエルへの祝福に満ちている。
『ヤコブよ、あなたの天幕は麗しい、/イスラエルよ、あなたのすまいは、麗しい。それは遠くひろがる谷々のよう、/川べの園のよう、/主が植えられた沈香樹のよう、/流れのほとりの香柏のようだ。』(民数記24:5-6)
私達は「これをせよ」という主の御心が明らかに示されているのに、それを中々為さなかったり、あるいは「これはするな」という主の御心が明らかに示されているのに、それを止められなかったり、という事がある。
主日の礼拝を守りなさい、とか、嘘をつく癖はもう止めなさい、とか、御心が既に示されているのに、「もう少しくらい良いだろう」と、だらだら先延ばしにしてしまったりいては、いつまで経っても、主の霊が臨む事は無い。
私達も、この時のバラムのように、御心に反する事は、もう止めにして、目を上げて十字架を仰ぎ見るならば、主の霊が臨み、次に為すべき事や歩むべき道が新たに示されるのだ。
バラムが見た、巨大な十字を描いているイスラエルの隊形は、何と壮麗壮大で美しかったことだろう。
彼は、イスラエルの民が、主の命令どおりの所に留まり、礼拝を中心として、導きに従って歩み、導きに従って留まる、その神の民としての歩みを見た時、神の霊感に動かされ、感動し、祝福せざるを得なかったのだろう。
バラムはその「はじめの感動」を、いつまでも保ち続けていればよかったのだが、残念ながら、そうではなかった。
私達キリスト者は、いつまでも礼拝を中心とした歩みを保ち続け、主の導きに従って歩み、主の導きに従って留まり、主イエスにあって神の民とされた「はじめの感動」を、バラムのように手放す事は決してせず、いつまでも保ち続けたい。