メッセージ - レビ人の町と逃れの町(民数記35:1-15)
礼拝説教メッセージ音声:レビ人の町と逃れの町(民数記35:1-15):右クリックで保存
この章は、レビ人が相続する町と、人が誤って人を殺してしまった場合に逃げ込む「のがれの町」についての主の指示である。
『イスラエルの人々に命じて、その獲た嗣業のうちから、レビびとに住むべき町々を与えさせなさい。また、あなたがたは、その町々の周囲の放牧地をレビびとに与えなければならない。その町々は彼らの住む所、その放牧地は彼らの家畜と群れ、およびすべての獣のためである。・・・
あなたがたがレビびとに与える町々は六つで、のがれの町とし、人を殺した者がのがれる所としなければならない。なおこのほかに四十二の町を与えなければならない。すなわちあなたがたがレビびとに与える町は合わせて四十八で、これをその放牧地と共に与えなければならない。あなたがたがイスラエルの人々の所有のうちからレビびとに町々を与えるには、大きい部族からは多く取り、小さい部族からは少なく取り、おのおの受ける嗣業にしたがって、その町々をレビびとに与えなければならない。』(民数記35:2-8)
イスラエル人は、神の働き人であるレビ人のために、十分の一を捧げるよう、主から命じられていたが、レビ人が住むための町も、それぞれの部族が提供しなくてはならない。
大きい部族も、小さい部族も、必ず主の奉仕者に捧げるべきであると主は命じており、それは、富めるも貧しきも、必ず罪のためのいけにえを捧げなくてはならないのと同じである。(詳細: http://voice.of.christ.yokohama/modules/d3blog/details.php?bid=1417 )
レビ人や祭司は、100%、一般の会衆が主に捧げる捧げ物によって、生活が成り立っている。
民が主に捧げ、レビ人達を養う事を止めないなら、彼らは主の奉仕に専念でき、神と民との関係が健全に保たれるが、民が捧げる事を止めてしまうと、レビ人達は主の宮を手放して自分達の農地に逃げるしかなくなり、神の宮はおろそかにされ、民全体が祝福を受けられなくなってしまう。(ネヘミヤ記13:10)
この事は、現代を生きる私達にとっても同じである。
捧げる人には、幸いと祝福が増し加わり、捧げない人は、わずかな刈り取りしか出来ない事は、昔も今も変わりないのだ。
また、意図せず人を殺してしまった人が逃れるための町についても、主は命じておられる。
『主はモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときは、あなたがたのために町を選んで、のがれの町とし、あやまって人を殺した者を、そこにのがれさせなければならない。これはあなたがたが復讐する者を避けてのがれる町であって、人を殺した者が会衆の前に立って、さばきを受けないうちに、殺されることのないためである。』(民数記35:9-12)
この「のがれの町」は、レビ人が住む町の中から、合計六つ提供しなくてはならない。
これは、人が誤って人を殺してしまった場合の、主からの温情措置であり、自分が意図せずして人を傷つけたり、恨まれてしまったりする事への、保険的意味合いもある。
いかにキリスト者であっても、人には罪があり、弱さがあり、また無知の故に、意図せずして人を傷つけてしまう事がある。
神と人の間に立つレビ人の町の中から、逃れの町が提供されたように、キリスト者の中で、意図せずに人を傷つけてしまった人も、神の奉仕者の所へ逃れて来て、匿われる権利がある。
そして、私達がどうしても罪を犯してしまい、サタンがそれを訴え攻め立てる時、私達は、イエス・キリストという逃れの岩に逃げ込み、匿われる事が出来る。
主がのがれの町を定め、イスラエルからそのような町を提供するよう命じられたように、私達も憐れみを受けるために、常日頃、私達の内から憐れみの余地を差し出しておくべきである。