メッセージ - 十字架前のイエスを取り巻く「私達」(マルコ15:15-20)礼拝説教メッセージ音声 한국어예배 韓国語通訳有
十字架前のイエスを取り巻く「私達」(マルコ15:15-20)礼拝説教メッセージ音声 한국어예배 韓国語通訳有
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » マルコによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2011-1-13 6:38
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ピラトは結局、群集を満足させようとしてバラバを釈放し、イエスを引き渡した。
彼が満足させようとした群集とは、大祭司達などイエス様を憎み殺そうとした群集達である。
ローマの兵士達は、イエスを引き渡されて彼を嘲弄し、茨の冠を被せたりした。
イエス様を裏切ったり見捨てたり、侮辱して傷つけた人達を見ると、憤るだろうか。
しかし私達は、これら一連の登場人物達の一人に、いつでもなり得るのである。
私達はいつでも、イエスを売り渡したユダにも、3度知らないと言ったペテロにも、イエスに本質を突かれて殺意を覚えた祭司長達にも、扇動されて「十字架につけろ」と言う群集の一人にも、茨の冠を被せた兵士にも、手を洗って「私には関係無い」と言ったポンテオ・ピラトにも、いつでもなり得る。
彼ら一人一人がイエスを苦しめた張本人であり、その張本人の一人が実に私達なのである。
使徒信条に引用されているポンテオ・ピラトは、総督としてイエスを十字架につける権限もあれば、十字架から守る権限もあったが、私達もイエスを知る者として、信仰告白する者として、ポンテオ・ピラトと同様の立場にある。
イエス様を最初から否定し、否定して終わるような者達には、主は目を留めておられないが、主に目を向けようとする者達にこそ主は目を留められ、特別に扱われるのだ。
イエス様が十字架上で息を引き取った場面においては、それを見て悔やんだ少数の者がおり、その中の百人隊長は神をあがめた。
その時点、ペテロ達は「イエスを知らない」と言って隠れたままであり、そこで聖書が終わるならそのままであったが、彼らはイエスの名の集まりにいたからこそ後に大いに変えられ、栄光のために用いられた。
イエスの名のある交わりに集まり続けるなら、ユダも、祭司長も、ピラトさえも、後に変えられたはずである。
私達が学ぶべきは、歴史上の人物達を第3者的にどうこう批評する事ではなく、私達の内のユダやペテロ、祭司長達、群集、兵士、ポンテオ・ピラトをどうするかであり、いかにイエスの名を否まず、彼を主とし続けられるかである。
それによって、人生を「後悔」で塗りつぶすか、御国の為に用いられる充実感で塗り替えるかが決まる。
横浜天声キリスト教会 copyright 2011
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- 韓国語を短期間でマスター2011-1-25 9:03
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