メッセージ - 滅ぼし尽くすべき敵(申命記7:1-6)
礼拝説教メッセージ音声:滅ぼし尽くすべき敵(申命記7:1-6):右クリックで保存
『あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびと、ギルガシびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追いはらわれる時、すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。』(申命記7:1-2)
ヨシュア記の快進撃を読んでいると、イスラエルは、とても弱い敵と戦っていたかのように見えるが、決してそうではない。
ここに記されている通り、これら7つの民は、イスラエルよりも数多く、強かった。
実際に40年前、彼らの父の世代は「こんな強い民とは戦えない」と恐れ、夜通し泣き明かし、エジプトに帰ろうと言い出した程だった。
しかし主は言われる。
『あなたは心のうちで『これらの国民はわたしよりも多いから、どうしてこれを追い払うことができようか』と言うのか。彼らを恐れてはならない。あなたの神、主がパロと、すべてのエジプトびととにされたことを、よく覚えなさい。』(申命記7:17-18)
主の言葉は、出エジプトした父の世代の時も、それから40年経った申命記の時代も変わらない。約束の地へ行って、滅ぼすべき民を、滅ぼし尽くせ、である。
実際、主が言われた通りに、聞き従って行くなら、あのヨシュア記の快進撃となる。
しかし、恐れをなして退くなら、民数記の荒野の40年の放浪となるのだ。
主の約束を信じ、命令どおり行くなら、必ず勝利が待っているが、そこで、イスラエルが気をつけなくてはならない事がある。
『また彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない。それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず、ほかの神々に仕えさせ、そのため主はあなたがたにむかって怒りを発し、すみやかにあなたがたを滅ぼされることとなるからである。むしろ、あなたがたはこのように彼らに行わなければならない。すなわち彼らの祭壇をこぼち、その石の柱を撃ち砕き、そのアシラ像を切り倒し、その刻んだ像を火で焼かなければならない。』(申命記7:3-5)
主の怒りを引き起こすような習慣に染まり切った、異邦の男や女とは、結婚してはならない。
実際、二万四千人が倒れたペオルの事件やコズビの事件の原因は、異邦の女との結婚が元であり、イスラエルの中に、みだらな事や偶像礼拝が、はびこったためだ。
『あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。』(申命記7:6)
主は、主の民を「聖なる民」「自分の宝の民」とされた。それはキリストにある私達も同じである。
だから、先住民がそこで行っていた汚れた行いの、痕跡すら残してはならないし、私達も以前のような暗闇の生き方を捨て去るべきなのだ。
人は思う。
邪悪な民を滅ぼすのに、主はなんでわざわざ人の手に任せたりするのか。主がソドムを一瞬にして火で焼き滅ぼしたように、それをしてくれればいいのに、と。
そうしてくれれば自分達は戦争に行く必要は無いし、誘惑の元凶とも相対さずに済むし、不従順に陥ってしまう危険性も無いのに、と。
まず覚えておくべきは、主は、見境なく火を降して一気に滅ぼすようなお方ではない。
実際、ソドムの時も、問答無用で滅ぼす事をしなかった。
主は、ソドムを火で滅ぼす前に、アブラハムの執り成しを聞かれたし、また、ちゃんと使いを遣わして義人がそこにいるかを確認し、ロトを逃してから、火を下された。
主は、主に立ち返る異邦人が救われる余地も、残しておられるのだ。それで、遊女ラハブとその家族は救われた。
また主は、あえて誘惑となりそうなものを人の前に置き、その人自身の自由意志によって、それを拒否するよう、命じられる。エデンの園に、いのちの木の他に、善悪知識の木を生えさせたように。
なぜなら神は、人間をロボットのようにではなく、自由意志を持った「神の似姿」として創造され、地を支配するよう創られたからだ。
親が学校に居座って、四六時中、子供の隣で手取り足取り指示したり便宜を図っていたりしたら、子供は不健全に育ってしまうように、主は、人間をご自身の「子」として扱われ、子の領分では、子の自由意志に任せているのだ。
子が自ら親のアドバイスに従って行動するなら、学校での生活も自然と充実して行くように、私達も、この世界において、御言葉のアドバイスに従って行動するなら、この世で大いに祝福されるのだ。
主は、滅ぼすべき民を聖絶するよう命じた。
同じように、私達の内にも、滅ぼし尽くすべきものがある。
『だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのために、神の怒りが下るのである。』(コロサイ3:5-6)
出エジプトしたイスラエルの民が、約束の地に巣食う先住民には「絶対かなわない」としりごみしたように、私達も、思うかもしれない。自分の内に巣食う、この情欲や不品行、これらと戦っても絶対にかないそうにない、と。
しかし、主ご自身が強敵と戦い快進撃したように、私達も、主に従順し服従し続けるなら、私達の内に巣食う情欲や不品行などは、御霊がそれらを殺し、快進撃し、今まで入れなかった幸いな領域にやすやすと入って行けるのだ。
「なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。」(ローマ8:13)
私達には、二つの選択がある。肉に従って生きるか、御霊に従って生きるか。
もし主に頼り、御霊に従って生きる決断をするなら、主が働いて下さり、今までの私達には決して出来なかった事がすんなり出来るようになり、罪と死に勝利し、多くの祝福を勝ち得る事が出来るのだ。