メッセージ - 十字架の前の宴 - ユダに渡した好意のしるし(ヨハネ13:21-30)

十字架の前の宴 - ユダに渡した好意のしるし(ヨハネ13:21-30)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2015-3-22 21:58

十字架の前の宴 - ユダに渡した好意のしるし(ヨハネ13:21-30)
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肉体にあって弟子たちと過ごせる時間は、もう僅かしか残っていない事を悟ったイエス様は、患難ある世に留まって働かなくてはならない弟子達に、こよなき愛(アガペー)を余すところ無く示され、自ら手拭いを取って弟子達の足を洗われた。イスカリオテのユダにも。彼には裏切る心づもりがある事を、知りながら。
イエス様はこの時、裏切ろうとしている者がいる事を、それとなく、2度示唆したが(11,18節)、しかしその示唆は、当人を変える事なく、誰も悟る事なく、むなしく空に響いた。主が御言葉を「自分」に向けて語られているのに、それを全く聞いていなかったり、悟らなかったり、自分の事を語っているのだとうすうす分かっていても、うるさがって敢えて無視したりする時、主は霊の激動を感じ、あかしして、はっきりと言われる。
「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている。」(21節)
イエス様はこの直前、わたしを受け入れる者はわたしを遣わした方を受け入れる、と言われた。つまりイエス様を裏切る者は、イエス様を使わされた御父を裏切る事だ。それがどんな重い永遠のさばきを招く事になるか。イエス様は、自分を裏切るような者は生まれなかったほうが良かった、と言われた。(マルコ26:24)
ユダに、そんな酷い永遠の裁きへと行ってしまう性質を示されても、決してのらりくらりとかわさず、しっかり対処せよ、と、真正面からはっきり言われたのではなかろうか。

ペテロはヨハネを促し、尋ねさせた。その者は誰か、と。イエス様は、「それはわたしがパン切れを浸して与える者」だと答えられ、そしてパン切れを浸し、それをイスカリオテ・ユダにお与えになった。
実に不思議なのは、弟子達の反応である。ユダになぜそう言われたのか、誰も分からなかったというのだ。
パン切れを浸してユダに渡した、なら、ユダが裏切ろうとしている事を示したのは、明白な筈なのに。
パン切れ(「プソーミオン」:一口サイズにちぎった食物)を、浸して渡す行為は、母が小さい子にちぎって食べさせてあげるような、愛情の意思表示である。裏切る心のある者に直接、主が自ら、宴を設けたのだ。
主は、一人として滅びる事なく、永遠のいのちを持って欲しいと願っている。ユダ、わたしはあなたを大切に思っている、どうか、永遠の滅びの行為を止め、主の弟子として、栄誉を永遠に勝ち取って欲しい、そう願っていた。ユダが裏切りのくちづけをした時も、最後まで「友よ」と呼びかけた。(マタイ26:50)
そういうわけで、イエス様のこの時のユダに対するその表情、その立ち居振る舞いが、あまりに愛情に満ちていたから、弟子たちは、まさかユダに裏切りを示す行為だとは、思いもよらなかったのではなかろうか。
ところがユダは、パン切れを受けた時、入ったのは、イエス様の愛ではなく、サタンだった。なんだ、バレたのか、なんなんだこの善人面した集団は!そのような、自分を改めない性質の心に、サタンは好んで入る。
罪が戸口で恋い慕って待ち伏せている時、私達は、それを治めなくてはならない。イエス様に洗い清められ、汚れが除かれたその心の隙間を、イエス様への思いや御言葉で満たすなら、悪霊やサタンが入り込む余地は無いが、空っぽのままにしておくなら、前よりも、もっと悪くなってしまうのだ。(マタイ12:43-45)

イエス様はそのユダに「しようとする事をしなさい」と言われ、裏切る自由をも尊重された。イエス様を裏切る自由は確かにあるが、もし裏切るなら、生まれて来なかったほうが良かった程の、永遠の地獄を味わうのだ。
裏切る自由を行使して裏切ったユダの行き先は、使徒1章に記されている通り、ハラの中にあるものが全部飛び散って露わにされ、イスラエル中の人が知る事となり、使徒の特権は、他の人に取られてしまった。
今、私達には自由が与えられている。しかしその自由を間違えて使うとするなら、自分のいのちを永遠に踏みにじる事になる。与えられた自由は、イエス様に喜ばれる事のために用いるべきだ。(ガラテヤ5:13)
今、私達は学校で学んでいるようなものである。生徒の中には、将来大物になる者もいれば、犯罪者になる者もいて、その時はどうなるかは分からないが、どちらの道を行くかは、日々の選択によって決まる。
将来、同窓会になった時、ある人は大物になって賞賛を受け、ある者は犯罪者として牢に入れられ、出席も出来ない、という事もあるが、今、私達は同じ教会、同じ主キリストから、同じ御言葉を学んでいる。
もし、まことの師であるイエス様を「主」とし、言われた事がたとえ嫌だとしても、服従するなら、永遠の栄光の将来へと導かれるが、イエス様を、取り替え可能な師のまま、服従せず、捨ててしまうなら、同じ永遠の栄光へと行く事は出来ない。一緒に集まる事を止めたりせず、御言葉に従順して歩み、将来は、同じ天の同窓会にて、主から受けた栄誉を、共に喜び分かちあう皆さんでありますように!

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