メッセージ - ソロモンが主に願い求めたもの、それは知恵ではなく・・・(1列王記3:5-15)
ソロモンが主に願い求めたもの、それは知恵ではなく・・・(1列王記3:5-15)
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- 執筆 :
- pastor 2015-12-17 23:20
ソロモンが主に願い求めたもの、それは知恵ではなく・・・(1列王記3:5-15)
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ソロモンは当初、主を愛し、父ダビデの戒めに従って歩んでいた。
彼は、ギベオンという最も重要な「高き所」で、いけにえの動物千頭を捧げた日の夜、主が夢の内でソロモンに現れ、言われた。
『あなたに何を与えようか、求めなさい。』(1列王記3:5)
もし何か一つ願い事が叶うと言われたら、一体何を願うだろう。
自分の健康や、自分の富や名誉が増し加わる事を求める人は多いかもしれない。あるいは、憎い敵の不幸を求めるかもしれない。
ソロモンは、そうした事は一切求めず、主の御心に叶った事を願う。
『ソロモンは言った、「あなたのしもべであるわたしの父ダビデがあなたに対して誠実と公義と真心とをもって、あなたの前に歩んだので、あなたは大いなるいつくしみを彼に示されました。またあなたは彼のために、この大いなるいつくしみをたくわえて、今日、彼の位に座する子を授けられました。』(1列王記3:6)
ソロモンの兄たち、アムノンやアドニヤは、父ダビデ王の七光りを受けて傲慢になったが、ソロモンは違った。
彼は自分の父ダビデを「あなたのしもべ」と呼び、彼が「大いなるいつくしみ」が施されたのは、「誠実と公義と真心とをもって、あなたの前に歩んだ」ため、と、全ては主の恵みゆえである事を告白している。
ソロモンは知っていた。父ダビデが大いに祝福されたのは、主の選びと後ろ盾があったからで、もしそれが無いとするなら、王といえども何もない一人の人間に過ぎない、という事を。
『わが神、主よ、あなたはこのしもべを、わたしの父ダビデに代って王とならせられました。しかし、わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りません。かつ、しもべはあなたが選ばれた、あなたの民、すなわちその数が多くて、数えることも、調べることもできないほどのおびただしい民の中におります。』(1列王記3:7-8)
彼はまた、自分は未熟な者である、と告白した。
神の国では、自分を低くする者が高くされ、自分を高くする者は低くされる。
アブシャロムやアドニヤは、勝手に自分が王になろうとして策を弄したが、御旨でない王座に着こうとした結果、刈り取った実は、滅びであった。
ソロモンは元々、神に王として選ばれていた者ではあったが、彼は「自分は王として相応しくない」と思っている点においても、兄たちよりは、御前で相応しかったのだ。
なぜなら、「自分は未熟だ」「自分は相応しくない」と思っている人は、ただ、主により頼むしかないからだ。
主により頼む事、それこそ、何より主の御前に用いられるに相応しいたしなみである。
そこで彼が主に願った事は、次の事だ。
『それゆえ、”聞きわける(シャマー)”心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪を”わきまえる(ビーン)”ことを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」。ソロモンはこの事を求めたので、そのことが主のみこころにかなった。』(1列王記3:9-10)
ソロモンは主に「知恵」が与えられるよう願い、それが主に喜ばれて、多くのものが与えられた、と知られているが、その「知恵」の内訳は「シャマーの心(聞きわける心、従う心)」である。
彼がそれを求めた理由は、主の民を正しく裁き、何が正しく、何が間違っているのかを「わきまえる(ビーン)」事を得るため、である。
聞き分ける「シャマー」の心。
これは、主にどんないけにえを捧げるよりも優れた事である。
サムエルは言っている。
『主はそのみ言葉に”聞き従う事(シャマー)”を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、”従うこと(シャマー)”は犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。』(1サムエル記15:22-23)
主がもっとも喜ばれるいけにえ、それはシャマーの心、すなわち、聞く事、従う事である。
それを主は喜ばれた。
『そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。』(1列王記3:11-12)
まさに、おし入れゆすり入れして、全てが加えて与えられるパターンである。
聞き分ける心、そして主に従う心、それは、全てに勝るものである。
『わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで(ハーラフ)、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう」。』(1列王記3:13-14)
そしてさらに大事な事は「主の道に歩むこと」、すなわち、「聞き従う」と決心した初心をキープし続け、主と共に歩む事である。
そうするなら、栄えといのちは長く続く、と主は約束しておられる。
「主とともに歩む(ハーラフ)」、これは、信仰の先人達がみな行った事だ。
ダビデはそうだったし、アブラハムも、ノアも、エノクも、皆主とともに歩む性質の持ち主だった。
『ソロモンが目をさましてみると、それは夢であった。そこで彼はエルサレムへ行き、主の契約の箱の前に立って燔祭と酬恩祭をささげ、すべての家来のために祝宴を設けた。』(1列王記3:15)
彼はもはや、正統ではない礼拝場所である高き所を離れ、正当な礼拝場所、すなわち、主の契約の箱の所へ行って、そこで礼拝を捧げた。
こうして彼は祝福され、これから、おびただしく栄える事になって行く。
この時の彼のように、主の御声に聞いて従い(シャマー)、主と共に歩み(ハーラフ)、そうしてますます主に喜ばれる道を歩んで行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!