メッセージ - 起きよ光を放て(イザヤ60:1-3)
起きよ光を放て(イザヤ60:1-3)
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週報/メッセージ(説教)概要
『起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。』(イザヤ60:1)
古い年が終わり、新しい年へと改まった。新しい歩みをして行くのに相応しい時である。
主は言われる。「起きよ」「光を放て」と。 聖徒はいつまでも横たわっていたり、埋もれているわけにはいかない。起きて、暗闇の世に光を放っていくべきだ。主は言われた。「あなたがたは、世の光である。・・・あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:14-16)
「起きて光を放つ」とはすなわち、それぞれの「枡の下」から出て、「燭台の上」という持ち場へ着き、良い行いをして世界の中で輝き、人々がそれを見て、神である主をあがめる事だ。
私達が為す「良い行い」とは、私達が「これが良い行いだろう」と考え編み出してする類のものではない。
私達は元々、罪の中に死んでいた者達であって、主の御心に適った「良い行い」を知らない者、頑張ってあがけば、あがく程に罪を撒き散らすような者であったが、主は大きな憐れみと恵みによって救って下さり、キリスト・イエスにあって共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さり、神の手による作品として新しく創り出された。そんな私達に、良い行いをもあらかじめ主が備えて下さったのである。(エペソ2:1-10)
それ故、主が新たに私達を創られたままに、主が備えられた良い行いを為して行けば良いのである。
具体的に主が備えられた良い行いとは、御言葉に書いてある通りである。食物や着物を主から豊かに与えられている人は、持たない人に分けてあげ、役職が与えられた人は、人を脅したりだまし取ったりせず、自分の給与で満足する事(ルカ3:10-14)。また、妻は夫を敬って服し、夫は妻を命よりも大切にして守り、子は何事につけ両親に従い、主に置かれた立ち位置の正統な権威関係を守る事だ。(コロサイ3:18-21)
バプテスマのヨハネは、悔い改めて正しく歩むよう、人々に叫んだが、そのように、悔い改めの涙を流し、改めて生きようとする人には、主の通られる道が整えられ、世を照らすまことの光が来て下さり、主の光を輝かせるようになるのである。主は、砕かれたたましい、悔いた心の人に、やさしく声をかけて下さる。
当教会では大晦日の夜、長い祈りをもって過ごし、今までの罪を告白して悔い改め、主イエス様が十字架上で為して下さった素晴らしい贖いに涙しつつ年を終え、新年の最初の時は、初物として主に捧げた。
悔い改めの涙を流した聖徒達の顔はとても美しく、主がこの聖徒達を大切に愛し喜んでおられる様を見た。
「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、立って、出てきなさい。見よ、冬は過ぎ、雨もやんで、すでに去り、もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。山ばとの声がわれわれの地に聞える。」(雅歌2:10-12)
主は、ひたすら主の御前にひれ伏す「冬」の季節と、悔い改めの涙を流す「雨」の季節を通って来た聖徒に、「もうその季節は終わったよ、さあ、出ておいて」と呼びかけられる。
「岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」(14節) 主は「はと」と呼びかけて下さっている。
鳩はその鳴き声から、うめく鳥と言われているが、悔い改めうめく聖徒に主は優しく呼びかけて下さるのだ。
さらに主は、あなたの顔を見せ、あなたの声を聞かせなさい、と言われる。悔い改めた私達は、起きて、光を放つ準備が整えられているのだ。すなわち神の前に出て、賛美の歌声を響かせ、人の前に出て、主の栄光を輝かせるのだ。そしてさらに、この光を放つ状態、実りを実らせる状態をキープする必要がある。
「われわれのためにきつねを捕えよ、ぶどう園を荒す小ぎつねを捕えよ、われわれのぶどう園は花盛りだから」(15節) 小狐は、花ざかりの時に来て荒らし、実を実らせないようにする。その目的は、ただ荒らし、実らせない事だ。私達は「小狐」を、かわいいねと言って変にちやほやしたり、あなどったりしてはならない。
花婿が「ぶどう園を荒す小狐を捕えよ」と言っているように、小狐は捕らえる責任が、私達の側にあるのだ。
悔い改めを嫌がらせる狐、正しい行いや、正しい権威関係を妨げる狐、主の光を放つ事を妨げる狐は、どんなに小さくても捕らえて火に投げ込み、主に対しては豊かに花を咲かせ、実りを実らせるべきだ。
このように妨げ無く、世に対して光を放ち、国民や王達を照らしていく皆さんでありますように!