メッセージ - 神殿を建てても栄光を失ったソロモンと、建てずとも栄光を受けたダビデ(1列王記8:12-21)

神殿を建てても栄光を失ったソロモンと、建てずとも栄光を受けたダビデ(1列王記8:12-21)

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pastor 2016-1-15 23:50

神殿を建てても栄光を失ったソロモンと、建てずとも栄光を受けたダビデ(1列王記8:12-21)
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『そこでソロモンは言った、/「主は日を天に置かれた。しかも主は自ら濃き雲の中に住まおうと言われた。わたしはあなたのために高き家、/とこしえのみすまいを建てた」。』(1列王記8:12-13)
モーセの時代にも、主は、濃い雲の内に臨在を現し、人々の前に現れた。
『主はこれらの言葉を山で火の中、雲の中、濃い雲の中から、大いなる声をもって、あなたがたの全会衆にお告げになったが、このほかのことは言われず、二枚の石の板にこれを書きしるして、わたしに授けられた。』(申命記5:22)

主の現れは、雲のように、何となくそこにはおられるとは分かるけれど、形はつかめないものであるが、確かにそこに「おられる」という感覚と、主の栄光とは、確かにある。
『もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。』(詩篇19:1-4)

私達は、主についての概念を限定する事によって「像(イメージ)」をつくってはならない。
主は無限なるお方であり、決して人間の小さい頭の中で定義づけされるようなお方ではないからだ。
『それゆえ、あなたがたはみずから深く慎まなければならない。ホレブで主が火の中からあなたがたに語られた日に、あなたがたはなんの形も見なかった。それであなたがたは道を誤って、自分のために、どんな形の刻んだ像をも造ってはならない。男または女の像を造ってはならない。』(申命記4:15-16)
私達にとって大事なのは、主を理解しようとする事ではない。主は、頭で理解しようとしてできるお方ではなく、主を「理解した」と思って思考停止してしまった人は、実は、知らなければならない程度の事さえ理解していないのだ。
私達が主の御言葉が与えられた時、なすべき事は、それを理解しようとする事ではなく、それに従って行動する事である。

『王は身をめぐらして、イスラエルのすべての会衆を祝福した。その時イスラエルのすべての会衆は立っていた。彼は言った、
「イスラエルの神、主はほむべきかな。主はその口をもってわたしの父ダビデに約束されたことを、その手をもってなし遂げられた。主は言われた、『わが民イスラエルをエジプトから導き出した日から、わたしはわたしの名を置くべき宮を建てるために、イスラエルのもろもろの部族のうちから、どの町をも選んだことがなかった。ただダビデを選んで、わが民イスラエルの上に立たせた』と。』(1列王記8:14-16)
ソロモンは会衆に向かい、この宮が建てられた成り立ちについて、そして、主が特別にダビデを選ばれた事について、主を褒め称えている。
この宮は、彼の父ダビデの、主を愛する心が発端となって、造られていったものである。
主はダビデを特に選び、神の民イスラエルを牧する者とした。

『イスラエルの神、主の名のために宮を建てることは、わたしの父ダビデの心にあった。しかし主はわたしの父ダビデに言われた、『わたしの名のために宮を建てることはあなたの心にあった。あなたの心にこの事のあったのは結構である。けれどもあなたはその宮を建ててはならない。あなたの身から出るあなたの子がわたしの名のために宮を建てるであろう』と。』(1列王記8:17-19)
元々、いと高き主は、人の手で造った家の内にはお住みにならない。天は主の王座であり、地は主の足台である。そしてそれらは皆、主の手によって造られた。(使徒7:46-53)
しかし主は、宮を建てたいと願ったダビデの純心な心を、「結構である」と言われた。あたかも親が、幼い子が、親を愛するゆえの、少々お門違いな事を言っても、いとおしむように。

ただ主は、多くの血を流してきたダビデは、主の宮を建ててはならない、と言われた。(1歴代誌22:7-9)
自分の腕や力づくなどによって、あるいは唇による言葉の攻撃によって、隣人を襲い、血を流し、物を奪う人は、主に喜ばれないのは当然である。
しかしダビデのように、神の国と神の民のために、力や知恵によって悪しき者と戦う人は、神の国において必要である。
ダビデが宮を建てるために多くを備え、その子ソロモンに宮のための材料を用意したように、主の礼拝の建て上げのためには、それぞれに違った役割があるのだ。

ダビデは、宮を建てる事は許されていなかった。そして彼の子、ソロモンが宮を建てたが、それは永遠のものではなかった。
人の手で造ったものは、永遠ではない。どんなに贅を凝らしたものであっても。
しかし、主を愛したダビデの栄光は、永遠のものとなった。
まことの宮の本体であられる主キリストは、永遠にダビデの王座に着かれ、ダビデの名は、永遠に栄光あるものとなった。

ソロモンは諸々の事業を拡張し、邸宅を建て、畑や庭園や男女の奴隷、多くのそばめを得たが、結局得たのは、むなしさだけであった。
彼は言っている。
『私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。』(伝道者の書2:11)

結局、ソロモンのように巨大な建造物を造ったり事業をする事よりも、ダビデのように、主を愛する事にこそ、私達の人生の力を注ぐべきなのだ。

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