メッセージ - まことの食物、まことの飲みものの頂き方(ヨハネ6:47-71)

まことの食物、まことの飲みものの頂き方(ヨハネ6:47-71)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2016-9-4 18:33

まことの食物、まことの飲みものの頂き方(ヨハネ6:47-71)
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週報/メッセージ(説教)概要

 普段の主日は、聖書人物から、特に最近はダビデからメッセージを頂いているが、本日・聖餐礼拝の日、イエス様という「まことの食物」、「まことの飲み物」に目を向けて、その頂き方を学びたい。
食べ物も飲み物も、毎日自分から摂り入れるもので、誰も、嫌々ながら無理やりする人はいない。
食欲が自然と湧いて来るのは、命を保つため、成長するためで、そこに疑いの余地は無いが、私達が毎日食べる食物、飲み物は、実は「影」で、それとは他に、まことの食物、まことの飲み物がある。
イエス様は言われた。『わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ(続け)、わたしの血を飲む(事を続ける)者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。』(ヨハ6:55-56)
ここのイエス様のからだを「食べる」、血を「飲む」の動詞は、現在形能動態で、「し続ける」べき事だ。
有限であるこの「肉体」には、継続的に食物が必要であるのと同じように、永遠なる「霊」にも必要な食物があり、それはイエス様の肉、また血である。『人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。』(同63節) 霊の食物である御言葉も、肉体における食物と同じで、日々摂り続けるべきものであり、それをしない人の霊はどんどん干物になって行く。
霊は、神を意識し、神と交わりをする器官で、永遠のものである。人には霊の名残りがあるが(マラキ2:15)
生まれながらの人は霊が死んだ状態である。それで人は、生まれながらにして正常な神との交わりはできないものの、名残りがあるため、永遠なる神をなんとなく意識し、求め、霊的な飢え渇きを満たそうとする。
イエス様こそ真の食物、真の飲みものであり、彼に会うなら、それまで何をしても満たされなかった本質的な渇きは癒され、今まで体験した事のない潤いを得るのである。それ故、霊にあって生きる人は、好んでイエス様と交わり、祈り、御言葉を摂り入れるが、それをしない人は、霊の死んだ、肉に生きる人である。

どのようにして、イエス様の肉を食べ、その血を飲むのか。食べ物は口で摂取し、口で咀嚼し、胃で消化し、腸で吸収して、血肉となって行くが、霊の食物である御言葉は、耳で聞いて摂取し、口で宣言し、あるいは心で思い巡らして「消化」し、信仰によって自分と混ぜあわせる事によって、自分の霊となって行く。
主は最後の晩餐の時、パンを裂いて、言われた。『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」また、杯も同じようにして言われた。「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。(1コリント11:24-26)
聖餐のパンは、イエス様の裂かれた肉を覚えるものであり、杯は、イエス様が十字架で流された血を覚えるものである。私達の身代わりとなって流されたイエス様の血、彼の苦難と死の、そして、死とサタンに対する勝利のしるしである「血」を思い巡らし、口で宣言する事で、イエス様の血を「飲み」、一体化するのだ。
人は、肉体を養う食物だけによって生きる存在ではない。『主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖達も知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きる事をあなたに知らせるためであった。』(申命記8:3)
主は、その事を教えるために、荒野で40年間、イスラエルの民を天から降るパン、「マナ」によって養った。
このマナの性質は、まことの食物・御言葉なるキリストをどのようにいただくべきか、その作法を教えてくれる。
マナは朝、霜のように降る。日が熱くなると、拾わないマナは溶けて無くなった。週の六日間は降り、安息日には降らなかった。人手で拾われたマナは溶けないが、拾っても食べずに翌日まで持ち越したマナは溶けないものの臭くなって虫が湧いた。しかし主の定めにより、安息日は前日拾ったマナは腐らなかった。
これを40年、毎日律儀に続ける事によって、イスラエルの民は主の御言葉によって生きる術を学んだのだ。
まことの食物、御言葉なるキリストも、主が定められた時に私達の所に降りて来る。その時、私達がその時拾わないなら、やがて無くなってしまい、後で「あの時欲しかったのに」と思っても、後の祭りである。
御言葉が天から降って目の前に来た時、それを自ら拾い、拾ったなら、それを食べる。翌日まで持ち越してはならない。自分の好きな時間、好きなやり方は捨て、働くべき時に働き、礼拝すべき時に礼拝する。
それを日ごと続けて行く事で、霊はどんどん養われ、そして、キリストの血を日々覚える事によって、日々清められ、サタンに勝利するものであり、それらを止めてしまうなら、どんどん霊は衰弱し、汚れ、サタンに好き放題されてしまう。食事を毎日食べるように御言葉を毎日食べ、イエスの血潮を毎日覚え、ますます霊が清められ成長し、キリストの姿に変えられる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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