メッセージ - アシェルな人になるために(詩篇1:1-3)

アシェルな人になるために(詩篇1:1-3)

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執筆 : 
pastor 2018-8-14 9:40

アシェルな人になるために(詩篇1:1-3)
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 1:1 幸い(アシェル)なことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。

前回、この「幸い(アシェル)な人」、な人が得る幸いとはどのような幸いであるのかを学んだ。
今回は、そのアシェルな人になるには、どうすれば良いかを学びたい。

アシェルの祝福は、「悪者のはかりごとに歩まず」「罪人の道に立たず」「あざける者の座に着かない」という、3つの「ない」の人に与えられる。アシェルな人の辞書には、それら3つは、存在しない。
アシェルな人は、そうした「悪いわざ」から気をつけて身を引いて行く。
彼らは、一体何が悪者のはかりごとで、罪人の道で、あざける者の座であるのか、という「分別」ができる。
どうすればそのセンスが磨かれて行くのか。

 1:2 まことに、その人は主のおしえ(トーラー)を喜びとし、昼も夜もそのおしえ(トーラー)を口ずさむ(ハガー)。

ハガー(הָגָה)は元々は「つぶやく」であるが、そこから「思い巡らす」「学ぶ」、すなわち「咀嚼する」という意味になる。
KJVでは、「meditate day and night」と書いてある。
主のトーラー(律法)を、喜びをもって、昼も夜も口ずさむ(ハガー)。
御言葉を口ずさむ事が、すなわち、きよい御言葉を食べる事であり、そのような人はますます、アシェルなセンスが磨かれていく。

そのきよさを身に着けていくためには、神が「きよい」とされた動物がどんな性質であるのかを調べる事が有益である。

レビ記11:1 主はまたモーセとアロンに言われた、
11:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『地にあるすべての獣のうち、あなたがたの食べることができる動物は次のとおりである。
11:3 獣のうち、すべてひずめの分かれたもの、すなわち、ひずめの全く切れたもの、反芻するものは、これを食べることができる。

律法上「きよい」とされている牛や羊の胃袋は4つある。
食べた草を、1胃と2胃の反芻胃を使い、胃袋から口に戻して噛み返しを繰り返しつつ、分解吸収している。 (この1胃をミノ、2胃をハチノス、3胃はセンマイ、4胃をギャラと呼ぶ。)
これが、主への良き捧げ物となれる性質である。
私達も、神の言葉を折を見ては取り出して反芻(ハガー)し、御言葉をよく消化・吸収して行くなら、主への良き捧げ物となる事ができる。

レビ記11:4 ただし、反芻するもの、またはひずめの分かれたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、らくだ、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。
・・・
 11:9 水の中にいるすべてのもののうち、あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。すなわち、海でも、川でも、すべて水の中にいるもので、ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。
 11:10 すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいて、ひれとうろこのないものは、あなたがたに忌むべきものである。

ひずめやうろこは、自身と世との間に境界を引き、世の汚れから自身を守るものである。
主はそれを持つ生き物を、きよい性質の一つとされた。
私達も、世の汚れに対して一線を画すこころざしを持つべきである。

11:20 また羽があって四つの足で歩くすべての這うものは、あなたがたに忌むべきものである。
11:21 ただし、羽があって四つの足で歩くすべての這うもののうち、その足のうえに、跳ね足があり、それで地の上をはねるものは食べることができる。

後ろ足や羽で地を跳躍する、あるいは、ひれで泳ぐ生き物は、水底や地にいつまでも留まっていない。
私達も、地上のものにいつまでも留まらず、この世の事を思わずに天を思うなら、それはきよい性質である。
それにひきかえ、サタンは「一生腹ばいで歩き、ちりを食べる」「地を行き巡り、そこを歩き回る」性質だ。(創世記3:14、ヨブ2:2)

地に属し、世に属し、サタンに属するものに対しては一定の境界線を置き、自分自身をそれらから隔てを置く。
そして自分自身は、きよい御言葉を昼も夜も反芻する。
私達がそうして行くなら、私達も神に受け入れられる、きよい生きた供え物として神に捧げる事が出来るのだ。

レビ記11:4 ただし、反芻するもの、またはひずめの分かれたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、らくだ、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。

反芻する動物であっても、ひずめが分かれていないものは「汚れている」とされる。地に接地している状態で反芻しても、その反芻は無駄になってしまうのだ。
同様に、いくらテフィリンやハガーをしたとしても、世の事・肉欲を思い巡らしながら、あるいは、不平不満を握りしめながら反芻するとすれば、それは結局、災いで有害なものをよく咀嚼し消化吸収してしまう事になり、きよくなるどころか、ますます汚れてしまう。
もし、テフィリン続けていても、全く人格や状況が変わらない、という人がいるなら、その人は世に接地した状態で反芻していなかったかを、よく思い返すべきだ。
妬みや怒り、罪定めする気持ちなどの汚れたものを握りしめたままであるなら、その人は、悪者のはかりごとに歩み、罪人の道に立ち、あざける者の座に着いたままの状態で、その状態でいくらテフィリンしても、無駄なのだ。

祭司である者は、自らを清め、世俗と分離する。
レビ記10:9 「あなたも、あなたの子たちも会見の幕屋にはいる時には、死ぬことのないように、ぶどう酒と濃い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々永く守るべき定めとしなければならない。
10:10 これはあなたがたが聖なるものと俗なるもの、汚れたものと清いものとの区別をすることができるため、
10:11 また主がモーセによって語られたすべての定めを、イスラエルの人々に教えることができるためである」。

キリストにあって祭司とされた私達も、神が「汚れている」としているものは摂らず、御言葉を取り入れ、世俗の民と区別する事によって、「祭司の民族」として、全人類を神へと導く務めを為すのだ。
そのような人にこそ、以下の幸いが約束されている。

 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

キリスト者の中には、「信仰の先取り」と言ってこの3節を盾に取り、「わたしは水路のそばに植わった木である事を感謝します」「時が来ると実がなり、葉は枯れず、何をしても栄える者である事を感謝します。」と祈る人もいるかもしれない。
もちろん、御言葉を信じて告白するのは良いが、聖書に記されている祝福には、前提条件があり、その前提条件を満たした人のものになるという事を忘れてはならない。
ここの前提条件とは、すなわち、1節と2節である。

1ペテロ1:13 それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。
1:14 従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、
1:15 むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。
1:16 聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。

自分自身を世とは区別し、聖なる御言葉をいつもハガーし、ますますきよい者とされ、神に捧げられ御国のために有用に用いられていく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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