メッセージ - 花婿の心を射止め、とりこにする花嫁の秘訣(雅歌5:1-8)
花婿の心を射止め、とりこにする花嫁の秘訣(雅歌4:9-16)
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ここはソロモンが結婚する場面において、いよいよ花嫁は花婿に迎えられ、2人が1つになる、奥の間おける麗しい交わりがこの4章にある。
男女の愛は甘く麗しいものであり、世では男女の歌が盛んに歌われ、またドラマの中では、男女の愛のテーマは必要不可欠なものである。
確かに男女の愛は、麗しいものであり、歌にもなりドラマにもなるが、その反面、壊れやすく、苦々しい物に変質しやすいものでもある。
現実はそんなに甘いものではないよと思う方も大勢いるのではないか。
現実的な事を言えば、この雅歌書の花嫁は、やがて、ソロモンの1000人の妻や妾のうちの1人となり、甘く麗しい愛の歌は、やがて苦々しいものに変質してしまう。
この雅歌書を、単なる男女の愛の歌として読み解くなら、思うだろう。
ああ、私達も昔はそんな時期があったかもしれないね、いや、現実はもっと違うよ、など言って、現実ばなれしたおとぎ話の書としてしまう男女が多いだろう。
人にはある程度、自己中心的なところがあり、そして罪があり、「老い」があるゆえに、このような関係は長続きしない、と思われているのだ。
しかし、真理においては、確かに存在する。まことの花婿キリストと、花嫁である教会の、永遠の、決して老いず朽ちない愛の関係が。
私達がこの雅歌をみる時、永遠の乙女である教会と、永遠の王の王であられる花婿キリストとの、真の愛の関係としてみる時、私たちは限りない希望が湧いてくるのだ。
そればかりでない。
地上における男女の関係も、結婚も、罪のなかったエデンにおいては、もともと麗しいもので苦々しさは一切なかったものである。
その麗しいみずみずしい関係が、何年経っても腐らせない秘訣が、聖書に記されている。
まず1節から8節においては、女性の何もかもが美しいと表現され、いよいよ2人が奥の間でひとつになる事の喜びが記されているが、9節において、この男性の心を奪ってしまったものが2つある。
雅歌4:9 わが妹、わが花嫁よ、あなたはわたしの心を奪った。あなたはただひと目で、あなたの首飾のひと玉で、わたしの心を奪った。
男性の心を奪ったもののうちの1つ目が、ただの一目のまなざし、もう一つが、首飾りのただひとつの宝石だ。
女性の美しい眼差しは、確かに男性の心を射止めるものであるが、眼差しだけでは足りない。首飾りである。
この首飾りを、女性はどのようにして得たのか。
一章の11節を見ると、これは男性が女性のために特別に造った贈り物であることがわかる。
女性が男性の送った贈り物、男性の好む飾りを、女性が身に付け、女性はこの男性の愛のこもった贈り物を身に帯びている状態を、男性は嬉しく思うものである。
美しい女性は世の中にいっぱいいても、自分が贈り物送って、それを身に帯びる女性は、ただ1人であるべきである。
男性が女性のために、色々模索して手に入れ送った贈り物を、女性が身につける時、男性にとってその女性は、愛らしい、いとおしいと思うものである。
エステルも、王の好む服、王の好む飾りを身に帯びたからこそ、王の心を射止めたわけである。
女性が、愛する男性に向かって、あなたの好む通りに、私は自分を飾ります、と言う時、男性は言うのだ。
あなたの愛はなんと麗しいことよ、と。
私たちもキリストの好まれる飾りを身に付けるとき、キリストは私たちを特別に愛し特別に私は扱ってくださる。
4:11 わが花嫁よ、あなたのくちびるは甘露をしたたらせ、あなたの舌の下には、蜜と乳とがある。あなたの衣のかおりはレバノンのかおりのようだ。
花嫁の唇は蜂蜜を滴らせ、舌の下には、乳と蜜がある、と書いてある。
乳と蜜と言えば、神の約束の地を思い起こす。そこは、乳と蜜が流れていると書いてある。
また別の箇所では、御言葉の乳をしたい求めなさいと書いてある。また、御言葉は蜜のように甘い。
もし愛する女性が、御言葉の乳、御言葉の蜜を、唇から滴らせるなら、信仰者の男性にとって、なんと慕わしい女性だろう。
「あなたの衣のかおりはレバノンのかおりのようだ。」とあるが、元々彼女は、実家では兄弟たちから無理矢理、ぶどう畑の見張りを仰せつけられて、きれいな着物とは縁が遠い女性だった。
だから彼女の着物も、香油も、全部、夫からの贈り物である。
4:12 わが妹、わが花嫁は閉じた園、閉じた園、封じた泉のようだ。
男性にとって花嫁は、園だと言っている。エデンの園のような。
園からは、あらゆる良いものが産出されて出てくる。
4:13 あなたの産み出す物は、もろもろの良き実をもつざくろの園、ヘンナおよびナルド、
4:14 ナルド、さふらん、しょうぶ、肉桂、さまざまの乳香の木、没薬、ろかい、およびすべての尊い香料である。
これらは全て、香りが良いもの、また、味わいが良いものである。
女性が、御言葉の乳と蜜を唇から滴らせるなら、その女性は、あらゆる良き実を豊かに実らせる、エデンの園のように、男性から見えるのだ。
エデンの園から全てが始まり、エデンの園の中において汚れがはびこり、そしてそこを追い出されてしまった。
もしも女性が、唇から、人を養う御言葉ではなく、なじる言葉、突き刺す言葉、いやみな言葉を発するとするなら、そこはエデンの園ではなくイバラの園、荒野よりもひどい所である。
箴言21:19 争い好きで、うるさい女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。
この女性が男性を虜にしたもう一つのものが、12節にある。
「私の花嫁は、閉じられた園、封じられた泉」とある。
つまり、外に対しては閉じられていて、ただ自分の夫ひとりにだけ開かれた泉、閉じた園である、という所である。
家の中で、ただ夫にだけ、妻に対してだけ開かれているもの、そして、それ以外には決して開いてはならない言葉や態度や姿というものがある。
夫と妻、ただ互いに対してだけ、分かち合うべきもの、そして外に対しては決して味わわせてはならず、流し出してはならないものがある。
夫婦間にしか開かせない秘密があり、夫婦同士でしか慰め得ない慰めがある。それを唯一得られるのは、伴侶である相手から、だけである。それは決して、他のものに流してはいけない。
そうしたものを、もし外に漏らしてしまっては、その家は壊れてしまう。
しかし女性が男性の好む飾りを身に付け、唇から御言葉を滴らせるならば、その女性は男性にとってエデンの園のような慰めとなり、その家庭は、すべての必要が備わっているエデンのようになっていく。
エデンの園には、害をなるものは、1つもなく、ただ素晴らしいものだけがあった。
この雅歌書の彼女は、もともと、親兄弟から邪険にされながら働く女だった。
何一つ自分が身に付けるものも、香り高いものも使ったことがない人だった。だからまさにシンデレラである。
彼女が夫である男性に会った時、初めて良き香りを放つ事ができた。
彼女がその魅力を初めて放ったのは、男性によって、シンデレラになったような思いをした時であった。
私たちはイエス様からシンデレラにされた。それゆえに人を愛することができ、イエス様のようになることができる。
4:16 北風よ、起れ、南風よ、きたれ。わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ。わが愛する者がその園にはいってきて、その良い実を食べるように。
これは本日の箇所では、花嫁の側の唯一の言葉であるが、風はヘブライ語でルアッハ、霊である。
だから、聖霊の風よ、北から南から私に吹いておくれ、私が愛する方にとって、本当に最上の香り、最上の味を漂わせることできるように、そして、私自身が愛する方にとってエデンの園のような慰めとなり、身も心も体も全て愛する方にとって、最上の果物、最高の実となれるように、聖霊の風よ、吹いておくれ、という願いが込められている。
最上のものが実るためには、北風も、南風も恐れず、聖霊の風が自分に吹いてくれるように願うのだ。
香り高いものとなり、いらないものは取り除かれ、いるものはもっともっと豊かにされ、それによって実った香り、それが風によって夫へと運ばれ、夫を豊かにしてほしい、と祈るのだ。夫に対して、これはやっていけない、今までこれをやっていなかった、と、分かるようになり、また取り除かれるものが取り除かれ、実るべきものが実って、初めて良き園となって行く事ができる。
祈るべきである。
夫婦の関係が麗しいエデンの園のような中において、麗しい交わり、愛の交わりがあるように。
キリスト者の男女が、本当に麗しい園の中における交わりのようであり、豊かな命の実を結び、唇から御言葉が流出し、命が溢れ、命が溢れ、その中に何も害するものがないように。
そして、たとえその中に、蛇が混じり込んでも、惑わされる事なく、いさかいの罠に陥る事なく、御言葉で踏み付け、撃退する男女でありますように。
どうか、若い男女のうちに、御言葉によって伴侶となる相手への導きを与え、成熟した花嫁・花婿となることができますように。
また結婚した男女に、甘い御言葉の乳が、蜜が、家庭の中で豊かに溢れ、生み出すものが最上の香りを放つ者たちでありますように。
そして、きたるべきまことの結婚、真の夫であるキリストの結婚に備え、私たち一人一人が、教会が、花嫁として整えられ、まず私たちがキリストの与えてくださった飾りを見に帯び、キリストの言葉を口から出し衣を身に付け、備える日々でありますように。
イエス様のお名前によって祝福します。