メッセージ - 親しい友に裏切られた時の詩(詩篇55篇)
早天礼拝
親しい友に裏切られた時の詩(詩篇55篇)
Youtube動画
________________
詩篇55篇表題「聖歌隊の指揮者によって琴をもってうたわせたダビデのマスキールの歌」
マスキールはサーカル(指示する、教示する、理解する)が元になっていると思われる。この詩は、私達に教訓を与えてくれる詩篇である。
ダビデは特に、親しい友人に裏切られた時の心情を、主に激しく吐露し、祈っている。
一体誰が彼を裏切ったのか、その裏切り者の名は記されていないが、この詩の内容は、第2サムエル記15章の記事、すなわち、彼の息子アブシャロムがクーデターを起こし、彼の有能な議官アヒトフェルほか、彼に親しかった者達がこぞってアブシャロムについた記事によくあてはまる。
アブシャロムは年月をかけて人々の心にダビデへの不平不満を植え込んだ。
アブシャロムは親しげに民衆に語りかけ、時にはハグし、口づけして人心に取り込みつつ、ダビデ王は人心を汲み取ってはくれない事、自分のほうこそ王に相応しい器だ、という事を、じっくりゆっくりと人々の心に浸透させていった。
このように巧妙に闇の中で下準備を整え、そして4年目のある日、満を持して王を名乗り、多くの民衆がアブシャロムについた。
ダビデは息子アブシャロムがクーデターを起こしたと聞いたが、彼はいつも、主を助けとした。
詩篇55:1 神よ、わたしの祈に耳を傾けてください。わたしの願いを避けて身を隠さないでください。
55:2 わたしにみこころをとめ、わたしに答えてください。わたしは悩みによって弱りはて、
55:3 敵の声と、悪しき者のしえたげとによって/気が狂いそうです。彼らはわたしに悩みを臨ませ、怒ってわたしを苦しめるからです。
この詩の最初の3節において、ダビデは神に切に求めている。
祈りを耳に入れて下さい、身を隠さないで下さい、御心を留めてわたしに答えてください、と。
ダビデはこの時の心情を、続く節で表しているが、それはかなり激しい。
詩篇55:4 わたしの心はわがうちにもだえ苦しみ、死の恐れがわたしの上に落ちました。
55:5 恐れとおののきがわたしに臨み、はなはだしい恐れがわたしをおおいました。
彼は死の恐れ(複数形)が彼の上に落ちた、と言った。
愛する子アブシャロムに裏切られ、また親しかった人々がこぞって彼から離れて行った時、死ぬほどの苦しみと恐れを、いくつも感じたのだ。
詩篇55:6 わたしは言います、「どうか、はとのように翼をもちたいものだ。そうすればわたしは飛び去って安きを得るであろう。
55:7 わたしは遠くのがれ去って、野に宿ろう。〔セラ
55:8 わたしは急ぎ避難して、はやてとあらしをのがれよう」と。
鳩は、その鳴き声から、うめく鳥と言われている。
彼は翼をかって、遠くに逃げ去りたい、と願った。
彼はアブシャロムのクーデターを聞いた時、真っ先にしたのは、速やかに野のほうへ逃れて行った事だった。
彼は息子には手をかけられないし、また、もし戦争となったら、戦場は国内の町々やエルサレムでの市街戦となり、多くの同胞たちが、同士討ち同然の戦いで死ぬ事になってしまうからだ。
ただ、逃げるしか無い。
このように行き場を失った時の彼の心情が、この詩篇によく現れている。
55:9 主よ、彼らのはかりごとを打ち破ってください。彼らの舌を混乱させてください。わたしは町のうちに暴力と争いとを見るからです。
55:10 彼らは昼も夜も町の城壁の上を歩きめぐり、町のうちには害悪と悩みとがあります。
55:11 また滅ぼす事が町のうちにあり、しえたげと欺きとはその市場を/離れることがありません。
彼は「彼らのはかりごとを打ち破ってください。彼らの舌を混乱させてください。」と祈っている。
その祈りは第2サムエル記15章においてダビデが祈った内容と一致している。
2サムエル記15:31 時に、「アヒトペルがアブサロムと共謀した者のうちにいる」とダビデに告げる人があったのでダビデは言った、「主よ、どうぞアヒトペルの計略を愚かなものにしてください」。
私達も、祈るべきである。
現在、韓国において、まさにダビデの時代に起きたクーデターのような事が起きている。
戦後、韓国では共産主義者たちが密かに、そしてじっくりと政界に浸透し、長年かけて教育業界に共産主義者たちを送り込み、子供たちに、共産主義を何か良いもの、かっこいいものであるかのように教育し、そうして長年浸透して来たある日、ムン・ジェイン政権が立ち上がり、そして4月15日の選挙では多数の議席を獲得してしまった。
もし韓国が北朝鮮に併合されるような形で共産化してしまったら、日本はロシア、中国、そして朝鮮半島と、共産国に囲まれ、孤立してしまい、大いに危険な立場に立たされてしまう。
共産主義とは、神無しとする思想であり、共産化された国は、一部の特権階級が搾取し、その国の多くの人々があえぐようになってしまっているのは、共産国の現状を見れば明らかである。
私達も、ダビデのように祈るべきである。
彼ら・共産主義者たちの計略が、愚かなものになり、彼らのはかりごとを打ち破って下さい、彼らの舌を混乱させてください、わたしは町のうちに暴力と争いとを見るからです、と。
詩篇55:12 わたしをののしる者は敵ではありません。もしそうであるならば忍ぶことができます。わたしにむかって高ぶる者はあだではありません。もしそうであるならば身を隠して/彼を避けることができます。
55:13 しかしそれはあなたです、わたしと同じ者、わたしの同僚、わたしの親しい友です。
55:14 われらはたがいに楽しく語らい、つれだって神の宮に上りました。
55:15 どうぞ、死を彼らに臨ませ、生きたままで陰府に下らせ、恐れをもって彼らを墓に去らせてください。
一緒に育ち、一緒に学び、一緒に多くの時間を過ごし、しかも一緒に礼拝を捧げた人が、神に喜ばれない卑劣な手段で裏切った。
それは、単に悪人にののしられたり圧迫されるより、はるかに心のダメージが大きい。
私達はそのような苦しみに遭った時、どうくぐり抜けるか。
ダビデは、決して裏切らない主への心情吐露と、祈りと、信仰告白によって切り抜けた。
彼が真っ先に行った事は、主に対する心情吐露であった。
その次は、祈りによって心を整え、そしてその後、彼は信仰告白の宣言に入る。
詩篇55:16 しかしわたしが神に呼ばわれば、主はわたしを救われます。
55:17 夕べに、あしたに、真昼にわたしが嘆きうめけば、主はわたしの声を聞かれます。
55:18 たといわたしを攻める者が多くとも、主はわたしがたたかう戦いから/わたしを安らかに救い出されます。
55:19 昔からみくらに座しておられる神は/聞いて彼らを悩まされるでしょう。〔セラ/彼らはおきてを守らず、神を恐れないからです。
55:20 わたしの友はその親しき者に手を伸ばして、その契約を破った。
55:21 その口は牛酪よりもなめらかだが、その心には戦いがある。その言葉は油よりもやわらかだが、それは抜いたつるぎである。
主は全て、真実に主に求め祈る人に、聞いて下さる。
そして、主に忌み嫌われる事を敢えて行う人、戒めても聞かない人に対し、主は敵対される。
主は、心の真実な人を喜ばれる。詩篇15篇に記されている。
詩篇15:1 主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。
15:2 直く歩み、義を行い、心から真実を語る者、
15:3 その舌をもってそしらず、その友に悪をなさず、隣り人に対するそしりを取りあげず、
15:4 その目は神に捨てられた者を卑しめ、主を恐れる者を尊び、誓った事は自分の損害になっても変えることなく、
15:5 利息をとって金銭を貸すことなく、まいないを取って/罪のない者の不利をはかることをしない人である。これらの事を行う者は/とこしえに動かされることはない。
ダビデはさらに、三人称の視点で記して、自分自身を奮い立たせ、また、この詩を読む全ての人に対し、断言する。
詩篇55:22 あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。
55:23 しかし主よ、あなたは彼らを/滅びの穴に投げ入れられます。血を流す者と欺く者とは/おのが日の半ばも生きながらえることはできません。しかしわたしはあなたに寄り頼みます。
ダビデは、血を流す者と欺く者とは、そのいのちの日の半ばも生きながらえられない、と宣言した。
いのちの日は、それぞれ、神によって量り与えられている。
敢えて血を流す者、欺く者は、もし80年の命が量り与えられていたとしても、40年も生きる事ができないようにされるのだ。
この詩篇は最初、子供が親に泣きつく「泣き言」のような祈りで始まったが、しかし最後は凛々しい信仰告白と宣言で終わった。
前知識が無い人が詩篇を見ると、ダビデという人物は、いつも泣いて呻いて神に祈っていて、ずいぶん弱々しいのかな、と思われそうだが、サムエル記におけるダビデの勇士然とした有様と、また彼の英雄的な行動は、主と彼との親密な交わりの中に秘訣がある。
私達も、主の前では幼子のように親しく交わり、何かあったら何でも主の前に泣きつき、そうして主から慰めと力を得たなら、凛々しく世に立って出ていき、勇士となり勝利し、英雄となって行くのである。