メッセージ - イエス様の復活によって完成した完全な安息(創世記2:1-3)

イエス様の復活によって完成した完全な安息(創世記2:1-3)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2020-10-4 9:00

主日礼拝

イエス様の復活によって完成した完全な安息(創世記2:1-3)

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週報/メッセージ(説教)概要

 『こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。』(創世記2:1) 完成と訳された語カーラー כָּלָהには「完了した」「完成した」「終わった」の意味がある。神様が創造した全被造物は、あらゆる点において完璧であったが、最後に人を創造して被造物の中へ入れられた時、神は「非常に良い!(トーブ・メオド)」と大喜びされ、ついに完成を宣言し、安息に入られた。神様は、人が、神様が創造した素晴らしき被造物の中、御言葉を守る「完全な者」として、神様と共に歩む時、「非常に良い」と言って安息されるのである。
 しかし悲しいことに、その完成し完了したものは、人が神様の言葉を破った故に、破壊されてしまった。
人が神様の言葉を破って、善悪を知る木から食べた故に、被造物も呪われてしまい、土地は茨やあざみを生えさせ、人は一生、額に汗し、労しながら糧を得なくてはならなくなってしまった。こうして人と全被造物は「非常に良い」から離れてしまい、いのちの木への道も封鎖された。この呪われてしまった被造物と人間を、完全な、欠点の無い状態にする事ができるものは、天にも、地にも、地の下にも、誰一人いなかった。
 しかし、ユダ族から出たしし、ダビデの根であられるイエス様が、十字架上でほふられた事によって勝利を得られた。彼はほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、神のために彼らを王国とし、祭司とされ、地上を治めるようにされたのである。(黙示録5章)
 
 イエス様は、十字架上でほふられ、彼の地上における贖いの働きが完成した事を知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われ、酸いぶどう酒を受けられた。この酸いぶどう酒は、人の有り様を示している。神様が六日かけて素晴らしい世界を構築し、その”ぶどう園”に人を置き、彼らが甘い実を結ぶのを期待されたのに、人は罪を犯し、神様に対して酸いぶどうを実らせるようになってしまった。(イザヤ5章)
 イエス様は、罪を犯して酸っぱくなってしまった私達の人生を、すっかり飲みつくされた。彼は酸いぶどう酒を受けられた時、「完了した(テテレスタイ)」と宣言をされた(ヨハネ19:30)。このテテレスタイというギリシア語は、あの創世記二章の宣言、すなわち、神様が全被造物を欠けのないものとして創造し、完成された時の宣言と同じであり、「完了した、」「成就した」「終わった」「(借金などを)完済した」等の意味がある。
 イエス様は、人の酸っぱくなってしまった有り様も、被造物の酸っぱくなってしまった有り様も、十字架の上で、全て受けられた。そして「完了した」と宣言し、安息された。そうして十字架の日・第六日目は、日没となり、第七日目・安息日が始まった。そして夕があり、朝があった。そして第八日目、新たな事が起きた。
 第八日目、すなわち日曜日、主日。イエス様は、復活された!以前のものは過ぎ去り、もはや、この世界の時間や空間に制約されない、全く新しいいのちとして。以降、主は、主日に現れるようになる。週の初めの日(日曜日)、主は弟子達やトマスと会い、ヨハネは主日に主から啓示を頂き(黙示録1:10)、また初代教会の聖徒達も主日に主の名の元に集い、パンを割き、御言葉を聞き、聖徒の交わりを行った(使徒20:7)。
またパウロは、週の初めの日すなわち日曜日に、献金を集めて置くように、と言っている。(1コリント16:2)
それで私達も、主日に、主と会うために集い、礼拝し、御言葉を聞き、パンを割き、献金を集め、そして主と共に安息するのだ。
律法の決まり事や安息日は、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのだ(コロサイ2:16-17)。
 
 この世界の、最初の天地創造のみわざは、既に「終わっている」(ヘブル4章)。終わってしまっているからには、人がひと度破壊してしまったこの天地万物に、新たに修正を加える事は、できない。そこで神が取られた方法は、この、修復不能の天地万物はもはや過ぎ去らせ、もはや呪われるべきものの一切ない、新天新地を創る事である。そこには、神の言葉を意図的に反する人は一人も入れない。ただイエス様を主とし、主を愛し、自由意志をもって主の血の贖いを受け入れ、神のことばを守った人だけが入れる世界である。
彼らは、信仰によってイエス様を受け入れ、自分の善悪判断のわざを終え(止め)て安息に入った人である。
 それで私たちは、この世で六日働き、七日目の主日に主を覚え、礼拝し、安息するのだが、日々、善悪判断を捨てて、自分のわざを終え、全て主に明け渡すなら、毎日が、瞬間瞬間が、主にある安息である。
 安息日の休みは、神の民のためにまだ残っている。その神の安息に入った者なら、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずである。だから私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が一人もいないようにするべきだ(ヘブル4:9-11)。
 古い肉による生き方ではなく、イエス様にある新しいいのちの、新天新地の思考パターンで生き、安息して歩んでいく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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