メッセージ - 主に示された地に留まる事が、どれほどの祝福か(創世記12:1-3)
主日礼拝
主に示された地に留まる事が、どれほどの祝福か(創世記12:1-3)
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週報/メッセージ(説教)概要
年末から新年にかけてのニューイヤーズ・イブ礼拝で、年明け早々に語られた御言葉が、本日の、アブラハムの祝福だった。アブラハムが祝福を受けた理由は、彼は神様の言葉に従って、それまで住み慣れた本土・親戚・父の家という古いなわばりやしきたりから離れ、神様が示された、神の国のなわばりとしきたりへと入り込み、そこに留まる事によってだった。実際的な祝福を得る秘訣は、これである。
新年が明けて四週目に入った今日、この祝福の秘訣を、今一度、確認したい。
アブラハムは、それまで”神様抜き”で生きて来た、本土・親戚・父の家から、神様の命令に従って「出た」。
そして、神様が示された地に行って「留まった」。祝福を受けるための法則は、シンプルに言えば「出る事」と「留まる事」である。すなわち、詩篇1:1に示されている通り、悪者のはかりごとに歩ま「ず」、罪人の道に立た「ず」、あざける者の座に着か「ず」、という「3つの”ず”」の物事から離れ、詩篇1:2にある通り、主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ事に「留まる」。そうすれば、水路のそばに植わった木のように、時が来れば実を実らせ、その葉は枯れず、何をしても栄えるという祝福が、私達のものとなる。
出るべき所を出て、そこに戻らない。また、留まるべき所に留まってそこを出ない。たったこれだけだ。
人は何かと「留まりなさい」と言われても、じっとしれおられず、そこを出て、何かをしたい衝動に駆られるもので、アブラハムも、そうだった。彼は、主から留まるよう示された地を出て、エジプトに行ってひどい目に遭ったが、そこから戻って主を礼拝し、留まるべき所に留まった。その結果、どうなったか。アブラハムも、一緒にいた甥のロトも、非常に富んで、多くのものを得、その地に一緒に住む事ができないまでになった。
何をしたから?それはただ、礼拝して、留まっただけ、である!ただそれだけで、二人は一緒に居れない程、豊かになり、彼らのしもべ同士で争いが起きるまでになったため、別れる事になった。
ロトは、ソドムという、主の前に甚だ悪い者達が住んでいる所を、「主の園のよう、また、エジプトの地のよう」と評価した。主の基準によってでなく、自分の目に「よし」という基準に従って行くなら、ソドムさえ、主の園と同価に見てしまうのが、肉に従って歩む人の特徴である。このような価値観を持った者は、信仰者と共に祝福は相続できない。そのような者と別れた途端、怒涛のように祝福が入ってくる。(創世記13:14以降)
その後、メソポタミア地方の4つの王とその軍勢が、カナン地方の5つの王とその軍勢に戦いを挑んで、打ち破り、彼らはソドム・ゴモラ等の財産や食料を全部、奪って行った。ロトはその時、ソドムに住んでいたので、ロトとその財産も奪われて行った。アブラハムはそれを聞くと、彼の家で生まれたしもべ318人を引き連れて立ち向かい、なんとその4人の王達を打ち破って、ロトも、5人の王達の財産をも、全部取り戻した。
普通、勝利に勝利を重ねて勢いづいている4人王達に、318人の手勢で立ち向かうなど、無謀の極みだが、彼は主が示された「留まるべき所」に留まった結果、大いに祝福され、これら、合計9人の王と、その軍勢の頂点に君臨する力を、頂いたのである。しかし彼は、王達の上に君臨するなど、一切興味を示さなかった。彼はなぜ、莫大な資産や財産を得たのに、我がものにしないどころか、一切興味が無かったのか。
彼はソドムの王に、「あなたの持ち物は、靴紐一本さえもらわない」と言った。つまり彼は、主の御言葉で示された地に「留まった」事によって得た祝福に比べれば、ソドムや、他の王たち全部をひっくるめた持ち物や財産など、「くつひも」程度にも見えないほど、主にあって満ち足りて、富んで、満足していたのだ。
そもそも、その王達は、暴力や奸計を用いて、のし上がり、人から分捕り、人を泣かせて、所有を増やしたものである。そんな「3つの”ず”」にまみれたものは、靴紐一本でも、自分のものとしてはならない。
彼は、ただ主が示された「留まるべき所」に留まっただけで、これほどまでに祝福して下さった神様に、信頼していたからこそ、躊躇なく、人からは無謀と見える戦いを挑む事が出来たし、また、勝利した後も、ソドムの資産や財産や、9つの王国の上に君臨する権利など、躊躇なく破棄したのだ。むしろ彼は、メルキゼデク、すなわち、イエス様からいただくパンとぶどう酒をこそいただき、彼に十分の一を捧げ、礼拝した。
アブラハムのように、主の言葉に信頼して、出るべき所をきっちり出て、留まるべき所にきっちり留まり、それによって、大いなる国民とされ、その名が大いなるものとなり、祝福する者を主が祝福してくださり、呪う者を主が呪って下さる、そのような皆さんとなりますように!イエス様のお名前によって祝福します!