メッセージ - 土地から吐き出される者と、歓迎される者(エゼキエル36:1-15)

土地から吐き出される者と、歓迎される者(エゼキエル36:1-15)

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執筆 : 
pastor 2021-8-18 8:00

講解説教

土地から吐き出される者と、歓迎される者(エゼキエル36:1-15)

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今回の箇所は、イスラエルの人々に対して、ではなく、イスラエルの山々や丘々、谷川や谷、荒れ果てた廃墟、見捨てられた町々に、である。
つまり、あちらこちらに動く人間に対して宣言されたのではなく、不動の土地に対して、である。
 
イスラエルの土地は、悪い人々によって荒廃してしまった。
その土地にとっては、悲むべき状況であったが、そこに、本来住むべき、神を畏れ敬う民が戻ってきて、再び、イスラエルの土地は礼拝によって回復される事が、示されている。
 
このような、イスラエルの山々に向けての預言は、6章にもあった。
6章の時点では、まだバビロン捕囚前、災が降る前だったが、そこを見れば、なぜイスラエルの山々が荒廃してしまったのかが、良くわかる。
 
エゼキエル6:1 主の言葉が、わたしに臨んで言った、
6:2 「人の子よ、あなたの顔をイスラエルの山々に向け、預言して、
6:3 言え。イスラエルの山々よ、主なる神の言葉を聞け。主なる神は山と丘と、谷と川に向かって、こう言われる、見よ、わたしはつるぎをあなたがたに送り、あなたがたの高き所を滅ぼす。
6:4 あなたがたの祭壇は荒され、あなたがたの香の祭壇はこわされる。わたしはあなたがたの偶像の前に、あなたがたの殺された者を投げ出す。
 
ここを見ると、イスラエルの山々において、偶像礼拝が行われ、主のねたみを起こしていた事がわかる。
主は度々、預言者を遣わして警告して来たが、民は、止めなかった。
警告を与えても、止めないなら、主は、強制的に、偶像礼拝が出来ないように、破壊しにかかられる。
それは、これに懲りて、二度と偶像礼拝をしないように、ただ、主だけをを礼拝するようにするために、である。
 
私達も、あまりに、主に忌み嫌われる事を止めないなら、あるいは、隠れてそれを行って誰も注意する人がいないなら、主ご自身が、それができないように、強制的に働きかけられる。
 
6:5 わたしはイスラエルの民の死体を彼らの偶像の前に置き、骨をあなたがたの祭壇のまわりに散らす。
6:6 すべてあなたがたの住む所で町々は滅ぼされ、高き所は荒される。こうしてあなたがたの祭壇はこわし荒され、あなたがたの偶像は砕かれて滅び、あなたがたの香の祭壇は倒され、あなたがたのわざは消し去られる。
6:7 また殺された者はあなたがたのうちに倒れる。これによって、あなたがたはわたしが主であることを知るようになる。
 
受けた災いの原因は、特に、偶像礼拝であった事が示されている。
偶像礼拝は、十戒の第二戒にある程、重要な禁止事項であるが、偶像とは、何も、神社仏閣に限ったものではない。
 
偶像礼拝とは、神ならぬものを、神以上に、神とする事だ。
つまり、お金や誰か人間、特定のイデオロギーなどを、神様以上に優先させているなら、それが、偶像礼拝状態である。
 
コロサイ3:5 だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。
 
神ならぬものを、神以上に頼る時、主のねたみを引き起こす。
神様と私達の関係は、結婚関係と同じである。
それが、以下の節で分かる。
 
6:8 わたしは、あなたがたのある者を生かしておく。あなたがたが、つるぎをのがれて国々の中におり、国々に散らされる時、
6:9 あなたがたのうちののがれた者は、その捕え移された国々の中でわたしを思い出す。これはわたしが、彼らのわたしを離れた姦淫の心と、偶像を慕って姦淫を行う目をくじくからである。そして彼らはそのもろもろの憎むべきことと、その犯した悪のために、みずからをいとうようになる。
6:10 そして彼らはわたしが主であることを知る。この災を彼らに対して下すと、わたしが言ったのは決してむなしい事ではない」。
 
主から離れるのは、姦淫の心であり、偶像を慕う目は、姦淫の目である事が、ここで示されている。
結婚とは、自分自身を結婚相手に対し、唯一・排他的な”異性”として、コミットする事である。
つまり、女性であるなら、相手の男性にとって唯一・専属的な「女」となり、男性であるなら、相手の女性にとって、唯一・専属的な「男」となる事である。
それ以外の相手に対し、自分を「男」「女」とするなら、それは、ねたみを引き起こす。
 
それと同じく、神様との契約関係は、自分自身を神様に対し唯一専属的な「民」とし、そして、神様を自分にとって、唯一専属的な「神」とするものである。
だから、偶像礼拝は、許されないのだ。
 
バビロン捕囚の前、神様はすぐには災いを下さず、預言者を通して何度も警告し、わたしに戻れ、戻れ、と言った。
しかし彼らは、霊的姦淫を止めなかった。
それでついに、時が満ちて、その災いの預言が実現してしまった。
それで彼らが、捕囚先で悔い改め、主に立ち返った時、幸いの預言が発せられる。
それが、36章である。
 
36:1 人の子よ、イスラエルの山々に預言して言え。イスラエルの山々よ、主の言葉を聞け。
36:2 主なる神はこう言われる、敵はあなたがたについて言う、『ああ、昔の高き所が、われわれのものとなった』と。
 
日本語には訳されていないが、英語の聖書では、2節の主の言葉は because(ヘブライ語ではヤアン、すなわち、「***なので」)で始まり、それを受けて、3-7節は全部、「それゆえ(ケン)」で始まっている。
つまり、2節を受けての、3-7節なのだが、それだけ、イスラエルをあざけって荒廃させた国々への「ねたみと憤り」(6節)の激しさを、主は示しておられる。
 
36:3 それゆえ、あなたは預言して言え。主なる神はこう言われる、彼らはあなたがたを荒し、四方からあなたがたを打ち滅ぼしたので、あなたがたは他の国民の所有となり、また民の悪いうわさとなった。
36:4 それゆえ、イスラエルの山々よ、主なる神の言葉を聞け。主なる神は、山と、丘と、くぼ地と、谷と、滅びた荒れ跡と、人の捨てた町々、すなわちその周囲にある諸国民の残った者にかすめられ、あざけられるようになったものに、こう言われる。
 
イスラエルは、徹底的な災いを受けて、民の語りぐさとなり、そしりとなった事が、書かれてある。
神の民が、災いのサンプルとして、語り草になる…。
そう、いかに、神の民といえども、神様以外のものを神とし、神のねたみを引き起こさせ、戒められても止めないなら、徹底的に打ちのめされ、語り草となってしまうのだ。
それは、私達にはあってはならない。
 
36:5 主なる神はこう言われる、わたしはねたみの炎をもって、他の国民とエドム全国とに対して言う、彼らは心ゆくまで喜び、心に誇ってわが地を自分の所有とし、これを奪い、かすめた者である。
36:6 それゆえ、あなたはイスラエルの地の事を預言し、山と、丘と、くぼ地と、谷とに言え。主なる神はこう言われる、見よ、あなたがたは諸国民のはずかしめを受けたので、わたしはねたみと怒りとをもって語る。
36:7 それゆえ、主なる神はこう言われる、わたしは誓って言う、あなたがたの周囲の諸国民は必ずはずかしめを受ける。
 
ここから、神様の燃えるねたみと憤りは、神の民をあざけり強奪した国々へと移行する。
神様は、確かに、神の民を打った。
しかしそれは、喜んでではなく、悲しみつつであった。
ちょうど、親が、子を懲らしめる時のように。
 
イスラエルが、神様から打たれているのを見て、調子に乗って、さらにボコボコにするなら、今度は、神のねたみと憤りは、その者達へと向けられる。
そしてイスラエルには、その土地の回復が宣言される。
 
36:8 しかしイスラエルの山々よ、あなたがたは枝を出し、わが民イスラエルのために実を結ぶ。この事の成るのは近い。
36:9 見よ、わたしはあなたがたに臨み、あなたがたを顧みる。あなたがたは耕され、種をまかれる。
 
土地は、再び、本来そこに住むべき神の民が、帰って来て、住むようになる。
今までは、異邦の民に、蹂躙されていた。
なぜなら、本来、神様を礼拝すべき民が、礼拝せず、偶像礼拝に耽り、行いが悪かったからだ。
そういう時、土地は、その者を吐き出して、土地は、安息を得る。
 
36:10 わたしはあなたがたの上に人をふやす。これはことごとくイスラエルの家の者となり、町々には人が住み、荒れ跡は建て直される。
36:11 わたしはあなたがたの上に人と獣とをふやす。彼らはふえて、子を生む。わたしはあなたがたの上に、昔のように人を住ませ、初めの時よりも、まさる恵みをあなたがたに施す。その時あなたがたは、わたしが主であることを悟る。
 
土地の繁栄は、豊かな実りは、主の契約に基づく。
偶像は、強制的に打ち捨てられ、もはや偶像礼拝ができなくなり、ただ、主を敬う事、礼拝する事が帰るなら、契約の祝福が来る。
レビ記26章に記されているとおりである。
 
26:1 あなたがたは自分のために、偶像を造ってはならない。また刻んだ像も石の柱も立ててはならない。またあなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしはあなたがたの神、主だからである。
26:2 あなたがたはわたしの安息日を守り、またわたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。
26:3 もしあなたがたがわたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って、これを行うならば、
26:4 わたしはその季節季節に、雨をあなたがたに与えるであろう。地は産物を出し、畑の木々は実を結ぶであろう。
26:5 あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取入れの時まで続き、ぶどうの取入れは、種まきの時まで続くであろう。あなたがたは飽きるほどパンを食べ、またあなたがたの地に安らかに住むであろう。
 
ここを見て明らかなように、祝福の基本は、2節にある通り、主を敬い、主を礼拝する事だが、それ以前に、真っ先に、偶像を礼拝してはならない事が、1節で示されている。
主の御言葉に聞き従い、それを守り行うなら、主は、豊かな実りを、大地に命じて下さる。
 
36:12 わたしはわが民イスラエルの人々をあなたがたの上に歩ませる。彼らはあなたがたを所有し、あなたがたはその嗣業となり、あなたがたは重ねて彼らに子のない嘆きをさせない。
36:13 主なる神はこう言われる、彼らはあなたがたに向かって、『あなたは人を食い、あなたの民に子のない嘆きをさせる』と言う。
 
土地が、人を食らう、と言われてしまうようになったのは、なぜか。
それは偶像礼拝の故であり、契約を破った事の、のろいによる。(レビ26:16,20, 申命記28:38-40)
この状態がなくなる事が、14節以降に示されている。
 
36:14 あなたはもはや人を食わない。あなたの民に重ねて子のない嘆きをさせることはないと、主なる神は言われる。
36:15 わたしは重ねて諸国民のはずかしめをあなたに聞かせない。あなたは重ねて、もろもろの民のはずかしめを受けることはなく、あなたの民を重ねてつまずかせることはないと、主なる神は言われる」。
 
土地は、そこに住む人々が神を畏れ敬うなら、土地は喜んで作物を出すが、もし、そこに住む人々が汚れた事を行うなら、やがて土地は、その者達を吐き出して、そうして安息を得る。
被造物は、神の子のあらわれを待ち望んでいる。
もし私達が、イエス様を信じ、御言葉の通りに生きるなら、行く先々の被造物からウエルカムされる者となる。
私達は、神の子としてふさわしく歩み、そうして、あらゆる被造物から歓迎される者となるべきである。

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