メッセージ - 蒔かれた御言葉が、実を結ばせない人、実を結ばせる人(ルカ8:4-15)
金曜礼拝
蒔かれた御言葉が、実を結ばせない人、実を結ばせる人(ルカ8:4-15)
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8:12 道ばたに落ちたのは、聞いたのち(エイター:then、すぐに、すると)、信じることも救われることもないように、悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである。
たとえば10人に御言葉を語ったとする。
10人とも、耳で聞いた。確かに10人の、耳の鼓膜は振動した。
しかし、すぐに、悪魔が取り去ってしまう人、鳥が巣作りしている人がいる。
その人の、心に御言葉が落ちて根付く前に、持ち去る。
5節では、タネは、人に踏みつけられ(「軽んじられ」の意味もあり)てしまっている。
みことばを、踏みつけはならない。軽んじてはならない!
鳥がきたら、アブラハムのように、追い払うべき。目を出すように。
鉢植えをケアするように、いのちを育てる努力をすべき!
花をさかせ、みのるまで!
悪魔は、中傷者。
中傷者の声、息吹、霊、にさらされるなら、すぐに、風が、鳥が、持ち去ってしまう。
8:13 岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。
聞いて、よろこぶ、が、根がない。
しばらくは信じるが、自分に都合がわるい事が起きる、あるいは、自分の願った方面ではない、とするなら、いともかんたんに御言葉を手放す。
8:14 いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである。
とかくしているうち=ポレウオマイ πορεύομαι:あゆむ、やっていく。英語は go on。
歩く。どこを?
富や快楽の上で歩いている!みことばで歩くではなく。
ふさがれる=スムプニゴー:しめつける、窒息する。
いばら=イエス様をつきさした。
8:15 良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。
唯一実を結ばせた。
全員、聞いていた。4タイプとも。
鼓膜が振動し、聞いたはずだが、ある人は、御言葉が心に落ちる前に、鳥が来てたべてしまった。
岩:途中、放棄しえしまう。
いばら:御言葉に歩まない。富や快楽で歩むので、ふさいだ。
良い地は、
みことばを聞くと、それをしっかりと、
・守り:シャマール。日本語の侍は、ヘブライ語でも同じ(シャムライ)、守る人。
・よく耐えて、ヒュポモネー:明るい(あるいは希望に満ちた雰囲気で)耐え忍ぶ
以上、実を結ばせるのは、正しい良い心で、聞いて、守り、耐える人!