メッセージ - 悪霊が好んで住みたがる「物件」とならないために(ルカ11:24-26)
悪霊が好んで住みたがる「物件」とならないために(ルカ11:24-26)
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ルカ11:24 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、
11:25 帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
11:26 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。
悪霊は人から出ていった。しかし「自分の家」に帰ろう、と言った。
悪霊にとって「家(オイコス:住処、住む場所)」とされてしまう人がいる。
どういう人が、悪霊にとって好まれる”物件”なのか?
以下に、悪霊が好む2つの分詞がある。
ルカ11:25 帰って見ると、その家は「そうじ(1,サラオー)」がしてある上、「2,飾りつけ(コスメオー)」がしてあった。
1,サラオー:ほうき等で掃いて、きれいにする事の意味。
家の中に、きたないものが、あちこち散乱していると、普通の人は不快と思う。
コンビニ弁当のプラスチックや、着てから洗濯せずに放置した服が溜まった部屋、使わなくなった家具が散乱しているような様を。
もしも、そういう状態がむしろ心地よい、という人は、悪霊に憑かれている事を、疑ったほうが良い。
なぜなら、聖霊はきよい霊であり、神は秩序の神であるのに対し、悪魔サタンは散らす者、無秩序にする者であるからだ。
悪霊には、むしろ、きたないもののほうが、好きである。
それでは、悪霊が好む「そうじ」された状態とは、どういう状態か。
何が「サラオー(掃かれて)」、きれいになってしまっているのか。
悪霊が嫌いなものとは、イエス様の御名であり、御言葉であり、聖徒たちの集いである。
つまり、悪霊から好まれる人というのは、
イエス様の御名がサラオーされて、イエス様の御名が、きれいさっぱり、無い人であり、
御言葉がサラオーされて、御言葉が、きれいさっぱり、無い人であり、
聖徒の交わりがサラオーされて、聖徒の交わりが、きれいさっぱり、無い人である。
そういう人は、悪霊にとって、住み心地よい物件、という事である。
私達はむしろ、イエス様の御名と、御言葉と、聖徒の交わりで満たし、聖霊が住みやすい物件となるべきである。
2,コスメオー:コスメの元で、飾る、整える、化粧する、といった意味。
化粧した女性は、魅力的に映るが、悪霊にとって魅力的にコスメされた人とは、どういう人か。
それは、悪霊が追い出された後、思いも心も、空白のままにして、ぼーっとしている人である。
すると、以前の、けんかしたり、酒を飲んだり、仕事せずに引きこもってゲームや動画三昧したり、不品行三昧に耽っていた、ある種の「ラク」だった頃が、むらむらと思い返されてくる。
それが、悪霊にとってコスメされた状態。
そこに悪霊が戻ってくると、悪霊にとって居心地良い物件として映り、さらに、たちの悪いのを7つ呼び寄せて来て、みんな住んでしまうので、ある日ある瞬間、突然に、以前よりもはるかに悪い状態になってしまう。
だから、悪いくせが追い出されたなら、そこを、御言葉で満たし、健全なことばで満たし、健全な働きと、健全な交わりで、満たすべきなのだ。
ヘブル10:22 心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。
10:23 また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、
10:24 愛と善行とを励むように互に努め、
10:25 ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。
10:26 もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。
10:27 ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。