メッセージ - イエス様に捧げられたわずかなお弁当が五千人以上と働き人を養う(マルコ 6:30-43)
イエス様に捧げられたわずかなお弁当が五千人以上と働き人を養う(マルコ 6:30-43)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2026-1-7 16:10
イエス様に捧げられたわずかなお弁当が五千人以上と働き人を養う(マルコ 6:30-43)
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Mar 6:41 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。
Mar 6:42 人々はみな、食べて満腹した。
Mar 6:43 そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。
Mar 6:44 パンを食べたのは、男が五千人であった。
有名な、5つのパンと2匹の魚で、五千人を養った箇所。
その場面は、実は、何もミニストリーをしようと思ってそれをやったのではありません。
イエス様が、働き詰めのお弟子さんたちを、休ませようとして、辺鄙なところに行ったところでした。
だからイエスは言われました。
「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」
この一言には、深い優しさがあります。
主は、働き人の疲れを見ておられます。
それで弟子たちは、舟を出して、「やっと休める」と思ったでしょう。
けれども、いざ、むこう岸が近づいてくると、、、
人が走ってくるのが見えます。
方々の町々から、徒歩で駆けつけてくる。
かれらは、舟の行き先を見抜いて、先回りして、もうそこにいたのでした。
弟子たちは思ったことでしょう。
「…またか。」 「もう勘弁してよ」
牧師や伝道師は、いつ急患が来るのは避けられないお医者さんと同じように、ケアしなくてはならない人々が突然あらわれるものです。
でもですね、そんな時は、バカンスを取り上げられたのではありません。
イエスさまは、舟から上がられると、群衆をご覧になると。
「羊飼いのいない羊のようである」と深くあわれまれた、と書いてあります。
霊的に困窮している人を満腹させてあげる事は、バカンスとか観光にはるかに勝る満足が与えられるものです。
これこそが、イエス様にとって、そして主の働き人にとって、人々には知られない「食物」です。
6:35 そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。
6:36 みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」
**ポイント**
弟子たちは、常識で考えました。
車も商業施設も無いあの時代、こんな辺鄙な場所に、こんなに大勢の群衆がおなかを空かせているのは、行き倒れの人が、大量にでてきそうな、危険な状態。
けれどもですね、ここで、突然、イエス様の無茶振りが来るんです。
6:37a すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
真代先生、5千人を眼の前にして、川合先生からいきなり、「あなたが、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」と言われたら、どうしますか?
そう、弟子たちは凍ったと思います。
6:37b そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか。」
**この場面の詳細**
Joh 6:5 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
Joh 6:6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。
**ポイント**
・イエス様は、「どこから」という質問した。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
・買う:アゴラゾー。市場に行く、というのが原意で、そこから、買う、贖う、という意味になった。
・イエス様は、どこから、人々のパンの問題やあらゆる問題からの贖いや救いが来るか、をご存知だったが、主は、あえて、このような状況下で、主の働き人をためし、そして、それらは天の父なる神から来るのだ、と教えられる。
Joh 6:7 ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
Joh 6:8 弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
Joh 6:9 「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」
**ポイント**
・ピリポは、イエス様の「どこから」に対し、金銭的な「いくら」で考えた。論理的に考えて、計算をしたのである。そして、「足りない」と結論づけた。人間的な考えでは、物質的・金銭的には到底足りない、という結論に行き着く状況。
・対してアンデレは、とりあえずパンを持っている人をさぐり、イエス様のもとに連れてきた。しかし、持っていた少年のそのささやかな「おべんとう」は、こんなに大勢の人々の前では何の役にもたたない、と結論づける。
・しかし、その少年のささやかな「おべんとう」が、イエス様へと捧げられた時、イエス様の出番であり、イエス様は人知をはるかに超えた事をなさるお方である。
マルコ 6:39 イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。
6:40 そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。
6:41 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。
6:42 人々はみな、食べて満腹した。
6:43 そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。





